第十話
イリスと稽古を始めて数ヶ月がたった。
毎日イリスと鍛錬に励んでいる。私に付き合って、欠かさず鍛錬しているのもありイリスの剣は見られるようになってきていた。見られるようになった程度の成長しかないのは、やはり何か内に抱えているものがあるからだろう。
この数ヶ月でイリスと親しくなれたと思うが、身の上を詳しく聞けるほどではない。イリスの事情について出身の孤児院に関係あるらしいところまでは聞けたが、それ以上詳しく聞けていなかった。
「ほほう。なるほどな」
ドリースの楽しそうな呟きが聞こえてくる。イリスとドリースが剣を交えているのだ。ドリースが一方的に攻め、それをイリスが防ぐ形だ。
「死ぬまでにかならず勝ってみせるからな」
そんなことをいいながら、思い切り木剣を振り下ろしている。イリスはなんなくそれを剣で受け止める。若き日のドリースならば、イリスの細腕ではあのまま断ち切られていたことだろう。
私はあの剣がいかに恐ろしかったか知っている。私は今、ドリースと手合わせするとき全盛期のドリースを相手にしているように意識しながら戦っている。過去のドリースと向かい合うと、未だ今世の私がいかに未熟ががはっきりと分かる。
そんなドリースは私達と手合わせするようになり、車椅子を使わなくなった。足腰が弱っているからと車椅子を使えばさらに弱ってしまう。まだまだお前達について行かねばならないからなと、笑っていた。
珍しく稽古中に扉を開けて女中が入ってきた。普段は何かあっても、稽古が終わるまでめったに人は訪れないのだが。
「お客様がいらっしゃっています。イリス様にお会いしたいということです」
イリスを訪ねて人が来るなど初めてのことだ。
「わたしにか。誰だろうな。ドリース様途中ではありますが、少し席を外させていただいてよろしいですか」
すぐ直前まで激しく動いていたにもかかわらず、息をも切らしていない。体は順調に調子を取り戻している。このまま体が精神をも引き上げてくれればいいが。
「よいよい。行ってきなされ。このまま続けてもイリス殿から一本取れなさそうだしな」
全身から吹き出した汗を拭っていたが、ドリースもまだ余裕がありそうだった。本当にイリスから一本取るまで死ななさそうである。
「では失礼して」
イリスが出て行く。
「お前達に付き合ってやるのも骨が折れる」
ドリースが軽口をたたく。私とイリスの鍛錬に勝手に来ているだけなのに、このいいようである。
「イリス殿も客の相手をせねばならぬだろうし今日はここまでだな。わしは部屋に戻るからな。片付けは頼んだぞ」
部屋を出て行くドリースに頭を下げ、部屋を片付け始める。もう馴れたもので部屋はすぐに片付き自室に戻ろうとしたとき、イリスが人を連れて訓練場に入ってきた。オレンジの珍しい髪色をした、なにが面白いのかにこにこと笑みを絶やさない人のよさそうな男性だ。年齢は四十歳前後に見えるだろうか。
「片付けておいてくれたのか。すまないな。紹介しよう。こちらがラグス様の師匠でアト・アーティザナル様だ」
どうやらイリスを訪ねてきたのは師匠だったらしい。元気そうな顔を見れて嬉しくないわけではなかったが、唐突すぎて言葉がでない。そんな私を前世の頃から馴染み深い、いつもの笑顔で見つめている。かわらないな。
「はじめまして。ウォルター・ドリース・アンヴェルスです」
それだけ言うのがやっとだった。
「おお。ラグスお前ちっちゃくなったなあ」
こともあろうに、師匠は当然であるかのようにそんなことを言い放った。どうしてかはわからないが、師匠には私がラグスであるとわかってしまったらしい。しかも前世の私と接するのとかわらない態度だ。まるで私が、前世の記憶を持っていることもわかっているかのようだ。
師匠は気まぐれに誰にもわからない冗談をいうことがあった。私がラグスだと確信を持っているような口ぶりではあったが、今回もそういった類のものかもしれない。それに本当に確信を持って言ったのだとしても、私の態度でこれから調子を合わせてくれるだろう。
「私はウォルター・ドリース・アンヴェルスですが」
何を言われたのかわからないと、少し大げさすぎるくらいにとぼけた。
「ん。ああ今はそういう名前なんだよな。じゃあラグス改めウォルターよろしくな」
ここまで師匠にわかりやすく態度で示したのに、師匠はまったく乗ってこなかった。
「いえだから私はラグスではないのですが」
「いやどう見てもラグスだろ。それにしてもイリスに会いに来てよかったな。こんな面白いものが見られるとは」
私の願い空しく師匠は完全に決め付けてかかっている。久しぶりに会った師匠は、以前より自分本位でかなり強引になっているように感じた。以前の師匠は、もう少しこちらの意図を汲んでくれる方だったのだが。
「えっとアト様は何を仰っているのでしょうか」
突然の師匠の発言に口をあけたまま固まっていたイリスが、やっと口を開いた。
「ああ。ウォルターとかいったか、こいつな。ラグスの生まれ変わりだ」
さきほどもそうだが、師匠は重大なことをさらりと口にする。
「えっ。いや確かにウォルの剣はラグス様にそっくりでした。やはり生まれ変わりだと言われれば納得できる部分もあります。ですが、もし本当にラグス様の生まれ変わりだったとして、記憶を持って生まれ変わるわけではないはずです。そもそもアト様は本当にそんなことがお分かりになられるのですか」
「俺に限らず精霊族ならわかるものも少なくないぞ。見るという感覚を持たない精霊は個を魂で認識し見分けるんだ。その影響か精霊族にも人の魂の形が見えるものが生まれるんだよ。転生すると、姿は変わり性格も違ってくる。だが魂の核というものは変わらない。環境や生き方で魂は変化はするが、核が変化することはまずないな」
なるほど。師匠は魂によって私をラグスと判断したのか。師匠以外に精霊族の知り合いはいないし、師匠さえ誤魔化せれば問題ないようだ。その師匠を誤魔化すのが大変そうだが。
「ではウォルは本当にラグス様の」
イリスは今にも泣きだしそうにしていた。
「そういうこと。こいつの魂はラグスそのものだ」
ラグスの生まれ変わりということを覆すことはもう無理だろう。
「なるほど。ではアト様の言うことを信じるなら、私はラグス様の生まれ変わりなんですね」
もうこの際ラグスの生まれ変わりということは認めよう。人は皆誰かしらの生まれ変わりなのだから、そう大きな問題でもない。
「だから、お前は知ってんだろ。ああ、なるほどな。お前イリスに話してないんだな。」
師匠はやはり私が、前世の記憶を持って生まれたことをも確信しているらしい。
「どういうことでしょう」
イリスが師匠に素直な疑問をぶつける。
「さっき魂は変化するって言ったが、こいつの魂は核だけじゃなく全てラグスのままだ。前世の記憶を引き継いで生まれると、前世から魂の変化はほぼ見られない。これほど変化していないなら間違いない。時々こういう奴がいるのさ。今までに何人か見てきた」
私以外にも神に配慮された人間がいるらしい。いや今はそんなことはどうでもいい。
「そんな。じゃあ」
私が隠していた事を責めるような目で、イリスがこちらを見ている。
「お前にもっと生きてもらいたかったとイリスがどれだけ悲しんだと思っている。お前がどれだけイリスを愛していたか俺は知っている。お前は重大な秘密を抱えたまま生きていくのか。何も皆に話せって言ってるわけじゃない。誰に隠していてもいい。だがイリスにはちゃんと話せ」
さきほどまでのにこやかだった表情は鳴りを潜め、師匠は真剣な目でこちらを見ていた。この状況では話すしかないだろう。迷ったのはほんの一瞬だったが、私にはとても長く感じられた。
「わかりました」
イリスに転生のことを隠し、これからも生きていかなければいけなかったはずの私。私の死に悲しみ貫いたイリス。本来であれば私の死など乗り越える強さを持つイリスであるが、それ以外にも何かを抱え押しつぶさそうになっている。
私達に一歩踏み出させるために師匠はあんな強引な態度を取ったのだろう。やはりこの人には敵わないな。師匠に目で礼をいい、イリスに向き直った。
イリスは目に涙を浮かべ、黙ってこちらを見つめている。さきほどの責めるような目ではない。ただ本当にラグスなのか問う不安げな目だ。
「イリス。私はラグスの生まれ変わりだ。師匠が言われた通り、前世のことを覚えたまま転生した」
それから死んだ後、神に会ったことなどを話した。そう長い話ではなかったはずだが、とても疲れた。これほどの精神的な疲労は、前世で命の取り合いをした時ですら感じたことはない。
私が話し終えた後もイリスは黙ったままだ。師匠も腕を組み、こちらを見ているだけで言葉を発しようとはしなかった。沈黙に耐えかね、何か言わなければと思うのだが上手く思いを言葉にできない。
「今まで黙っていてすまなかった」
それだけ搾り出すようにして、イリスに伝える。イリスは急に私にぶつかるように抱きついてきた。
「お師匠様」
泣きながら、何度もそれだけを繰り返すイリスを黙って抱きしめる。私の体は小さくイリスの背中まで手が回らない。もっと大きければ包み込んでやれるのに。
師匠はそんな私たちを見て、いつものように微笑んでいる。