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雷と炎

 フローラが帰った後、ルナリアは静かな闘志を燃やしていた。

 彼女はフローラがくれた小さな燕尾服を、宝石箱のベッドの横へ大切そうに置く。そして決意を固めたように、ぐっと拳を握りしめた。


「……タク。発表会にはね、お父様とお母様が来てくださるの」


 胸ポケットの巧に、彼女が囁く。その声は喜びに弾むと同時に、重圧で震えているようだった。


「だから見ていて。私だって、やれるんだって証明してみせるんだから」


 その日から、ルナリアの猛特訓が始まった。

 彼女が図書館から借りてきたのは、『中級攻撃魔法』という、派手な挿絵が目を引く教本だった。


 彼女が選んだのは、その一番最初に載っていた『炎のフレイム・ランス』。複雑な水の造形術や繊細な植物魔法ではなく、ただひたすらに純粋な『力』を象徴するかのような魔法。


 巧には、選択の理由が痛いほど伝わってきた。これならば、イグニスの『天雷のゲイボルグ』の隣にかろうじて立つことができるかもしれない。そして何よりも、彼女の巨大な魔力を最も分かりやすく観衆に見せつけられる。その選択は、あまりにも痛々しい背伸びに見えた。


 夜の練習場。彼女は胸ポケットの巧へ、ぽつりと呟く。


「負けたくないの」


 短く切実な響きが彼女の全てを物語っていた。彼女は詠唱を始める。巧も合わせ、彼女の手のひらに術式の核を設置しようと意識を集中させた。

 だが、ポケットにまで伝わる魔力の流れは、あまりにも荒々しい。派手な魔法をという焦りが、彼女の制御を普段以上に乱している。


 その上、巧自身も初めて見る複雑な術式の構造を、まだ完全には理解しきれていない。

 暴れ狂う奔流を、不完全な設計図で導こうとする。二つの要因が重なり、彼女の手のひらから生まれたのは、槍ですらないただの歪な炎の塊だった。


(やはり、無理があったか)


 付け焼刃で、胸を張れるレベルに到達するなど論理的にありえない。このままでは、発表会で無様に炎を撒き散らすだけだ。そうなれば、彼女はどうなってしまうのだろう。


(止めなければ)


 巧は意を決して、ポケットの縁をとんと叩いた。ルナリアは練習を中断し、彼を掌の上に乗せる。


「どうしたの、タク?」


 巧は、先ほどの『炎のフレイム・ランス』を模倣するように、手を槍の形にして、すぐにぐにゃぐにゃと歪ませてみせた。そして、首をぶんぶんと横に振る。「この道は、違う」と、必死に訴える。


 だが、ルナリアの表情は曇った。


「何が言いたいの? 私の魔法は不格好だってこと?」


 それは、あまりにも悲しい誤解の言葉だった。


「そんなこと、分かってるわよ! だから、もっと数をこなさなきゃ」


 彼女はそう言うと、苛立ちを隠しもせずに巧を胸ポケットへ戻してしまった。

 ポケットの暗闇で、巧は静かにため息をつく。善意が空回りする。声にならない言葉が、彼女のプライドを傷つける刃に変わってしまう。そのどうしようもない無力感が、彼の胸を締め付けた。


 その時だった。


「――不格好な炎だな」


 静かで、どこまでも冷たい声が、練習場の暗闇に響いた。

 声のした方を見ると、そこにイグニスが腕を組んで立っていた。いつからそこにいたのか。

 彼は、ルナリアが生み出した歪な炎の塊を一瞥すると、温度のない声で続けた。


「それを、発表会で披露するつもりか?」


 その声の冷たさに、巧は息を呑んだ。ポケット越しに、ルナリアの体がぴんと張り詰めるのを感じる。


「……っ!あなたには、関係ないでしょう!」


 絞り出すような、彼女の拒絶の言葉。

 イグニスの唇の端が、わずかに吊り上がった。まるで、子供の戯言を聞くかのように。


「関係なくはない。その程度の見せ物で、僕の隣に立たれるのは、我慢ならない」

「……見せ物ですって?これは、私の日々の努力の……!」


 その言葉を、イグニスは遮った。


「……努力、か」


 そのたった一言は重い響きを持っていた。


「お前がこの数週間、少しばかり魔法の練習をした『付け焼刃』のことを、お前は『努力』と呼ぶのか?」


「私なりに、必死で……!」


 彼女の悲痛な叫びを、イグニスは容赦なく遮った。


「……お前は本当に分かっていないらしいな。お前と僕が『同類』であるということを」


 そして、彼はとどめを刺すように残酷に告げる。


「その力を、私が御するのにどれほどの時間を費やしたと思っている?」


 巧には、その言葉が悲鳴のようにも聞こえた。 


「……お前のその力が、『本物』かどうか。発表会で見定めさせてもらう」


 彼はそれだけ言うと、立ち尽くすルナリアを置き去りにして去っていく。


 巧は、ポケットの中から彼女の体が小刻みに震えているのを感じていた。イグニスの言葉が、彼女の生まれたばかりの脆い自信を静かに、しかし確実に蝕んでいくようだった。それが手に取るように分かってしまった。

 彼女は、その不安を振り払うかのように呟いた。


「もっと、練習しなきゃ」


 その声は、どうしようもない焦りに満ちていた。彼女はまるで何かに取り憑かれたかのように、再び詠唱を始める。


『炎のフレイム・ランス


 以前よりも、さらに荒々しく、無茶苦茶な魔力の奔流がポケットの中の巧にまで伝わってくる。


 巧の小さな体が悲鳴を上げていた。

 彼女のその自暴自棄な魔力に、必死に補助を合わせ続ける。指先が鉛のように重く、思考に靄がかかる。

 G級妖精のあまりにも少ない魔力の器。その底がとうとう見え始めていた。

 だが彼女が止めない限り、止めるわけにはいかなかった。

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