行くさき
名付けられた獣と屋敷が完全に回復するまで走り回り転げ回り遊んでいた天音は、無邪気な笑顔を浮かべたままラルの腕の中で寝息を立てている。
完成すると音も無く現れた執事が天音を見、部屋を案内する旨を伝え踵を返した。
ついていき案内された部屋を開ける。開けると執事は部屋に入出することもなく、リーシュシュが天音抜きで話があるため来て欲しいと伝えてきた。
頷くと案内するために部屋の外で待つと言い、二人を一切見ずに下がる。
中に誰もいないことを確認するし、碧を抱きあげたまま眠る愛しい人を整えられた寝室のベットへと運ぶ。音も紡がないまま幾重にも結界を張り、リーシュシュの元へと向かった。碧はきらきらとした瞳でラルを一瞥すると、天音の腕の中に潜りこむ。自分以外が近くにあるという不快感はあるが、この獣が傍にいる限り天音の身は安心なのだと不思議と安心感があった。あんな頼りない外見であるというのに、その身の中にはあり得ないほどの力が渦巻くのを感じる。
そう、あれは何なのかラルにすら理解ができない。
元はリーシュシュに負わされた大地との軛であるはずなのに、外されたはずの軛はいまも大地を守り満ちている。
それは確かにあり得ない存在。
あの軛を維持するために幾十人もが発狂したのだ。
軛とされたものは、あれを維持するために一定の境界を渡ることを禁じられ、監視がつく。いついかなる時も一人の自由な時間を得ることができない。軛は精神を犯し、長短はあれども発狂させてしまう。大地を繋ぎとめる負荷に耐えきれることが出来る者は少ない。
リーシュシュはその負荷に最長で耐え続けていた。
何よりも自由を愛し、世界を見て回っていた若い頃のリーシュシュは時を操ることにより、自身の精神を保護し廻すことにより発狂を免れていた。それは彼の中の思い出という記憶を奪い、軛となる前の記憶以外を酷く現実感のないものとしていた。
そんなふうに考え事をしていたラルは、リーシュシュの部屋へと存在を探索しながら辿り着く。先導していた執事はすでに退去の礼をし去っていた。執事にはこの部屋をノックする権限すら与えられてはいないためだ。
扉をノックすることもなく開かれる。
そこにいたのは、再び女装したリーシュシュがいた。
「んもう!遅いじゃない」
「男の姿に戻ったのではなかったのか」
呆れたように呟くラルをものともせず、詰め物をした胸を張るリーシュシュ。
「まともな状態じゃ話せないのよ。少しは察して頂戴な」
「…そうか。では話しをせよ」
「切り替えが早過ぎてよ!」
面倒くさいとラルの眉間にシワが寄る。
本来ならラルはこういった手合いが苦手だ。そしてそれを知っていてわざとやっているリーシュシュへも不快感を感じる。
「まぁ良いわ」
リーシュシュは満足そうに笑うと、その白色細やかな刺繍が地肌を透けて見せるドレスを翻し用意していたお茶のセットを用意し始めた。猫足の華奢なテーブルには焼き菓子が並べられ、それに似合う華奢な椅子に促されてしぶしぶ座る。
「これからどうするの? 」
「決めておらぬ」
「あの伏魔殿に戻るのなら整理してからにしなさいね」
「行かぬ」
「それなら良いわ。天音ちゃんがもう少し育つまでここにいても良いのよ」
「ありえぬ」
入れ終えた茶をラルに置くと、音も立てずに向かいの席へと座る。
にこやかな笑顔をたたえたまま、お茶を一口含む。
「そう言うと思っていたわ。ねぇ天音ちゃんは異常よ? 」
「わかっておる」
そう?と言いながらリーシュシュはお茶をもう一口自分を抑えるように飲む。
いつもよりも味も香りも感じない。ラルは置かれたお茶を見ることもない。
「軛を別の存在に昇華できる力、時の適正もある。元老院に見つかれば別の軛に連れていかれるわ。昇華させるために、もしくは私のように贄にするために」
「わかっておる」
「わかっているなら良いの。あなた達がここに残らないなら、ここで偽装する必要もないし。私も自由にするわ」
「そうか」
「ねぇあなたは私をこの地に繋ぎとめたことを後悔してる? 」
「否。必然に後悔はせぬ」
「そう、それなら良いわ。もしも天音ちゃんが私と同じようになった時も同じことが言えるのかしら」
「それは…」
変わったわねとリーシュシュは笑う。
憎くてそれでも大切だった友が、諦めることしか許されなかったラルが抗おうとしていたから。昔のラルであれば当然と即答していたのだから。
「それとね、あの異常な幻惑の術やめておきなさいね。あなたにあの術の適正は低かったじゃない。天音ちゃんに精神に負荷がかかる一歩手前だったわ」
「善処する。だが抑えねば天音の魅力に群がる虫が不快故」
「本当に馬鹿ねぇ。そのために制御する魔道具があるんじゃない。これだから制御に苦労したことがない天才は」
やれやれと首を竦めると、小箱をラルへと渡す。
小箱の中には一対の指輪があった。
「これを天音ちゃんに。これを付ければある程度は抑制できるはずよ」
「感謝する」
「どういたしまして」
受け取るとラルは一寸だけ考え込み、ひたりとリーシュシュを見つめた。
「リーシュシュ、後悔はしておらぬがすまなかった」
それだけを言うと小箱を大事そうに抱え部屋をラルは部屋を出る。
扉が閉まるのを確認するやいなやリーシュシュは防具としていたドレスを床に叩きつける。
完璧に仕上げられていた化粧が崩れる。それを拳で拭うと黒く染まるが気にせずに拭い続けた。悔しく、腹立たしく、抑え込んでいた感情が溢れだして止めることができない。
「リーシュシュ様は本当に泣き虫ですね」
五月蠅いというようにリーシュシュは残っていたお茶ごとカップを、いなかったはずのジールに投げ放つ。その全てを包み込むように風をおこしテーブルの上に戻すと、半裸のリーシュシュを抱きしめた。
「よく頑張りましたね。これでまた旅にでましょう」
「男に抱き締められる趣味はない」
「私だって気持ち悪いですよ。早く泣きやんで下さい」
軛の贄となる前の自由な生活を思い出し、リーシュシュは笑むのだった。




