表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第3話 月影のスカーヴィズ
105/332

3-32 取引

 その後、シャインを乗せたウインガード号は、約ひと月の航海を経てアスラトルへ帰港した。

 

 ◇◇◇



「どうするつもりだ? ツヴァイス」

「……どうするつもりとは? グラヴェール参謀司令どの」

 ツヴァイスは銀縁の眼鏡をかけ直した。

 人目を忍ぶ事ができる唯一の場所。海軍本部内のアドビス・グラヴェールの執務室に呼びつけられたツヴァイスは、不快さを露わにしながら渋々やってきた。

 いつもならアドビスの話に取り合わないが、今回だけは特別だった。


「ノーブルブルーは確かにお前の管轄だ。だから、海賊退治に行くのは一向に構わん。だが」

 アドビスは優雅に足を組み、応接椅子に肘をのせた。

 鋭く光る鷹のような瞳で、正面に座るツヴァイスをじっと見据える。

「どうするつもりだ。ノーブルブルーの船を三隻も失ったのだぞ。アリスティド閣下が、お前の話を聞きたいと言っている。最も、私もだがな」


 ツヴァイスはアドビスの睨みを受け流すように、口元をかすかに歪めて苦笑した。

「私は商船の依頼を受けて、ノーブルブルーを派遣したまで。エルシーアと東方連国を結ぶ貿易航路で、怪し気な船団がいるのを知りつつ、放置などできなかったものですから。それが、何か?」

 ツヴァイスは『それが』の部分を強調して、応接椅子のやわらかな背に深々ともたれた。

「闇雲に船を出すだけなら子供にもできる。十分な下調べをすれば、被害を最小限に押さえ、かつ、海賊共を拿捕できたのではないのか?」

「そうおっしゃいますが、商船から情報を独自に集め、あの海域を特定したのは私です。船団の規模も考え対応できるよう備えをして向かわせました。結果はどうであれ、私の指示に落ち度はない!」

 アドビスのいつもながら人を無能扱いするその態度には腹が立つ。

 だが肝心のアドビスは、まるでそんなことを聞いているのではない、と言いたげに無関心な様子だ。

 きらりと青灰色の瞳が瞬く。


「ノーブルブルーを襲った者が何者か……お前は知っているのか?」

 ツヴァイスはふんと鼻で笑った。あまりにも馬鹿馬鹿しい質問だったからだ。

「ファスガード号の生き残りの尋問を、取り仕切っているのはあなたのはず。私の方こそあなたにお聞きしたい。私の船を沈め、私の部下達を殺したのは一体何者なんです!」

「それは……」


 コンコン!


 扉を叩くノックの音がした。

「誰だ?」

 アドビスが席を立ちながら返事をした。

「シャイン・グラヴェールです。お召しにより参上しました」

 シャインの声を聞いてツヴァイスは、そっと眼鏡に手を触れた。

「入るがいい」

「失礼します」

 アドビスは椅子に座らずその場に立ったまま、部屋の中に入ってきたシャインを出迎えた。

「時間通りだな」

 シャインは硬い表情で軽く頭を下げた。


 ツヴァイスは気にしていない様子を装いながら、横目でじっとシャインを見ていた。

 母親譲りの華奢な金髪と、穏やかな光をたたえた青緑の瞳。

 ただ歩く、それだけの仕種の中に、心の中に封じ込めたかの人の面影が、鮮やかに呼び覚まされていくのがわかる。苦い後悔と共に。


「こちらが統括将閣下に渡して頂きたい報告書です」

 アドビスはシャインから黒い表紙のファイルを受け取った。

「わかった。もういい。私は統括将にこれを早く持って行かねばならん」

「あの」

 シャインがいつになく鋭い口調で言葉を発した。

 アドビスはファイルを抱えたまま、部屋の奥にある執務椅子まで歩き、そこにひっかけてあった深い緋色のマントを手にした。

「何だ?」

「少しだけツヴァイス司令官と話がしたいのです。ファスガード号とエルガード号を沈めたのは俺ですから……一言報告をさせて下さい」

 アドビスは依然応接椅子に座っているツヴァイスを見つめ、足早にシャインの立っている戸口まで歩いてきた。


「いいだろう。ここで好きなだけ話せばいい。ツヴァイスは今晩ジェミナ=クラスへ帰るのでな。それから、統括将より追加の資料を頼まれたら、また連絡する」

「わかりました。ありがとうございます」

 シャインは依然硬い表情と淡々とした口調で返事をすると、アドビスに頭を下げた。

「ツヴァイス。用が済んだら警備に連絡して部屋を閉めて行ってくれ。私は当分ここへは戻らぬのでな」

「確かに」

 ツヴァイスはアドビスに背を向けたまま返事をした。

 アドビスは軽くうなずき、自室を出て行った。




 扉が閉まる音と共に、シャインが応接椅子に座っているツヴァイスの元へ歩いてきた。

「申し訳ありませんでした。閣下の船を失う事になってしまって」

「……まずはかけたまえ。船など作ればいくらでも代わりはある」


 ツヴァイスは自分の右隣の席をシャインにすすめた。

 アドビスのように尋問とかするつもりではない。

 だから敢えて正面の席は外した。気軽に話ができるように。

 シャインは肘掛けに手を置き、それに体を支えるようにして腰を下ろした。俯いた横顔のこめかみに、じっとりと汗が浮かんでいるのが見える。

 海の藻屑となったエルガード号とファスガード号に何があったのか、ツヴァイスも詳細は知らない。

 シャインがウインガード号でアスラトルに帰ってきたのは僅か三日前の事だ。

 

「戻ってから休息をとったかね? 顔色が悪いが。あの男は気付きもしなかったな」

 親子だというのに、あまりにもそっけなかった先程のやりとりを、ツヴァイスは思い出しながら言った。

「いえ、大丈夫です。報告書をまとめるため……あまり眠っていないだけで。それより」

 顔にかかる前髪を両手で払いながら、シャインが言った。

「本当はあなたにお願いがあって、お会いしたかったのです。もちろん、報告もいたしますが」

「願い……?」


 ツヴァイスは興味をそそられたようにつぶやいた。

 統括将の次の地位、参謀司令官の父親を持つシャインは、望みさえすれば、海軍でできないことはないはずなのだ。

 今回起きたノーブルブルー襲撃事件がいい例だ。シャインはロワールハイネス号を海賊に奪われたため、軍法会議でその責任を追求し、しかるべき処罰を受けるはずであった。

 だが、アドビスの一声でそれが免れた。

 戦力外のスクーナー船一隻奪われたことより、ファスガード、エルガード号を渡さなかった事。ファスガード号の乗組員を無事に生還させられた事の方が評価されたのだ。

 最も、アストリッド号が沈められた報告を聞いて、急ぎ出したウインガード号がいなければ、本当に生きてエルシーアへ戻れたかはわからないが。


「一体なんだね。君には一度借りがあるから、私の力でなんとかなるのなら、聞いてあげよう」

 ツヴァイスの言葉にシャインは穏やかな笑みを向けた。

「ありがとうございます。難しい事ではありません。俺が『ノーブルブルー』へ転属するのを認めていただきたいのです」

「何……?」

 今彼は何と言ったのか?

 予想もしなかったその言葉に、ツヴァイスは椅子から身を乗り出してシャインを見た。

 微笑めば母親そっくりなその顔に、父親譲りの頑固さがうかがいしれる瞳がきらめいている。


「直属の上官であるエスペランサ後方司令には、すでに転属の許可をいただいています」

「シャイン。一体何故……? ノーブルブルー以外に外洋艦隊はまだいくつも」

「俺は追わなければならないのです。ヴィズル……いえ、『月影のスカーヴィズ』を」

 シャインの口からその名が出たのを聞いたツヴァイスは、度の入っていない眼鏡をゆっくりと外した。


「彼女は死んだはずだ。二十年前に」

「“彼女”は、確かにそうです。だがヴィズルと呼んでいたあの男が、彼女の後を継いでエルシーアに戻ってきたのです。そしてノーブルブルーを襲った……」

「シャイン」

 ツヴァイスは薄紫の瞳を細め、鋭い一瞥を放った。

 が、シャインはそれにたじろぐ気配はない。


「先程アドビスに渡していた統括将への報告書へ、そのことも書いたのか?」

「ええ。そのことまでは」

 淡々と、だが明らかに今までとは違う抑揚でシャインが答えた。


「ツヴァイス司令。あなたはヴィズルが『スカーヴィズ』であったことを、実は御存知だったのではないのですか?」

 どこでそんなことを思いついたのか。口調はやわらかだがシャインは確信している。

 ツヴァイスは口元を小さく引きつらせながら、肩を震わせ、笑い出した。

 身を前にかがめて息が絶え絶えになりそうなほどに。


「シャイン……君は本当に……何を言い出すかと思えば……!」

「今はごまかせても、いずれあの人は気付きます。内通者の手引きでアストリッド号やエルガード号に、スカーヴィスの手の者が水兵として乗り込んでいた事を。それができるのは、編成の最終決定者であるあなただけしかいない事に」

 ツヴァイスは大きく息を吐いた。

 目を伏せて肘掛けに手をおき、指先で軽くこづく。

「私は各船の艦長が出す乗員リストに目を通しただけだ」

「あなたの“腹心”の艦長たちのね。ルウム艦長以外は皆、遠征の前はジェミナ=クラスの警備艦の艦長をしていた。その船に乗っていた水兵達がそっくり、アストリッド号とエルガ-ド号に乗っていたんです。その名簿を見ればもっと、凄い事に気付くでしょう」

 ツヴァイスは黙ったまま、薄紫の瞳を細めてシャインを見た。

「皆……ヴィズルのいた東方連国の商船会社からの移籍です。今となっては、その商船会社自体……本当にあるのか怪しいものです」


 ツヴァイスは両手で顔を覆った。

 再び腹の底から笑いたくなるような気分に襲われた。

「シャイン。君はそんなことを、寝る間も惜しんで調べていたというのか?」

 シャインがはっと息を飲んだ。膝の上に乗せられた両手をにぎりしめ、それが小さく震えていた。

「ツヴァイス司令官。あなたの目的は何か俺にはわかりません。しかし、俺が敢えて、これらの事項を報告書に書かなかった意図を察していただきたい」

「敢えて……? 何故?」

 ツヴァイスは席を立った。階級を示す金の鎖以外に装飾品はなく、シンプルな黒い将官服は、細身の体型をさらに際立たせている。

 

「ロワールハイネス号を取り戻すためです。あなたのやった行為を暴露すれば、スカーヴィズは当分身を潜めて、彼女への手がかりが失われてしまいます。ですから、このことを黙っている見返りに、ノーブルブルーへの転属を認めて下さい」

「……シャイン」

 ツヴァイスはシャインの座る椅子の前に立つと、おもむろに、航海服の襟首をつかんだ。

 そのまま勢いに任せて上に引き上げる。

 驚きつつも、恐れを抱かず見つめ返す青緑の瞳が、余計ツヴァイスを苛だたせた。


「君は私が思っていたよりずっと愚かだ! そんな船のために、自らの人生を台無しにするつもりか!?」

「彼女を取り戻せるなら構いません。海軍での人生など……俺には必要ありませんから」

 

『海軍なんて……どうでもいい』


 ツヴァイスはシャインの顔を覗きこんだ。

 脳裏に何度も忘れようとした、忌わしい光景が浮かんでくる。


『海軍なんて……』

『海軍に入らなければ……あのひとは』


『お願い、行かせて下さい。あの方は私を待っているんです』


「お願いです。行かせて下さい。彼女は俺を待っているんです」

 その声にツヴァイスは耳を疑った。

 見上げる憂いを帯びた青緑の瞳が、遠い昔に引き戻して行く。そこに宿る毅然とした決意と、一途な思いを無視する事ができなかった。

 けれどそのせいで、永遠に失ってしまった……かの人を。

 苦く苦しい後悔の日々を、幾年月送った事だろう。

 そして後どれくらい送ればよいのだろう。

 ツヴァイスは手を震わせながら、そっとシャインの襟元を放した。


「私もね……海軍での人生なんて、どうでもいいのさ」

「ツヴァイス司令……?」

 ツヴァイスは自分の答えを待っている、シャインの胸中を察しながら、再び銀縁の眼鏡をかけた。


「今晩ウインガード号で私はジェミナ=クラスに戻る。一緒に来たまえ。転属の手続きは例のごとくアルバールが上手くやる。それでいいのだな?」

「はい。スカーヴィズを追えるのなら、水兵に降格しても構いません」

「――わかった」

 迷いを微塵も感じさせないシャインの声に、ツヴァイスは小さくうなずいて、外に出るため扉に向かった。

 ふと、足を止める。

 後ろからついてきたシャインが、訝しみながら同じように立ち止まった。


「シャイン」

「はい」

 すっかり心を決めたその声は、明瞭で実に晴れやかだった。

 ツヴァイスはシャインに背を向けたまま呟いた。


「言っておくが……私の秘密を知って君が生きていられるのは、リュイーシャのおかげだ」

「えっ?」

 息を飲むシャインに満足感を覚えながら、ツヴァイスは薄紫の目を伏せつつ振り返った。

「二度と見るくらいなら……私は自らの破滅を選ぶ。きっと」






【第3話】月影のスカーヴィズ(完)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ