喰れず、喰われる。~安心の先は絶望~
この日も俺は夜遅くまで塾で勉強した後、いつものように暗い夜道を自転車で帰っていた。
評判がいい塾は家から遠く、毎晩遠い道のりを自転車をこぎながら通う毎日。
あと15分ぐらいで家にたどり着くなと考えながら角を曲がった時、反対側の道から黒い何かがいきなり飛び出してきた。
「うわっ」
慌ててハンドルを切って避けようとして、俺は自転車のコントロールを失い、道路に派手に転倒する。
倒れたときに打ち付けた肘をさすりながら、飛び出してきた影に目を向けると黒猫が一匹こちらを向いて「ニャー」と鳴き去っていく。
「猫かよ」
出てきたのが猫であり怪我させなかった安堵感と、猫に驚いた自分自身の恥ずかしさを誤魔化すように服の汚れをはたき落としながら立ち上がり、倒れた自転車を起こそうとしたときに気づく、自転車が何かにぶつかり壊している。
壊れた物に近づきながら、何を壊したのか確認する。
「これは石碑か?」
何カ月も同じ道を通っているが、こんなところにこんなものがあるなんて初めて知った。
道路の影にひっそりと置いてある小さな石碑、献花もお供え物も無ければ、雨風を防ぐ物も無いほど小さな石碑。逆になぜ道路をつくるときに壊されなかったのか不思議に思うほど、知らなければ気付かなかっただろう。
取り敢えず割れた石碑を集めて、置いてあった場所に置き。また明日明るくなってから改めてこようと決め、一度手を合わせてからその場を後にした。
その日の夜、家に帰り遅くまで勉強した後眠りに入ったら、変な夢を見た。
夢を見ていることを、夢の中にいながら気づくこれを明晰夢というらしい。
そう教えられた。
誰に?そう夢の中に現れた人物に。
「初めまして、ここはあなたの夢の中だから緊張しないで下さい」
人の夢の中にいるのに、まるで主のようにそう言って来るのは、夢魔と名乗った紳士姿の男で、彼はシルクハットを取り、演技がかったしぐさで頭を下げる。
「それにしても、あなたは落ち着いていらっしゃる。大抵の人間はこんな体験をすると慌てふためくのですが」
「いや十分驚いているよ」
実際に本当に驚いているのだが、生来の無表情さのせいで驚いていないと思われたらしい。
「そうですかそれは上々です」
夢魔はうれしそうに笑う。
「それにしてもなんでこんなことに?」
私の質問に夢魔はよくぞ聞いてくれましたと、生き生きとオーバーアクションで答える。
なんでも夢魔は吸血鬼の一種で、吸血鬼が人間から血を吸うのに対し、夢魔は人の夢を食すらしい。
「夢を食べる?」
「はい、もっと正確に言うならば私達夢魔は人間が寝ている間に発する、夢という名の願望を食すのです」
無防備の状態である睡眠時に見る夢には、その人の心からの思いが詰まっており、夢魔はその思いのエネルギーを食すのだと。
「夢にもいろいろ種類がありまして、三大欲望は言うに及ばず、そのほかにも小さなお願いごとの様な夢から、はたまた身の丈に合っていない、それこそ夢見がちな夢まであります。
私は夢魔界では一応食通として名が通っておりましたので、ついついいろいろな夢を食べ回っていたのですよ」
あまりにも多種多様な夢を食べてきたことで、そのうち普通の夢ではもの足りなくなってきたそうだ。
「まぁ、そこで私も紳士にあるまじき行動をしてしまいましてね」
彼は片手をおでこに当てて、しまったな~というポーズをとるが、それはほんとにp0-図でしかないのだろう。
彼はその食欲で人間の生きる希望まで食べ、何人もの人間を自殺にまで追い込んでしまった。
そのせいでとある機関に目を付けられ、封印されてしまったそうだ。
そしてそれから百年ばかり封印されていたのがあの小さな石碑で(誰にも気づかれなかったのは、認識疎外の術が掛けられていたからだそうだ)、その石碑が壊れたから封印が解け自由になったのだという。
「いや~、本当に危なかったのですよ。あと数十年あのまま封印されていたら、私の存在はそのまま消えてしまいましたからね~」
彼の説明を聞くに従って、俺の体はわずかに振るえ始めていた。
もしかしたら俺はとんでもないことをしてしまったのではないのだろうか?
一通りの説明を終えた彼は楽しそうにこちらを見つめてくる。俺はその視線をそらさず震える体を何とか抑えて質問する。
「…それで封印が解けてすぐに俺の夢を食べに来たの?」
俺の言葉に彼ははじめキョトンとした顔になったが、次第に口をあけて笑いだし手を振って俺の質問を否定する。
「いえいえ、私は封印を解いてくれたお礼を言いに来ただけですよ。それに封印を解いてくれた恩人の夢を食べるだなんてとんでもない。
私はこの通り紳士ですよ?そんな無礼は働きませんよ」
俺はその言葉にホッと胸をなでおろす。
「それではお礼も済んだので、私はそろそろ失礼します。何分百年ほど何も食べてしないせいでお腹が空いてしまいまして」
それから夢魔は大げさなしぐさで頭を下げ、
「それではあなたに素敵な夢が訪れることを祈り」
そう言ってパッチンと指を鳴らすと、あたりは一転真っ暗になり俺の意識もその闇の中に沈んでいった。
朝仕掛けていた目覚ましの音で俺は目を覚ます。
最初寝起きで頭が働かなかったが、次第に頭の中が働いてくると、昨夜の夢のことがはっきりと浮かんでくる。
あれは本当のことだったのか、それともただ単に本当に夢だったのか?
不気味になる気持ちでそんなことを考えながら、家族の待つ食卓に顔を出す。
「おはよう」
いつものように両親に挨拶をした次の瞬間、それまで考えていたことを一気に忘れ頭の中が真っ白になる。
朝家族が待つ食卓の上で、両親が首を吊って死んでいた。
これは一体何だ。混乱する頭についていたテレビから流れるニュースが耳に入る。
『今朝この地域一帯で自殺が多発しました。亡くなった方の数は現在確認できるだけでも数百人に及び、警察は原因究明について調べを進めています』
そのニュースを聞いた時に全てが分かった。
昨日の夢はすべて本当だったのだと。
百年何も食べていなかった夢魔が手当たり次第に貪り食い、人々は生きる希望を無くし自殺したのだと。
俺は壊れたように笑いだした。
夢は喰われなかったのに、俺は彼によって喰われたのだ…。