Ep.2
アレクシスは強すぎる。
素人の私が無手勝流で挑んでも勝ち目がない。
技量の差。生まれ持った才。環境。覚悟。
――どれもが私を凌駕していた。
どうすれば……この運命を変えられるのか?
死にはもう慣れてきていた。
けれど、同じ日々、同じ結末を繰り返す無意味さに、精神がいつまで耐えられるのだろうか?
これでは、まるで囚人のようだ。
ふと顔を上げると、庭の奥に人影が見えた。
一本の木の下、長身の男が静かに佇んでいる。
長い銀髪が朝の光を受けて淡く輝き、落ち着いた雰囲気をまとったその姿。
彼は枝の先に咲いた小さな白い花を、まるで何かを思い出すようにじっと見つめていた。
(……こんなところに、人が?)
思わず足を止めていた。
そういえば、この時間に庭園を歩くのは初めてだった。
目覚めた直後の朝の空気は冷たく澄んでいて、私の呼吸音だけがやけに響いていた。
男は枝に手を伸ばしたが、花には触れず、ただ静かにその姿を見つめているだけだった。
まるで、触れれば壊れてしまうとでも思っているように。
「……もし」
少しだけ迷ったものの、私は思い切って声をかけていた。
男の肩がわずかに動き、ゆっくりと振り返る。
軽くひるがえったマントの内側から、腰の剣の柄がのぞいた。
そして――銀の瞳が、まっすぐに私を見据えた。
「……」
その瞬間、彼の表情に一瞬だけ驚きの色が浮かんだように見えた。
(……?)
初対面のはず。けれど、その反応には説明できない違和感があった。
私を“知っている”ような、そんな目――。
しかし、次の瞬間には彼は穏やかな微笑を浮かべ、静かに言いました。
「良い天気ですね、リリアナ様」
低く落ち着いた声。
その声音が庭の静寂をやわらかく揺らし、私の胸を強く打った。
「え、ええ」
自然に返したつもりだったが、声が少し上ずってしまった。
その声からは確かな敬意が感じられたが、過剰なへりくだりはない。
この家でも学院でも、こんな風に話しかけられたことはなかった。
彼は再び枝先の花へと視線を戻し、静かに言葉を紡ぐ。
「この庭に、このような花が咲いているとは知りませんでした。珍しいですね」
何気ない言葉。
けれど、その佇まいには不思議な威圧感と、どこか懐かしさがあった。
(初めて会うはずなのに、この顔……どこかで……)
胸の奥がざわめいた。
そして――記憶の底に沈んでいた映像が、鮮やかに浮かび上がる。
(……セドリック・モルデン?)
私は思わず息を呑んだ。
彼のことを、私は知っていた。
セドリック・モルデン――彼方の聖女のアニメにも登場したキャラクターだ。
優れた戦術家でありながら、剣の腕も一流。
物静かで知的な雰囲気をまといながら、いざ戦場に立てば誰よりも苛烈で、冷徹な判断を下す男。
まさか、この場で彼と出会うなんて。
こんなシーン、アニメには存在しなかったはず。
「……セドリック・モルデン様、でいらっしゃいますわね」
私が問いかけると、彼は薄く笑った。
「私のことをご存知でしたか」
その言葉に、思わず喉が詰まった。
落ち着け――今の私はリリアナだ。
「ええ、もちろんですわ」
なんとか微笑を保ちながら答える。
けれど内心は激しく揺れていた。
(やっぱり……彼が、あのセドリック)
アニメでは一話限りのゲストキャラのような登場だった。
けれど、こうして目の前に立つ彼は、確かに生きている。
本来のリリアナなら彼のことを知っているのかもしれない。
だが今の私は、アニメの記憶を頼りに“演じている”だけの転生者だ。
下手なことを言えば、正体が露見するかもしれない。
頭の中で必死に情報を掘り返す。
彼は王国にとって重要な軍略家でありながら、物語にはほとんど関わらなかったはず。
年上で、落ち着いた雰囲気を持つ数少ない男性、
もしかしたら、原作では攻略キャラの一人だったのかもしれない。
セドリックは、細身に見えても鍛え抜かれた体つきをしていた。
衣服の上からでもわかるほどに、無駄のない動き。
アレクシスと剣を交えた経験を持つ私には、その力量が肌でわかった。
彼の動作一つ一つが、武人としての格の違いを物語っていた。
(これは……きっとチャンスかもしれない)
私は静かに息を整え、一歩踏み出した。
「モルデン様」
彼の視線が私に向く。
その銀の瞳の奥に、冷たい光と、わずかな興味が混じっていた。
「お願いがございます」
「……伺いましょう」
穏やかな声。けれど、その底には戦場を渡ってきた者の重みがあった。
風が吹き抜け、枝の花びらがふたりの間を舞い落ちる。
私は唇を結び、まっすぐに彼を見つめた。
「私に、剣を教えていただけませんか?」
このままではアレクシスを倒すことはできない。
必要なのは、強くなるための道筋を示してくれる師――。
「……リリアナ様が、剣を?」
セドリックの銀の瞳が細められる。
「ええ」
あまりにも唐突で、単刀直入。
けれど私はもう、遠回りをする気はなかった。
ループを繰り返す中で学んだ。
“もし今回失敗しても、次がある”。
ならば最短のルートを試すほうがいい。
効率を考え、再現性を探す。
そうやって少しずつ積み上げるしかない。
セドリックはしばらく沈黙していた。
その沈黙は冷たいものではなく、何かを測るような静けさだった。
「剣を学ぶ理由を聞いても?」
「……どうしても倒したい相手がいるのです」
彼の問いに、私は短く答えた。
その瞬間、彼の瞳がわずかに揺れる。
しばしの沈黙ののち、セドリックは口元に微かな笑みを浮かべた。
「……面白い」
低く響く声が、庭の静寂を破った。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなる。
私は思わず、拳を握りしめていた。
こうして、私の新しい戦いが始まったのだ――。
◇
そして現在――
「セドリックがいたの!?」
モブロックが大声を上げた。
「ええ」
私は頷くだけにとどめる。
「うそでしょ!? あのセドリック・モルデン?
彼、隠しキャラなんだよ! 攻略条件が複雑で難しくってさ!」
モブロックは興奮気味にまくし立てる。
私はその勢いに押されながらも、特に表情を変えずに彼の話を聞いていた。
「どうしてそんな興味なさそうな顔してるのさ!」
「別に、そんなつもりはありませんわ」
「あるって! セドリックは隠し攻略キャラだけど、
全キャラ人気投票でもトップ10に入ってるんだよ!
知的で落ち着いてて、でもどこか影があるんだ。
クリスとは一回り以上歳が離れてるけど、それがまた良いっていうかさ……!」
「はあ……」
曖昧に返すと、モブロックはさらに勢いを増した。
「渋いおじさまだよ! ロマンスグレーだよ! 普通ときめくでしょ!?」
「いや、別に」
モブロックが頭を抱える。
(ダメだ、この子、女の子として致命的な何かが欠けている……)
「話を戻しますわよ」




