Ep.1
僕は、場違いだと知りながら、その煌びやかな大広間に立っていた。
頭上には、まるで星空を閉じ込めたような巨大なシャンデリア。
宝石のような光が降り注ぎ、床には赤い絨毯が一直線に伸びている。
両脇には豪奢な衣装に身を包んだ貴族たちがずらりと並び、口々に談笑していた。
――まるで絵画の中に入り込んだような光景だ。
絵画のような――さらに言えば、とあるゲームの中で幾度となく目にした背景スチルそっくりだった。
そのゲームの名は『彼方の聖女』。
聖女の力を持つ平民出身の主人公が、貴族たちとの関わりを通じて運命を切り開いていく物語。
攻略対象は、王子や騎士、軍師に魔法使いと、多彩なイケメン揃い。
舞台は貴族学院〈アデル・シューレ〉。
そこで主人公クリスティーナが彼らと恋をし、成長しながら愛を深め、ハッピーエンドを迎える――そんな「王道の乙女ゲーム」だ。
◇
そんな『彼方の聖女』の世界に、僕は――なぜか、モブ貴族の少年として転生してしまった。
学院のイベント背景の片隅で、いつもピントが合っていないような存在。
顔立ちも曖昧で、セリフも立ち絵もない。
観客席の後ろの方で拍手しているだけの――そういう「その他大勢」のひとり。
……いや、待ってほしい。
こういう転生モノって、普通は主人公とか、せめて攻略キャラに転生するもんじゃないのか?
この世界に転生してくるまでの経緯は、ここでは省略する。
それぐらい平凡でつまらない人生だった。
が、転生したところで、人生の立ち位置は結局変わらなかった。
乙女ゲームの世界の中でも、相変わらず僕はただのモブなのだ。
そんな僕の目の前に、今まさに“物語のクライマックス”が展開されようとしていた。
学院の卒業式。
夏の帰省を終えた貴族の子女たちが一堂に会する、この世界でも屈指の華やかなセレモニーだ。
脇に控えた楽団が、ゲーム内で聴くよりも重厚な生の音色を奏でている。
……けれど、その場に立つ全員が、どこか張りつめたように息を潜めていた。
原因は、誰の目にも明らかだ。
式典の主役――第一王子アレクシス
快晴の空のような青い礼装を纏い、剣のような鋭い眼差しを放つ完璧な男。
彼の隣にいるのは――桜色の髪を持つ少女、聖女クリスティーナ。
その立ち位置こそが、今この場の異様な空気の理由だった。
本来なら、王子の傍に立つべきは彼の婚約者――
北公エーデルハルト家の令嬢、リリアナ・フォン・エーデルハルトであるはずなのに。
だが、僕にとっては驚きでもなんでもない。
これは、原作ゲームの中で何度も見た“あのイベント”。
――悪役令嬢リリアナが、アレクシスによって断罪される、あのシーンだ。
「リリアナ・フォン・エーデルハルト!」
アレクシスの声が、重厚な天井を震わせるように響き渡る。
どこまでも凛としていて、王族らしい威厳を感じさせた。
(始まった……)
原作通りなら、ここから先は流れが決まっている。
取り巻きに囲まれたリリアナが前に出て、衆目の前でこれまでの悪行を暴かれ、婚約破棄を宣告される――。
それが、“断罪イベント”のテンプレートだ。
だが――
――ポーン♪
高く澄んだピアノの音が鳴り響き、楽団の演奏がふっと止まった。
場内の視線が、一斉に音の出所へと向かう。
ピアノの前に座っていた女性が、静かに立ち上がった。
深いワインレッドのドレス。
見事な金髪の縦ロールが、まるで舞台照明に照らされるように輝いている。
(……え?)
思わず息を呑んだ。
リリアナ――?
僕が知っているゲームでは、彼女がピアノを弾くシーンなんてなかった。
この演出は、原作にはない展開だ。
リリアナは、ゆっくりと、しかし堂々とした足取りで中央へ進み出る。
赤い絨毯の上を、一歩ずつ踏みしめながら。
そして――その瞬間。
ふと、彼女と目が合った。
心臓が跳ねた。
あの青い瞳は、冷たく、それでいてどこか深い。
一瞬で、視線を奪われる。
ゲームの中では何度も見た“悪役令嬢”の顔。
けれど、今こうして現実として対峙すると――それは、ただただ、美しかった。
(……やっぱり、すごく、綺麗だ)
目が合ったのはほんの一瞬。
すぐに彼女は、視線をアレクシス王子へと戻した。
けれど、僕の胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
だって、僕は知っている。
この後、彼女がどんな結末を迎えるかを――。
(……今日、この日。リリアナは、断罪される)
◇
僕は――リリアナのファンだった。
原作ゲームでも、アニメ版でも、彼女は確かに「悪役令嬢」として描かれていた。
でも、ずっと引っかかっていた。
――本当に、彼女はそこまで悪いことをしたのだろうか?
確かに嫉妬深く、傲慢で、周囲を見下すような態度もあった。
けれど、それは彼女が持つ誇りと責任感の裏返しでもあったはずだ。
それなのに、ゲームでは一方的に糾弾され、大勢の前で辱めを受け、すべてを奪われて終わる。
まるで、物語を盛り上げるために都合よく悪役にされた存在みたいで――
それがどうしても許せなかった。
そして何より。
(……ツラが良い!)
そう、彼女は誰が見ても認めざるを得ないほどの超絶美少女だった。
金糸のような髪、蒼玉のような瞳、どんな悪役ムーブをしても絵になる完璧な造形。
あんな美貌の持ち主が、理不尽に断罪されて終わるなんて――そんな結末、耐えられるはずがない。
だから、僕は決めた。
これはきっと運命だ。
神が僕に与えた使命――「彼女を救え」という啓示なんだ、と。
守護らねば。
――”推し”を。
僕はこの世界に転生してからというもの、狂ったように鍛えた。
毎日、剣を振り、魔法を覚え、この世界の理を必死に学んだ。
――ただ闇雲に努力したわけじゃない。
原作ゲームの攻略知識を、徹底的に活かした。
どの訓練場を使えば経験値効率が良いか、どの講師が有能スキルを教えてくれるか、どんな食事を摂れば最短でステータスを上げられるか――すべて知っていた。
プレイヤー時代に培った知識を、この世界の肉体に叩き込んだのだ。
普通のモブなら一生かけても届かない領域に、僕は最短ルートでたどり着いた。
モブ貴族の身分なんて関係ない。
全ては――この“運命の日”のために。
破滅のシナリオを変え、断罪の未来を打ち砕き、彼女を救うために。
そうして僕は、この日を迎えた。
リリアナにとっても、そして――僕にとっても、運命の日を。
◇
壇上のアレクシス王子は、あまりにも堂々としたリリアナの立ち居振る舞いに、一瞬だけ表情を揺らした。
だけど、すぐにいつもの威厳を取り戻し、冷たい視線で彼女を見下ろした。
「リリアナよ、貴様の嫉妬深い行いは、聖女クリスティーナの身を害しかねないものだった。
いくら北辺の長の娘といえど、そのような狭量な心では王妃としてこの国を支えることなど到底できぬ。
もはや、貴様は王妃の座にふさわしい人間ではない。
この場をもって――婚約を破棄させてもらう!」
その言葉が響いた瞬間、大広間がざわめいた。
楽団の音が止まり、観衆の視線が一斉にリリアナへと集まる。
僕の背筋に冷たい汗が流れた。
貴族の子弟たちが、ざわめきながらリリアナを取り囲む。
最初は困惑、次第にそれは軽蔑と侮蔑へと変わっていく。
(……クソッ、こういうところが嫌なんだよ、このイベント)
原作ゲームの“クライマックスシーン”――彼女は恥辱に涙し、貴族社会から追放される。
今こそ、僕が動くときだ。
リリアナを救えるのは――この世界を知る、僕しかいない。
(ここだ!ここで僕が声を上げるんだ!リリアナを救えるのは僕だけ!)
「ちょっと待っ……!」
「アレクシス殿下!!!」
僕の声をかき消すように、リリアナの澄んだ声が大広間に響き渡った。
次の瞬間、僕は息を呑んだ。
リリアナが、ゆっくりとドレスの裾を持ち上げ――そこから真紅の剣を抜き放ったのだ。




