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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-2 葬儀

 今の所、すべて予定通りに進んでいる。

 シャインは、アドビスの執務室でツヴァイスとの話をすませた後、軍港の近くに間借りしている部屋に戻っていた。


『今晩ウインガード号で私はジェミナ・クラスに戻る。一緒に来たまえ。転属の手続きは例のごとくアルバールが上手くやる。それでいいのだな?』

 ノーブルブルーの軍艦を沈めるために、ヴィズルに手を貸していた事をツヴァイス は認めた。薄紫の瞳を伏せ、観念するかのように、ごまかすのをあきらめた薄い微笑をシャインに向けながら。



 ファスガード号とエルガード号がヴィズルの策略によって沈められ、大海を漂流してウインガード号に救助されてから一ヶ月。正確には一ヶ月かかって、アスラトルへ帰港したのだが。

 その航海中、ずっと頭の中でひっかかっていた。

 いくらヴィズルが時間をかけて、自分の仲間をノーブルブルーの各船へ乗り込ませたとしても、海軍関係者の協力は不可欠なのだ。水兵の数を合わせるために、他の船への配置替えは、かなりな頻度で行われているから。


 ツヴァイスが疑わしいと考えたのは、彼がノーブルブルーの最高責任者であり、何よりもヴィズルを知っていたからだ。ロワールハイネス号の航海長として、シャインに自らヴィズルを紹介してくれたことはまだ記憶に新しい。

 ツヴァイスが何も知らなくて、ヴィズルに利用されていた、という可能性は考えてみたものの、それは限り無くゼロに近い。


 ファスガード号のルウム艦長以外、アストリッド、エルガード号は、ごく最近までジェミナ・クラス近海で警備艦を任されていた、ツヴァイスの腹心の艦長が乗っていた。彼等が自分の判断で、海賊を水兵としてもぐりこませるような、勝手な事をするとは考えにくい。

 むしろ周りを腹心の部下達で固める事で、ヴィズルの仲間がもぐり込んでいることに気付かれなくなる。そう考えるのが最も自然だ。


『強引にツヴァイスに詰め寄ったけれど、ごまかされなくて本当に良かった』

 

 机、本棚、クローゼットにベッド。

 最低限の物しか置いていないがらんとした部屋の中で、ベッドのふちに腰掛けたシャインは、着替え用の航海服をたたむ手をふと止めた。

 ツヴァイスがノーブルブルーへの転属を承認してくれなければ、正当な手順を踏んで、ヴィズルに奪われたロワールハイネス号を探しに行く方法がなかっただけに、疲れに似たけだるい安堵感が胸中に広がってゆく。


 ロワールにクラウスや水兵達。

 脳裏に彼等の顔を思い浮かべながら、シャインは小さくため息をついた。

 無事であっていてほしい。ヴィズルが船ごと彼等を連れ去った事はわかっているものの、どんな境遇で捕らえられているのかまで、聞く事はできなかった。


 シャインは再び手を動かして、数着の青い航海服の上着を鞄の中に詰め込んだ。17時30分に出港を予定しているウインガ-ド号に乗るため、荷物をまとめるためにこの部屋へ戻ったのだ。

 それから一日着ていた白の礼装から、白いシャツと黒のズボンに着替えてコートを羽織った。礼装を着ていたのは午前中に、ノーブルブルーのアストリット号とエルガード号、ファスガード号に乗っていて命を落とした者達の葬儀があったからだった。



 ◇◇◇


 海軍本部からさほど遠くない、街の中心にある大聖堂でそれは粛々と行われた。航海中、あるいは海戦で死んだ者は、海で水葬にするのが習わしだ。

 よって墓には空の棺が埋葬される。

 再び無事に帰って来る事を願い、待っていた人達にとって、これほど虚しく残酷な結果はない。しかも船が沈んだため、故人を忍ぶ形見すらないのだ。


 澄んだ、それでいて物悲しい聖歌隊の歌声がかすむほど、聖堂内に集まった遺族のすすり泣く声は、式典中途切れる事がなかった。

 エルシーアでは亡くなった人の数だけ黒百合と蝋燭を供える。

 三百を超える黒百合の花が祭壇に活けられている。尋常ではない数だ。雨が降った後の土の匂いに似たその香りが、聖堂内を重苦しい雰囲気で満たしている。

 祭壇に近い前の方の椅子に、黒い喪章をつけた二百名ほどの遺族達が座り、その後ろに白の礼装を着た海軍の軍人がずらっと並ぶ。勿論、アドビスやツヴァイスも神妙な面持ちで参列していたのは、言う間でもない。

 シャインは人目につかないよう、列のずっと後方にいた。正確には出入口の重厚な扉に近い円柱のそばだった。神官の低い祈りの声を聞きながら、シャインはただ頭を俯かせ両手を前で組んだまま目を閉じていた。

 やがて式典が終わり、遺族が裏手の埋葬地へ移動を始めた。シャインは彼らから避けるため、反対に聖堂の出入口から祭壇の方へ移動した。その時だった。前を通りかかった一人の優美な婦人にそっと声をかけられたのは――。


「来て下さったんですのね、グラヴェール艦長」

「あなたは……」

「ラフェールの妻です」

 彼女は黒いレースのヴェールをそっと上げて顔を見せた。淡い白金の髪をアップにした、三十代半ばを過ぎた女性。ずっと泣いていたのか、まぶたが赤く腫れているのが痛々しい。

 シャインはとっさに頭を下げた。


「私はまだ救われている方ね。あなたに主人の最後を看取ってもらえたのだから」

 ラフェール夫人は、そういって気丈に微笑んだ。

「申し訳ありません。提督のご最後をお伝えしに伺わなければと、思っていたのですが……」

 アスラトルへ戻ってから三日経つが、帰港後すぐに海軍省で事情聴取を受け、アドビスには報告書の提出を求められ、個人的にツヴァイスの事を調べていたので、仕方なく短い手紙を彼女へ送ったのだった。ラフェールに渡された、彼の形見となった細剣を添えて。


「あなたのお父上と私の主人は、士官候補生の頃からの友人同士でしたわ。だから、あなたの事もいろいろ聞いて知っているから、そんなに他人とは思えなくて」

「ありがとうございます。それで……ご用は一体なんでしょうか?」

 恐縮して答えると、夫人は後ろを振り向き、小さくうなずいた。彼女の後ろに控えている黒服の少年――おそらく従者であろう。彼は見覚えのある剣を両手に持ち、夫人へ手渡した。


「私、考えましたの。主人を思い出す品は屋敷中にありますわ。でも、これを見ると耐え難い悲しみに襲われますの。それに、一旦主人があなたに差し上げた剣ですわ。だから、あなたさえよかったら、使って頂きたいの」

 シャインは自分が送ったときより遥かに手入れがされ、光り輝いているラフェールの剣を見つめた。そして再度夫人の顔を見た。彼女は小さくうなずいてシャインへ剣を差し出す。その好意はとても無下にできないし、ラフェールの剣は柄の装飾が華美だが、使いやすくて好きだった。


「この剣には一度命を救われました。ですから、喜んでお申し出を受けたいと思います」

 剣を受け取り、シャインは感謝の意を込めて頭を下げた。

 夫人は一瞬悲しみの感情が失せた微笑を、そのほっそりした頬に浮かべた。

「そうでしたの。これは主人へ昇進祝いに王都のマリエッタ・フェイシェルに特注した物ですから、品質は保証いたしますわ。アルヴィ-ズ神と青の女王の御加護があなたにありますように。グラヴェール艦長」


 シャインは一瞬息を飲んだ。

 マリエッタ・フェイシェル。女性の金属加工職人だが、その細工技術は素晴らしく、シャインも彼女の鍛えた剣を欲しいと思ったことがあった。だが、船一隻が新造できるくらいの値段なのだ。

 けれど彼女の剣を使ってみて感じた。それだけの価値がある業物だと――。


「お辛いのに、いろいろお気遣い下さり、ありがとうございます。ラフェール夫人」

 彼女は黒のヴェールを下ろしてその顔を隠すと、埋葬地へ向かう人々の列に加わっていった。聖堂の中にはまだ半数ほどの人間がいて、出入口は混雑し始めている。そこで奥の祭壇の方へ行こうとした時だった。


「ちょっと待てよ」

 左腕をいきなり捕まえられて、シャインは思わず足を止めた。

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