第一話
後悔の多き人生であった。ずいぶんと遠回りしてきた気がする。ただひたすらに剣を極めたかった。そこに理由などない。そしてその思いは、死にゆく今も変わらずにある。いや、死に直面した今、さらに強くそう思う。
七十余年をただ剣のみに捧げた。それでも高みに至ることはできなかった。歳を重ね体は衰えたが、どんな相手にだろうと負けることはないだろう。しかし、ただそれだけだ。私はもっと強くなれたはずだ。気が付くのが遅すぎた。
針の先ほどの小さな光。その向こう側にある光景を見たかった。それが終着点かどうかはわからない。まだ先があるのか。ただその向こうを見るには、まだここは遠すぎた。
後悔しかない。
目を開け、周りを見渡す。目に入るのは悲しげな表情を浮かべた幾人もの人々。
ただひたすらに剣にのみ生きた人生だった。こんなに惜しまれながらベッドの上で死んでいくとは思いもしなかった。
「お師匠様……」
多くのものが口々に声をかけてきた。この時代に置いて、剣の頂に至れる可能性の高いものたちだ。この者達が、このまま剣の道を生き光の向こうに辿り着けるかどうかはわからない。だが、まだ強くなるであろうこの者達に伝えておかなければならないことがある。
口を開こうとしたが、口内がカラカラに渇き、声が上手く出せないことに愕然とした。弟子の一人が水差しを持って来て、私の口にあてがってくれた。その水を口に含み、飲み込もうとしたが上手く喉を流れていってはくれない。なんとか飲み干し、声を発する。
「最後にお前達に伝えなければならないことがある」
涙を拭い真剣な眼差しの高弟達。
「お前達はまだまだ強くなる。私が至れなかった剣の頂にお前達が到達できることを願う。七十年を捧げた私ですらまだまだ途中だったのだ。私が上った頂からはさらに高い山の頂が見える」
そこで言葉を切り、周りに集まった一人一人と目を合わせて言葉をかける。
「精進を怠るな。過信するな。甘えるな。諦めるな」
笑みが漏れる。後悔の多き人生だった。だが、決して悪くない人生だった。
目を閉じた。
次に目を開けると真っ白な世界が広がっていた。目を凝らし遠くを見つめてみても、目に入るのは純白の光景ばかり。それ以外には何も見あたらない。
「あなたは死にました」
突然頭の中に響く声。そんなことはわかっていると、苦笑がもれた。そう、私は死んだのだ。ここは死後の世界であろうか。ならば今響いた声は……
「私は世界に置いてメステールと呼ばれている存在です」
メステール。それは前世に置いて最も広く信仰されていた主神の名ではないか。剣神フランイを信仰していた私にとっても馴染み深い神であったが、そのメステールがいったい何故。
「あなたには二つの道が用意されています。神となるか再び人として剣の道に生きるか」
神に選ばれたということか。人は何度も生を繰り返す。その輪廻の枠から外れ神に至る存在を目指す。そこまで自身の魂の価値を高めることこそが、人々の目標といっていい。そこまで信仰に厚く誠実に生きている人間は少ない。私も含めてであったが。
私はそんなことを考えたこともなかった。ただ剣の頂に至るということのみを考えた人生であったからだ。しかし、それは決して別れたものではなかったということであろう。
剣に捧げた人生を、ただひたすらに周りを見ずに生きた人生を、認められた気がして少し嬉しく思う。だが私はまだ先があることを知っている。神に認められようとも、私はまだ剣の道を極めたわけではない。さらに先があることを知っているというのに、途中で諦めるなど到底できない。ならば選ぶ道はひとつしかないではないか。
「あなたがその選択をするのも三度目ですね」
メステールが少し微笑んだように感じた。どうやら前世でも前々世でもそう答えたらしかった。記憶はなくとも魂の在りようというのは変わらないものらしい。
「しかし今世のあなたは前世のあなたより弱い」
前世の私は今以上に剣の頂に近かったということか。
「このまま転生しても、あなたは再びここに来たとき同じ選択をすることでしょう。そこで記憶の継承を行ないます。前世の継承は不可能ですが今世の記憶と共に生まれることになります」
前世の記憶を今から継承すると今世の記憶と混ざり合い意識を保つのが困難だというのだ。今より強かったという前世も気にはなるが、それ以上に頂に近づいてみせよう。
経験は裏切らない。私の今までの修練の記憶があれば、さらに高みに近づくことができるだろう。
「それではお別れです。再び会うときには違う選択をすることを願っています」
純白の世界がだんだんと暗くなり始めた。
「メステール。今度こそ私は極めて見せよう」
行こうか。あの険しい道を登るために。今度こそ高みに至るのだ。