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5.筋肉(第二の殺人)

 通学路ではない道を選んで洋子は家へと向かっていた。

 まだ登校時間には少しだけ余裕があったが、もし自分の姿を見られるとまずいと考えたからだ。

 家に到着すると扉の前で耳を澄ませた。母親は既に仕事に出ていて家にはいないはずだった。洋子が知ろうとしたのは、義父がまだ寝ているのかどうかだ。義父は働いていない。昼間は酒を飲みながらテレビを見ていることが多い。もし起きていたら面倒だった。

 幸い家の中は静まり返っていた。洋子は鍵を使って家の中に入ると足音を忍ばせて階段を上った。後は自分の部屋に帰って夕方まで静かにしていればいい。お腹が減るのは我慢するしかないが、トイレは二階にもあるから義父に見つかることはないだろう。義父が二階に上がってくることなんてないし、洋子の学校での生活についても興味を持っていない。洋子が一日欠席したところで、義父の知るところではない。

 洋子は階段を登り切り自分の部屋の前まで来た。思わず安堵のため息が出た。洋子はドアを開けて部屋に入った。

 部屋の中には義父がいた。

 一瞬、何が起こっているのか洋子には分からなかった。

 洋子の部屋。それは彼女にとって聖域ともいえる領域だった。

 その聖域に異物が紛れ込んでいる。なんとも恐ろしい異物だった。

 自分の聖域が穢されている。それも現在進行形で。

 絶望感がゆっくりと洋子を侵食し始めていた。

「よ、洋子。学校がどうした?」

 義父は洋子の突然の帰宅にわずかながら動揺していたように見えた。そのあわてた様子に、洋子は自分の中にある義父への恐怖感が薄れるのを感じた。

 こいつのどこが恐ろしいのだろう。

 洋子は今まで義父に恐怖していた自分が恥ずかしかった。

 全然怖くないじゃないか。

 そう思った。

 全然怖くないので、洋子は義父を殺すことにした。何者であれ、洋子の聖域を侵すものを許すわけにはいかなかった。

 洋子はポケットに忍ばせていた大きなカッターナイフを取り出した。一瞬で刃を出す。先ほどの美奈の解体で、すっかり使い方を覚えてしまっていた。義父との距離を一気につめる。腕を思いっきり振るった。

 義父はとっさのことで動くことができなかった。彼は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに苦痛に顔を歪めた。首が裂けて血が噴き出した。

 まるで噴水のようだと洋子は思った。

 大量の血が洋子の身体に降り注いだ。

 血液は熱を持っており、温かいなと洋子は感じた。

 義父は体内の血液をあるだけ出すと、力尽きたように洋子の足元に崩れ落ちた。洋子は部屋を見回した。部屋中に義父の血がまき散らされていた。

 洋子はまた怒りが湧きあがるのを感じた。自分の大事な部屋が、よりにもよって義父の血液で汚されてしまったことに対する、激しい怒りだった。彼女は激情に任せて倒れている義父を蹴りつけた。義父は既に息絶えているらしく、反応を示さなかった。

 義父は死んだ。

 丁度良い。

 洋子は彼を解体することにした。

 ドロシーの望むものを、再び手に入れるのだ。

 ドロシーは心臓、筋肉、脳の三つを欲しがっていた。心臓は美奈から抜いた。残りは筋肉と脳だ。義父は力が強かったが、頭が良いとは思えなかった。彼から取るとしたら、やはり筋肉だろう。

 義父からは筋肉を取ることにした。

 どこの筋肉を取ればドロシーは満足してくれるだろうかと洋子は考えた。義父はよく洋子のことを殴っていた。洋子にとっては義父の腕が、彼の力の象徴となっていた。

 よし。腕の筋肉を取ることにしよう。

 カッターナイフを持ち直し、義父の腕に突き刺そうとして、ふと気づいた。美奈を殺したとき、どこからともなくドロシーは現れた。まるで洋子のことを見ているようなタイミングだった。

 もしかしたら。

「ドロシー?」

 洋子は彼女の名前を呼んだ。彼女がどこかに潜んで自分のことをうかがっているのに違いないと思ったからだ。

「あら、気付いてたの?」

 背後から声をかけられた。驚いた洋子が振り返るとドロシーがそこに立っていた。ドロシーはいつでも神出鬼没だ。彼女が洋子のことを見ているということは予想していたが、それでも洋子は自分の心臓が跳ねるのを感じた。そういえば美奈にはもう跳ねる心臓もないのだなと、唐突に思った。

「……殺したよ」

 洋子はドロシーに告げた。

「ええ、わかっているわ。本当にすごいわね、あなた。たった一日でもう二人殺したなんて」

「この男から、筋肉を取る」

「ありがとう。友人も喜ぶわ」

 人体の一部を手に入れて喜ぶ友人とは何者なのだろうと洋子は少しだけ考えた。

 しかし結論が出る前に、洋子は思考することをやめた。自分には関係のないことだった。

「それより、約束は憶えてる?」

 洋子は聞いた。洋子が二人も殺したのは、自分を救うためだった。家庭で虐げられて、学校で虐げられて、洋子には心安らかに生きて聞く場所がなかった。

 自分の今の状況をドロシーが変えてくれると言うから、洋子は頑張って殺したのだ。

「もちろん覚えているわ。後は脳よ。それを用意してくれれば、あなたはもうなにものにも虐げられることはなくなる。楽になれるのよ」

 ドロシーの返答に洋子は自分の顔がにやけるのを感じた。あと少しだった。あと一人殺して、その脳を手に入れることができれば自分は救われる。

 楽になれる。そう考えると元気が出た。

 そうと分かれば、さっさと作業に取り掛からなければならない。洋子は中断していた作業を再開した。義父の腕にカッターの刃を喰い込ませ、一気に引いた。皮膚と脂肪がきれいに裂けて、赤い筋肉が露出した。もう死んでいるからか、出血はあまりなかった。

 美奈と違い、脂肪を人並みに蓄えた義父の腕の解体は難しかった。時々油で手が滑った。勢い余って洋子は自分の手を少し切ってしまったりもした。美奈の時より苦労しながらも、それでも何とか洋子は義父の腕から筋肉を切り離した。

 洋子はドロシーに筋肉を差し出した。血に染まったそれは両の手のひらから溢れていて、洋子は地球外の異生物を連想した。

「ありがたく頂くわ。あと少しよ。脳もよろしくね」

 ドロシーは洋子の身体を眺めた。

「あなた、お風呂に入ってきたほうが良いわよ」

 洋子は自分の身体を見下ろした。手も顔も身体も服も血で真っ赤だった。

 顔を上げるとドロシーはいなくなっていた。

「さて」

 洋子は呟いた。

 あと一人だ。あと一人殺して、その脳を手に入れさえすれば自分は救われる。そう考えると、やる気がわいてきた。生まれてこの方、これほどまでに精力的な気持ちになったのは初めてのことだった。

 すぐにでも殺そうと洋子は思った。

 誰が良いだろう。

 しばらく考えた結果、洋子は学校に行くことにした。自分の力で殺すことのできる人間といえば、やっぱり自分と同じ子供だと思われた。

 洋子は部屋を見回した。義父の死体が転がっているこの部屋を聖域と呼ぶことはもう出来ない。聖域は破られてしまった。洋子は怒りにまかせて義父の頭を蹴り上げた。

 学校に行こう。

 でもその前にお風呂に入らないと、と洋子は思った。


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