天雷の槍《ゲイボルグ》
創立記念祭の二日目の夜、魔法発表会の時間がやってきた。
野外に設営された巨大な特設ステージの周囲は、王国中から集まった人々で埋め尽くされていた。その中には、ひときわ冷徹な空気を放つヴァレンシュタイン公爵の姿もあった。
ステージの袖の薄暗い闇の中。その空気は期待と緊張で張り詰めていた。
ルナリアは、フローラが作ってくれた小さな燕尾服を、巧の体に優しく着付けていた。その指先は緊張でほんの少しだけ震えている。
「少し、怖い……」
彼女が初めて素直な弱音を吐いた。自分たちのこのささやかな魔法が、果たしてこのきらびやかな舞台で受け入れられるのだろうか。巧も不安に思うが表情には出さない。
巧は彼女の震える指を、自分の小さな両手でぎゅっと包み込んだ。そして静かに頷く。
(大丈夫だ。俺がいる)
声にならない声で伝える。妖精の体では声はだせない。だが、今はそれでいいと思えた。この小さな手の温もりで伝えられるのだから。
その小さな温もりに、ルナリアはふっと笑みを浮かべた。
「……ええ、そうね。私たちだものね」
二人の心は完全に一つだった。
やがて、司会者の高らかな声が響く。他の生徒たちの素晴らしい魔法が次々と披露されていく。ステージの袖の薄暗い隙間から巧の目に映るのは、巨大な炎の渦、鋭い氷の刃。そのどれもが『破壊』や『攻撃』のためだけに洗練された魔法だった。
その度に、会場は大きな拍手に包まれた。
(……すごい)
巧は息を呑んだ。常識を超えたエネルギーの奔流、これが魔法か。これがこの世界の力なのか。
その圧倒的な力の披露宴を目の当たりにして、ルナリアの肩が再び硬直していくのを巧は感じ取った。彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。
(落ち着いて、ルナリア)
巧は彼女の首筋にそっと頬を寄せた。今自分にできることは、これくらいしかなかった。
そして、ついにイグニスの番が来た。
彼は静かにステージの中央へと進み出た。観客に一礼すると、ただ静かに目を閉じた。
その瞬間、会場の空気が変わった。それまでの華やかで楽しげな喧騒が嘘のように消え失せる。代わりに、肌をピリピリと刺すような濃密な魔力の『圧力』が、会場全体を支配した。
(……なんだ、これは)
巧の小さな体が本能的に震えた。これは恐怖だ。純粋な、生物としての恐怖。ルナリアの魔力とは質が違う。彼女の魔力が大河だとすれば、イグニスのそれは研ぎ澄まされた刃だ。一点に収束し、全てを切り裂くための。
夜空には、いつの間にか分厚い黒雲が渦巻き始めている。
「――天に満ちる、怒りの雷よ。我が声に応え、その姿を地に示せ」
彼の詠唱は、まるで地殻の底から響いてくるかのような荘厳な『響き』だった。夜空の暗雲がその響きに応えるように激しく渦を巻く。その中心から、一本の美しく、そして恐ろしい巨大な雷の槍が姿を現した。
まるでそれは、神話の巨人が天から投げ下ろす、絶対的な『裁き』そのものだった。
(……こんなもの、どうやって制御してるんだ)
巧の研究者としての本能が疑問を投げかける。あのエネルギー量、電位差、プラズマ化した空気の密度。全てが常軌を逸している。それを、彼はあの細い指先一本で完璧に制御している。
彼はその今にも暴発しそうな凄まじいエネルギーの塊を完璧な制御していた。そして、標的である練習場に設置された巨大な黒曜石の的へと、その白く細い指先を向けた。
「――天雷の槍」
閃光。数瞬遅れて、鼓膜を突き破るかのような轟音が空気を揺らす。そして衝撃波が観客席を撫でていく。
魔法障壁で幾重にも守られていたはずの黒曜石の的は、跡形もなく塵となって消し飛んでいた。
会場は一瞬の完全な静寂の後、その絶対的な『力』への畏敬の念に満ちた、どよめきに包まれた。
貴賓席でヴァレンシュタイン公爵が満足げに頷いているのが見えた。
(……これが、この学園の頂点か)
巧は戦慄した。人間業とは思えない。そして、この後に自分たちの魔法を披露しなければならないのだ。
出番を終え、イグニスがステージ袖に戻ってきた。その圧倒的な魔力の残滓を肌で感じ、ルナリアは完全に気圧されていた。
震える声で、彼に問いかける。
「……なぜ、私を推薦したのですか?」
それに対し、イグニスはただ一言だけ、冷たく言い放った。
「お前の、その力が『本物』かどうか。それだけを見に来た」
そして彼は、彼女の肩の上にいる小さな妖精を一瞥し、心の底からつまらなそうに鼻で笑う。
「……せいぜい、足掻くがいい。その『愛玩動物』と共にな」
「彼は、愛玩動物じゃないわ」
ルナリアは揺るがなかった。その言葉で覚悟が決まったのか落ち着いてるように思えた。
イグニスが初めて、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「私の唯一の大切なパートナーよ」
彼女はそれだけ言うと、もう彼に関心はないとでも言うように、ふいと顔をステージの方へと戻した。
(……ルナリア)
彼女の体温が、震える自分の心を落ち着かせてくれる。
それを見つめるイグニスの、その完璧な無表情がほんの一瞬だけ崩れたのを、巧は確かに見た。
(そうだ。今度は俺が、彼女を守る番だ。俺たちの魔法で。)
ルナリアの出番はもう目前に迫っていた。




