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第十一話

 イリスはなかなか泣き止まず、私を離してくれない。最初は黙って抱きしめていたのだが、段々と私の中に気恥ずかしさが生まれてきた。どうしたものかと、師匠に目をやればさきほどの穏やかな笑みとは違った笑いが口元に浮かんでいる。気恥ずかしさを覚えた私をからかうような、抱きしめていてやれとも言うような笑みだった。イリスにはとても悪いことをした。私の気恥ずかしさなど些細なことだと、抱きしめ続ける。


 イリスが落ち着くのにかなりの時間を擁した。


 真っ赤に泣きはらした目でイリスはまっすぐ私を見つめている。


「お師匠様が隠していたことは、今も頭にきています。すごく怒っています。」


 しかし、その顔から怒りは読み取れなかった。


「でも、それ以上に再びお師匠様とお会いできて嬉しいです」


 イリスの顔にはここしばらく、転生してからは一度も見たことのない輝く満面の笑みがこぼれていた。


「すまなかった。私もイリスと再び出会えた事を嬉しく思う。」


 この笑みを見ることができただけで、全てを打ち明けた甲斐があるというものだ。今なら話してもらえるかもしれないな。


「だが私はまだお前に言わなければならないことがある」


 イリスはきょとんとした顔を私に向けた。


「お前がずっと前世の頃から何かを抱えていたのは知っている。だからこそ金に執着するようになったであろうことも。そしてその事で剣に迷いが出ている。前世では何もしてやれなかった。事情を話してもらえないか」


 イリスの表情が曇りを見せた。


「いえ、でもそれは」


 言いよどむイリスだが、ここで聞いておかなければまた前世と同じ過ちを繰り返すことになる。


「そんなに言いにくいことなのか」


 無理やりにでも聞きだしておくべきだったのだ。イリスの手を握る。


「そんなことはありませんが」


 言葉を待つ。しばらくして、イリスは話す決心をしたようだった。


「わかりました。実は私が昔いた孤児院なのですが」


 話し始めたイリスだったが、再び泣き始めてしまった。取り留めない話であったが、その話を纏めるとこうだ。孤児院から金を強請り取っている貴族がいた。孤児院への寄付金などたかが知れているが、私が少なくない額を寄付していることを知ったらしい。領主に訴え出ようにも、その強請りを行なっていた貴族というのが領主本人だった。


「それで金に執着するようになったのか。すぐに明かしてくれればどうにでもしてやれた。何故すぐに話してくれなかったんだ」


 孤児院や幼いイリスにとっては大きな問題だったのであろうが、当時の私にとっては解決することは、そう難しいものでもなかった。そもそもが私のせいで貴族に目を付けられたようなものだ。


「それは。お師匠様にとっては簡単な問題に思われるかもしれません。お師匠様には初めてお会いしたときに命を助けていただき、さらにわたしに剣を、生きる術を教えてくださいました。私の一生を懸けても、お返しすることのできないほど多くの物を頂いたと思っています。わたしはお師匠様の負担になっていました。そんなお師匠様にさらに負担をお掛けすることはできませんでした」


 そんな風に思っていたのか。


「私はお前のことを家族だと思っている。そんな遠慮など必要なかったのだ。イリスを負担などと思ったことは一度もない。もっとしっかり、お前を愛していると伝えられればよかったのかもしれない」


「伝わっていました。わたしはお師匠様の愛情をちゃんと感じていましたよ。わたしもお師匠様を家族のように思っていました。ですが家族だからこそ話せないと思うこともあるのです。だから、お師匠様が悪いわけではありません」


 私が父母、ドリースに元ラグスなどと打ち明けられないようなものか。私に話すことで、イリスの重荷も少しは軽くなったことだろう。だがやっとこれで第一歩だ。事情はわかった。


「よく話してくれたな。それと、お師匠様というのはやめろ。今までのようにウォルでいい」


「でもお師匠様はお師匠様ですから」


 それはそうかもしれないが。


「私の家庭教師が私をお師匠様だなんて意味が分からないだろう」


 そう言う私に渋々といった感じではあったが、イリスは納得してくれたようだ。


「わかりました。ウォル」


 イリスはなんとか笑顔を作っていた。私もイリスに微笑む。前世からのわだかまりがやっと取れた気がした。


 どれくらいイリスと見詰め合っていただろう。師匠の咳払いが聞こえた。そういえば師匠もいたのだったな。イリスも師匠がいたことを思い出したようだった。


「二人だけの空気を壊すようで申し訳ないね」


 その言葉に私とイリスは握っていた手を離した。真っ赤になっていただろう。イリスに目をやれば、イリスも私と同じように顔を真っ赤にしている。


「それでだ。どうしようか。その貴族とやらの処分はどうするんだい」


 幼い頃イリスに影響を与えたことだ。昔のことを解決したところでイリスの心が晴れるわけではないかもしれない。だが今もこれまでと同じような事が起こっているのならなんとかしなければならない。


「イリス。今もその領主は同じ事をしているのか」


「はい。その後わたしもなんとかしようと思ったのですが、斬れば済むというわけにもいかず。根本的な解決にならないのはわかっているのですが、今もお金を貯め孤児院に送っています」


 イリスの腕であれば、兵を退け領主を斬るくらいのことは容易い。だが貴族だ。正当な理由があったとしても死罪は免れないだろう。イリスが死ねばその後、孤児院がどうなるかわかりきっている。早まった真似をしないでいてくれて、本当によかった。


 私が原因の一端である。私個人としてどうにかしたいが。私がその領主を斬ったとして、上流貴族の息子を死罪にできるわけもない。証拠を集め王都に報告するか。アンヴェルス家の人間の告発であれば上も動かざるをえないだろう。だが、どちらにしてもいきなり領主を失えば混乱が起きる。根回しが必要だ。


 私は貴族に生まれたが、前世のように王国中枢に伝手があるわけではない。やはりアンヴェルスに頼るべきだろう。この問題を一人でどうにかしたとしても、それではイリスと同じだ。父母やドリースはなぜ頼ってくれなかったのかと、私がイリスに感じたのと同じ思いを持つことだろう。


「ドリースを頼ろうと思う。あの方なら事情を聞けばきっと力になってくださる」


「それでそのドリースとやらに話す気にはならないか」


 私が記憶を持って転生してきたことをだろう。


「そうですね。きっとドリースや父母なら受け入れてくださるだろう。いつか話すときが来るかもしれない。だがまだそのときではないと思います。これでは、やはりイリスと同じだな」


 私は自嘲気味に笑った。




 師匠、イリスを伴ってドリースの部屋を訪ねた。


「失礼します」


 ドリースは横になっていたようだ。半身を起こしこちらを向いていた。


「なんだ珍しいな。そちらの方がイリス殿のお客様かね」


「はじめてお目にかかります。精霊族のアト・アーティザナルと申します」


「ラグス様の師匠にあたる方だそうです」


 私の言葉にドリースは驚いた。


「それは、なんと。そんな方がいらっしゃったとは。しかも精霊族の方とは。歓迎いたしますぞ。是非ラグスの若き日のことなど聞かせてくだされ」


「わかりました。機会があれば」


 師匠は楽しそうな悪戯っ子のような笑みで了承していた。これは色々と私の過去の話を、私のいる前で話す気だ。楽しげな雰囲気だが、今はそんなことを話している場合ではない。


「ドリース様。そんなことよりもお話したいことがあって参りました。実は」


 ドリースと師匠の話に割って入る。そんな私の言葉をさえぎってイリスが話し始める。


「私がお話しなければいけないことだと思います」


 そう言ってイリスはさきほど私たちに語ったのと同じ話をドリースにした。


「なんとそのようなことを。同じ貴族として恥ずかしい。今すぐにでも調べさせ、その領主とやらを打首にしてやります」


 今にも飛び出していきそうだったドリースを引き止める。


「ドリース様、そのことなのですが、私がその領主とやらの所に行き調べたいのです」


 ドリースは私の目に何か見て取ったのか無下には断らなかった。


「何故お前が」


 ただ一言そう尋ねた。


「それは、今お話することはできません。ですがいつの日かお話できる日がくると思います」


 ドリースはしばしの間考え込んだ。


「わかった。お前が向かっている間に、わしは報告を上げて置く事にしよう。しかしダークとマリナが許すかどうか。よし。あの街の近くにはラグスの道場があったな。出発するまでは、そこを訪ねるということにしておこう。わしが話しておいてやる」


「ありがとうございます」


 ドリースには前世でも今世でも世話になり通しだ。感謝してもしきれない。


「急にと言うわけにもいかん。準備などもある。アト様もこの屋敷にお泊り下され。今日は豪勢な料理を用意させましょう。是非ご一緒してくだされ」


「わかりました。そのときにラグスの若き日の失敗談などもお聞かせしましょう」


 師匠、それはやめてください。


「おお、それは楽しみですな」


 ドリースも乗り気で本当に楽しみにしているようだ。前世の恥くらいで、この方を楽しませることができるのなら安いものだと思うことにしよう。

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