小さな光《タイニーライト》
創立記念祭のあの一夜が過ぎて、学園の空気は静かに、しかし確実に変わった。巧はいつものようにルナリアの肩の上から教室の光景を眺めていた。
(随分、変わったな)
あのイグニスの『天雷の槍』とは全く質の異なるやり方で、しかし、確かに観衆の心を震わせた光の魔法。それが、彼女を良くも悪くも学園の中で特別な存在にしていた。
だがそんな周りの変化以上に変わったのは、ルナリア自身だった。彼女の表情からは、焦りや劣等感といった影の色がすっかりと消え失せていた。以前の刺々しく近寄りがたい雰囲気は嘘のように鳴りを潜め、今の彼女を包んでいるのは春の陽だまりのような穏やかさだった。
すると、薔薇クラスの女生徒たちが、おずおずとこちらへ近づいてくるのが見えた。
「……あの、アシュフィールドさん」
そのためらいがちな声に、ルナリアは静かに振り返った。
「この前の発表会の魔法……。とても綺麗でしたわ」
ルナリアは驚いたように目を見開いた。そして彼女は少しだけ頬を赤らめながら、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
(……そうか。変わったんだな。本当に)
彼女を取り巻く環境の変化に、巧の小さな胸を幸福感が満たした。
◇
そして何よりも変わったのは、夜の練習の時間だった。それはもはや何かに追われるような特訓ではない。ただ純粋に二人で魔法の可能性を探求する、喜びに満ちた時間へと変わっていた。
(研究をしていた時も、こんな気持ちだったかな……いや、違う。あの頃は、こんなに楽しくなかった)
そんな穏やかな日々が数週間続いたある日の夜。二人はいつもの練習場に向かっていた。
その日の練習が一通り終わったその時、ルナリアがふと何かを思いついたように顔を上げた。そして肩の上の巧に少しだけ悪戯っぽく笑いかける。
「ねえ、タク。少しだけ、そこで見ていてくれないかしら?」
(何をする気だ……?)
巧はそのいつもと違う彼女の真剣な横顔をただ静かに見守っていた。彼女は一度深く息を吸った。そしてゆっくりと目を閉じる。
その姿はまるで、これまでの巧とのレッスンを一つ一つ心の中でなぞっているかのようだった。
(まさか……)
巧の胸が高鳴った。やがて彼女はゆっくりと目を開いた。その紫色の瞳に宿っていたのはもはや一片の迷いもなかった。
彼女は静かに右腕を前に突き出す。そして詠唱を始めた。
「――灯れ、小さな光」
最初の挑戦。彼女の指先に光は灯らない。魔力は以前のように術式の入り口でその拠り所を見失ったかのようにふっと霧散してしまう。
彼女は悔しそうにしていたが、その瞳にはまだ確かな光が宿っていた。巧はただ静かに頷き返す。
(大丈夫だ。君なら、できる)
彼女はもう一度深く息を吸う。そして二度目の詠唱。
今度は指先にほんの僅かな光の兆しが生まれた。それはマッチの火がつくそのほんの一瞬前の閃光のようだった。
しかし、そのか細い光はすぐに闇の中に消えてしまう。
「惜しい……!」
彼女の口から悔しさの混じる声が漏れる。しかし、確かな手ごたえを感じたようだった。
巧もまたぐっと拳を握りしめていた。
(あと少しで……!)
そして三度目の挑戦。彼女の集中力が極限まで高まる。練習場を支配するのは夜の静寂と彼女の真剣な息遣いだけ。
巧も固唾を飲んでその瞬間を見守っていた。
詠唱が終わる。一瞬の静寂。
そして、彼女の指先にぽっと、温かく力強い光が灯った。
(……やった!)
彼女が自分の力だけで生み出した初めての魔法の光。
ルナリアは信じられないという表情で、自分の指先で輝くその光をただじっと見つめていた。その大きな瞳からぽろりと一筋の涙が零れ落ちる。
彼女が自分の力で掴み取った喜びの涙だった。
(……本当に、良かった)
巧の目頭も熱くなる。元の世界では感じたことのない、誰かの成功を心から喜ぶという感情。それが彼の胸を満たしていた。
彼女はその涙に濡れた笑顔のまま、彼をそっと掌の上に乗せた。
その温かい手のひらの中で、巧は彼女のそのあまりにも美しい笑顔をただ見つめ返していた。
「……できた。できたわ、タク……!」
その震える声に巧は力強く頷いた。
(ああ。見ていたよ。君の、その努力の全てを)
彼女は涙を乱暴に袖で拭うと一度深く息を吸う。そして少しだけ頬を赤らめながら言った。
それは彼女の不器用な魂の全てを込めた真っ直ぐな感謝の言葉だった。
「あなたがいなかったら私、きっと今もあの暗い部屋で一人で泣いていただけだったわ」
そして彼女は少しだけ俯くと、その大きな紫色の瞳で巧をまっすぐに見つめ返した。
「私の使い魔が、あなたで本当に良かった」
巧の胸が熱くなる。
(俺も、君の使い魔になれて、本当に良かった)
元の世界で何も成し遂げられなかった自分。誰の役にも立てなかった自分。
だがここでは違う。この小さな体でも、確かに誰かの力になれた。誰かの笑顔を守れた。
(これが、俺が本当に求めていたものだったんだ)
巧はその素直でそして温かい言葉に、ただ静かに頷き返す。彼の心を今まで感じたことのなかった気持ちが、温かく満たしていた。




