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2.ドロシー

「誰?」

 洋子は聞いた。この部屋に自分以外の人間がいることに、彼女は全く気が付かなかった。気配を感じなかったし、物音ひとつ聞こえなかった。

 まるで何もない空間から突如現れたかのようだった。

 その影は下の方が膨らんでいた。どうやらスカートをはいているようだった。やっぱり女の子だろうかと洋子は思った。

「私の名前はドロシーよ」

「……女の子?」

「そうよ」

 影が答えた。口調は平坦だったが明るい感じがした。私の部屋にこんな明るい声の女の子は似合わないなと洋子は感じた。

 すぐに布団にもぐりこんでしまったから、部屋には電気がついていなかった。ドロシーと名乗った少女の姿をはっきり確かめたいと思ったが、洋子は身体がこわばってしまってその場から動くことができなかった。

 洋子は怖かった。

 ドロシーの声はとても明るくて、洋子に敵意を向けている様子はなかった。言葉にも慈愛のようなものが感じられた。

 この少女は自分と敵対するような存在ではないと、洋子は確信していた。

 しかしそれでも安心はできなかった。

 この少女は自分の部屋に勝手に入ってきた。その行為が洋子を不安にさせ、ある種の怒りさえ感じさせていた。なにより彼女は、自分の部屋に母親以外の人間が入ることを嫌った。この部屋には自分以外では、母親が時々入るくらいだった。その母親でも、長時間部屋の中にいるのは嫌だった。この部屋は洋子の臭いであふれていて、それが彼女の精神的な安定を作り出している。そんな結界ともいえるこの空間に、見ず知らずの他人が入ってくることが彼女には不快でならなかった。

「あなたは一体誰なの?」

 洋子の言葉には戸惑いと苛立ちがにじんでいた。

「さっきも言ったけど、私の名前はドロシーよ。あなたとお話がしたいと思ってるの」

 ドロシーは明るく答えた。あなたと話がしたいと言われて、洋子は困惑した。しかし嫌な気持ちにはならなかった。胸のあたりがこそばゆい感じがした。自分と話がしたいという人間がこの世界に存在することが、洋子には信じられなかった。うまく言葉にできない、今までにない感情が洋子を包んだ。

「私はあなたと話がしたいの。電気をつけてくれないかしら」

 ドロシーが言った。彼女に対する不信感や不快感はかなり薄れてきていた。それでも少しだけ警戒しつつ、洋子は布団から這い出した。洋子は電気のスイッチを入れた。

 部屋中が光に満たされ、洋子は思わず目を細めた。目を閉じるのを我慢して、洋子はドロシーがいた方を見た。

 そこには洋子と同じぐらいの年齢の女の子が立っていた。

 綺麗な子だな、と洋子は思った。背丈は洋子と大体同じで淡い水色の服を着ていた。ドロシーは洋子が見たこともないような、ひらひらと膨らんだスカートはいている。長い茶髪を真ん中で分けて両サイドをリボンでまとめていた。流暢な日本語で話しているが、日本人と言う感じではなかった。ではどこの国の人間なのかといえば、日本以外の国についての知識に乏しい洋子にはよくわからなかった。しかし問題なくコミュニケーションがとれるので、気にはならなかった。ドロシーはやはり笑っていた。洋子はその笑顔に見覚えがあるような気がした。

「ようやくあなたの顔がちゃんと見えたわ。これからよろしくね」

 ドロシーは言いながら洋子に向かって手を突き出してきた。どうやら握手を求めているようだった。洋子も半ば反射的に手を出して、彼女の握手に答えた。不思議なことにドロシーの手は夏だというのにひんやりとしていた。

「手、冷たい……」

 洋子は思わず口にしていた。ただの呟きだと思ったのか、ドロシーは何も言わなかった。洋子はとりあえず、ずっと立ちっぱなしだったドロシーを畳の上に座らせた。

「あなたは一体誰なの?」

 一番気になっていることを聞いてみた。

「私は旅をしているの」

 ドロシーの返事に洋子は驚いた。こんな年齢の少女が旅をしているなんて、洋子の常識ではありえないことだ。

「友達3人と一緒に、ずっと旅をしてる。もうずっとよ」

「どうして? 家はどこなの? お父さんは? お母さんは?」

 洋子は好奇心を抑えることができずに、次々と質問をした。年齢は自分と対して変わらないはずなのに、ドロシーのことがまるで大人のように見えた。家と学校、そして近所の公園しか知らない洋子は急に恥ずかしくなった。一度に質問しすぎただろうかと少し心配したが、ドロシーはたくさんの質問に嫌な顔一つせずに洋子の質問に答えた。

「よく覚えてはいないのだけれど、気が付いたら一人で知らないところにいたの。家からも離れてしまって。しょうがないから、家に帰ろうと旅をしてるの」

「大変ね」

 洋子はドロシーに同情した。一人で知らない土地に放り出されるなんて、洋子には想像もできなかった。不安と孤独に押しつぶされて、きっと死んでしまうに違いない。自分だったら、家から離れてしまうことが一番怖いなと彼女は考えた。お母さんと離れてしまうのもつらい。義父と学校の連中はどうでも良い。

「それで、なんであなたはここに来たの?」

 それは洋子が一番気になっていることだった。どうしてずっと旅をしているドロシーが、こんなところに、私の部屋の中なんかにいたのだろう。不思議でならなかった。ドロシーは少し困った顔をした。

「それが、私には今欲しいものがあるの。でも私の力では手に入れることができない。だから、あなたに協力してほしいの。ここに来たのは、そのお願いをするため」

 まるで洋子のことを以前から知っているような口ぶりだった。なぜこの子は自分のことを知っているのか洋子は疑問に思った。彼女の記憶の中に、ドロシーなどと言う少女は存在しなかった。もしかしたら忘れてしまったのだろうか。質問してみようかとも思ったが、もしかしたら相手に失礼になってしまうのではないかと考え、結局聞かなかった。

「ねえ、協力してくれない?」

 ドロシーが言った。洋子は彼女の力になりたかったが、自分が彼女の役に立てるのか自信がなかった。洋子は黙り込んだ。

「もしお願いを聞いてくれたら、なんでもお礼をするわ。なんでもよ」

「なんでも?」

 その言葉に洋子の心は揺れた。

 洋子は現在の生活に疲れ果てていた。

 現状をどうにかしないといずれ自分は死んでしまうと、彼女は確信していた。

「……私を助けてくれる?」

 洋子は自分の境遇をドロシーに話した。話していると涙があふれてきた。話し始めるともう止まらなかった。

 言葉が途切れることはなく、また涙もとどまることはなかった。

「もうこんな生活は嫌だ。私は、普通の一人の人間として生きたい」

 切実な願いだった。洋子はもう限界に来ていた。

 じっと彼女の話を聞いていたドロシーは、にっこりと笑った。

「わかったわ。私は絶対にあなたを救って見せる。だから安心して」

 その言葉に洋子は再び泣いた。ドロシーにしがみついて、ひたすら泣き続けた。

 体中の悪いものが涙と一緒に流れ出て、浄化されるようだった。

「じゃあ、こっちのお願いも聞いてくれる?」

 ドロシーが洋子に向かって囁いた。

 泣きながらであったが彼女はうなずいた。

 迷いのない、強い意志を感じさせる動作だった。

「それで、ドロシーは何が欲しいの?」

 ようやく泣き止んだ洋子はドロシーに向かって訪ねた。

「それはね……」

 ドロシーは答えた。

 彼女の望むものを。

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