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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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【第4話・序章】 20年前(4)

 ヴィズルはその日の朝食をアドビス達と一緒にとった。もちろん、アドビスがスカーヴィズに頼んでくれたおかげである。

 ヴィズルにとってその光景は夢のようであった。

 船長室に置かれた長机の中央の席に座らせてもらい、彼の左側にはスカーヴィズ、右側にはアドビスがいる。料理も下の大船室で食べるものとは大違いだ。大違いといっても不味いわけではないし、自分の取り分をもらい損ねるわけでもない。自分の盆にパンやおかずを取り分けてもらい、好きな場所でいつも食べていた。

 きちんとテーブルの前に座り、料理が並んでいる光景を、今まで見た事がなかったのである。


 確かに、今朝の朝食は豪勢な方だった。

 山のように盛られた朝採りのみずみずしい果物。香ばしい匂いで鼻をくすぐる焼き立ての白いパン。メインは白い陶器の皿にのった、肉厚の赤身の魚。旬の野菜の輪切りと一緒に蒸したもので、あつあつの湯気を立てている。

 他には定番の塩漬け肉をもどしたものに、香辛料など加えてあっさりした味のスープや、甘党のスカーヴィズらしく、白いクリームをのせたプディングがデザートとして用意してあった。

 航海中ならまずありつけない料理である。アジトの島に停泊しているから、新鮮な食材が手に入るのだ。

 東西に広がるエルシーア海には、いくつもの島が点在していて、海賊達の為の小さな町があったりした。ここもその一つである。表向きは海軍の目を欺くために、いたって普通のさびれた漁村という雰囲気であるが。



 ヴィズルは普段と違う料理に舌鼓をうちながらも、始終和やかに会話を交わすスカーヴィズとアドビスを見て、満ち足りた気分になっていた。

 彼自身スカーヴィズから、いや他の仲間からも“拾いっ子”と呼ばれていたため、口には決して出さなかったが、自分の親がこのふたりだったらいいな、と、思ったりした。


 幸せな時間は瞬く間にすぎてゆく。

 朝食を終えてしばらくすると、豪快なノックの音と共に、副船長ティレグの不機嫌な顔が、開けられたドアからのぞいた。ヴィズルは悟った。アドビスとの別れの時がきたことを。

 ヴィズルはアドビスの顔を一瞥して、スカーヴィズの船長室から先に走り出た。アドビスと言葉を交わすつもりはまったくなかった。一言でも口を聞いたら、せっかくの決意が鈍ってしまいそうだったから。


「おっと! ヴィズル、危ねえぞ!」

 甲板にいた仲間が、一目散にメインマストまで走ってきた彼にぶつかりそうになって、声を荒げる。ヴィズルは目にこみあげてくる熱い物を、必死でこらえながら、メインマストを支える、縄ばしご状に組まれた静索にとりつくと、それをさっさとよじ登り始めた。

 メインマストの中ほどには、大人が二人ほど並んで立てる見張り台があって、ヴィズルは難なくその上にたどり着いた。



 ものの5分とたたないうちに、船尾の船長室の扉が開いた。アドビスが、空よりも青い軍服姿で、肩の階級章より光る金髪をなびかせながら、スカーヴィズと連れ立って甲板へ出てきた。

 ガグンラーズ号の右舷側には一隻のボートが横付けされ、アドビスを迎えに来たエルシーア海軍の水兵達が、10名ほど乗っている。


 アドビスが舷門(出入り口)まで歩き、スカーヴィズに向かって軽く頭を下げると、彼女はゆるやかにウエーブした銀髪をゆらしながら、右手を額の前につけた。彼女の背後に集まっている手下たちも、苦笑しながら手を振る者がいた。

 メインマストの真下で繰り広げられるその光景を、ヴィズルはじっと見つめながら、アドビスにもらった本を強く、強くにぎりしめていた。


 舷門から垂らされた縄ばしごを伝って、アドビスは迎えのボートに乗り込む。

 艇長の号令が響き、アドビスの乗ったボートはガグンラーズ号から離れていく。

 見張り台の上にヴィズルは立ち、どんどん小さくなっていくその姿を目で追った。青い海原にはガグンラーズ号より少し大きなアドビスの軍艦が、三本のマストにそれぞれ帆を上げたまま、一時停船している。


『今日を最後に、私は二度とここへは来ない』


 アドビスはもう来ない。二度と。

 だから……。


「いつか、必ず……オレは自分の力で海へ出る」

 いままで風を流していたアドビスの船の帆が、一斉にそれを受けてはらみだした。船首が徐々に沖へ向きを変える。そして、どんどん加速を増したアドビスの船は、朝日を受けて光る水平線の彼方へ消え去っていった。

 それを食い入るように見つめながら、ヴィズルは思いっきり見張り台の上から叫んだ。


「必ず、会いに行くからなーっ!! 絶対に!!」



 ◇◇◇



「ヴィズルの奴。朝の甲板掃除をさぼったくせに、今はあんなところで遊んでやがる……」

 “赤熊”ティレグが、いまいましげな表情を浮かべて、メインマストの見張り台をにらみつけていた。

「ティレグ、今日はあの子を放っておいてやっとくれよ。あの子はアドビスを気に入っていたからね」

 いち早くそれを小耳に挟んだスカーヴィズは釘をさす。だが、ティレグは、針金のような顎ヒゲをさすりながら、ますます顔をしかめて甲板に唾を吐いた。


「ティレグ!」

 スカーヴィズは鋭くその名を言った。眉をひそめ、副船長をにらみつける。

「奴を気に入っているのはあんたの方だろ。ま、いいぜ。これであの海軍の犬と縁が切れたようだからな」

 スカーヴィズはさらに目を細めた。やはり船長室の戸口に、ヴィズル以外の誰かがいたのだ。


 ティレグは口が滑った事にようやく気が付き、動揺しながらへへへと、愛想笑いをした。そして、酒を勝手に飲んだということがわかる、つんとした臭いを漂わせてスカーヴィズにその顔を近付けると、耳元でそっとささやいた。


「アドビスとの火遊びを、快く思っていない他の頭領たちに、やっと安心して下せえって、胸張って言えますぜ」

「――何が言いたいんだい、ティレグ」

「別に」


 副船長はわざとらしく視線をそらせた。

 スカーヴィズはため息を軽くついて、甲板を見回した。船長と副船長。この二人のいさかいは、基本的に部下の動揺を誘うため、表立って見せるものではない。だがスカーヴィズは、ちらちらとこちらの様子をうかがう、手下たちの視線に気付いた。

 ティレグのように、海軍の人間であるアドビスとのつきあいを、良く思わないと感じている者がいるだろう。


「みんな、よくお聞き」

 スカーヴィズは手下をメインマストの前に集めた。総勢80名。



「アドビスと手を組んだのは知っての通り、私達がエルシーア海の覇権を握るため、そのためだけに利用したんだよ。それに、海賊の誇りを捨て、獣のように船を漁る連中は、私らより、海軍にやらせておけばいい仕事だ。無用な怪我人も出ないしね。そうだろう?」


  おおーっ! と、どよめくように手下達が吠えた。

 スカーヴィズはすらっとした両腕を広げ、その歓声をしずめると、夕闇色の瞳に魅惑的な光を放ちながら、うっすらと微笑を浮かべた。


「今夜、かつての名高い海賊の頭領達と、今後の計画を話し合う。みんな各個人で、がむしゃらに獲物を追いかける時代は終わった。エルシーア海軍は、今せっせと大きな船を作って、私達に対抗しようとしている。私達は生き残る為に、お互いが手を取り合わなければならないんだ」

「船長。海軍はそんなすごい船を作ってんの?」

 スカーヴィズの斜め前に立っていた、かじ取りのルティアが、怯えたように身震いして口を開いた。


「そうだよ。アドビスが言っていたけどね。彼の軍艦の二倍以上の大きさで、三層の甲板に100門の大砲を積載した船だよ」

 再び手下たちはおおきくどよめいた。

「そんなもの相手になんかできねえぞ」

「近付く前に船、沈められるぜ」

 スカーヴィズはうなずきながら、動揺しだした手下たちを再び静かにさせた。


「エルシーア海にそんな船が闊歩していても、やり方によっちゃあ、私達が敵に回すことはない」

 スカーヴィズの笑みはますます妖艶さを増した。まるで彼女が魔法をかけたみたいに、手下たちも下卑た笑いをそれぞれの顔に浮かべる。


「今切れるしっぽは……いくらでもあるからね……」

「――ちげえねぇ」


 今まで不機嫌だった副船長ティレグの顔にも、不敵な笑みと陽気さが戻っていた。


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