おとり ※別視点
贄としての軛から逃れたとはいえ、まだ大地との知覚が完全には切れていないリーシュシュは誰よりも早くこの地に侵入した存在を探知していた。
こちらに移動してくる相手は、解放される前のリーシュシュと同じ、いやそれ以上に狂った気配を撒き散らしている。大地の悲鳴が聞こえ壊されていく絶望が聞こえた。
天音達を屋敷から旅立たせ、すぐに別方向へと移動しながらの幻影を駆使し、さも自分と共にあの少女がいるように見せかける。他の者たちには気配を纏うように魔道具を持たせ様々な方向へと向かわせた。そのため男女二人組に分けたのだから。
「ほんっとリーシュシュ様は…」
ぐちぐちと言いながらもついて来てくれるジールにはラルの気配を纏わせている。詳しい説明はせずとも理解し行動に移してくれたかけがえのない片腕。その存在を頼もしく思いながら、駆け抜ける。
今頃屋敷は木に飲み込まれ、その存在すら見つけられなくなっているだろう。そう命じたためだ。再度リーシュシュが戻り次第木々が再び再生する術式になっている。
また、ラルと天音の二人には気配を隠す魔道具を衣服に付けておいた。そういったことに疎いラルのことだから、気づくのはかなり先になるだろうと踏んでいる。
「何よ。なにか文句でもあって? 」
「いいえ、そんなあなただから今までもこれからも着いていきますとも」
「主従そろって貧乏くじが好きなのね」
ふふっと笑い合う。
足は一刻も早くこの場を去るために動かし続けていた。戦闘が始まってもラルが知覚できないほど離れるために。何より天音にはまだ血なまぐさい場面を見て欲しくなかった。
「世界を回るのではなかったのですか? 」
皮肉気に笑うジールに対して、リーシュシュはさらに意地悪な笑顔を向ける。
「行くわよ勿論。私よりも贄歴の短いひよっこに負けるもんですか!えぇ惑わすだけ惑わして逃げるわよ」
どこかの悪役のようにお高く笑うリーシュシュを白けたようにジールは一瞥した。
「逃げのリーさんですもんねぇ」
「そんな昔の黒歴史を思い出さないで頂戴」
幼い頃、魔力が発現する前の体のみが絶対の力である時期に、弱い割にプライドばかりが高かったリーシュシュは、一時そのような不名誉な称号を頂いていた。すなわち、言うだけ言ってあとはとにかく頭を全力で使い逃げ回っていたのだ。そして力尽きた所をぼこぼこにされ、ジールに助けられていた。魔力が発現してからはリーシュシュに喧嘩を売るような愚かなものがほとんど無くなったのだが。
「なによ、腹黒ジーちゃん」
「その老人のような名で呼ばないでください。それ、リーシュシュ様しか言ってませんから」
「ふんっ言わせなかったの間違いでしょう」
軽口をたたき合う。
まるでちょっとした買い物にでも出かけるような気安さで。
魔力がこちらに向かっている。
どうやら上手く釣れたようだ。
「あら?二ついるわ。一つは贄じゃないようだけれど」
自分の傍にはいなかった異質な力を感じて、リーシュシュの背筋に嫌な悪寒が走る。脳裏に過るのはいくつかの贄の情報。
「まずいわ、思った以上に狂っているのかも…」
「狂ってますよぅ~」
リーシュシュの耳元で囁かれると同時に腹部に強烈な打撃を受けて吹っ飛ぶ。口から血しぶきが上がり、美しく着飾っていたドレスは見るも無残になっていた。
「リーシュシュ様! 」
ジールは一瞬だけリーシュシュを心配し視線を向けたが、そのままリーシュシュを蹴り上げた少年に向かって魔力で練り上げた槍を投てきした。少年の影すら縫いつけることも出来ずに、直後頭を踏みつけられて大地に転がされる。
「あっれぇ?おかしいなぁ~こっちに気配あったと思ったのにぃどこにやったのぉ? 」
「くぅ」
ぐりぐりと踏みつけられながらジールが呻く。リーシュシュはピクリとも動かない…かに見えた。
ぐりぐりと踏みつけていた右足に違和感を感じてとっさに後ろに跳び退ると、少年の前にはすでにジールはいなかった。踏みつけられていた跡すらもない。先ほど蹴り上げたはずのリーシュシュの方を見る…そこに血の跡すらなかった。
蹴った感覚も踏みつけた感覚もあったというのに、そこにはなにもない。
反響するように声が聞こえる。
《こっちよこっち》
くすくすと笑う声。
様々な性別年齢が入り混じった大勢の声。
どこかで聞いたことのある声。
少年が負の感情を思い出させる声。
《思いだせないのね》
常に一緒にいて大切で壊したくなくて守り続けていたたった一人の…
《狂うと楽だものね》
愛していた、愛してはいけない。
《見いつけた》
リーシュシュは空中に浮いたまま微動だにせずに虚ろな目をした少年の頭を突く。触れるか触れないかの微かな接触。時の魔力を使い狂った時間を閉じ込めていく。少年の視界に認識されたと同時に発動された罠は見事に対象を絡め取り、狂う原因でもある軛と結びついた記憶に辿り着いた。その周囲を完全に遮断されないように囲い薄めていく。涙を流しながら少年は口を動かしている。
「もうこの子の時間はほとんどないわ」
軛とされた負荷が少年の魂まで傷をつけていた。壊れ始めた魂はもうあと少しで粉々に砕けてしまうところだった。
「では」
「えぇ、次の軛が一緒にいた子ね。そうでしょう出てきなさい」
少年と全く同じ顔形の薄汚れた少女が出てくる。その顔は苦しみを押し殺したように目だけをぎらつかせていた。
「返して」
「それはできないわ。だってあなたじゃ耐えられないもの」
「良いの、それが私の運命」
「やっぱりそういうことなのね」
軛が狂う時、いつも確実に儀式を行うことができるとは限らない。だから元老院は儀式を行う際に軛の刺す場所を人に指定する。その者がもしも軛が狂ったときの仮の軛となるように。持ち帰るよう隷属をかけて魂を繋げられる。それは親であり兄弟であり子供であり恋人。隷属を架けられた者は軛が狂うのを魂で察し、引き継ぎにやってくる。それはすなわち、愛する者に殺されるということ。一般的には知られていない贄の宿命。狂いきった時にようやく解放される愛した者との記憶と、目の前にいる愛した者。その相手が例え自分を殺そうと武器を持っていたとして、それに対処などできようか。そして軛は移り、元老院へと戻っていく。
「胸糞悪い」
リーシュシュは時の適正があったためにその記憶を隠蔽し、さも特別な人間はいないと錯覚させ引き継ぎを作らせなかった。否、元老院はリーシュシュにも引き継ぎは作られていると錯覚させたに過ぎない。軛と選ばれる直前、とある女性に教えて貰ったために回避できた現実。
「かえし…て? 」
小首を傾げる少女の目が虚ろになっていく。
人形のように目の光が消えると、しわがれた声が少女の口から零れ落ちた。それははじめから組み込まれていた音を紡ぐ作業。元老院という名を出せば誰もが従うという事実に基づいた自負をも感じさせた。
「それはそのままでは災厄をもたらす。渡すが良い、これは元老院の命也」
「それはできない相談ですわ」
くすっと笑う。話をしたところで通じないとはわかっていてもつい反応を返してしまうことに自嘲しながらリーシュシュは結界を張り、少女の首筋に刻まれた隷属の呪印に触れると一定を遮断する。少女の目は虚ろなままではあるが、元老院の言葉を発していた時に感じた威圧感は消えた。
「さぁ、もうほとんど時間がないようなの。どうしたい?あなた達が決めなさい」
そうリーシュシュが二人に言葉をかけると、狂い壊れかけていたがために弱体化していた少年が少女へと手を伸ばした。少女もそれにならうかのように少年へと手を伸ばす。
「ともにありたいだけなんです」
「ともに生きたかったんです」
手が触れ合うと、ほっとしたのか笑顔がこぼれおちる。はかなげに互いを認識し、満足そうに。
「ごめんなさい、空を支えられなくて」
「ごめんなさい、命を果たせなくて」
『ありがとう』
リーシュシュの前で二人の魂は粉々に消えていく。少女は狂う少年の魂を守るために力を得る対価として魂を削っていたのだろう。すでに二人ともに完全に狂わずに生きているのが不思議なほどだった。
解放された軛は歪みとなり、空を犯していく。これから元老院がその歪みに気づくまで天災が続くだろう、また軛という形に押し込まれ新たな贄へと渡されるまで。
「ほんっとにリーシュシュ様は…」
ジールはそのまだ軛となるには幼い大人になりかけの二人に火をつける。灼熱の業火は骨すらも残さずに消していく。ぱちぱちと爆ぜるような音は臭いすらも発することなく燃やしつくす。
「あなたが後ろめたく思う必要なんてないんです。この二人をあわせた所でリーシュシュ様にしてくれたような奇跡を起こせるなんて確証はないんですから。悪戯に危険を冒させることになるのは嫌だったのでしょう? 」
「わかったような口をきくな」
リーシュシュは乱暴に顔を拭う。
もう少し狂っていなければ、惑わせるだけで終わるはずだった。
まさかこれほどまでに幼いとも、狂いが進行しているとも思っていなかった。
それは己の甘さだと覚悟が足らなかったのだと、自覚してしまい腹が立った。
「贄となってしまう前のあなたに会えて、私は嬉しいですけどね」
そうしてジールはリーシュシュの頭を一撫でする。
いたたまれなくなり、リーシュシュは支離滅裂なことを言いながらラル達とは反対の方角へと進み始めたのだった。




