メイドと私と。
んん?
なんだろう、この求人広告……。
『ハウスメイド募集。由緒正しきトワイライト家にて、伝統を守る職務です……』
概要、業務内容、待遇。
いやいやいや。闇バイトかよ。
いまどきの闇バイトは新聞に載ってるんですか?
アホなんですか?
だいたい、給料が高すぎる。
メイドさんってそんなに儲かる仕事だっけ。
それに「トワイライト」「伝統を守る」というのが、なんか隠語みたいで怖い。
もし犯罪の片棒でも担がされたら、カナに怒られる。
しゃがんで見てた広告から目を離す。
料理しながら考える。私は何をしてるんだろう。
けっきょく、高校もいけずにこうやって、「生活」する日々。
そろそろ、家を出なくちゃいけない。
あーもう。なんでこんなにお金がないのさ。
昔の時代の農民か? 貧しい民なのか?
でも実際、貧しいのは変わらなかった。
この人口減の世の中で、私たちみたいに大家族なのはすごいことなんだと思う。
でも、すごい貧乏だ。
とにかく物資も足りないし、いつも兵糧攻めにあってるんじゃないかってくらい食料もない。
じっさいの兵糧攻めにあったことはないけど、私たちも戦がすぎる。
せまいし、うるさいし、プライバシーもないし、順番なんて守らないし、ルールもたくさんあって息がつまる。
だから、さっさと出ていきたい。
でも、本当は……。
みんなのことは大好きだ。
だからこそ、自分のメシくらいは自分で稼いで、仕送りもできたら最高だと思ってた。
でもさ。
私、中卒だから。
中卒に世間は厳しい。
働ける仕事なんて、危ないやつか単純重労働か薄給のやつくらいだ。あと闇バイト。
せちがらい世の中だ……。
そんなこんなで、今日はいつも通り寝ることにした——
——あの広告を目にした日から、二ヶ月が経った。
いままさに、トワイライト家と思しき格調たかそおな屋敷の前で、そわそわしつつ職場の人を待っていた。
お母さんに「大丈夫なんじゃない? 面接くらい受けてみたら?」って言われなかったら、想像もできなかった。
それに、なんかカナが夢に出てきたし。
まあ、受けてやるかって。
そしたら、アリザさんは美人だし、感じがいいし、まあ大丈夫そうだなって。
そう思った。
でも。
かなり寒いよ、これほんと。
このままじゃこごえて死にそお助けてえとかふざけたことをまじめに考え始めたとき、遠くに車の影があることに気づいた。
もしや職場の人かな?! はやく屋敷に入れて!
とだいぶ期待を込めた眼差しを送っていると、それは少しずつ近づいてきた。
けっこう安全運転、というか遅い。
たしかにこの屋敷まではそれなりに距離がある。駅からもだし門を開けてもらってからもだ。
歩くのに苦労した。私を殺す気か。
そもそも格式高い家というのは聞いていたけど、ここまであからさまな感じだとは思っていなかった。
山奥にそびえる不気味な——清潔感あふれる——城ともいえるこの豪邸に、正直かなりびびっていた。
私が冷凍保存される前に到着した車から、運転手とアリザさんと、あれは……。
あれが、アリザさんから聞いてたサヤカさんか。
この屋敷のご主人様だ。
ただ、それよりも。
車が三台、セダン、セダン、ワゴンと並んでいることに目が奪われてしまった。
なにこれ。
リムジンじゃないんだ……。
と、アリザさんに話しかけられる。
「サイトウさん」
「は、はい!」
ん? なんか冷たい……。
「なぜこんなところで突っ立っているのですか?」
つっ、突っ立ってってきついな……。
「いえ、あの、今日が初出勤日と聞いて……」
アリザさんが眉をひそめる。こわい。
「まさかとは思いますが、使用人が正面玄関から入れるとは思っていませんよね?」
えっ。
あっ。
あっ……。
「ごっ、ごめんなさい! すぐに移動します!」
アリザさんがため息まじりに。
「頼みますよ、サイトウさん」
そこで、静かに見守っていたサヤカさんが。
「アリザ。今回のかたは面白そうですね」
そう言って、くすっと笑った。
アリザさんが額を押さえて。
「サヤカ様は笑っておられますが、まったく笑いごとではありませんよ……」
アリザさん、ごめんなさい。
不出来な私を許してください。
そう思いつつ、使用人出入口を探す。
見当たらない……。
まずい。まずいぞ私。
これ以上、醜態を晒すわけにはいかない。
初出勤でクビにはなりたくない。
お母さんに合わせる顔がない。
と。
「おい。何をしている新人」
助けの舟か!?
「はい!?」
私が変な声で返事をしてしまうと。
「お前さあ。早く来いよな」
笑いつつ、その人は私を見た。
「あの、あなたは……」
さっきのアリザさんにしろ、サヤカさんにしろ、綺麗な服、綺麗な身なりで立ち振る舞いも上品だった。
でも、この人はそれとはちょっと違った。
見た目はとても上品だ。
でも、そこに含まれた雰囲気が、あの二人とは違う。
きれいなメイド服だ。でも、どこかワイルドなのは、その所作のせいだろうか。
不思議だ。メイドってこう、おしとやかでしょうしゃなものじゃないのかな?
というか寒くないのかな?
「何を突っ立ってボーッとしてんだ?」
うっ。
本日二回目の、棒立ちのご指摘。
メンタルが削られていきます。
そもそも口調が荒い。
メイドさんは続ける。
「教育係っつーから、今度はどんな奴が来んのかと思ってたけど、なーんか頼りないな。大丈夫か?」
なんと、この人が私の?
「あの、本日からお世話になりますサイトウ・カレンです。よろしくお願いします」
メイドさんは頷いて。
「おう。私はレリだ。ショウジョウ・レリ。よろしくな……って、こんなところで挨拶してる場合じゃないんだよ。仕事するぞ仕事」
まじですか……。初日から仕事? 仕方ない。張り切っていきますぜ姉貴……。
「こい」
レリさんに案内されるがまま、使用人出入口へと向かう。
すんごい奥のほうにあった。
これじゃ分かんないですよお。
そう思いながら、レリさんが開けてくれた扉をくぐって中に入る。
うわ。
扉を見ても思ったけど、正面玄関とは打って変わって質素だ。
これが格差ってやつ?
「降りるぞ」
えっ、地下?
これまた質素な、というか普通の、何の変哲もない階段を降りる。
地下に着き、廊下を歩き始める。
なんか、病院みたいだ。
先導するレリさんが頷いてこっちを見る。
笑顔だ。
なにか言うのかと思ったけど、そのまま歩き続ける。
そして。
「ここが私たちの部屋です。どうぞお入りください」
敬語?
「あの、なんで——」
なんで敬語なのか、と聞こうとしたけど、目で促されて部屋に入る。
明らかに重そうな鉄扉をレリさんが閉めると、耳が変な感じを受ける。
「この部屋って、もしかして……防音ですか?」
「ああ、よく分かったな。防音になってる」
なぜ?
私の疑問を察知したのか、レリさんが続ける。
「みんなの部屋もそうだ。というか、使用人の関係施設はぜんぶ防音室だ」
な、なぜ?
そこまでする必要あるのかな?
レリさんが笑う。
「ま、またこんど教えてやるから。今はほら、さっさと着替えろ」
そういえば、さっきの敬語はなんだったのだろうと思いながら、支給されたメイド服に袖を通した。
レリさんがニコリとして。
「んじゃ、研修の始まりだ。三ヶ月間、よろしくな」
「はい!」
勢いよく返事した声が、反響……せずに壁に吸収された。
レリさんが苦笑いする。
「元気なのはいいんだが、部屋から出たら静かにしろよ? あと言葉遣いは丁寧にな。私みたいに」
レリさんが胸を張る。
「はは……は……」
冗談を無視するわけにもいかず、半笑いを浮かべる。本気だったらどうしよう。
「んじゃ、そういう方針で。まずはドアを開けてもらおうか。これも訓練だ」
もちろんもちろん。
私がドアを開けて待機すると。
「こっちを見るんじゃない。目は伏せろ。人が通るときは頭を下げろ」
そ、そういうもんですか。
「いいか、もういちどだ」
レリさんが出たり入ったりしてくれる。
こういう所からなんですね。
「姿勢が悪いな。目は伏せるが背筋は伸ばせ」
わ、わかりました……。
「音を立てるな。静かに閉めろ。やり直しだ」
申し訳ないです……。
何回も何回も繰り返して、ようやく許可が下りる。
「よし。このくらいでいいだろう」
うーん、なかなか大変だ。
「ありがとうございます……」
レリさんがそんな私を見て。
「ははは。まあ、ゆっくりやろう。それに、まだ入るも入らぬもお前の自由だ。ちゃんと考えろよ? ただし」
ただし?
「いちど入ったら責任は果たせ。周りの迷惑も考えないとな。私のメンツも立たない。だが……」
うん?
「はっきり言ってここはブラックだし、怪しい噂もある。安請け合いはするな」
まじですか。
「そうなんですか?! 怖いですね……」
レリさんがにこやかに。
「ああ。怖いぞ」
そんなはっきりと。
でも、そんなレリさんは、どうして。
「ブラックなら、なぜショウジョウさんは……」
「給料高いんだよ、ここは。びっくりするくらいな」
そう。たしかに異常に高い。
だから闇バイトだと思った。
レリさんが咳払いして。
「ほら、行くぞ。いつまでも部屋にこもっててもしょうがないだろ」
その通りです……。
「はい、お願いします!」
レリさんが屈託のない笑顔を見せる。
「私たちの班は基本、掃除担当だ」
掃除か。小学校とか中学校のと同じかな?
「掃除ですね」
その時、レリさんがニヤッと笑って。
「お前、いま『掃除なら簡単そう』とか思っただろ」
「え? それは……いえ」
思ってました。どうやら違うみたい。
「まあまあ、ちゃんと私が教えてやるから、待っててくれよ」
なんかやけに嬉しそうだ。
「よろしくお願いします、ショウジョウさん」
すると、レリさんが嫌そうな顔をして。
「ショウジョウは長い。レリにしろ」
なんだか、嬉しい気持ちになった。
「は、はい、レリさん」
変わった人だと、この時点で思ってしまった。
まあ、心の中ではすでにレリさんだったのだけれど。
「ついてこい」
言われるがまま、レリさんと共に外に出て、静かすぎる廊下を歩く。
レリさんも姿勢を正し、メイドらしく振る舞っている。そんなこと思ってると知られたら怒られそうだけど。
地下通路の突き当たりに、来たときとは別の階段があり、それを上り始める。
二階分ほど上がっただろうか。
廊下に出る。また殺風景だなあ。
扉をいくつか横目に通り過ぎて、また正面に扉が。
それをレリさんが開けると。
「うわっ」
「声を出すな」
色も香りも明かりも何もかも、別世界が姿を現した。
すごい。これはひどい。
何がひどいって、使用人の空間とあまりにも違う。
豪華絢爛。そのひと言に尽きる。
こんな装飾が施せるなら、使用人の部屋とか場所にもっとお金をつぎ込んでくれてもいいのに。
私が面食らっていると、レリさんに手で促される。
無言の圧力だ。何か言ってください。
あいかわらず静かにレリさんと歩いていくと、近くからなにかの音が聞こえてきた。
だんだんと大きくなる。
どこか聞きなれた音。
というか、いつも聞いてるじゃん。
掃除の音だ。
何人かが掃いたり、拭いたりしている音が、ある部屋から流れてくる。
プロの音だ。
規則正しく、丁寧な仕事なんだろうな、と思った。
それが分かる私もたいしたもんじゃない?
音のする部屋に入ると、五人ほどがいて、こちらをちらっと見やりながらも仕事を続けている。
と、レリさんが立ち止まり、呼びかけるように手を二回鳴らした。
なんだろう? 挨拶かな?
レリさんが声を出して紹介してくれる……かと思ったら、なにやら手で形を作っている。
手話だ。間違いない。
懐かしい。
トントン、押さえて、トントン、開く、右手だけでなにか表現したあと、手で示されて、鼻から手刀?
ぜんぜん分からなかった。
てか、レリさんすごいな。
とりあえずお辞儀すると、周りの人が手と表情と口元でいろいろな表現をしてくる。
待って待って。
分からないにも程がある。
私が目を白黒させていると、レリさんが耳打ちしてくれた。
「ここは仕事中の私語厳禁なんだ。だから手話を使うようにしている。あとで本貸してやるから」
すっごい厳格なルールだ。
わが家以上じゃん。
そんな余裕のある考えを巡らせていると、レリさんがどこからか折り畳んだ紙を取り出して渡してくれた。
なになに。
『今日一日の流れ……午前九時から午後十三時まで掃除と補充。十三時から十四時まで昼食。十四時から十六時まで磨き作業。十六時から十七時まで休憩。十七時から二十時まで館全体の就寝準備』
うそ……でしょ。
こんなスケジュールを初日から組むんですか!?
レリさんの字の汚さ——私も人のことは言えない——にも驚いたけど、これをさせられる私の身も持たなそうだった。
最後に、「すまん! 初日から実務だが、人手が足りないんだ! ゆっくり教えるから、逃げないでくれ!」と書いてあった。
たしかにブラックだ。
ブラックで間違いない。
私がレリさんを見ると、レリさんはニコッと嫌味のない笑顔で私に謝る素振りを見せた。
はあ。
でも。
なんか憎めないんだよなあ。
レリさんのためにも、ひとつ、頑張ってみようかな。
そんな気にさせられた。
社畜、まっしぐらかも。
そして、その日の二十時すぎ。私たちにも就寝の時間が訪れた。
分かったことがある。
めちゃくちゃ単純重労働だ……。
いや、分かってたよ?
分かってたけどさ。
でもまさかここまで、極端な感じだとは思わなかった。
同じ作業を何時間も何時間も。
指は痛いし重いし、難しいし遠いしで、初日からすごく悩まされた。
このまま続けられるか悩む。
でも、一日中、会話ができないのかと思ってたけど、休憩部屋では普通に会話できたのは嬉しかったかな。
アイさん、ナギさん、レリさん。
みんなプロだし、すごい。
それに、みんな明るい。
こんな気が狂いそうな作業してるのに、楽しそうに話してるのを見て、私は。
やっぱり仕事っていいなあ。
そう思ってしまった。
レリさんにはものすごく気を遣われた。
新人担当だから、というのがあるにしても、とても嬉しかった。
そして今、私はレリさん達と同じ部屋で、これからの生活の説明を受けていた。
レリさんが胸を張って。
「この部屋が防音なのは知ってると思うが、他にも冷蔵庫はあるし、エアコンはあるし、トイレはあるし、風呂はあるし、洗面所はあるし、めちゃくちゃ便利だろ?」
たしかに、質素な割にはすごい設備だし、広い。
アイさんが悲しそうに。
「でも、ベッドはなぜか二段っす。つらいっす……」
そこは疑問を感じてた。
スペースの節約なのかな?
ナギさんが怖い顔で。
「でも、使用人の部屋には怖い噂があって……」
ええっ、嫌だなあ。
ナギさんが続ける。
「どうも、常にどこかで監視されてるって話です。悪いことをした人がすぐに呼び出されるってことがあったらしいです」
「嘘でしょ!?」
つい大声を出してしまった私を見たあと、レリさんがナギさんを咎めるような目をして。
「大丈夫だ。噂にすぎないからな。ナギも怖がらせるようなことを言うな」
アイさんがコロコロと笑って。
「ふふっ、私らもそんな環境で何年もやってるんすから、きっと問題ないっすよ」
そんなもんなのかな……。
ナギさんがクスッと可愛らしく笑って。
「カレンさんごめんなさい! 悪気はないんですよ? ただ、これから入る人に嘘はつけないなって」
正直すぎますってナギさん。
レリさんが首を横に振って。
「あのな、カレンはまだ入ると決まったわけじゃないんだ。なあカレン?」
まあそうなんですけど、レリさんがいちばん慣れるの早くない? 呼び捨てだし……。
「そうですねえ。まだまだ初日ですし、時間はありますからゆっくり考えますよ。ただ……」
レリさんが首をかしげる。
「ただ?」
「仕事は一生懸命させてもらいますし、なんとなくみなさんとはうまくやれる気がします」
私がそう言うと、レリさんが手をひらひらさせて。
「その意気だ! うれしいぞカレン!」
続けてアイさん、ナギさんも手をひらひらさせている。
なんだろう……?
「あの、それって……」
私の不思議そうな声に、アイさんが反応する。
「ああ、これは『拍手』っすよ。手話っすね」
ナギさんがフフッと笑って。
「いやですよねえ、もう手話が癖になっちゃって。つい『静かにしなきゃ』って思っちゃうんですよね」
アイさんが頷いて。
「そうそう。でも、そのおかげで勉強にはなるっすね。私の周りには耳が聴こえない人はいないんすけど、いつか使えるかなとか思ったりするっす」
なるほど。いいなあ。
私もできるようになるだろうか。
レリさんが不安そうな私を見て。
「あっ、そうそう! お前に手話の本を貸すって話だったよな。ほら、これ」
レリさんが自分の棚から本を取り出して、渡してくれる。
すごい。分厚い。
これ読み切れるかなあ……。
するとナギさんが不思議そうに。
「レリさんの本を貸すんですか? 支給品じゃなくてです?」
ん? どういうことだろう。
支給品にあるってこと?
レリさんがそんなもの、というような表情をして。
「新品は私がもらう。なぜなら、それのほうが私の注釈つきだし、読みやすいだろ」
なんと。
本をパラパラめくる。確かにたくさんの書き込みがされていて、よく勉強しているのが分かる。
でも、逆にいいのかな?
私としてはそのほうが嬉しいけれど。
なんかこういうのって、家族って感じがして好きだ。
「ありがとうございます! 助かります!」
そう私が言うと、アイさんがポカーンとして。
「……ほんとにいいんすか? ただのお下がりっすよ?」
「いえいえ。私、家族が多いので、こういうの好きなんです」
アイさんが物珍しそうに。
「へぇ……変わってるんすねえカレンさん……」
「そうですか?」
アイさんの目はまんまるだ。
そこでナギさんが嬉しそうに。
「でも、レリさんの本なら、きっとカレンさんのお役に立てると思いますよ! いいな、私も欲しいな」
ナギさんの視線に、レリさんが反応する。
「本はひとつしかないぞ。欲しけりゃ自分で取りに行け」
うっ。ナギさんの視線がこちらに。
「あの、よければお貸ししますが……」
と、レリさんナギさんにやおら笑われて。
「そういう意味じゃないだろ」
「冗談ですってばあ」
そしてアイさんが。
「面白い人っすねえカレンさん……」
私も、とりあえず笑うことにしたのだった。
初日からよく話して、よく働いた私だったけど、それからも三人とは仲良くさせてもらっていた。
この館には私たち四人の他にも、同じ班に三人、料理班四人とコックさん、運転手と身じたく班三人、そしてたくさんの仕事を兼ねてるアリザさんがいる。
コックのメイコさん、キッチンのララ、ロイナ、コトエ、サキさん。
同じ班のキーナ、ハルサ、アヤナさん。
身じたく班のセイナ、カイ、ケンラさん。
みんな女性で、どうやらこの屋敷には女性しかいないことが分かった。
もちろん、主人のサヤカさんも女性だ。
レリさんに聞いてみたけど、なんで女性しかいないのかは分からなかった。
けっこう多いようにも感じるけど、前はもっともっと人がいたことをレリさんが教えてくれた。
アリザさんやレリさんも含め、みんな若い。
最高でも二十代後半、アヤナさんなんて十六歳だ。
ぜったい十六歳にさせていい仕事じゃない。
そういう意味でもブラックだった。
それでも、同じ部屋の三人のおかげなのか、それとも周りのみんなが本当に明るいせいなのか、なんだかんだ二ヶ月が経とうとしていた。
ここの研修期間が長いのは、たぶん仕事が難しいからじゃない。
耐えられるかどうかなんだと思う。
ほんっとに毎日毎日、同じ作業の繰り返しだし、大変すぎる。
みんなが明るいのは、そうでもしないとやってられないからなのかなって。
だけどさいきん、レリさんに「カレンがいると助かるよ」とか、アイさんに「働きものっすねえ」とか、ナギさんに「カレンさんのおかげで、仕事がはかどります!」とか言われて、まんざらでもない私だった。
というか超うれしい!
仕事でこんなに褒められて、認められて、仲良くさせてもらって、なんていい職場なんだろう! と思い始めていた。
もしかして、騙されてる?
でも、なんかそんなのどうでもよかった。
今日も、みんなに手話を教えてもらっていた。
『ワタシハサイトウカレンデス』
いつまで経っても指文字が覚えられない。
レリさんがちょっと笑って。
「おいおい。また『ユ』と『ワ』が逆になってるぞ。『ト』と『ウ』も逆だし」
アイさんがクスクス笑って。
「仕事はできるのに、手話の覚えが悪いっすねえカレンさんは」
「うう、ごめんなさい……」
恥ずかしいことです……。
ナギさんが頷いて。
「そんなところもお茶目で好きですよ、カレンさん!」
そんなこと言われたら喜んじゃいますよ私。
レリさんがニッコリとして。
「んじゃ、次はあいさつ三つと『おつかれさま』、『ありがとう』、『構わない』いくぞ」
えっと、えっと……。
私がもたついているとレリさんが。
「お前なあ。基本動作だぞ。手話なんて覚えりゃいいんだ覚えりゃ」
それが難しいんですよお。
アイさんが苦笑いして。
「レリさんもめちゃくちゃ苦労してたじゃないっすか」
レリさんが眉間にしわを寄せて。
「うるさい」
え、そうなの?
ナギさんが笑顔で。
「私たちも同じですよ。持ちつ持たれつです。ゆっくり一緒に覚えていけばいいんです」
ナギさん……。
やっぱりみんな、優しいなあ。
そして研修の三ヶ月が過ぎ。
本採用の契約をしないといけない。
けっきょく、みんなと仕事がしたくなってしまった。
大丈夫なのかな?
後悔しないかな?
ワーカホリックとか?
あの噂とか?
そんなことがぐるぐる回りつつも、私はアリザさんが待つ執務室へと向かっていた。
そう。
ここは研修後に特別な手続きがあるのだ。
そんな話は、あまり聞いたことがなかった。
やっぱり、なにか隠し事があるんじゃないかと疑ってしまう。
もう執務室は目の前だ。
えっと。
「アリザさん。サイトウです。手続きに参りました」
姿を見せずに呼びかける。
いきなり現れるのも、目を合わせるのも失礼だと教わっているからだ。
夜は閉まっている扉だけど、いまは開いている。
私のためというより、そうしないと移動しづらいからだ。
とにかく重いんだよね、この扉。
「どうぞ、お入りください」
アリザさんの声が聞こえたあと、すぐに返事をして顔と目を下に向けつつ部屋にはいる。
ここは同じ班のひとでもそうするし、上下関係なくそうする。
ある意味、平等だ。
手は前で揃えたまま。
「すみません、サイトウさん。扉、閉めていただけますか」
扉のそばでそう言われ、ゆっくりと扉を閉める。
ああ。緊張する。
「座っていいですよ。目も上げましょう」
目を上げて、アリザさんを見る。
やっぱり綺麗な人だ。
「さて、扉も閉めたことですし、少し楽にしましょう。正直、私もここのルールはよく分からないところがありますし、この本採用前の手順も必要なのか? と思っています」
そ、そうなんですね……。
でも、私にそれを話しても大丈夫なのかな?
情報漏えいしちゃいますよお。
サヤカさんにチクっちゃいますよお。
……しないけど。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、アリザさん。必要なことはやりますので」
私がそう言うと、アリザさんは綺麗な笑顔で。
「そう言ってもらえると助かります。カレンさんは優しいですね」
うう。
アリザさんも優しすぎっす。
「いえいえ、ありがとうございます……」
アリザさんが少し間を置いて。
「それでは、面談と、契約の再確認、いたしましょうか。追加の項目もありますので、よろしくお願いしますね」
「はい!」
契約の手続きが終わって、私は思った。
やっぱり、ここの秘密主義は普通じゃないって。
とにかく情報漏えいに関する項目が多すぎる。
広い、長い、重いの三拍子で、怖いのひと言に尽きる。
どうなってんのこれ。
もう取り返しつきません。
仕方ない、頑張るか……と思いつつ、いつもの部屋に戻る。
みんながいることを確認して、扉をゆっくり閉める。
すると。
「これからもよろしくお願いします、カレンさん!」
「よう、カレン。契約は終わったみたいだな」
「一緒に頑張るっすよ! カレンさん!」
拍手の手話をしながら、三人が出迎えてくれた。
うん。
いい。
これが味わいたくて、契約したんだよ?
みんなと一緒に、仕事がしたくてさ。
「みんな、ありがとうございます! これからも頑張ります! よろしくお願いします!」
私が涙ぐみながら喜ぶと、レリさんが。
「ほら、お前も拍手しろ」
え、私も?
でも、嬉しかった。
四人で拍手して、祝い合う。
そんな時間が、愛おしい。
だけどレリさんが。
「んじゃ、いまの喜びを手話で表現してみろ」
はあっ!?
まだ早い早い早いですって!
「あの、その……まだちょっと早いかなって……」
レリさんが呆れた顔をして。
「……もう三ヶ月だぞ? お前は何を見てきたんだよ……」
ナギさんがクスクス笑って。
「ほんとに、カレンさんは手話が苦手ですよねえ。応援したくなりますよっ!」
アイさんが驚いた顔で。
「やっぱり、面白い人っすねえカレンさん……」
ああ。
なんで私はこんなに不出来なんだ……。
恥ずかしいです。
恥ずかしいよお母さん!
カナなら、余裕なんだろうな……。
そんなこんなで、私の正式な仕事は始まった。
でも、そこから数ヶ月して事件は起こった。
同じ班のアヤナさんが、アリザさんに呼び出されたのだ。
みんなの話を聞くと、どうやらアヤナさんは来客用のお菓子に手を出してしまったらしくて、今回は厳重注意で済んだらしい。
ただ、問題はそこじゃなかった。
時系列の話だ。
アヤナさんがお菓子に手を出したのが前日の十九時半ごろ。
呼び出されたのが今日の朝いちばん。
あまりにも早すぎる。
もちろん誰かが報告したという可能性もあったけど、気づいたとして、いつ、誰が報告したのか、というのがまったく分からなかった。
ナギさんの言う噂が、にわかに現実味を帯びる。
しかもそれを隠そうともしていない。
その日の夜。
ナギさんがおそるおそる口を開く。
「やっぱり、監視されてるって噂、ホントなんでしょうか……?」
アイさんも信じたくないという顔で。
「ちょっと怖いっすね……」
レリさんが、落ち着いた様子で。
「まあ、そうだとしても問題ないだろう」
そんな。
「私はいやですよ! 毎日、監視されてるなんて」
レリさんが姿勢を崩さずに。
「ここの給料、いやに高いだろ」
「え、ええ」
「そういうことだ」
「それで割り切れませんよ……」
アイさんが目を光らせて。
「でも、問題は『誰が』『どこで』監視してるかなんすよ」
そうだ。
アイさんの言うとおりだ。
だって、サヤカさんやアリザさんが監視する時間なんて、どこにもない。
就業時間後に確認する余裕すらない。
サヤカさんは社交場にいつも出かけてるし、アリザさんは業務に追われてそれどころじゃない。
じゃあ、誰が……?
もちろん、メイドの誰かがチェックしてるなんて、もってのほかだ。
お互いのことはみんなよく分かってる。
そんなこと物理的に不可能だ。
じゃあ。
そこでナギさんが、さらに怖そうに。
「じゃあ、あの噂ですか……?」
アイさんが嫌そうな顔をする。
「あれっすか……」
えっ。
「まだあるんですか、噂……」
レリさんが鼻を鳴らして。
「あるわけないだろ、そんなこと」
どんな噂なんだろう。
ナギさんが続ける。
「あのですね、カレンさん。じつはこの階の下にはもっと施設があって、そこでなにかの研究がされてるって噂があります。もちろんサヤカ様はそれを知っていて、しかも……」
レリさんがそっぽを向く。
「私らは監視されながら実験対象だって話だろ。バカバカしい」
実験……対象?
「そんな恐ろしい話があるんですか!?」
アイさんがつけ足す。
「でも、いろいろ納得はいくんすよ。その施設で監視をしていて、サヤカ様に報告している。そして、私らの階や部屋が防音なのは、下の音を消すため。屋敷の無駄なスペースとか」
無駄なスペース。
その言葉を聞いて、私はさらに怖くなった。
いったいなにがあるって?
ナギさんがため息をついて。
「いまの話、なにかおかしいと感じませんでしたか、カレンさん」
おかしいところなんて山ほどあるけど……。
「えっと、サヤカ様はなんでそれを隠してるのかってことですかね?」
ナギさんが目を閉じて、開く。
「いえ。それは理由があるのでしょう。そうではなくて、私たちの下に階層があるのなら」
そこで沈黙していたレリさんが口を開く。
「どこに下につながる通路があるんだよ。私らは屋敷を知り尽くしてるんだぞ。そんなものはどこにもない」
そうか。
だからなんだ。
「つまり、屋敷の隠しスペースに、階段かなにかがあると……」
ナギさんが泣きそうな顔をして。
「ご明察です」
アイさんがかぶりを振って。
「私も、身の振り方を考えなくちゃいけないかもっすね……」
レリさんが大声になる。
「馬鹿か。そんなんで仕事をやめる馬鹿がどこにいるんだ。『怪しい』その一点だけで判断したらキリがない。私は辞めないからな」
そんなにバカって言わなくても……。
「ま、まあ、落ち着いてください。私も入ったばかりですし、まだまだ続けますので」
ナギさんがちょっと安心した顔つきになる。
「……そう、ですよね。入ったばかりのカレンさんを怖がらせるようなことを言ってしまって、申し訳ありません」
アイさんが自嘲ぎみに。
「ま、こんなんでも、働かないと生きていけんすからね」
レリさんが。
「とにかく、様子を見よう。私らは下っ端だ。余計なことを考えても仕方ないだろ」
たしかに、そうだった。
私の顔も引きつっているに違いなかった。
でも、ほんとうに残念なことに、事件はそれだけで終わらなかった。
アリザさんが、サヤカさんに疑われている。
そんな話を聞いたのは、アヤナさんの事件から三ヶ月後のことだった。
悲しいことに、アヤナさんはそのあと、自ら退職してしまった。
やっぱり、アヤナさんも怖かったんだろう。
そう思った。
アヤナさんの後任には、タキさんという人が入った。
あの人も、働き者だ。
私も、先輩になった。
そして、こんな時に、こんなことが起こるなんて。
どうやら、アリザさんが管理している高級なお酒の数が合わないらしい。
コックのメイコさんに聞かれて、もちろんアリザさんは否定したけど、サヤカさんはアリザさんを疑っていて、そうとうご立腹とのこと。
これは身じたく班のセイナさんに聞いた。
私たちは、またもや話し合っていた。
「アリザさんのはなし、聞きましたか……?」
私の問いかけに、アイさんが応える。
「ええ、聞いてるっすよ。とんでもないっすね」
とんでもない。
その言葉には、少しとがったものを感じた。
「アイさんは、アリザさんを疑っているんですか?」
アイさんが少し不機嫌そうに。
「そうっすね。怪しいとは思ってたんすけど」
それに対して、ナギさんが語気を強めて。
「アイさん。それはひどくないですか」
アイさんが肩をすくめて。
「私はアリザさん、あんまり好きじゃなかったっすよ?」
そんなはっきり。
「私は好きでしたけど……」
アイさんが私を見る。
「カレンさんやナギさんの気持ちを否定するわけじゃないっすよ。私の気持ちっす」
そこでレリさんが。
「好きとか嫌いとかの問題じゃない。これは信用の問題だ」
信用、か。
レリさんがそのまま話す。
「私たちのトップであるアリザさんがそんなことをしていたら、規律が乱れる。最悪、アリザさんは解雇されて、新しいトップが据えられる」
そっか……。
そこでアイさんが疑問を伝える。
「それのなにが問題なんすか? 新しいトップの下で働けばいいんじゃないんすか?」
ナギさんが咎めるように。
「アイさん。あなたはひどい人ですね」
レリさんが応える。
「私はアリザさんの下で働きたいんだよ。アリザさんがいなくなるなら、私も辞める」
アイさんが目を見開いて。
「それは……初耳っす」
私もだった。
「レリさんは、アリザさんと仲がいいんですか?」
レリさんが首を横に振る。
「仲がいいとかじゃない。アリザさんには恩があるんだ。いろいろとな」
どんな恩があるのか聞きたかったけど、それは答えてくれなさそうだった。
レリさんがため息をついて。
「とにかく、私はアリザさんと直接、話がしたい。近いうちに時間を見つけて話してみるよ」
ナギさんが頷いて。
「そうですね……話せるなら、そうしたいですね……」
アイさんは、複雑な表情をしていた。
だけど、私たちには、もっと大変なことが降りかかった。
レリさんがアリザさんと話をする前に。
なんと、サヤカさんから呼び出されたのだ。
しかも四人全員が。
レリさん以外の私たちは、恐れおののいた。
でも、呼び出された理由なんてまったく分からなかった。
ただ、ひとつ想像できたのは。
アリザさんの関係なんじゃないか、ということだった。
なぜなら、アリザさんを介さずに、直接わたしたちに話しかけてきたからだ。
通常そんなことはあり得ない。
そもそもメイドに主人が話しかけることはない。
すべてはアリザさん経由なのだ。
だから、今回の容疑となにかしら関係があることは、察しがついた。
そして、サヤカさんの居室にて。
すでに楽にしてくれと言われていた。
「みなさま、よくぞいらしてくださいました」
レリさんは堂々としているけれど、もうガクブルだった。
みんなで返事をする。
サヤカさんが続ける。
「手短にいきましょう。今日みなさまをお呼び立てしたのは、アリザのことについてお話したいことがあったからです」
やっぱり。
さらにサヤカさんが続ける。
「もう屋敷には伝わっていると思いますが、アリザが盗みを働いているのではないか、と私は疑っています」
そうですよね……。
レリさんの後ろ姿からは、なにも読み取れない。
サヤカさんが悲しそうに。
「私も信じたくはありません。ですが、本当にそうなのであれば、私はアリザを咎めなければなりません」
そうはなってほしくない。
やっぱり、私はアリザさんを信じたい。
サヤカさんが、間を置いて。
「というわけで、あなたがたに、アリザを調査して頂きたいのです」
へっ?
ど、どゆこと?
ちょ、調査って?
なんでしょうか……?
サヤカさんが不敵な笑顔で。
「これが、屋敷のマスターキーと四人分のインカムです。あとは、あなたがたにお任せします」
ええ……。
そんな適当なことってあります?
レリさんがなにか言いたそうにすると、サヤカさんが遮るように。
「特に、レリさん。あなたにとってこれは重要な話のはずです。アリザの疑いを晴らすも晴らさぬも、あなた次第です」
レリさんの呼び方とアリザさんの呼び方が違うことに驚いたけれど、関係性なのかな? と思った。
サヤカさんが続ける。
「期限はインカムの充電が切れるまで、もしくは一ヶ月後までです。よろしくお願いいたします」
レリさんは何かを考えるようにしたあと、「分かりました」とだけ言って引き返し始める。
私たちは、驚きつつもサヤカさんにうやうやしく礼をして、その場をあとにしたのだった。
またもや、その日の夜。
「あのう、レリさん?」
私が呼びかけるが、レリさんは無反応だ。
なにか、考えている。
その「なにか」は、もちろん「あれ」のことなんだろうけれど。
やるなら、今日からだ。
いままさに、アリザさんを調べるタイミングなのだ。
アイさんが渋い顔で。
「やるんすか? やらないんすか?」
ナギさんがアイさんをなだめる。
「待ってくださいよ、アイさん。レリさんが動かないなら、私たちも動きません」
そう。
今回は、レリさんに頼りっきりだ。
サヤカさんがああ言った以上、レリさん抜きにして調査は進められない。
そして、レリさんが考え込んでいるいま、私もなにか考えないといけないと思っていた。
具体的に、何をすればいいんだろう?
うーんと……。
「まずですね、アリザさんの行動パターンっていったら、私たちの就寝を確認したあと、サヤカさまのお酒を用意して、屋敷全体の戸締まりを確認して、部屋に戻って事務作業をして、食事をとって、最後にもういちど私たちの就寝確認をして寝る、ですよね?」
ナギさんが頷く。
「ですね……。ほんと、アリザさんはよく働かれてますよ。そのうえ容疑までかけられたら、嫌になるのもわかります」
アイさんが顔をそむけて。
「だから嫌になって酒を盗んだんすよ……」
アイさんはとことん反アリザ派だ。
私はなんともいえない気持ちになる。
「そうと決まってないから、サヤカさまも調査してくれと私たちに頼まれたんでしょう?」
アイさんは何も反応しない。
ナギさんが、不思議そうに。
「でも、お酒なんて盗んでどうするんでしょう? やけ酒ですか? お金に換える? でも数十万じゃ何の足しにも……」
「数千万だ」
それまで口を閉ざしていたレリさんが声を出す。
それ自体にも、その内容にも驚きまくった。
特に値段のところ。
「すっ、数千万?!」
レリさんが頷く。
「ああ」
アイさんが驚きを隠せない様子で。
「はあっ!? しかもなんでレリさんが知ってるんすか!?」
ナギさんがなぜか納得した様子で。
「だからサヤカさまも、怒ってらっしゃるんですね……」
いやいや。
数千万のお酒なんてあるんかい。
「それって大事件なのでは……?」
レリさんが肩をすくめる。
「ああ。ニュースになるな。それも大々的に」
ほんとですか?
まあニュースになるかどうかはテレビ側が決めることなんで……。
そんなことはどうでもいいか。
レリさんが、なにか遠くを見つめるように。
「ほんとうに盗まれたのなら、な」
どうゆーこと?
「なにか心当たりがあるんですか?」
落ち着いた様子でレリさんが。
「アイがどう思うかは分からんが、アリザさんとサヤカさまは並大抵の絆じゃないからな」
案の定、アイさんが。
「人間の絆なんて、当てにならないっすよ」
するとレリさんが。
「本当にそう思うか?」
そう返して、アイさんを見つめる。
「い、いや、分かんないっすけど……」
そこで、レリさんが笑う。
私たちが顔を見合わせていると。
「そんなもの、私にも分からんさ。ただ私がそう思う、というレベルにしか過ぎん」
だがな、と付け加える。
「私の見た中で、あの二人はトップクラスだ。たかだか二十六年の若輩者だが、ある程度は人間を見てきたからな」
なるほど……。
「つまり、レリさんはアリザさんを信じると?」
レリさんが、ふっと笑って。
「いや、面白いことになった、と思ってな」
えっと……面白い?
レリさんが続けて。
「案外、試されてるのは私たちのほうかもな」
そう、言った。
あれから数日が経ち。
私たちはインカムをつけて通信しながら、いままさにアリザさんを見張っている。
レリさんの作戦で、ナギさんは部屋に残り、アイさんは先回り、後をつけるのはレリさん、私はアリザさんの執務室を探るという割り振りになった。
ナギさんも大事な役目だ。
逃げ込むタイミングが遅れたらバレてしまう。
そして、他の部屋を見張るという役割もナギさんにはある。
念には念を、ということみたいだ。
マスターキーはレリさんが持っている。
アリザさんがどこかの部屋に隠す素振りを見せたら、その部屋の鍵を空けて確認する。
また、アリザさんが部屋の最終確認をする前に、全員で部屋に戻っておきたい。
そうするためには、後ろからつけているレリさんは、帰るときに忍び足かつアリザさんよりも速く別ルートで追い越さないといけない。
もしくは、早めに見切りをつけて逆ルートで戻るか。
どちらにせよ、今回の作戦はレリさんにかかっていた。
というか、こんな作戦、何日も続けられない。
最初から当たりをつけて、最大で三日まで、という制約のなかで作戦を遂行する、とみんなで決めた。
アイさんが『神経使うのはレリさんっすけど、カレンさんはいちばん頭使うんすからね』って言ってた。
ナギさんも『帳簿、金庫、隠し場所、それをぜんぶ調べるのは、大変ですよ!』と言っていた。
帳簿の見かたなんて分かんないよお。
誰か助けてよお。
でも、時間は仕事と一緒に無慈悲にも過ぎていって。
作戦遂行の時間!
どどん!
「本当にやるんですね……」
どこからかの反応が返ってくる。
『シズカニシロ』
話せないときは、インカムのボタンで三通りまで録音した音声が設定できる。
誰の録音か分かるように、それぞれの声で録音した音声をそれぞれのインカムに設定している。
レリさんの録音だ。
無駄に喋ってしまってすみません……。
私はといえば、すでに執務室に入り込んで物色している。
これじゃ私が盗っ人みたいだ。
帳簿の位置すら分からないなかで、なんとか探し出したそれを机の上で広げて確認する。
ええと。
ええと……?
なにこれ。
ぜんぜん分かんない。
『ごめんなさい、なにも分かりません』
すると、ナギさんからの通信が。
『やっぱり、分からないですよね……。私も分かりませんし、そもそも帳簿なんて適当に書けますしね』
なにそれ。
私がここにいる意味って……。
続けてナギさんが。
『次、いきましょう。金庫とかありますか?』
ある。
すごく目の前にある。
『あります!』
でも、どうやって開けんの?
ナギさんの声が。
『鍵とかなにかありませんか?』
うーん。
鍵穴は……ない。
いろいろ触っていると。
『もういちど、ゆっくりとセンサーに触れてください』と、ディスプレイに文字が表示された。
なにこれ!?
最新式ですか!?
指紋認証ですか!?
その時、アイさんの通信が入った。
『まずいっすよ! アリザさんが引き返してるっす!』
レリさんからも。
『おい! どうなってる!』
ええっ!
もしかして私!?
『私が金庫に触りました!』
ナギさんから。
『たぶんアリザさんのスマホに通知がいってます! はやく引き返しましょう! カレンさん逃げて!』
やばい。
やばいやばいやばい。
急いで帳簿をしまって、アリザさんが来ると思われる方向と反対に逃げる。
えっと、えっと、こっちからだと、どうやって帰ればいいんだっけ?!
私はとにかく早足で、なるべく音を立てないように進む。
レリさんの声がする。
『執務室からキッチンへ、中を通って階段で一階に行け。一階を私たちの部屋の方向へ突っ切って歩け。音を立てるな。クソ。こっちも危ない』
なんでこんなことに。
サヤカさんを恨みます。
とにかく逃げなきゃ……。
レリさんが見つからないことを祈りながら、私も一階を横切る。
アイさんだ。
『アリザさん、執務室に入ったっす。私はこのまま見張っとくっすから、二人は早く戻るっす』
申し訳ないです、アイさん。
やっと階段が見えてきた。
もう死ぬ。
いますぐ死ぬ。
『階段降りてます。そちらは大丈夫ですか?』
レリさんの声がする。
『ああ。なんとかな。アイは大丈夫か?』
アイさんがため息まじりに。
『なんとかなってるっす』
レリさんの声が、優しくなる。
『……みんな、戻るぞ。今日はこれで終わりだ』
けっきょく、今日は調べる以前の状態で、調査は終了となってしまった。
私が悪い。
いや、仕方ない。
そう言い聞かせるしかなかった。
もう二度とやりたくなかった。
それは、みんなも同じようだった。
レリさんを除いては。
「すまん、あともういちど、調査させてくれ」
レリさんがそう言い出したとき、私は泣きたくなった。
アイさんが泣き言をいう。
「無理っすよ。前だって無茶苦茶あぶなかったじゃないっすか」
ナギさんもだ。
「証拠をつかむ前に、私たちが見つかってクビになりますよ……」
サヤカさんは、助けてくれないのかな。
「クビだけはサヤカさまが回避させてくれたり……」
レリさんがきっぱりと。
「しないな」
なぜ!
「だって、こんなことさせられてるのに……」
レリさんが私を見る。
「考えてみろ。そんなことをしたら、『私が派遣しました』と言ってるようなものだぞ」
た、たしかに……。
「だったら、もうやめましょうって……」
レリさんがため息をついて。
「そういうわけにはいかない」
だから、なぜ!
レリさんは続ける。
「調査しないといけないんだよ。それがみんなのためだ」
レリさんの気持ちは分かる。
でも……。
アイさんが、不満を口にする。
「そもそも、なんで私らがこんなことしなくちゃならないんすか!? プロでもあるまいし!」
ナギさんが悲しそうに。
「板ばさみですよ……サヤカさまに刃向かうわけにもいかず、アリザさんに見つかるわけにもいかず……」
ほんとうに、その通りだった。
こんな話、受けるんじゃなかった。
私たちを辞めさせるための口実にすら思えてくる。
それでも、レリさんは。
「すまなかった。次は、私一人でやる。許してくれ」
そんなこと。
ずるいですよ……。
「レリさんひとりで行かせられるわけないじゃないですか」
ナギさんが、深呼吸して。
「カレンさんが行くなら、私も行きます」
アイさんは。
「……はあ。バカっすね、私たち」
そっか。
そうだよね。
なんか、ほんとに……。
すごいや。
レリさんが、それを聞いて。
「ほんとうに、ついてきてくれるなら」
それなら、と。
「アリザさんよりも、調べたいことがある」
え……?
なんでそうなるの?
アリザさんが大事ってことじゃなかったの?
みんなの疑問を感じたのか、レリさんが応える。
「お前らの噂だよ。あれを検証するぞ」
えっ?
どの噂のはなし?
なんか、思考が停止してきた。
レリさんが続ける。
「だから。監視されてるとか、地下になんかあるとか、不要な空間があるとか、あれだよ、あれ」
アイさんがボーッとしながら。
「ああ……あれっすか……」
ナギさんも思考が追いついていないみたいだ。
「あの……それがなんでいま……?」
レリさんが腕を組んで。
「あれが調べられなかった一番の理由、ナギ、お前なら分かるだろ?」
ナギさんが頭を働かせて答える。
「ええっと……私たちだと入れない場所だから、ですかね」
レリさんが手をひらひらさせて。
「正解だ」
アイさんの顔に、少しずつ生気が戻る。
「そうか……そういうことっすね……!」
なになに、仲間に入れてよお。
レリさんがこちらを向く。
「私たちの手には、なにがある?」
んっと……。
「インカムと……」
あ……。
あ……?
「マスターキーですか!」
レリさんがまたもや手をひらひらさせる。
「ここのセキュリティは異常に高い。ついでに給料も高い。秘密主義もだ。前回の金庫の件を見ても分かるだろ」
たしかに。
いまなら、どこでも調べられるのか!
でも、どこを……?
アイさんが口を開く。
「でも、どこを調べるんすか?」
アイさんも同じことを考えてた。
ナギさんが、何か思いついたように。
「ワインセラー」
え?
ワインセラーって、あそこ?
そうか。
そうだ!
レリさんが自慢げに。
「みんな分かってきたようだな。ワインセラーはここでいちばんセキュリティが高い。そりゃそうだよな。何千万もするワインがあるんだからな」
じゃあ、あそこを調べれば!
「何かわかりますかね!?」
と、そこでアイさんが少し冷静に。
「……そんな遊んでる暇あるんすかね? サヤカさまに怒られるっすよ」
それもそうか……。
ちょっと盛り上がったけど、冷静に考えるとやばい気がする。
知的好奇心がマックスすぎる。
罪悪感マックスだ。
レリさんがちょっと笑って。
「サヤカさまにしろ、アリザさんにしろ、大丈夫だと思うぞ。むしろどうにでもなるだろ」
は!?
なんてことを言うんでしょう!
ひどい人です!
ここにひどい人がいます!
ナギさんが驚いて。
「大丈夫って、このままじゃアリザさん、クビになりますよ!?」
レリさんがまた笑って。
「共謀だろあんなの」
キョウボウ?
暴れてるのかな?
アイさんが前のめりに。
「共謀!? どういうことっすか?!」
レリさんが笑いを堪えられないというように。
「騙されてるんだよ、みんな。というか、これは私たちに対する挑戦だろ」
ナギさんが理解できないというように。
「あの……それってどういう……」
レリさんが、決意するように首を縦に振って。
「よし、お前ら。明日の深夜、ワインセラーに行くぞ。ただし」
ただし……。
「あそこに本当に秘密があって、私たちがそれを見つけたら。生きては帰れないかもしれないがな」
その言葉が、空気と、私たちに、重く重く、のしかかった。
とにかく怖かった。
レリさんが怖かった。
もうついていくしかない、そう思った。
ここで死ぬのなんて嫌だよお。
でも、乗りかかった船だったし、レリさんは怖いし、みんなのことも大事だったから、一人だけ抜け出せなかった。
で、いまはワインセラーの目の前。
深夜も深夜。
アリザさんに通知が行ったとて、寝ている可能性が高い時間帯だ。
そこを意識的に狙った。
レリさんがおそるおそる、重厚な銀色の扉の前、センサー部分にマスターキーをかざしてみる。
ピピーッと音がして、重い扉が開き始める。
レリさんが胸をなでおろす。
「ふーっ、とりあえずなんとかなったな」
でも。
「アリザさんがこっちに来る可能性もありますし、早く調べちゃいましょう」
レリさんが頷く。
「ああ、そうだな」
とにかく、みんなで怪しいところがないか調べまくる。
ナギさんがいちばん詳しくて、屋敷のスペースがあるとしたらここらへんだろう、とか当たりをつけて探していた。
他の三人はとにかく、隠し扉がないか、とかワインの奥の方になにか見えないか、とか考えて目を凝らしていた。
この屋敷のワインセラーはハイテクなので、まさしく冷蔵庫の扉を開け閉めして探した。
というか、寒い……。
部屋自体が冷蔵庫みたいなものだし、こんなところに長くいたら風邪ひきそう。
我ながら余裕のある考えだなあ。
そもそもかなり危険なことしてるのに……。
その時、ナギさんが。
「あの……この冷蔵庫、おかしくないですか?」
ん?
なんだろう?
なにか見つけたのかな!?
レリさんが喜ぶ。
「おお! 何かあったか!?」
アイさんが焦る。
「確認したら、早く戻るっすよ!」
ちゃんと、戻れるのかな?
そう思いつつ、ナギさんが言う場所を見る。
んん?
なんかおかしいですか?
私には分かりません……。
それはレリさんも同じようで。
「なんだ? どこがおかしいんだ?」
ナギさんが訝しげに。
「ここ、盛り上がっていませんか?」
盛り上がってる?
レリさんがその箇所を触ってみる。
「ん? たしかに、少し変だな……」
みんなで、他の冷蔵庫の同じ箇所と比較しながら、確かめてみる。
アイさんが首を傾げて。
「ほかの冷蔵庫とは型番が違うんじゃないんすか?」
みんなでほかのと型番を見て比較したけど、特に違いはなかった。
じゃあ、なんだろう?
盛り上がりを触ってみても特に反応はない。
んー。
んん……?
「レリさん、マスターキー、かざしてみたらどうですか?」
レリさんが目を見開いて。
「そうか! そうだな! やってみるか!」
レリさんがマスターキーをポケットから取り出して、その場所にかざした瞬間。
ピピーッと。
うわ!
反応したっ!
すごい! やばい! まずい!
逃げたい。
こんなの見つけちゃったら、たぶん、ただじゃ済まない。
アイさんもそう思ったのか。
「はい。戻るっすよ。なんかあった。それで充分っすよ」
声が震えている。
でも、レリさんとナギさんは止まらなかった。
「バカ。せっかくここまで来たんだ。最後まで確かめるぞ」
「ずっと謎だったものが、いま、ついに解き明かされようとしているんですよ!」
謎のまま終わらせてよ。
噂は噂のままがいいんですよ。
研究施設でしょ?
解剖されちゃうって。
二つの冷蔵庫が床下に収納されていく。
その後ろに現れたのは……。
エレ……べー……ター……。
なんとも怪しげなエレベーターがその姿を現した。
いや、まさかとは思うけど、こんなのに乗るんじゃないよね?
さらに地下に降りるんですか?
怖いんですけど。
誰でも怖いよね? こんなの。
レリさんが次に何を言い出すか、だいたい想像はついてた。
「よし、乗るぞ」
バカ。
バカバカバカ。
ナギさんもさすがに怖いみたいで。
「これ乗っちゃって大丈夫ですか……?」
大丈夫なわけない。
アイさんが震えながら。
「さ、戻るっすよ」
賛成。
まだ取り返しがつきますって。
死にたくないよお。
レリさんが胸を張って。
「私は乗るぞ。帰ってこないかもしれないがな」
そんな。
レリさんが消えて、何もなかったことになって、私たちだけ取り残されて、みんなバラバラになって……。
そんな想像をして、それこそ怖くなった。
もういいや。
死んでもいい。
そのくらいなんだ。
私は、この人たちが、好きなんだ。
そう、思った。
だから。
「レリさん、私も行きます」
アイさんが大声を出す。
「なっ、なにを言い出すんですかカレンさん!」
パニクり過ぎてアイさんの口調がおかしい。
「やばいですよ! やばいですよ! こんなの乗ったらまじで帰ってこれない……っすよ!」
最後だけなんとか正気を取り戻したアイさん。
かわいい。
余裕あるねえ私。
ふっ、これが大人の余裕ってやつ?
「死ぬときは一緒ですよ?」
キラーン。
私が光り輝く。
アイさんが駄々をこねる。
「イヤ、イヤ、イヤ、イヤっすよお! まだ死にたくないよお!」
なぜか、ナギさんも覚悟を決めたようで。
「はいはい。アイさん、駄々をこねないでください。行きますよ」
もうドタバタだった。
でも、なんか、すごく。
よかった。
しまいにはアイさんが泣き出してしまって、それをなだめながら、なんだかんだでエレベーターに乗り込んだ。
四人そろってた。
それが、すごく嬉しかった。
レリさんがボタンを押す。
扉が閉まる。
エレベーターが降り始める。
まだアイさんは泣いている。
エレベーターが、止まる。
開く。
「手を上げろ!」
うわ。
まじか。
やっぱりそうなりますよねえ。
アイさんの泣き声がひときわ大きくなったあと、私たちは目隠しをされて連れて行かれた。私は、みんなの心配をしていた。特にアイさん。大丈夫かな——
——しばらくして。
「カレンさん。起きてください。大丈夫ですよ」
知らない人の声がする。
目隠しを外される。
誰だろう。
また綺麗な人だった。
この屋敷は美人の宝庫か?
その人が優しい顔で。
「私の名前はトリイです。ここの研究主任をしています」
やっぱり、研究施設、あったんだね。
なぜか、私の頭はすっきりしていた。
恐怖もなかった。
トリイさんが続ける。
「あなたがたの予想通り、この屋敷のすべては監視されています。あなたがたがここに来ることも、私たちは把握していました」
でも、それだといろいろ芝居がかってないかな?
あんな部隊を用意して、銃を突きつけて目隠しして連行する必要なんてなかったのでは?
私の目が物語っていたのか、先回りしたようにトリイさんが話す。
「ここの規定なんですよ。正規でなく入ってきた人には厳格に対処する。これは私の一存では変えられません」
研究主任って、ここの統括者じゃないの?
その人にも決められないってどういうこと?
トリイさんは私の言葉を待たずに続ける。
「そうですね……カレンさんも皆さんのことが心配ですか?」
もちろんだ。
そして、いまの言い方で、みんなも無事で、同じように話をされているのかもしれないと思った。
「もちろん、三人とも無事なことを祈っています。特に……アイさんは大丈夫ですか?」
トリイさんが目を細めて笑顔を見せる。
「ええ。最初は取り乱していましたが、いまは落ち着いています。なんとか理解していただけたようで」
レリさんと、ナギさんは。
「ほかの二人は?」
トリイさんが頷く。
「はい。あの御二方はあいかわらず肝が据わっておられますね。あなたと同じように」
はは。
それはうれしいなあ。
そんな自覚なかったんだけど、みんなのおかげかな。
「それは、よかったです」
すると、トリイさんが考える素振りを見せて。
「そうですねえ……もう取り返しがつきませんしねえ……」
トリイさんはなにを考えてるんだろう?
まさか消されるとかそういうことじゃないよね?
なんかいまさら怖くなってきた。
「私たちは……どうなるんですか?」
トリイさんが悲しそうに。
「残念ながら、もう地上には戻れません」
ああ。
やっぱり。
「そう、ですか……」
私の残念そうな顔を見て、トリイさんが気を遣うように。
「大丈夫ですよ。ここは全員そうです。私もね」
えっ?
どゆこと?
「トリイさんもですか?」
「もちろんです」
そして、トリイさんが付け加える。
「あなたたちはサヤカさんとアリザさんの推薦です。でも、『怪しげな地下研究施設に行ってほしい』と言われて行くお馬鹿さんは居ませんよね」
それは私なんですが、とトリイさんは笑って。
「じつは、この音声、ほかの部屋にも流しているんですよ。そしてほかの部屋の音声も流せる」
まじで?
トリイさんがどこかに合図を送る。
「一のBからDまでのマイク、オンにしてください」
『一のB、マイクオン』
『一のC、マイクオン』
『一のD、マイクオン』
誰かの事務音声が聞こえたあと。
トリイさんが口を開く。
「アイさん、ナギさん、レリさん。お互いに無事を証明してください」
三人の声が聞こえ始めた。
アイさんが情けない声を出す。
『みんなああ』
レリさんが笑う。
『おい。情けない声を出すな』
ナギさんがクスッと。
『まあ、よかったです。拷問でもされるかと』
そっか。
みんな、無事だったんだね。
よかった……。
「大丈夫ですか? みんな怪我はないですか?」
それぞれから返事がくる。
なんとか、大丈夫みたいだ。
トリイさんが安心したように。
「では、これからは皆さんと会話します」
不思議な感じだけど、顔の見えない通話だと思えばいいかな。
トリイさんが手を顎につけて、考えながら話す。
「あなたがたはついにここを発見しました。でも、ここは極秘の研究施設。みなさんは帰ることができません。さて、みなさんならどうしますか? オープンな質問なのであれですが」
どうする、か。
どうもこうも……。
と、レリさんが反応する。
『それは、お前たちに協力しろということか?』
なるほど。
そういう意図かな?
トリイさんが手をひらひらさせて。
……手話?
「さすが、レリさんは察しが早いですね。その通りです。協力させるために派遣してくれたようなものなので」
協力ってなにするのさ。
変な実験とかやめてよね?
さっきの手話がやけに引っかかったけど、黙って聞く。
ナギさんが。
『協力とは具体的になんですか?』
おお、さすがナギさん。
聞きづらいところを正確に聞いてくれた。
トリイさんが、なぜか自嘲ぎみに笑う。
「宇宙人を育ててほしいのです」
はあっ?!
う、宇宙人?!
なんかみんなも、すごいざわざわしているのが分かる。
育てるって……。
「ど、どういう意味ですか?」
トリイさんが肩をすくめる。
「どうもこうも、その通りの意味です」
レリさんが怒った様子で。
『ふざけるな。そんな冗談、通用するか』
トリイさんが指をくるくると上に向けて。
「ま、見れば分かりますよ、見れば」
そう言って、私の後ろに回って、手錠の鍵を外してくれた。
どうやら、みんなも同じことをされているようだった。
トリイさんがにこやかに。
「では、最後の質問です。協力しますか? しませんか? 選択肢はいちおうありますよ?」
みんな、仕方なく、協力すると誓った。
だって、そうするしかないじゃん。
撃ち殺されでもしたら元も子もないし。
とにかく、高くて広い施設だった。
大きな体育館くらいの高さがあって、地下なのにめちゃくちゃ開放感がある。
そこにいろんな機械、いろんな人、いろんな施設がところ狭しと並んでいて、ほんとに研究施設なんだなって思った。
トリイさんは私たちのツアーガイドとして、いろいろな説明をしてくれた。
九割くらい分からなかった。
でも、信憑性があった。
それくらい凄まじい光景だった。
そして、この施設のど真ん中、メインの区画に、それはあった。
真ん中の土台に置かれた卵を、囲むようにたくさんの機械がある。
その卵が、重要なものだということを機械の配置がハッキリと表していた。
トリイさんが、私たちに向き直る。
「あれですよ、あれ」
あれがどれなのかは、指し示されなくても分かった。
つまり、あれが宇宙人の卵ということになる。
みんな、苦い顔をしている。
レリさんが馬鹿にしたように。
「安全なのかあれは? そうは見えないが」
トリイさんが応える。
「もちろん分かりません」
ナギさんが苦痛の表情で。
「こっちに殺されるかもですね……」
アイさんはまたもや震えている。
まじかあ。
やばそうだなあ。
宇宙人ってどんな宇宙人よ。
不気味なんだろうか。
なんか宇宙人の話を信じ始めた私自身が怖かった。
しょうがないじゃん。
こんな施設、見たことないもん。
見たところ、卵の大きさは両腕で抱えられるくらいだし、踏み潰されはしなさそう。
変なビームとか出すかもだけど。
トリイさんがどこか遠くを見て。
「あれを育てるには、親が必要だと分かっています」
お、おや?
私たちが親になるの?
またまた。
結婚もしてないのに、親になれないですよお。
レリさんが不満を口にする。
「私たちにあれの親を? バカ言え」
トリイさんが至極おだやかに。
「そのための屋敷、そのための訓練ですから」
訓練?
まさか。
そこでナギさんが思い出したように。
「そうか……私たちが試されているというのは、そういうことだったんですね……」
アイさんは何も言えないようだった。
いまの時代に、こんなメイドの仕事があるなんておかしいと思ったんだけどね。
やっぱり闇バイトじゃん。
ブラックじゃん。
それどころか、陰謀すら感じる。
「で、私たちの誰かが死んだとして、その責任は取ってくれるんですか?」
トリイさんが肩をすくめて。
「取りますよ」
へ?
でも、そのすぐ後に。
「ご遺体はしっかりとご家族の元へとお返しします。行方不明にはしませんよ」
まずい。
アイさんが泣きそうなのが分かる。
「と、とにかく、私たちの誰が欠けてもイヤですからね」
そう言うと、トリイさんが冷たく。
「では、そうならないように努めてください」
レリさんが鼻を鳴らす。
「お前らは何もしないのかよ」
トリイさんが自信たっぷりに。
「私たちにできるサポートは全てさせていただきます」
レリさんがそっぽを向いて反抗の意思をあらわす。
私も、めちゃくちゃな話だと思っていた。
メイドだからといって宇宙人を育てる訓練なんか受けていないし、それがそもそも関係あるのかさえ疑わしかった。
それでも、やらなきゃいけない。
どちらにしたってもう、取り返しがつかない。
エレベーターに乗る前から決まっていたのなら、もうしょうがない。
もっともっと前から、あの広告をみた時点から、私たちは誘蛾灯に集められていたんだ。
私も、アヤナさんみたいに辞めればよかった。
でも。
でも、みんなに会っちゃったんだから、しょうがないじゃん。
しょうが、ないよね……。
その日は説明だけで終わって、私たちのために用意された部屋で、いつものように四人で寝た。
その部屋は不思議なことに、屋敷の部屋とまったく同じだった。
いや、不思議じゃないか。
すでに予定調和なんだ。
むかつく。
アイさんが泣いているのが分かる。
もう。
意外と泣き虫なんだなあ。
でも、そういうところもかわいかった。
レリさんは寝息を立てている。
さすがだ。
ナギさんも、寝られないようだった。
普通の人間ならそうだよね。
なんとなく、親近感を覚えた。
でも、明日から仕事だ。
少しでも寝ようと、目をつぶった。
ほとんど眠れなかったけど、とりあえず起きて、服を着替える。
なぜかメイド服で仕事をするらしくて、レリさんの「意味ないだろ」に対してトリイさんが「仕事着ですから」とまたも意味不明なことを言っていた。
いやいや……。
こんな白衣とか作業着とか防護服の人たちがうようよいるなかで、メイド服着た私たちがいたら完全に目立つ。
目立ちまくる。
ん?
意外と目立たない……かな?
とりあえずやってみるか。
逆に専門職の人っぽくていいかもしれない。
まあ専門職なんだけど。
四人で部屋を出て、トリイさんに言われた通りに卵のあるメイン区画に行く。
いつものルーティンとも違うし、場所も違うので混乱する。
でも……なんか変だ。
なんか……女性しかいない気がする。
顔が隠れてる人とかもいるからなんとなくでしか分からないけど、顔が見えてる人は確実に女性だ。
まさか、屋敷も含めて全員女性……とか?
まさかねえ。
こっちの施設は人が百人くらいは居る。
まさかその全員が女性ってことは……。
トリイさんが私たちを出迎えてくれる。
最初に疑問をぶつけてみる。
「トリイさん。この施設って女性しかいないんですか?」
「ええ、そうですよ」
んん……。
まじかあ……。
単純に、なんで!?
「あえてやってるんですよね?」
トリイさんが面倒くさそうに。
「理由なくやりませんよ」
理由かあ。
「理由ってなんですか?」
トリイさんが眉間にしわを寄せる。
「あー……まあ、皆さんにはお伝えしておきましょうか。長くなりますよ」
ばっちこい。
それから、本当にながいながい話を四人で聞いた。
まず、トワイライト家について。
トワイライト家は貴族家系の名前じゃない。
国の人たちが、宇宙人の一派を「トワイライト」と呼んでいることから来ているらしい。
そう、ここは怪しい大富豪の研究施設でも、どこかの軍事組織の研究施設でもない。
政府の研究施設と説明された。
どんだけ規模デカいのよ。
で、なにを研究してるのかと言うと、宇宙人の大事な卵を、どうやって送り返すか、ということらしかった。
なんか疑問だらけだった。
トリイさんの説明は続いた。
卵は、宇宙人——トワイライト——の王族のもので、それを隠すために地球が選ばれたのだという。
トワイライトの星では大きな勢力争いが起きていて、もしこの卵を守り抜いて送り返せれば、トワイライトの、地球に友好的な一派が覇権を手にできるらしい。
逆に言えば、この状況だと、守りきれないと地球は破滅らしい。
それが約百年前。
ものすっごい昔だ……。
でも、その当時から、政府は極秘裏に卵を守るため、送り返すため、こうやって着々と準備を進めてきたらしい。
政府が交信を続けて分かったことは、卵を送り返すのは何年かかってもいいということだったみたい。
どういう技術なのか、本当に必要なタイミングで、卵はトワイライトの手元に帰るみたいなのだ。
そんな技術があるのに、こんないろいろ遅れた地球なんかに助けを求めなくちゃいけないなんて、トワイライトも大変だなあ。
で、女性の話は?
なんかぜんぜん関係ない話ばっかりだ。
トリイさんが疲れたように。
「……で、トワイライトの要求で、女性スタッフしか周りには置けないことになっています」
レリさんが飽きた様子で。
「トワイライトが女好きだったって話か」
トリイさんが首を振って。
「違います。彼らも……彼女たちも女系一派なのです」
なぬうっ!?
そ、そういうことか!?
……ん?
「卵のままなのに、性別が関係あるんですか?」
トリイさんが適当に。
「さあ。分かりません。彼らの要求なので」
そんな適当でいいのか。
しかし、トリイさんが真剣な眼差しになって。
「ただ、あの卵が周囲の環境に適応しているのは事実です」
えっ?
トリイさんが恐ろしそうに。
「物理的に環境に適応しているだけではなく……見てるんですよ、あの卵は」
み、見てる?
なにを?
トリイさんが続ける。
「これだけの人数です。たまには問題を起こす人も居ます。そういう人が口々に言うんですよ」
なんか怖い。
「なにを、言うんですか……?」
さっきから、私とトリイさんしか話していない。
レリさんは飽きた様子だし、ナギさんはアイさんの様子を見ている。
アイさんはちょっと危なっかしい。
トリイさんが、落ち着いた口調で。
「ええ。『卵が見てる』って」
それだけなら、怖くはないような……。
「たまたまそう思ったのでは?」
トリイさんが否定する。
「彼女たちの話を聞くと、悪いことをしている時に感じるんだそうです。卵の視線を」
ははは。
卵に目はないですよお。
そういうことじゃないか。
トリイさんがまた続ける。
「彼女たちはその後、いろいろな理由で記憶を消され、ここを後にしました。私はね、思うんです」
ごくり。
トリイさんの目が怖い。
「あの卵が、あの人たちを嫌がったんじゃないかって」
きゃあああ!
と、効果音がつきそうな話だった。
でも怖くないもん!
私たち、悪いことなんてしてないもんね!
レリさんが鼻を鳴らして。
「バカバカしい。帰りたくなるな」
するとトリイさんが。
「仕事を放棄するんですか? あなたが?」
ん……。
なんかレリさんのことを知ってる感じの言い方だ。
まあ監視してるんだから知ってても不思議じゃないけど。
と、ナギさんが。
「……とにかく、卵の世話をすればいいんですね」
え?
ナギさん、受け入れるの?
ナギさんの目が、強い意志を放つ。
「これでは、アイさんがつらいままです。早く安心させてあげたいんです」
ナギさん……。
ごめんなさい。
ナギさんが口調を強める。
「で、私たちは何をすればいいんですか?」
トリイさんが穏やかに。
「まずは、誰か、あの中に入ってもらいます」
あの中。
あの、卵が置かれた、厳重にロックされた空間の中に……。
いやだなあ。
ちょっと腰が引ける。
だいぶ。
「そして?」
そして、とトリイさんが。
「あとは卵しだいです」
なにそれ。
私たちが実験体じゃないですか。
使い捨てですか?
自分たちは傍観ですか?
なんかちょっとイラッとしてきた。
「安全な方法はないんですか?」
トリイさんが腕を組んで。
「思い当たりません。ああ、防護服はいりませんよ?」
「なんで私たちなんですか?」
トリイさんが微動だにせず。
「適任だからです」
あーもう!
押し問答してもなんも進まない!
もういいですよ!
「分かりました、私が先に行きます」
レリさんが止めに入る。
「おい! 待てって!」
「待っても、状況は良くなりません」
そのままガンガン進んで、扉の前に立つ。
「開けてください」
扉がシューッと音を立てて、開いていく。
滑り込むように中に入る。
耳がいつもの感覚になる。
ここ……防音だ。
「閉じてください」
……ん?
反応がない。
ガラスのほうを見て、もういちど呼びかける。
「閉じて、ください」
んん?
トリイさんがなにか手話で伝えてる?
『手話でお願いします』
どういうことだろう?
とりあえず、『閉じてください』と伝えると、すんなり扉が閉まっていく。
何が起こってるの?
それにしても、変な感じだ。
落ち着く。
すごく、落ち着く。
静かだ……。
なんだろう。
風の吹く草原とか、さざ波たつ海岸線とか、山の頂上とか、そんなイメージが頭の中で広がっていく。
うわあ。
落ち着くなあ。
私は、このままここで眠りたくなる衝動に駆られていた。
ちょっと座ってみようかな。
体育座りをする。
んんー。
ダメだ。
眠い……。
『お姉ちゃん、起きて!』
「カレンさん! カレンさん! 起きるっすよ!」
ん?
もう朝?
……アイさん?
よかった、元気そうだ……。
「カレンさんが目を覚ましたっす! トリイさんとヤナミさんを呼んできてくださいっす!」
ヤナミって誰よ……。
これ夢なのかな。
そのあと、私がボーッとしてると、どこからかトリイさんと、レリさんと、ナギさんと、白衣の女性がやってきた。
大集合だ。
この人がヤナミさんかな?
「なに……どうしたの……」
レリさんがゆっくりと。
「大丈夫だ。まだしゃべるな」
なんか私、めちゃ気を遣われてる?
ちょっと寝てただけでしょ?
ヤナミさんが私の状態をチェックして、みんなに告げる。
「意識はハッキリしています。ゆっくりと慣らしていきましょう。私はここに居ますので、随時、血圧等を測っていきます」
なんか、大ごとだなあ。
私も他人ごとみたいだ。
そんなことを思って、ふっと笑ってしまう。
するとナギさんが急に泣き出して。
「カレンさん……カレンさん……私、もうダメかと……」
どうしたの。
そんなにひどかった?
アイさんが涙声で。
「ごめん。ごめんっすカレンさん。私のせいで……」
とにかく元気そうでよかったよ、アイさん。
あんなに怯えてたからさ。
レリさんはいつもどおり。
「泣くな。こうやって帰ってきただろうが」
でも、レリさんも少しだけ優しい声だ。
なんか、だんだん状況が掴めてきた。
わたし、眠りすぎちゃったんだね。
どのくらい寝たんだろう。
「睡眠時間、何時間くらいですか?」
私の発言に、トリイさんが不謹慎そうに笑う。
「一ヶ月ですよ」
一ヶ月かあ。
それはロングスリーパーだ。
ロングロングロングスリーパーだね。
「ちょっと気持ちよくなっちゃって……」
それを聞いて、レリさんが吹き出す。
続いてナギさんも泣きながら笑って。
アイさんが。
「……面白い人っすよ、カレンさんは……」
そうやって笑い合えることが、何より嬉しかった。
そこから、ほんとにゆっくり体調を整えていった。
私の身体はびっくりするくらい重くなってて、元からない筋力がさらになくなってた。
メイドの仕事で鍛えた筋肉があ。
掃除ができなくなっちゃう。
そう思いつつも、リハビリを頑張った。
単純なことを繰り返すのは得意になってたから、案外リハビリも楽しかった。
そして……。
「いま、あの卵はどうなってるんです?」
医務室でトリイさんに聞くと、難しい顔をされる。
「接触は、無期限に停止中ですね」
そうだよね……。
一番目に突入した私が一ヶ月間、意識不明だったらそうなるわな。
うーん。
ミスったかな?
ただ、とトリイさんが。
「変化はありました」
変化、あったの?
トリイさんが続ける。
「おそらく、カレンさんのおかげで、かなり発達が進んだと思われます」
私のおかげで?
それは鼻が高い。
「どんな変化なんですか?」
トリイさんが興奮ぎみに。
「定期的にエネルギーを発するようになりました。それも莫大なエネルギーです」
ほほう。
私には分からないかも。
トリイさんの説明によると。
人体や電子機器に影響はないけど、太陽フレアの十倍くらいのエネルギーが放出されてて、もうなんか大変らしい。
「なんか規模が大きいですね……」
トリイさんがため息をつく。
「大きいとか大きくないとか、もうそんな次元じゃないですよ」
やっぱり分からないけど、トリイさんが感動してるならそれでいいか。
でも……。
「私、またあの部屋に入りたいです」
そう言ったとき、トリイさんは怪物を見るような目で私を見た。
同じことをみんなに言ったとき、やっぱりみんなもそんな反応だった。
ただ、違ったのは。
レリさんが大声で。
「馬鹿かお前は!? 死にかけたんだぞ!?」
ナギさんが泣きそうな声で。
「ふざけないでください! どれだけ心配したと思ってるんですか!?」
アイさんが首を振って。
「ぜったいに行かせないっすからね」
本当に心配してくれてるってことだった。
「ごめん。でも、行かなきゃ」
アイさんが嫌そうな顔をして。
「卵に洗脳されてるんすよ、カレンさんは! こんど行ったらぜったい死んじゃうっす!」
ナギさんが取り乱して。
「理由は!? 理由が何かあるんですか!?」
理由、か。
なんとなく、覚えてる。
夢の中で、あの子が呼んでた。
「卵が呼んでるから、かな」
レリさんが納得したように。
「やっぱり、お前は……」
そんなんじゃないよ。
「洗脳でもなんでもいい。とにかく、私は卵の声に応える。それだけだよ」
レリさんが大きなため息をついて、ちょっと笑う。
「やっぱりお前は面白いよ」
へ?
そう来るとは思わなかった。
レリさんがにこやかに。
「なあ、アイ。カレンは面白いよな?」
アイさんが面食らって。
「え? はい、ま、まあ……」
レリさんが、今度はナギさんを見る。
「ナギもそう思うだろ?」
ナギさんが驚いて。
「へ? は、はい……」
レリさんが私を見る。
「そういうことだ。カレンは面白い。だからな」
だから。
レリさんがニッと笑って。
「私もついていくぞ」
ほ、んとう?
アイさんがめちゃくちゃ嫌そうな顔をして。
「あー……レリさんの変なスイッチが入っちまったっす……」
ナギさんが苦痛のため息を漏らして。
「レリさんの思考回路はよく分かりませんよ……」
レリさんは止まらなかった。
「お前らも行くよな?」
アイさんが開いた口がふさがらないといった感じで。
「強制っすか……?」
ナギさんが斜め上を見て。
「行かないって言ったら殺されそうですね」
え? え?
ほんとうに、来てくれたりするの?
しばらくして。
私たちは、管理された空間の前で、決意を固めていた。
アイさんが悲しそうに。
「私の骨は海に撒いてほしいっす……」
レリさんがアイさんを元気づける。
「大丈夫だ。私たちの墓標は並ぶだろうからな」
アイさんがさらに悲しそうに。
「もっと親孝行しとくんだったっす……」
ナギさんが優しい笑顔で。
「じゅうぶん親孝行ですよ。世界のために働くんですから」
みんな、ごめんね。
「ごめん。私がわがまま言ったから」
レリさんが笑って。
「もう私たち全員で決めたことだ。一人だけで背負うな」
ありがとう、レリさん……。
トリイさんが最終確認に来る。
「みなさん、覚悟は決めましたか?」
みんながそれぞれ返事をする。
「決めましたよ」
トリイさんが笑顔で頷いて。
「では、行ってらっしゃい。ご武運を」
扉が、開く。
みんなで、ゆっくり中に入る。
全員が入ったところで、扉が閉まる。
「みんな、大丈夫ですか?」
なんの反応もない。
だ、大丈夫?
まだみんな意識はあるみたいだけど。
「みんな大丈夫?」
レリさんが私の口元を見て、訝しそうにする。
そして、手話で伝えてくる。
『聞こえない』
そうだった。
たしかにあのときも、まったく外に伝わってなかった。
でも至近距離でもそうなの?
とりあえず、覚えの悪い手話で伝えることにした。
『大丈夫ですか?』
レリさんが頷いて。
『大丈夫だ』
レリさんが続ける。
『アイが眠いと伝えてきた』
やっぱり。
『始まりますか』
レリさんが上手に伝えてくる。
『じつは、私も眠い』
もう、目が覚めないかもしれない。
だから。
『みんなのこと、好きでしたよ』
そう伝えると、レリさんが少し横を向いて。
『バカ言え』
私も眠くなってきた。
アイさんが横になったのを確認して、ナギさん、レリさん、私の順で、横になった。
ここはどこだろう。
見たこともない草が生えている草原に、私たちは立っていた。
「ここ、どこでしょう……?」
隣に立っているレリさんに話しかけると。
『聞こえない』
またもやそう返された。
不思議でしかなかった。
音は聞こえてる。
風が草に当たる音、草と草のさざめき、鈴虫のような綺麗な音も、鳥やカエルみたいな鳴き声も、ぜんぶ聞こえてる。
なんなら自分の声も聞こえてる。
でも相手の声だけが聞こえない。
どうなってんの。
そのとき。
『おねーちゃーん!』
この声。
そう。この声だ。
カナの声。
みんなが反応する。
お互いに手話で伝えあう。
アイさんが驚いた顔で。
『この声、どっから聞こえてんすか!?』
ナギさんが周りを見て。
『なんか、頭の間から聞こえてるような……』
レリさんが笑って。
『おお、面白いな』
よく楽しめるな……。
さすがレリさん。
カナの声が頭に響く。
『あれ、今回はカレンさん以外の人もいるんだね!』
レリさんが驚く。
『お前、こいつといつから知り合いになったんだ?』
アイさんが頷いて。
『そりゃあ、前回、寝ちゃったときっすよね?』
ナギさんが考える素振りで。
『意識が繋がってる……?』
そう。
卵と、意識が繋がってる。
だから、この子とまた会わなくちゃいけなかったんだ。
前の時のことはほとんど覚えてない。
寝て起きたら一ヶ月後だ。
でも、起きる直前、誰かの声がした。
私の、カナ。
もう二度と会えないと思ってた、カナの声がしたんだ。
だから。
「カナ! 会いたかった!」
つい、口が動く。
『お姉ちゃん、ごめんね。ここでは手話でお願い!』
手話。
どういうこと?
手話が、大事なツールになってる?
『カナ。会いたかったよ』
私がそう伝えると、カナが。
『私も。また、会えたね』
カナ……。
嘘でも、また会えて、よかった。
みんながいろいろ伝えてくる。
それぞれが驚きを表している。
当然だよね。
なんのことか分からないよね。
『カナは、私の死んだ妹の名前』
そう伝えると、みんな混乱した様子だった。
カナの声が。
『ごめんなさい。カレンさんの記憶、利用させてもらいました』
正直な子だなあ。
分かってはいたけどね。
ナギさんが頭を振って。
『どういうことです?! カレンさんの記憶って……』
レリさんが頷く。
『なるほどな。宇宙人らしい』
アイさんが怒って。
『卑怯な奴っすね』
『違うの。私がずっと会いたかったから、会わせてくれただけ』
なんとなく、分かり始めていた。
前回、私はカナと会ってるんだ。
その記憶がないだけで、ちゃんと会ってるんだ。
だから、こんな気持ちになるんだ。
『カナ! あなたはなにがしたいの?』
少し間が空く。
また声がする。
『私は……人類を、救いたい』
人類を……救う。
壮大なテーマだ。
でも抽象的すぎて、よく分からない。
それを察したのか、カナが声を出す。
『私にもよく分からない。でも……誰かの役に、立ちたい』
誰かの、役に、立ちたい。
誰かの……。
そうだ。
カナは。
カナの夢は。
慣れない手話で、なんとか伝える。
『なんで』
なんで私を。
『私を』
なんで、私なの?
『選んだの?』
カナが、さみしそうに。
『ごめんなさい。分からないの』
分からない?
分からない、のか。
カナが続ける。
『私は、地球とミデスとの架け橋。その使命をただ実行すればよかった』
そうだよね。
事務的にこなせばよかったんだよね。
だけど。
『だけど、人間のこと、もっと知りたくなったの』
なんでなんだろう?
理由なんて。
『理由なんてなかった。ただ、そう思った、それだけ』
その時、レリさんに肩を掴まれた。
なんだろう?
「カレン。心を強く持て」
え?
なに?
レリさんが私の目を強く強く見て。
「お前は地球に残る。私たちと一緒にな」
地球に?
残る?
意味が分からない。
レリさんはあいかわらずだ。
「分からないと思うか? お前、死ぬつもりだろ」
そんなわけない。
そんなわけ……。
あれ、カナは?
そういえば、ちゃんとレリさんの声が聞こえる?
いきなりすぎて頭がついていかない。
そういえば。
「アイさんとナギさんは?」
レリさんが笑顔になって。
「よし、その調子だ。お前は帰ることだけ考えろ」
「カナは?」
レリさんがかぶりを振って。
「もう行ったぞ。あいつの故郷に」
ウソ。
ウソだ。
そんな。
また、私を置いて行っちゃったんだ。
「レリさん、私……私……」
レリさんが穏やかな目で。
「お前の妹も、あいつも、お前を選んでここに来た。それでいいじゃないか」
カナ。
カナ……。
レリさんが諭すように。
「私も、アイも、ナギも、ちゃんと、ここにいる」
でも。
でも、レリさん。
「カナには、もう会えない……」
レリさんが、私を抱きしめる。
えっ!?
レ、レリさん!?
「お前の家族も、私たちも、みんな、みんな、お前の帰りを待ってるぞ」
そんな……。
「レリさん、そういう好みだったんですね」
レリさんが涙をぬぐって。
「バカか。誰がお前なんか好きになるかよ」
ははは……。
ごめん、ありがとう、みんな。
いま、帰るから。
みんなのいるところに、帰るから。
ん?
んん……。
アイさんの声がする。
「カレンさん。お帰りっす」
んー。
ただいま?
ナギさんが私の手を握って。
「よくぞ、帰ってくださいました」
そりゃあ帰りますよ。
帰れ帰れってうるさいから……。
レリさんが腕を組んで。
「なんかしゃべれよ」
ひどっ!
「そんな言い方ないんじゃないですか……?」
レリさんが嬉しそうに。
「おおっ、こいつしゃべるぞ!」
ブチギレそう。
そもそもなに?
人を宇宙人扱いしてるわけ?
なんなの?
レリのアホ。
「急に抱きついて愛をささやいてきたくせに」
アイさんがレリさんを見る。
「へえ。そんなことしてたんすね」
ナギさんが顔を赤くして。
「まあ、お熱いですねえ」
レリさんが握りこぶしを作って。
「もういっぺん死んどくか?」
ごめんごめん。
ごめんってレリ姉貴!
「許してくださいい」
アイさんが吹き出して。
「なんか急に仲良くなったっすね二人とも」
ナギさんが頷いて。
「お熱いことです」
レリさんが呆れたように。
「違うだろお前ら……」
うん。
なんか、楽しいな。
いつまでも、こうしてたいな。
そのあと。
私はまたもやリハビリ生活だった。
でも、それはみんなも同じだったみたいで。
みんなの苦労話を聞きながら、楽しく明るくリハビリがこなせたのは、すごく嬉しかった。
みんなの家族の話も、たくさん聞けた。
なんだか絆がもっともっと深まったみたいで。
なんでだろう。
こんな気持ちになれるのは、なんでだろう。
たぶん、卵のおかげなんだろうな。
カナの、おかげなんだろうな。
あのあと、卵は消えたのだと、トリイさんから聞いた。
人間側の技術はまだ足りなかったけど、自力でトワイライトに帰ったらしい。
ここがトワイライトからメッセージを受け取り、それを政府が確認して、任務は終了。
トリイさんが感慨深げに。
「やはり、あなたがたは適任でした。特に、カレンさん。あなたのおかげで、しばらくは安泰です……あの卵は、みごとに役割を果たしてくれました」
そうだといいな。
そうだと、いいな。
だって、それがカナの願いだったから。
『私……誰かの、役に、立てる人に……なりたい!』
そう言いながら、カナは旅立っていった。
『死んでも、お姉ちゃんのこと……見守ってる……からね』
ねえ。
『もう! そんな顔……しないでよ!』
カナ。
『お姉ちゃんが、悲しんでたら、私まで、悲しくなる……じゃん!』
カナはすごいよ。
『お姉ちゃん。また、会おうね』
手話が好きだったよね。
『いつか、きっと、会おうね』
友達想いだったよね。
『その時まで、待ってる、から』
みんなみんな、カナのおかげ。
『ずっと、待ってる、から』
お姉ちゃん、あなたを誇りに思います。
『……またね、お姉、ちゃん!』
そして。
カナが、お姉ちゃんを、助けてくれたんだよ?
ありがとう。
ありがとね、カナ。
私がリハビリを終えたあと、これからどうすればいいかトリイさんに聞いた。
トリイさんは意外なことに。
「え? もう好きにしていいですよ」
ええっ?
ど、どゆこと……?
トリイさんが肩をすくめて。
「任務は果たしました。ここは解体です。あなたがたも退職金をもらって、自由に暮らしてください」
た、退職金?
なんかもらえるんですか?
クビですか?
ひどくないですか?
そんな感じのことを伝えると。
トリイさんが、どこか遠い目をして。
「けっして安くはない退職金です。ここにいるみんなが、一生食べていけますよ……あ、あなたたちは特別ですからね」
そう言われた。
あのエレベーターで、四人で屋敷に戻った。
アリザさんとサヤカさんに出迎えられて、いろいろな話をした。
二人とも、事情は知っているようだった。
そして、屋敷も手放すということを話してくれた。
けっきょく、上の部分はすべて、カモフラージュにしかすぎなかったみたい。
すごいよなあ。
世の中ってこういうふうになってるんだなあ。
サヤカさんが、「お金はすでに口座に振り込まれてますよ」と教えてくれた。
なんかとんとん拍子だ。
まるで何もなかったみたいに、物事が進んでいく。
いろいろ不思議な体験、したと思うんだけどなあ。
ぜんぶ、過去のことになってしまう。
でも、忘れちゃいけないものも、たくさんあった。
出会った全ての人。
レリさん、アイさん、ナギさん。
カナ。
みんなみんな、私の大切な、大切な。
トワイライト家の屋敷から離れるとき。
私は、不思議な気持ちだった。
ここは、なんだったんだろう。
みんなと会えて。
カナと会えて。
メイドになれて。
宇宙人と政府がどうとかで。
怪しげな研究施設があって。
世界を救って?
でも。
なんか、感無量だった。
タクシーを二台呼んで、私とレリさん、ナギさんとアイさんで乗り分けた。
みんなで連絡先を交換した。
駅で、再会を誓い合って、別れた。
そして、いま。
玄関の目の前。
おそるおそる、玄関の鍵を開けて。
ドアノブに手をかけて。
ドアを開いて。
「た、ただいま!」
中から、声が返ってくる。
「ね、姉ちゃんの声だ! おかえりいっ!」
「おおっ!?」
ドタバタとこっちに向かう音がする。
ああ。
ただいま。
私、いろんな人と会ってきたよ。
いろんなこと、あったよ。
カナがね、いたんだよ。
私を、助けてくれたんだ。
レリさんも。
アイさんも。
ナギさんも。
アリザさんも。
サヤカさんも。
トリイさんも。
あの人たち、みんなのこと。
ぜんぶ、ぜんぶ、話すから。
きっと、話すから——
——四人のチャットに、レリさんの、またふざけたテキストが流れる。
『おい、お前ら、口座の金額見てみろ。笑えるぞ』
アイさんが応える。
『なんすか? 面白そうっすね。ちょっと見てみるっす』
ナギさんがスタンプだけ押してくる。
なんか意味深なスタンプだ。
『どうせたいしたお金じゃないですよ』
そう返した直後、アイさんがスタンプを連打してくる。
驚愕を表すスタンプだ。
しつこい。
やめて。
こいつ……。
と、私もなんとなく気になってアプリで確認してみる。
ん?
んんん?
バグってんのこれ?
ゼロがいちにいさんしいごうろくななはちきゅうじゅう。
百億……。
え……。
ええ……。
えええ!?
退職金が百億!?
金持ちじゃん!
めちゃくちゃ金モッチい。
モッチモッチい。
テンションがおかしくなってきた。
そのあと、四人でさんざん盛り上がって、眠れぬ夜を過ごしましたとさ。
『お姉ちゃんは、私の分まで、笑って、生きてね』
うん。
『約束……だよ?』
うん。
約束、守れてるかな?
きっと、守れてるよね。
おわり!




