Ep.2
「なっ……!?」
ざわめきが一瞬にして悲鳴へと変わる。
ドレスの中から現れたそれは、まるで血のように赤く、その細腕には似つかわしくない剛剣。
装飾は禍々しく、ただそこにあるだけで空気が張り詰める。
参列者たちは息を呑み、誰もが信じられないという目をしている。
突如として現れた異形の剣に対する驚きもさることながら――この世界では、その仕草は『決闘』の申し込みを意味するのだ。
アレクシスの表情が一層険しくなる。
「気でも違えたか!? 王子殿下に剣を向けるなど――」
「馬鹿な、死に向かうようなものだ!」
「やめてください、リリアナ! これ以上、 罪を重ねないで!」
クリスティーナの悲鳴にも、リリアナは一瞥すらくれなかった。
まるでこの状況すら織り込み済みのように、王子アレクシスを見据えた。
「アレクシス・フォン・レギウス殿下」
その声は澄んでいて、冷たく、凛としていた。
「あなたは今、私に一方的な断罪を下しました。ですが、貴族の名誉を奪うというのであれば――相応の覚悟をお持ちですわよね?」
アレクシスが眉をひそめる。
「貴様、何が言いたい?」
リリアナが構える剣の切っ先は、一寸のブレもない。
その立ち姿は、剣の異形さを差し引いても、あまりにも洗練され、美しかった。
「婚約云々は、確かに王室に裁量がありましょう。
ですが、私とてエーデルハルト公爵家の娘。
はいそうですかと、貴族としての矜持を踏みにじられることを、
ただ黙って受け入れるほど誇りを失ってはおりません」
リリアナは剣の切っ先をまっすぐ王子に向ける。
「決闘です!
私を裁きたいのであれば――力で証明なさいませ」
「……戯れ言を!」
アレクシスの鋭い声が大広間に響いた。
王子の側近たちがざわめく。
「まさか……本気で決闘を?」
「いや、たとえ相手が令嬢でも、決闘の作法に則った以上は……受けねばならん」
「だが、アレクシス殿下の剣の腕が伊達でないことくらい、リリアナ嬢も知っているはずだ!」
「リリアナ! 剣を下ろして!」
クリスティーナの悲鳴が響く。
けれど、それを遮るようにアレクシスが手を上げた。
「……いいだろう」
思わず誰もが息を呑んだ。
アレクシスは、まるでこの状況すら楽しんでいるかのように、薄く笑った。
「貴様がそこまで言うのなら、受けてやる」
腰に佩いていた宝剣の柄に手をかけながら、アレクシスは言う。
原作での彼はいわゆる「俺様」系キャラ。実際に王子様なのだからそれも仕方ない。
尊大な態度だが、それに見合うカリスマも実力も持っている。
「貴様との悪縁、ここで断ち切ってくれる」
シャリン――。
まるで鈴の音のように澄んだ音を立て、アレクシスの宝剣が抜かれた。
光を反射して煌めく刃が、まっすぐにリリアナを射抜く。
その所作ひとつだけで、空気が変わる。
(……これが、“王子の決闘イベント”の迫力か)
原作でも何度か見たシーンだ。
敵の貴族、あるいは別ルートの攻略対象との一騎打ち。
でも――悪役令嬢のリリアナが、その相手になるなんて展開、どこにもなかった。
それでも、彼女は一歩も引かなかった。
恐れも、迷いも、一切見えない。
むしろ堂々とした姿に、この場の誰よりも“気品”があった。
「そのお言葉、そっくりそのままお返しします」
低く、静かに。
リリアナは剣を脇に、左足を前に出して腰を落とす。
その動きはまるで、剣士のそれだった。
リリアナが床を蹴った。そして――
「――ッ!」
視界から彼女の姿が消える。
次に見えたのは、アレクシスの身体が宙を舞う瞬間だった。
ドンッ!!!
耳をつんざくような衝撃音。
アレクシスの身体が、まるで人形のように吹き飛ばされ、数メートル後方の壁に叩きつけられる。
分厚い石壁にひびが走り、粉塵が舞い上がる。
リリアナは剣を振り抜いた姿勢のまま。
(……嘘、だろ)
――悪役令嬢が、王子を倒した。
理解が追いつかない。いや、おそらくその場にいた全員がそうだっただろう。
視界の中で最初に動いたのは、王子に駆け寄ろうとした聖女クリスティーナだった。
その白いドレスの裾が揺れる。
だが、その隣で剣を肩に担ぐリリアナは――笑っていた。
すぐに、王子の側近たちが我に返り、リリアナを取り押さえようと一斉に動き出す。
重たい足音が床を揺らし、剣の鞘が擦れる音が響く。
(やばい、やばい……このままじゃリリアナが殺される!)
そう思った瞬間――
ドォォォォン!!!
轟音が、壁の向こうから響き渡った。
空気そのものが震えるような重低音。
次いで、無数の馬蹄の音が迫ってくる。
壁の外や階下から、剣戟の金属音が混じる。
それも一つや二つじゃない。
どんどん数が増え、この大広間を包囲するように響いていた。
「エーデルハルト軍だ!!」
「北公軍が王都に攻め込んできた!! 別の旗もあるぞ!!」
その叫びが反響し、学院生たちの間を駆け巡る。
悲鳴と怒号が混ざり、場内は一瞬で混乱の渦に飲み込まれた。
(は……? なんだよそれ!?)
僕の頭は完全にパンクしていた。
――公爵軍が、王都を襲撃!?
こんな展開、原作ゲームにはなかった!
リリアナだけが、広間の中心で悠然と周囲を見渡した。
「皆様、落ち着いてくださいませ」
凛とした声が響く。
人々の喧騒を切り裂くように。
「あなたたちの立場は、何も変わりません。ただ――上に立つ者の名が替わるだけのこと。
これは、我が父――エーデルハルト公が主導する、新たな秩序の始まりですわ」
その宣言に呼応するように、重厚な扉が開かれた。
金属が擦れる低い音。
鎧をまとった兵士たちが、整然とした動きで大広間に踏み込んでくる。
「リリアナよ」
威厳ある低い声。
広間の奥から、堂々と歩み出てきたのは――北方の獅子、エーデルハルト公爵。
その目は王族をも恐れぬ鋭さを宿し、娘を見つめていた。
「お前の望み通り、この国を手に入れる時が来た」
僕は息を呑んだ。
ただ、呆然とその光景を見ているしかなかった。
(……おいおい、どうなってんだよ……これ、乙女ゲームだろ?
原作には国家転覆イベントなんて存在しなかったぞ!?)
周囲は悲鳴と動揺に包まれ、誰もが現実を受け入れられずにいる。
そんな中――リリアナだけが、静かに笑っていた。
その笑みは、勝者のものでも、反逆者のものでもない。
まるで一冊の本を読み終えた読者が、次の巻を手に取るような穏やかな笑みだった。
そして、その瞳がこちらを捉えた。
(……え?)
「そこな少年」
リリアナの声が、広間に静かに響いた。
僕の心臓が跳ねる。
彼女はゆっくりと僕の方へ歩み寄ってきた。
彼女は――獲物の観察を終え、興味を抱いた実験材料に手を伸ばす研究者のような目をしていた。
「先ほど、王子から責められる私を助けようとしていましたわね?」
青い瞳がまっすぐ僕を射抜く。
その切っ先のような視線が痛い。
「……あ、あれは……」
「その理由を聞かせてもらいたいのですけれど?」
剣の切っ先を下ろしたまま、彼女は淡々とした口調で言った。
その穏やかさが、逆に怖い。
口を開こうとするのに、喉が張り付いたみたいに声が出ない。
(ど、どうしよう……)
ここで「原作を知ってるから」なんて言えるわけがない。
仮に言ったところで、通じるはずもない。
一度だけ、この世界の誰かにそれっぽいことを話したことがあるけど、完全に頭のおかしい人を見る目をされた。
でも、それ以外に説明のしようもない。
ただのモブ貴族が、彼女を庇おうとした理由なんて――普通に考えたら不自然すぎる。
(下手な言い訳したら……やばい?)
頭の中で言い訳のパターンをいくつも考えたが、どれも詰んでいる。




