優しくはない
遠くから徐々に近づいてくる爆発音。
人の集まる声、指示を出す怒声、叫び声。
何を言っているか天音にはまだ聞こえていないが、リーシュシュとジールには戦いの音が聞こえてきていた。力が圧倒的に違うことを理解しながらもリーシュシュの下僕どもは果敢にも命を果たすために、ラルに戦いを挑んでいるのだろう。例え死したとしても、それこそが誉とばかりに特攻をかけている。
魔界でも屈指の家柄でもあるリーシュシュは、その容姿のみならず力で並みいる魔族を圧倒しねじ伏せてきた。その主の命である。また、この地を治める領主でもあった。
「リー様、それでどういうことなのでしょうか」
「リー様なんて他人行儀な!!リーちゃんって呼んで頂戴」
「存在感がありすぎて無理です…高貴なご婦人のようですし」
あらあらとその白魚のような手で顎をさすりながらとても悪い顔をするリーシュシュに、ジールはさらに溜息を深くした。普段では到底みることの出来ないなよやかな仕草に吐き気すら伴う。その悪い顔は天音からは見えず、気づかれてはいない。
「大丈夫よ!!高貴なご婦人ではないから!それにあいつのことは名前で呼んでいるのでしょう?ズルイわ」
ズルイもなにもないのだが、逆らってはいけない威圧感をリーシュシュから感じて天音は大人しくリーちゃんと呼んだ。ジールがこの空気の読み方に安堵する。吐き気をもよおしたことも気づかれてはならない。
「さて、そろそろ来ちゃうわね。その前に」
満面の笑みを浮かべると、囁くように空気が揺れて何か薄い膜のようなものが三人を包んでいくのを感じた。見えないけれど、ここだけ時の流れが違うような。リーシュシュによって紡がれた言の葉はキラキラと淡く輝いている。
「あら、気づいたの?あなたの適正は時なのかしら?本当に家の子になる?もう連れて帰りましょうか。ねぇジールちゃん」
「止めておいた方が賢明かと」
「久しぶりとは言え、私の幻影に誑かされたやつにこんな可愛い子を預けておくのは癇にさわるわ」
目が笑っていないリーシュシュ。笑みは変わらずにそこにあるというのに、笑っていないことが良くわかる。うふふと笑う声すら背中に寒気を誘う。柔らかく温かい女性の体であるはずなのに、とても冷たく硬く感じて天音はぶるりと震えた。
「怯えておりますよ」
よろしいので?というジールの声にはっとして怒気を納めながら、天音の頭を優しく撫でた。怖くないわ~大丈夫よ~と囁くのも忘れていない。怯えていたわけではないのだが、肉体的な年齢から言うと確かに泣き出しても良いような状態だったのだろう。天音は口角に力をさらに入れて自然に見えるようにと願いながらリーシュシュの方を向くために顔を上げた。その微笑みは到底幼女のする笑みではなかったが、さらにリーシュシュの心を擽った。なにせ、実際のリーシュシュは子供という存在が大嫌いであり、騒ぐだけであればラルが来る前に放り出すつもりであった。そう、この魔物がいつ出てもおかしくない森深くの屋敷の外に。
「本当に可愛いわ~」
その声を遮るように振動が響いた。
「あら。あいつ時の適正ないのにどうやったのかしら」
目を細め、蛇のようにちろりと笑うとリーシュシュはさらに聞こえない言の葉を紡いだ。
「力づくのようですね。とても切羽つまっていらっしゃるようです」
「そんなに大切なら閉じ込めてしまえば良いのにねぇ」
リーシュシュの瞳から光が消えたのを見てとり、とっさに天音は視線をそらした。見てはいけないものを見てしまったと違うことを考える。
「本当に可愛い…」
少しだけリーシュシュの声が低くなったのが聞こえ、天音は鳥肌がたった。視線を感じた。からめ捕るような、見透かされたような内面から舐めとるような不快な視線を。
「さらに怯えさせてどうするのですか」
ジールがリーシュシュと天音の間に入り、その視線から遮ってくれたことでやっと息を吐く。
「失礼しちゃうわ!! 」
先ほどの空気が嘘のように消え、冷めた様子の見えないお茶をすするとリーシュシュは一点を睨んだ。
「もう来てしまったのね。楽しい時間をもう少し味わいたかったわ~」
空間が歪む。
水面が揺れるようにして幾重にも輪が広がっていく。
「時を捻じ曲げるほどの執着ってある意味怖いわね」
あなたが言わないで下さいと溜息とともに言うジールを一瞥すると、リーシュシュは天音に再び向き合った。
「さてと、ちょっと今から声を封じさせてもらうわね」
天音が何かを言う前にすでに声がでない。
「それと、この悪趣味なこれは解いておくわね。だってせっかくの魅力が台無しだもの」
視覚には見えない欠片が天音からはがれていくような感覚を共に、力が溢れだしていく。その急激な変化に耐えきれずに崩れ落ちた。そのことに頓着しない二人は会話を続ける。
「これで良いわ~それとふふっこれをこうしてあ~してっと」
「悪趣味ですね、相変わらず」
「この部分の記憶も改竄しておかないとばれるわね」
時間潰しにはうってつけねと笑むリーシュシュ。
「だってあいつが悪いのよ。ただ警戒心丸出しなところに挨拶しに行っただけじゃない。それなのにあんなに怒らなくたって良いじゃないの!! 」
「普段の行いじゃないでしょうか。それに普通なら挨拶に幻惑魔法なんて打ち込みませんよ」
「え~殺傷能力ないじゃない。火じゃないだけ良いでしょう?あのくらい眠ってたって対処できる力があるんだから、おふざけだってわかるじゃない。何十年ぶりに近くを通ったのに挨拶に来ないあいつが悪いのよ」
その清楚な顔に似合わない悪い笑顔を浮かべたリーシュシュは、まだ怒っていた。理不尽であろうが、それこそがリーシュシュであった。
「この少女はいかがされるので? 」
「あいつ次第かしら」
空間の揺れが酷くなる。
ひび割れが出来、徐々にラルの顔が見えてきた。
その顔を見たリーシュシュは一言ジールにのみ聞こえるように指示を出すと、天音を抱きかかえた。驚くほど軽い体と柔らかさに息をのむ。
「小さいな…」
ラルに見られる前に消えたジールを後目に、リーシュシュは天音を抱きかかえたままラルの元へと向かう。手負いのような獣に声をかけることも忘れない。
「そんなに高密度な魔力にあてられて天音ちゃんは大丈夫なのかしら? 」
うふふふふと笑うのも忘れない。
苦虫をつぶしたようなラルとは正反対にとても楽しそうなリーシュシュは、もう壊れかけていた結界を解くと対峙する。
「返せ!! 」
「なぜかしら?あなたのではないでしょう?この子にとっては、私もあなたも大差ないわ」
ぐぅぅと唸るような声を上げるラルは今まで一度も見たことのないような焦燥を浮かべており、リーシュシュの溜飲をさげるのには十分だった。
けれど、そこでやめないのがリーシュシュでもあった。
「目を開けてから決めさせましょう?この子が目覚めてから一番初めにあなたの名前を言ったらあなたの勝ち。そしたらあなたがこの子を連れて行けば良いわ。でも誰の名前も言わなければ私の勝ち。そうしたら私が連れていくわ」
「なぜ我がそれにしたがわねばならぬ!! 」
「あら、自信がないのかしら?返せと言うくらいなのに。おかしいわねぇ」
以前にあった、そこに存在するだけの力の塊であった、冷たい氷のように何にも反応せずにそこにあったはずの男の変化に喜びながらも、それ以上にこの幼い子が気に入ってしまっていた。こんな一人では生きていけないような幼く、力なく、知識も無能も良いところの使えない子のことが。内面で揺れるどろどろとした感情が、リーシュシュを包み込む。
実際、本気にさえなればリーシュシュなど障害にすらならないだろう。けれどかすり傷一つつけることが許せなかったラルが頷く。天音が言葉を封じられているということにすら気づかずに。
「っふふふふ」
半壊した屋敷を見つめて弱めていた周囲を被う結界を強化する。森との隔絶させた時を早め、あるいは遅らせ、屋敷をあるべき姿へと復元する。この場はリーシュシュが領土。リーシュシュのためにのみある地。眠らせたばかりの天音はまだ目覚めない。




