創立記念祭と魔法発表会
その日、巧はポケットの中から教室の雰囲気がいつもと違うことを感じ取っていた。
縁からそっと顔を覗かせると、生徒たちの声がいつもより弾んでいる。そんな中、教師の厳粛な声がその喧騒を一瞬で静まらせた。
「――今年の『創立記念祭』の開催を、正式に布告する」
教師の言葉を皮切りに、教室は先ほど以上の熱気に包まれた。教師は一つ咳払いをすると、その熱を冷ますように続けた。
「皆も知っているとは思うが、改めて説明する。祭りのメインイベントは、『魔法発表会』だ。各クラスから代表を二名選出し、学習の成果を披露してもらう。代表に選ばれることは、この学園の生徒として最高の名誉であると心得るように」
《薔薇クラス》の代表の一人目は、決まりきっているのが巧にも分かった。
「まず一人目は、イグニス・ド・ヴァレンシュタインだ」
教師が当然のように告げると、誰一人として異論を唱える者はいなかった。彼もまた、その指名を表情一つ変えずただ静かに受け入れる。
「では、もう一人の代表は……」
教師が、他の生徒たちに目を向けた。その時不意に、静寂を破る声がした。
「――先生。私から、推薦したい者がおります」
イグニスだった。彼のよく通る声が、静まり返った教室に響く。教室中の視線が、彼へと集まった。
彼はゆっくりと立ち上がると、教室の隅にいるルナリアをその冷徹な眼差しで、まっすぐに見つめた。
「もう一人の代表には、最近目覚ましい『成長』を遂げられた、ルナリア・アシュフィールドを僕が強く推薦いたします」
その言葉に彼女の心臓が、どきりと大きく跳ねるのをポケットの中の巧は感じた。訝しげなどよめきが、生徒たちの間に広がる。
イグニスは、その喧騒を片手を軽く上げるだけで完全に支配した。
「私はヴァレンシュタインの名に懸けて、最高の魔法を披露するつもりだ。――かねてより研鑽を積んできた、雷系統の上位魔法『天雷の槍』をかの場で披露しよう」
『天雷の槍』。その言葉の響きだけで、教室の空気がさらに張り詰めるのが分かった。彼は再びルナリアだけを見つめ、挑戦的に微笑んだ。
「彼女もまた、その『成長』にふさわしい素晴らしい魔法を見せてくれると、私は期待している」
このあまりにも一方的な宣言。教師は明らかに困惑した表情で、イグニスに問い返した。
「……ヴァレンシュタイン。本気かね? アシュフィールドは、確かに先日の試験では及第点を取ったが……」
イグニスはその言葉を遮るように、ただ静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で教師を見つめ返した。
教師は、その視線の前に一瞬だけ言葉を失う。そして、はぁと小さなため息をつくと、彼女の意思に委ねるかのようにルナリアに視線を向けた。
「……アシュフィールド。君はどうなのだ」
単なる嫌がらせではない。巧の背筋を、冷たいものが走った。
……これは、実験だ。イグニスは、ルナリアの力が『本物』かどうかを試しているのだ。
息を呑む、かすかな音。体が強張り、彼女はぎゅっとスカートを握りしめる。巧には、彼女の恐怖が痛いほど伝わってきた。
彼女は、一度きつく目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。その表情から、先ほどまでの怯えは消え静かな覚悟だけが満ちていた。
彼女は背筋を伸ばすと、イグニスをまっすぐに見つめ返した。その唇は決して屈しないという、鋼の意志を示すように硬く結ばれている。
「――謹んで、お受けいたします」
その凛とした声。あまりにも堂々とした予想外の返答に、今度は教室中が驚きと戸惑いの沈黙に包まれた。イグニスの完璧な無表情が、ほんの一瞬だけ崩れたように見えた。
ルナリアの恐怖をプライドで塗り固めた痛々しい姿に、巧の胸が締め付けられる。だが、それ以上に決して俯かないその気高さが彼の心を焦がした。
彼女を守らなければ。巧はそう強く思った。
◇
部屋に戻ってもまだルナリアの体からは、先ほどの緊張が抜けきっていないようだった。巧は、サイドテーブルの上で、彼女のわずかに強張った背中を案じるように見つめていた。
その時、部屋の扉がコンコンと元気よくノックされた。
ルナリアが訝しげにドアを開けると、そこに立っていたのは満面の笑みを浮かべたフローラだった。その両手には、楽しげなチラシと小さな可愛らしい箱が抱えられている。
「ルナー! 聞いたわよ、発表会の代表! すごいじゃない!」
フローラは、太陽のような笑顔でそう言った。だが、ルナリアのどこか硬い表情を見て、その笑顔が少しだけ曇った。
「……ルナ? もしかして、元気ない?」
「ううん、そんなことないわよ」
ルナリアの言葉には、虚勢の響きが混じっていた。
「そっか……。でも、根を詰めすぎちゃ、ダメなんだからね!」
フローラはそう言うと、一枚のチラシをルナリアの目の前にぱん!と広げた。
「見て! 創立記念祭で、うちの『ミリオン商会』が出す特別出店のチラシ! 今年は最新の魔法道具と、王都で人気のスイーツを組み合わせた、体験型のカフェにするの!」
チラシに描かれた、色とりどりのフルーツサンドの絵。ふわふわのパンに挟まれた、宝石のような果物と真っ白なクリーム。その美味そうな絵面に、巧は思わずごくりと喉を鳴らした。
「……おいしそうね」
ルナリアが、ぽつりと呟いた。フローラは、待ってましたとばかりににぱっと笑う。
「でしょ! ねえルナ、そうだ! 練習に疲れたら、お店手伝いに来てよ!」
「手伝うって……私、何もできないわよ?」
「大丈夫、大丈夫! 一緒にお店番するだけで楽しいって! ね?」
親友のあまりにも真っ直ぐな優しさ。その温かい光景に、巧の心まで少しだけ熱くなるのを感じた。
「……分かったわ。練習の合間を見て少しだけなら」
「本当!? 絶対よ! 約束だからね!」
そしてフローラは、躊躇いながら持っていた小さな箱を、おずおずとルナリアの前に差し出した。
「……あのね、ルナ。また、迷惑かもしれないって、思ったんだけど……」
ルナリアはその箱を見て、以前彼女が持ってきてくれたフリフリのドレスのことを思い出し、少しだけ身構えた。
フローラは、箱をぱかりと開けて見せた。
「これ、タクちゃんへのプレゼント! 発表会でルナの隣にパートナーとして立つんだから、正装しなきゃって思って……!」
巧は、箱の中の精巧な燕尾服を見つめた。それは、人形の衣装ではない。一人の紳士のための、完璧な仕立てだった。
フローラの『パートナー』という言葉とその贈り物が、素直に嬉しかった。
「……ありがとう、フロル。……とても、素敵よ」
彼女は、少しだけ照れくさそうに、しかしはっきりと感謝の言葉を口にした。
フローラは、その言葉に心の底から嬉しそうに、花が咲くように笑った。




