創立記念祭
そして創立記念祭の一日目がやってきた。
学園は外部からの訪問者も迎え入れ、まるでお祭りのように華やかな喧騒に包まれている。色とりどりの制服を着た生徒たち、あちこちから聞こえてくる楽しげな音楽、そしてバターと砂糖が焼ける甘いお菓子の匂い。
その平和な喧騒の中で、ルナリアの心も自然と軽やかになっていくのが巧にも伝わってきた。
(こんな表情、初めて見るな)
彼女は以前の約束通り、巧を連れてフローラの店の手伝いにやってきた。ミリオン商会の出店はひときわ大きく、そして華やか。店の前には既に長蛇の列ができている。
「ルナー! タクちゃん! 来てくれたのね!」
エプロン姿のフローラが満面の笑みで二人を出迎える。
「さあ、まずはこれ、食べてみて!」
フローラはそう言うと、二人に自慢の『虹色に光る星屑わたあめ』を手渡した。
ルナリアは戸惑いながらも、その雲のようにふわふわな七色の塊を一口頬張る。そのあまりにも甘く優しい味わいに、彼女の緊張していた表情がふわりと解きほぐされる。
巧もまた、自分の体の何倍もあるその巨大な綿あめを夢中で食べた。
(うまい……! なんだこれ、口の中で溶けていく……!)
元の世界の綿あめとは比べものにならない。魔法で作られたそれは、まるで雲を食べているかのような不思議な食感だった。
その二人の幸せそうな顔を見て、フローラが満足そうに笑う。巧はその小さな視点から、店の光景を見渡した。
ショーケースの中には、色とりどりのフルーツサンドや焼き菓子が、まるで宝石のように並べられている。
甘いフルーツの香りとバターの焼ける香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。そして、何よりもその店に集まる人々の、期待に満ちた笑顔。
(こういう光景、いつ以来だろう)
その圧倒的な幸福感に、巧は心を奪われた。元の世界では、こんな風に誰かの笑顔を間近で見ることすら、いつの間にか忘れていた。
「さあ、どんどん手伝ってちょうだい!」
ルナリアは最初、少しだけ戸惑っていた。
貴族の令嬢である彼女が、子供相手にどう接していいのか分からない。
(そうか。彼女、こういうの慣れてないんだな)
しかしフローラの太陽のような明るさと、子供たちの純粋な笑顔に触れるうちに、彼女の緊張していた心が少しずつ解きほぐされていく。
そして彼女が、初めて自らの意志で子供に笑いかけることができた。
(……ああ)
その、ささやかだけれど決定的な変化の瞬間を、巧は確かに見た。彼女が本当に心の底から笑っている。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうございます!」
彼女がフローラと共に『虹色に光る星屑わたあめ』を、楽しそうに子供たちに手渡していく。そのきらきらと輝くわたあめを目を輝かせて受け取る子供たちの笑顔。
その一つ一つが、ルナリアの緊張した心を優しく解きほぐしていくようだった。
(これでいいんだ。こういう時間が、彼女には必要だったんだ)
その時だった。一人の、まだ五歳にも満たないような小さな女の子が、受け取ったばかりのわたあめを不注意で地面に落としてしまった。
ふわふわだったわたあめは無残に地面の埃にまみれてしまう。女の子の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うえぇぇぇん……!」
母親が必死になだめるが、女の子の涙は止まらない。その悲痛な泣き声に、お店の前の楽しい空気が一瞬だけ気まずく静まり返る。
ルナリアはその光景を、自分のことのように胸を痛めながら見つめていた。
(……待てよ)
巧の脳裏に、一つの閃きが走った。昨夜、二人で練習した光の魔法。あの柔らかく温かい光なら、きっと。
彼女の肩の上で、巧がとんと彼女の頬を叩いた。そして彼は自分の指先をちょんと指差し、そこにマッチの頭ほどの小さな小さな光を灯してみせた。
そしてその光を、泣いている女の子の方へと指し示す。
『あの子を笑顔にしてあげよう』
ルナリアはその優しいパートナーの提案に息を呑む。そして力強く頷いた。
(……分かってくれたか)
彼女は泣いている女の子の前にそっとしゃがみ込む。そして巧の補助を受けながら、彼女がこの数日間ひたむきに磨き上げてきた『光の魔法』を披露した。
彼女の指先から生まれた小さな光が、ふわりと浮かび上がり、小さな光の蝶の形になる。
(いいぞ、ルナリア。完璧だ)
その美しく優しい光の蝶が、女の子の鼻先にそっととまると、女の子はぴたりと泣き止み、そのきらきらと輝く光景に目を見開いた。
やがてその泣き顔が、満開の笑顔へと変わっていく。
(……ああ、良かった)
その笑顔を見つめるルナリアの横顔を、巧は見た。彼女の顔には、慈愛に満ちた優しい笑みが浮かんでいた。
泣き止んだ女の子。その小さな手に、すかさずフローラが新しいわたあめをそっと握らせてあげる。
そして女の子がそのわたあめを一口頬張った。
「おいしい!」
「……まあ、すごい!ありがとうございます」
女の子の母親が、心の底から感謝の言葉を口にする。その真っ直ぐな、賞賛の言葉にルナリアははっと我に返った。
そして、顔を真っ赤にして、慌てて首を横に振る。
「い、いえ! そんな、大したことじゃ……!」
その、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな、彼女の姿。それを見ていた巧の胸に、温かいものが込み上げてくる。
元の世界では、どうだっただろう。自分はこんな風に、誰かの笑顔を作ったことがあっただろうか。
だが、今は違う。自分のこのちっぽけな力が、確かに目の前のこの温かい光景を生み出した。そのほんのささやかな事実が、彼の心を静かに潤していく。
「魔法ってこんな使い方もできるのね」
ルナリアは、肩の上の巧と顔を見合わせる。巧もまた力強く頷いていた。
二人の心は、完全に一つになった。発表会で何をすべきか、その答えはもう言葉にするまでもなかった。




