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6.脳(第三の殺人)

 洋子は風呂に入って汚れた身体をきれいにして新しい服を着た。準備ができたらさっそく殺しの準備に取り掛からなくてはならない。

 カッターナイフは血と脂肪がこびりついてしまったので、もう使えそうもなかった。しょうがないので台所に向かった。洋子は母親が料理で包丁を使うところを見ていた。包丁の場所は憶えている。

 洋子は包丁をランドセルに入れた。手を切ってしまわないように、刃の部分にタオルを巻き付けた。

 これで十分だと思ったのだが、最後に手に入れなければならないのは脳だということを洋子は思い出した。脳を手に入れるためには、頭蓋骨を割る必要がある。骨は固いから、包丁ではどうにもならない。

 洋子は庭にある倉庫へと向かった。鍵はかかっていなかった。扉を開けると様々な工具が押し込められていた。そのほとんどはホコリを被ってしまっていて、長いこと使われていないようだった。

 探し物はすぐに見つかった。洋子は金槌を取り出すとランドセルに詰めた。ランドセルが重くなってしまうのは嫌だったのだが、必要なものなので仕方がなかった。

 洋子は学校に向かった。途中で一度だけ自分の来た道を振り向いた。なんだかよく分からないけれど、もうこの道を通ることはないような気がした。

 登校中は誰にも出会わなかった。まともな生徒はすでに登校している時間だった。こんな時間に登校している生徒がいたとするならば、遅刻してしまったか、義理の父親を殺してしまったかのどちらかに違いなかった。

 学校は騒々しかった。しかしそれはいつもの騒がしさとは少し違っていた。パトカーが何台も学校に乗り入れていた。どうやら美奈の死体が既に発見されているようだった。しかし洋子にはそんなことどうでもよかった。どうせ誰にも姿は見られてはいないし、洋子の姿を見た唯一の人間は、もうしゃべることなどできないからだ。洋子は生前の口うるさいヒステリックな美奈を思い出した。生きている間あれだけうるさかったのだから、死んでしゃべることができなくなった今はさぞかし苦しいだろう。

 美奈が苦しんでいる様子を想像して洋子は思わず声を出して笑った。馬鹿な美奈。死んでもまだ喋り足りないのね。

 教室に入ると中にいたクラスメイトが一斉にこちらを向いた。

 洋子であることを確認するとほとんどの生徒は興味を失ったように目をそむけたが、一人の男子生徒が洋子の方へと向かってきた。

 確か名前は平山と言ったか。洋子はその生徒のことをよく知らなかったが、口うるさいことだけは憶えていた。洋子にもすぐにちょっかいを出して、彼女のことをブスだブスだと馬鹿にしていた。

 洋子は最後の一人としてこいつを殺すことにした。平山は学校の成績も割とよかったはずだ。以前先生にテストの成績を褒められているところを洋子は見ていた。頭は悪くないので、きっとドロシーも満足してくれるだろう。

 そうすればついに自分は望みを叶えてもらえるのだ。今の苦しい状況から逃れたい。逃避したいという望みを叶えてくれるのだ。

 ならば行動は早い方が良い。

「おい、聞いたか。中川が死んだんだってよ」

 平山は興奮した口ぶりで美奈が死んでいると言った。殺されたと言わないということは、生徒には殺人だとは教えられてないのだろうと洋子は思った。

「こっちで話しましょう」

 洋子は平山を窓のあたりまで誘導した。ターゲットは男子だ。義父より弱いとはいえ、洋子よりも明らかに力が強い。他のクラスメイトの邪魔が入る可能性もあるし、包丁を取り出したりする余裕があるとは思えなかった。だから突き落すことにした。

 ここは三階だ。多分確実だろう。

 のこのこと洋子の後をついてきた平山を窓の方に向けて思いきり突き飛ばした。平山は驚いたような表情をしたが、すぐに窓枠を越えて見えなくなった。

 続いて長い悲鳴。そしてその後に肉が潰れるような音がしたが、洋子はそれを聞く前に走り出していた。平山が死んだのは良いとして、一刻も早く脳を取り出さなければならなかった。のんびりしているとクラスメイトに邪魔をされてしまうかもしれないし、近くでは警察が美奈の死体を調べているはずだった。一刻の猶予もなかった。

 クラスメイトは状況を理解することにかなりの時間を要しているようだった。洋子が階段を二階まで降りたとき、悲鳴と怒号が三階から響いてくるのが分かった。しかしそんなことは洋子には関係がなかった。

 校庭にでる。予想通りの場所に平山は横たわっていた。

 それが平山だと分かったのは、洋子がそこに平山を落としたからだ。彼を殺したのが自分ではなければ、洋子はそれが平山だとは思わなかっただろう。

 平山には頭がなかった。

 うまい具合に頭から着地してくれたらしい。脳漿と脳が、まるで花のように辺り一面に広がっていた。やっぱり死体ってきれいだな、と洋子は思った。

 脳が散らばって形を失ってしまったのは残念だったけれど、金槌を使わなくて良くなったのが洋子には嬉しかった。金槌を自分に使いこなせる自信がなかったからだ。

 洋子は平山の脳をかき集めた。

「ドロシー?」

 彼女が呼ぶとすぐにドロシーは現れた。

「これが最後。脳よ」

 洋子がすりつぶした豆腐のような脳を両手いっぱいに差し出すと、ドロシーはとても嬉しそうにそれを受け取った。

「ありがとう、洋子ならきっとできると思ってた」

「ねえドロシー? 私のお願いは……」

「心配しないで洋子、あなたは今この瞬間に、自分の望みを叶えたの」

「……どういうこと?」

 洋子の質問にドロシーが笑った。

「もうあなたを縛り続けるものは何もない。あなたは自由よ。すべてのしがらみや苦しみから解き放たれた、真に自由な存在になれたのよ」

 それを聞いたとたんに洋子の身体に力がみなぎった。恐怖など微塵も感じなくなった。

 自由だ。洋子は嬉しくなった。

「じゃあね、私は行くわ」

 ドロシーはそう言うと跡形もなく消えてしまった。

 間もなく四人の警官が来た。どうやら騒ぎを聞きつけたらしい。彼らは平山の死体を見てあからさまな動揺を見せたが、すぐに死体の横に立っている洋子に目を付けた。

 彼女の服と両手は彼の血と脳漿で染まっていた。

 警官は互いに顔を見合わせていたが、その内の一人が洋子に向かって何かを言いかけた。しかしそれは声にはならなかった。声を出すための器官が、洋子によって破壊されてしまったからだ。首から血を噴き出しながら崩れ落ちる警官を、他の警官は茫然と眺めていた。

 洋子はランドセルから取り出した包丁を握り直して警官の間を駆け抜けた。

 洋子は駆け続けた。疲れなど感じなかった。王様にでもなったような気分がした。目の前の敵をすべて殺す虐殺の王だ。自分の行く手を阻むものはすべて敵だ。

 洋子は目の前の人間を殺して回った。

 男を殺した。女を殺した。老人を殺した。子供を殺した。

 何人殺したのかなど考えていなかった。そんなもの考える必要がなかった。

 気が付くと洋子は道路に出ていた。耳をつんざくようなクラクションが聞こえた。洋子が音のした方を向くと巨大なダンプカーが彼女に向かってきていた。

 しかし洋子は怖くなかった。この世で一番偉いのは王様なのだから。洋子は包丁を振りかざしてダンプカーに走り出した。

 そして洋子はダンプカーに正面から衝突した。洋子は全身を殴打して地面に転がった。しかし彼女は奇跡的に即死しなかった。

 全身に力が入らなかった。

 呼吸ができなかった。

 何も思考できなかった。

 洋子が目を開けるとドロシーが立っていた。目がかすんでほとんど見えなかったが、どうやら彼女は嗤っているようだった。

 どうして彼女が嗤っているのか理解できないまま、洋子は目を閉じた。

 そしてもう二度と、目覚めることはなかった。


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