光の蝶
両親と別れ、寮へと戻る道すがら。夜の闇が学園を静かに包み込んでいた。祭りの喧騒が嘘のように遠くに聞こえる。
ルナリアはまだ感動の余韻に浸っているのか、何も言わなかった。ただ、肩の上に乗せられた小さなパートナーの重みを確かめるように、ゆっくりと歩いている。
巧もまた、父親からその手に託された「娘をよろしく」というあの重く、そして温かい言葉の響きを、心の中で何度も何度も反芻していた。
やがて、彼女がぽつりと呟いた。
「……ありがとう、タク。あなたがいてくれて、よかった」
その素直な言葉に、巧の小さな胸がじんわりと温かくなる。彼は彼女の蜂蜜色の髪に、そっと自分の体を寄り添わせた。
部屋に戻り、ランプに柔らかな光が灯る。
机の上には、フローラがくれたあの小さな燕尾服が、まるで主役の登場を今か今かと待ちわびているかのように、静かに置かれていた。それを見て、明日のあの華やかな舞台が、急に現実のものとして二人の前に迫ってくる。
ルナリアが不安げに口を開いた。
「『私たちにしかできない魔法』。でも、いったい何をすればいいのかしら……」
昼間のあのわたあめ屋の前で見つけた、確かな答え。だが、いざそれを晴れの舞台で披露するとなると、話は別だった。
あのささやかな『光の蝶』は、泣いている一人の女の子を笑顔にするには十分すぎた。だが、あの巨大なステージの上で、果たしてどれほどの意味を持つのだろうか。
彼女の声の響きの中に、まだわずかに残る不安を巧は感じ取った。
彼女はふと、何かを思いついたように顔を上げた。そして巧を、机の上の羊皮紙とインク壺の前に連れていく。
ペンを手に取ると、どこまでも優しいタッチで、一枚の絵を描き始めた。
それは一匹の光の蝶。そしてその蝶の周りに、たくさんの、たくさんの小さな光の粒子が、きらきらと舞っている絵だった。まるで蝶が魔法の鱗粉を振りまいているかのようだった。
「……ねえ、タク。こんなこと、できないかしら?」
彼女の豊かで優しいイメージ。それを見た巧の、研究者としての魂が燃え上がった。
彼は力強く頷くと、彼女が描いたその拙い絵の余白に、完璧な術式の図を描き加えていく。
それは彼女の優しいイメージを、現実の現象へと変換するための、緻密で美しい設計図だった。
「すごい……。でも、これって……」
ルナリアはその複雑に見える術式の図を食い入るように見つめた。そして驚きの声を上げた。
「全部、『光の魔法』の応用なのね……!」
その通りだった。
巧が描いたのは、新しい高度な術式ではない。ただひたすらに、あの最も基本的な『光の魔法』の術式を、無数に組み合わせ、そして連結させただけの術式だった。
「すごいわ、タク。あなた、本当にすごい……!」
彼女はその不可解だが、どこか絶対的な法則性を感じさせる術式を、ただ息を呑んで見つめていた。そして巧の完璧な設計図を信じて、もう一度詠唱を始めた。
この小さな部屋の中で、静かに最初の「実験」を始める。
巧が羊皮紙の設計図を基に、複数の『核』を部屋の空間に同時に配置していく。一つ、また一つと。彼の精密な作業に、ルナリアは息を呑んだ。
そして彼女は、その無数の小さな道標に向かって、自らの巨大な魔力を、まるで毛細血管に血を通わせるかのように、慎重に、そして優しく注ぎ込んでいく。
それは彼女にとって初めての体験だった。その巨大な湖の水面を一切波立たせることなく、そこから無数の絹糸を紡ぎ出すかのような、繊細な魔力制御。それはまるで、彼女の心を表しているようだった。
部屋の中に、ぽつり、ぽつりと小さな光が灯り始める。
それはやがて無数の光の蝶となり、部屋の中をゆっくりと、そして荘厳に舞い始めた。そしてその蝶たちの軌跡から、きらきらと輝く光の粒子が、まるで魔法の鱗粉のように降り注いでいく。
壁に、天井に、ベッドの上に。
その幻想的な光が反射し、部屋の全てがまるで万華鏡の中のように、きらきらと輝いている。
「すごい……。これが、私たちの魔法……」
ルナリアは涙ぐみながら、そう呟いた。巧もまた、その美しい光景に言葉を失っていた。
これで大丈夫だ。明日はきっとうまくいく。
二人は顔を見合わせる。そして静かに、しかし力強く頷き合った。
部屋の中を静かに舞い続ける、無数の光の蝶。その幻想的な光が、二人の輝かしい未来を祝福しているかのようだった。




