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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-15 贈り物

 すべての光が死に絶えたような、真っ黒い空と海。海原をなでるように吹く風が、海に白い波頭をいくつも生じさせ、それが僅かな月明かりを浴びて銀の粉のように輝いている。

 深い深い闇が立ちこめた夜の海上で、縦揺れと横揺れを繰り返しながら、ノーブルブルーのウインガード号は、一息入れるように一時停船していた。


 天を突くほど、建材を高く継ぎ足された、三本の黒いマストに張られた各帆は、本来後方から受けるべき風を斜め前から受けるように、帆桁(ヤードの角度を変えている。

 大の男の身長と同じ高さがある巨大な二重舵輪を、航海士が両手で支えながら、船が同じ場所に留まるよう、それを回して絶妙に位置を調整する。


 そんなウインガード号と同じように、数十リール(=1メートル)ほど離れた海上で、もう一隻船が漂っていた。

 ツヴァイスに呼び出され、嫌々ながら迎えに来たヴィズルのグローリアス号である。

 三層の砲列甲板を持つウインガード号と比べたら、小型の武装船でしかないその船は、帆の色が濃紺であるせいか、周りの闇と溶け込んで、船尾やマストにつけた停泊灯の灯りがないと、見落としてしまいそうだ。



 ◇◇◇


「いつもながら、時間の正確さは大したものだ。ヴィズル……いや、スカーヴィズ船長」

 つば広の黒い帽子を目深に被り、滑らかな光沢を放つ黒いマント姿のツヴァイスが、屈強な体格の水兵5人と共に、グローリアス号へ乗り込んできた。

 ヴィズルはなめし皮の手袋をはめた両腕を組み、かなり不機嫌な顔でツヴァイスを睨み付けた。だがツヴァイスは不敵ともいえる微笑を返す。


「何、君と少し話をしたくてね」

「そうかい。俺もいろいろあんたと話したかった所だよ」

 こちらも余裕を見せようと、ヴィズルは歯を見せてにやりと笑う。その後ろにあるメインマストを囲むような形で、100人はいるヴィズルの手下達が、ツヴァイスを出迎え、船が震えるような低い声色で笑った。


「おい、それは何だ?」

 ヴィズルの左側に立っている、赤銅色の短い頭髪の男が、うなるように問いかけた。その落ち窪んだ目は、ツヴァイスの後ろで待機している水兵達に注がれている。厳密にいえば、水兵達が二人がかりで持っている樽二つと、肩に担がれている帆布製の大きな袋一つ。

 ヴィズルもツヴァイスが持ってきた、その荷物が気になっていた。


「ああ、これかね?」

 相変わらず愛想の良い笑みを口元に浮かべ、ツヴァイスは銀縁の眼鏡の縁へ手をかけた。体をずらし、まずはオールにぶら下げた樽を持った水兵を前に出させる。

「大したものではないがね。私は君達の船長に大変世話になっている。だから皆に飲んでもらおうと、心づくしの酒を持ってきたのだ」

「ほぉー。気が利くじゃねぇか」


 赤銅色の髪の、体躯が良い男。副船長のティレグが思わず上唇を舐めた。

 同様に、ツヴァイスを取り囲むように立っている手下達も、先程より明るめの笑い声で、喜色を現わす。

 だがヴィズルだけは冴え冴えと光る銀髪のように、冷ややかな顔でツヴァイスを睨み付けていた。

 世話になっているといったら、どちらかといえばヴィズルの方なのだ。

 あまり借りを作りたくない相手だけに、ツヴァイスが何をしにここへ来たのかを、その柔和な表情から読み取ろうとしていた。


「そんなもので……俺達をごまかす気か? ツヴァイス」

 ツヴァイスが肩をそびやかした。口元に微笑を浮かべたまま。だが、何を考えているのか分からない、紫の瞳は少しも笑っていなかった。

「ごまかすなど……。ただ、これから私は君と大切な話をしなくてはならない。それが終わるのを待つ君の部下達へ、退屈を紛らわせる物を、持ってきただけなのだよ」

「それはどうも」

 目を細め、ヴィズルは両腕を組んだまま小さく息を漏らした。


「ならば取りあえずもらっておくことにしよう。……ティレグ」

 目線がすっかり酒樽に注がれている副船長を、ヴィズルは舌打ちしながら呼んだ。灰色混じりの口ひげに、はやよだれが糸を引いて垂れている。

「……っと、すまねえ船長」

 ぶるっと頭を軽く振り、しわくちゃのシャツの長袖で口を拭ったティレグがヴィズルの方を向く。


「俺とツヴァイスの話に邪魔が入らないよう頼む。ツヴァイスの差し入れで、適当にやっててくれ」

 ティレグがこぼれおちそうなくらい満面の笑みを浮かべて、こくこくとうなずく。

 副船長は酒に弱い。この悪癖さえなければ良いのだが、実は酒の力に頼らなければ、意外な程小心者であることをヴィズルは知っている。


 弱い者ほど突っかかってくる。

 そう言ったのは、死んだ先代、月影のスカーヴィズその人だ。


 なまじ剣を握れば剛剣使いの域であるがため、表立ってティレグに刃向かう者はいない。酒の力を得た副船長は、手下の中で誰よりも大胆になる。

 まあ、酒さえ飲ましておけば大人しくしているだろう。

 そんなヴィズルの思惑を知らずに、ティレグはツヴァイスの部下から酒樽を喜々として受け取っていた。


「おい、もう一つあるみたいだが?」

 ティレグの行動にあきれつつ、ヴィズルは依然鋭い眼差しでツヴァイスを眺めた。ツヴァイスの隣に立っている、背の高い水兵が袋を肩に担いだまま下ろさないことに気付いたからだ。

「ああ、あれはお前への土産だ。さ、行こうかね?」

 爽やかな表情でツヴァイスはそういうと、きびすを返して船尾甲板の方へ歩き出した。

「……待てよ」

 この船の船長は自分だというのに。

 ヴィズルは早足でツヴァイスに追いつき、そして追い抜いた。


 ◇◇◇


 ヴィズルの船長室の天井には、黒水晶を加工した古めかしい形のシャンデリアが吊られており、何十本と立てられたろうそくが、煌々と辺りを照らしていた。

 ツヴァイスが来るので、普段板張りのままの床には、東方連国産の毛の長い、色彩鮮やかなじゅうたんが敷かれ、金箔を張り付けた豪勢な応接椅子が二脚、大きな船尾窓を背にするように置かれている。

 船長室の左舷の壁には銀製の長剣が数本飾られ、その下に、書物がぎっしり詰まった本棚がある。すべて航海術や船に関する本だ。


 ヴィズルが部屋の扉を開けて、ツヴァイスと、大きな袋を担いだ水兵を中に入れる。ちらりとはや甲板で始まった酒盛りを目に止め、ぴくりと眉を動かしながら、ヴィズルは静かに扉を閉めた。

「気になるから、先にその袋の中身を見せてもらおうか?」

 手を伸ばし、ツヴァイスに右側の椅子を勧める。

 ツヴァイスと二人きりで話したいので、袋を担いでいる水兵をはやく追い出したいせいでもあった。

 ツヴァイスがドアの前で待機している水兵の方へ向き直り、ひるがえった黒いマントの裾を右手で押さえる。


「いいだろう。――おい、こっちへ持ってこい。そっとだぞ」

 水兵が膝をかがめて袋を床へ下ろす。それをツヴァイスが一緒に手伝う。

 まるで壊れ物を扱うように、ゆっくりと優しく。袋を横倒しに寝かせて、膝を床についていたツヴァイスは、水兵に鋭く命じた。

「帰る時に呼ぶから、他の者と一緒にボートで待て」

「はっ」

 水兵は立ち上がると、ツヴァイスに一礼して船長室から出ていった。

 ヴィズルは椅子の前に立っていたが、ツヴァイスと二人だけになったので、静かに彼の側に歩み寄った。


「……本当は、迷ったのだがね」

 ツヴァイスは膝をついたまま、袋を縛っている麻紐を解いている所だった。

 結び目があっという間に解けて、紐を傍らへ放り投げる。

「だが、切り札はいくつあっても困らないと思ったのだよ」

 ヴィズルは息を飲んで袋の口を凝視した。

 ツヴァイスがゆっくりとそれを広げていく。


 まばゆいろうそくの揺れる光の輪の中で、初めに現れたのは肩を越す程度の長い金髪だった。続いて青白い華奢な顔。頬に影を落とすまつげは固く閉ざされていて、軽く口が開いている。

 一見死体かとも思えたが、濃紺の海軍の制服をまとった胸が、小さく上下に動いていることから、深い眠りに落ちているだけだというのがわかる。


「どうして……」

 ヴィズルはとても見知ったその顔に、ただただ嫌悪感が募るのを覚えた。

 エルシーア海にいる限り、いつか会うことになるだろうシャインが、ここにいることがとてもとても嫌だ。


 何故? 何のために?

 戸惑いを怒りの面で隠し、ヴィズルは真っ向からツヴァイスを睨んだ。


「薬で眠らせてある。一晩は目を醒まさない」

「……ふざけるなよ、ツヴァイス」

「何を怒っている? 船長?」


 ゆっくりと立ち上がりながら、ツヴァイスは面白そうにヴィズルを眺めた。



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