Ep.1
「――あなたこそ、このループを突破する鍵なのです」
そう告げたとき、モブロックが目を見開いた。
「僕が……ループを突破する鍵?」
驚きと戸惑いが入り混じった声。
無理もない。けれど、私は確信していた。
アレクシスを倒し、北西の軍を掌握し、国盗りを成し遂げても――結末はいつも同じだった。
カルヴァロスという強力な武器を手に入れても、結局あの“黒い影”が現れる。
私は窓の外に視線を向けた。
遠くの空で、結界を押し破ろうと蠢く黒い群れが脈動している。
「いずれ結界は破られます。そして私は王都の戦力を結集して戦いますが……最後は、無限に湧き出る影の物量に押し潰されて死ぬのです」
口にしたその言葉は、何度も繰り返してきた運命の報告のようで、
自分の声とは思えないほど乾いていた。
「ここまで諦めずに戦い続けてきましたが……正直、手詰まりの状況でした」
沈黙。
モブロックは何も言わず、ただ強く拳を握りしめていた。
「だからこそ――今回の周回であなたと出会ったとき、私は運命を感じたのです」
あの断罪の場。
予定されたシナリオを狂わせるように、ただ一人、モブロックだけが“定められた動き”を外れた。
あの瞬間を、私は今でもはっきりと覚えている。
「これまで数え切れないほどの死のループを繰り返してきましたが……あなたのような“別の転生者”に出会ったのは初めてでした」
彼の瞳がわずかに揺れる。
「さらに、あなたは私が持っていない“ゲーム版”の『彼方の聖女』の知識を持っていた。
あなたは、あの黒い影を“昏人”と呼びました。……ゲーム版には出てきたのでしょう? 奴らが」
「……そうだよ」
彼は小さく頷き、深く息をついた。
私は彼の目をまっすぐに見つめ、言葉を重ねた。
「教えてください。あの黒い影について、あなたの知っていることをすべて」
彼はしばらく考え込んだ。
その横顔に、迷いと覚悟が同居しているのが分かった。
そして――ゆっくりと口を開く。
「……奴らは通常ルートでは出てこない。――“昏人”が姿を現すのは、トゥルーエンド・ルートだけなんだ」
その声には、重く確かな響きがあった。
「メインストーリーはアニメでも語られたよね。
主人公のクリスが聖女候補として貴族学院で経験を積みながら、各攻略キャラ――イケメンたちと仲良くなっていく。
よくある乙女ゲー的な展開さ」
私は黙って頷く。彼の語りは続いた。
「学院では、王子や騎士、魔法使い、それに学者みたいなキャラと仲を深めていく。
それぞれの個別ルートがあって、エンディングもキャラごとに違う。
大抵はハッピーエンドで終わるんだけど……」
モブロックの表情が苦く歪んだ。
「トゥルーエンドでは、王国が崩壊する。
黒い影――昏人が溢れ出して、この国はもう手がつけられない状態になる。
そして、奴らが狙うのは聖女クリスなんだ」
私は息を呑む。
クリス――あの、聖女として崇められた少女が。
「昏人は、大昔に王国の地下へ封印された怪物で、百年ごとに目を覚ます。
奴らが現れる前触れとして、この国には“聖女”が生まれる。
不思議なことに、聖女が死ぬと昏人の活性は収まる。
だから王国は、聖女と呼ばれる存在を見つけ次第保護し……
昏人が現れれば、生贄として捧げる儀式を続けてきた」
「……そんな儀式があったなんて。アニメではまったく触れられていませんでした」
私がそう呟くと、彼は小さく頷いた。
「王室の人間は全員そのことを知っていた。
クリスを生贄にするつもりだったから、アレクもその運命を理解していた。
だけど……アレクは本当にクリスを愛してしまったんだ。
最後には国を裏切ってでも、彼女を守ろうとした」
モブロックはゆっくりと息を吐いた。
その瞳には、どこか懐かしむような痛みが宿っている。
「他の攻略キャラたちも同じだった。
最後は皆、命と引き換えにクリスを救い出す。
だからこのトゥルールートに入る条件は――
隠しキャラを除く全攻略対象の好感度を最大にしておくことだった」
「……まるでバッドエンドですわね」
自然とその言葉がこぼれた。
「そう。当時、プレイヤーの間でも話題になったんだよ。
『これ、実質バッドエンドじゃん!』って」
彼は苦笑し、それから表情を引き締める。
「そして最後に残ったアレクシスが、王城の地下にある『プレインズドーン』っていう古代装置を使って、クリスを別の世界に転送するんだ」
「別の世界ですって……?」
私は思わず問い返した。
「そう。転送先は不思議な場所だった。
空高くまでそびえる建物が立ち並び、夜の街には無数の光が瞬いていた。
石造りじゃなくて、人工的で――異質な世界」
彼は少しだけ笑った。
「まるで、僕たちが暮らしていた“現代”みたいだよね」
そして静かに続ける。
「クリスは助けられたことに涙を流していたけど、同時に後悔もしていたんだ」
彼は淡々と、けれど優しくそのセリフを紡いだ。
『みんなが私を助けてくれた。だから強く生きていかなければ、みんなの分も』
『だけど、私にもっと力があれば、もっと早く聖女の運命に気づいていれば』
『もっと違う選択肢があったのかもしれない』
静寂が落ちる。
その言葉を、私は胸の奥で何度も反芻した。
モブロックは小さく息を吐き、最後に結んだ。
「――そう言って、『彼方の聖女』の物語は幕を下ろすんだ」
「……なるほど。本来はそういう物語だったのですね」
私の声は、どこか遠くで響いているようだった。
「アニメじゃ語られなかったからね。
アニメ版はアレクルートをベースに、他のルートのいいとこ取りで短くまとめてあった。
最後はイケメンたちに囲まれて――いわゆる“ハーレムエンド”。
……個人的には、あれはあれで幸せな終わり方だったと思うよ」
彼はそう言って、少しだけ寂しげに笑った。
◇
「そういえば……」
モブロックがふと首を傾げ、じっとこちらを見た。
「君、アニメは見てたのに、どうして原作ゲームはやらなかったの?
乙女ゲームが好きなら、普通はプレイするんじゃない?」
私は軽く肩をすくめ、紅茶をくるりと回しながら答える。
「だって、あれ大人向けのゲームでしょう? 私、あちらでは中学生でしたのよ。それに――」
「…………え?」
モブロックの顔からみるみる血の気が引いていくのが見えた。
「え、ちょっと待って。君、中学生だったの!? 未成年!? マジで!?」
「……何をそんなに驚いていますの?」
「いやいやいや、だってさ……!」
彼は両手をぶんぶんと振り回しながら言葉を詰まらせた。
「君、今めちゃくちゃ落ち着いてるし、肝も据わりすぎてるし、
どう考えても大人の思考してるじゃん!」
その大げさな反応に少し笑いそうになりながら、私は紅茶を口に含む。
熱すぎず、香りも心地よい。ひと口、喉を潤してから静かに言った。
「そりゃあ、何回も死んだ経験をしていれば、嫌でも落ち着きますわよ」
彼は絶句したまま、情けない顔で肩を落とした。
(そんなに驚くことかしら……)




