浮いてる彼女
何となく書いた結果。
日下部颯太というのは僕の名前で、名前をもじって「くべた」と愛称で呼ばれているくらいは友達がいる。それでもたぶん僕はクラスの中で言えばおとなしく控えめなグループに存在しているし、残念な事に異性にもてた試しもない。
成績はまずまずだし容姿も平凡で高校二年生の平均的な体格をしている。太ってはいない、と思う。
美術部に所属していると伝えると「意外! でも似合ってる!」と矛盾した回答が寄せられる程度。
押しにはちょっと弱くて頼まれごとをすると、渋い顔をしながらも受けてしまう。渋い顔を浮かべるだけ用事を頼んできた連中は「悪いな」と謝ってくれるからよしとする。
平穏な学校生活を送りたければ決してでしゃばらず、当たり障りのない友人関係を築いていればいいがモットー。平凡最高、万々歳だという僕にも実は苦手な子が居る。
それが二年に進級してクラスメイトとなった尾崎心という女子生徒。
ちょっと苦手、どころではなくてスッごく苦手かもしれない。
ぶっちゃけるとクラスの大半――否、学年中の大半が彼女を苦手としている。
高校二年生にもなって彼女の発言は電波だ。まだ中二病わずらってんの? って聞き返したくなるくらい。
何しろ入学したての自己紹介の時に「超能力が使えます!」なんてとんでもない見当違いの爆弾を投下したもんだから、みんなドン引きした。一年は違うクラスだった僕の耳にさえ届いたくらい有名な話だったし、それに懲りる事なく彼女は自分が超能力者であるという事を疑わない発言を続けていた。
最初は揶揄っていた周囲も、次第に彼女の作り出した超能力設定があまりにも事細かで一線を引く理由ともなっている。
曰く、モノを浮かせる事が出来るだとか。
曰く、テレパシーが使えるだとか。
現代においてそういう存在はテレビの向こう側に居ればいい。身近な存在になんて絶対いてほしくない。実際、彼女がモノを浮かせたところを誰も見たことがないし、テレパシーを受け取った人も存在しない。
一時期はいじめの対象になりつつあったけれど、それでも自分の設定を変えない彼女はいつしか触れてはならないものとして扱われるようになって、彼女が一人ぼっちでいるのが当然になっていた。
見た目は結構可愛いのに損しているなと思う。
成績もそれなりに優秀らしいし、運動神経も悪くない。あの電波な性格がなければ絶対にモテるだろうと思われるのに、非常に残念だと誰もが黙って首を横に振る。たぶん、医者も然り。
二年に進級する際、クラス分けを見て彼女と同じクラスメイトになることを知った僕は絶望した。何とか持ちこたえたのは周囲の反応で「触らぬ尾崎に祟りなし」ということわざが生まれるほど、クラスメイト達は一致団結して彼女の存在を空気のごとく無視する事にした。
僕も当然その意見に賛成して、けっして彼女に接することなく平穏無事な高校生活を送り続けると心に強く決めたのだけれど。
それは突如として崩壊することになる。
なぜ彼女がここに、という言葉よりも先に現時点で目撃した非現実的な状況から目をそらそうとしてできなかったのが敗因か。
クラスの図書委員として放課後の図書室を目指した僕が見たのは、尾崎心という少女の存在。
六限目に体調を崩したとかで教室に居なかった尾崎の存在など誰も気にしていなかったし、僕も当然無関係であると思っていた。
少し長引いてしまったHRを終えて、慌てて図書室のドアをガラリと開けた僕は大きく目を見開いた。
今日は司書さんがいないから早めに図書室へ行かなければと焦っていた。そして誰もいないはずのドアを開けたはずだったのに、中に居たのは尾崎心だ。
電気がついていない、しかもカーテンが閉め切られた図書室の中で彼女はあろうことかすよすよと寝息を立てて寝そべっていた。
図書室のテーブルの上に浮いた状態で。
無風状態の図書室の中、彼女の体はまるで重力を失ったようにぷかぷか心地よさそうに浮かんでいる。目がおかしいのだろうかと何度か瞬きしたものの、彼女の体は浮いたまま。
空中で寝返りみたいなのを打ちながら、僕がドアを開けた音で寝ぼけ眼を擦りながら目を覚ました彼女。
僕と視線が絡み合った瞬間、ふよふよと浮いていたからだは静かに椅子に座り、そして僕を凝視した。
「……」
「……」
「……あ。見ちゃった?」
「……見てません」
「じゃあよかった」
よかねぇよ。
思わずツッコミそうになった言葉を呑み込んだ。口に出してしまえば先ほどの言葉が無駄になってしまう事がわかっていたからだ。
「……ってよくないよね。見られちゃったよねぇ」
「……っ!」
ですよねっ! 見逃してもらえるはずないですよね!
急にお腹が痛くなってきた気がすると視線をそらしながら額から冷や汗をダラダラと流せば、彼女は立ち上がってふよんふよんとおぼつかない足取りで僕のもとに歩み寄ってくる。
に、逃げなければ! と思ったけれど、金縛りにあったように動けなかった。
どうしようかと逃げ場所を探すために視線を漂わせていると、開いていたはずの背後のドアがぴしゃりと音を立てて閉まった事に「えっ」と驚いて振り返る。
自分の背後に誰か居ただろうかと淡い期待を抱いて振り返ったものの、その口を閉じたドアがあるだけで当然人の気配はない。
ゆるゆると、恐る恐る彼女の方に振り返れば、尾崎はヘラリとした気の抜けた笑みを浮かべて僕を見ていた。
「ごめんねぇ、ちょっと今日は体調が悪くって。保健室じゃあ誰が来るかわかんないから図書室使わせてもらっちゃったぁ」
間の抜けた語尾を伸ばす話し方はいつもの尾崎だ。
けれど僕は鬼気迫るものを感じて思わず体を強張らせる。
何か話さなければ間が持たないと思った僕は、パニックになった状態のまま絞り出すように言葉を発していた。
「……ほ、ホントだったんだ……?」
「なにがぁ?」
「……そのっ……超能力者……って」
パニックになっていたとは言え、なんて馬鹿な事を聞いたんだろうと即座に後悔する。言った端から口元を押さえると、彼女はまたへらぁっと笑って「うん」と素直に肯定する。
「誰に言っても信じないと思うしぃ。むしろ、誰も近寄ってこないから逆に楽だしぃ」
「……ら、楽?」
「そ。楽ぅ。ウチねぇ、普段は制御できるんだけどぉ、気が抜けた時とかぁ? あと、体調悪いときとかかなぁ? ちょっと自分で制御できなくなっちゃうんよぉ」
「そ、そうなんだ……」
「うん。だから人に見られたら色々めんどーだし、ぶっちゃけ本当の事言っても誰も信じないじゃん? 逆に本当の事言って電波扱いされた方が都合いいんだよねぇ」
そういってカラカラ笑い出した彼女に同調すべく、僕は乾いたようにはははっと笑うしかない。
「日下部君が他言したところで、私だから誰も信じないと思うけど、一応言わないでね? って口止めしとこかな?」
彼女はにししっと笑って口元に人差し指を当てると「しぃ」と微笑んで。
「ととととととっ! 当然だよっ! 言っても信じてもらえないしっ!!」
「あははっ、だよねぇ! 日下部君おもしろーい」
どこがっ! と言いたいのを必死に我慢しながら再びはははと笑えば、彼女は「じゃあねぇ」と僕の肩をポンッと叩くと、何事もなかったかのように立ち去って。
途端押し寄せてきた疲労感に、僕はその場にへたり込んだ。
……いや、マジか?