【第七話】白いドレスと、熱を帯びた視線
――昨日のホテルでの出来事が、頭から離れない。
結局同じ部屋に泊まったものの、私達の間には特に何かあったわけでもなく。
ベッドとソファで別々に眠って、始発で家に戻って着替えて出社した。
(……なんであの時、高峰さん、あんなに怒ったんだろ。)
ドライヤーで髪を乾かしてもらって『気持ちいいです』って言っただけなのに。
(大体髪乾かし始めたの、高峰さんじゃん…。)
いきなり、ほっぺを摘まれたかと思ったら、
『……寝ろっ!』
って、まるで子供みたいに叱られたんですけど。
そう思った後、ハッとした。
(もしかして……!!私、何かしちゃったとか?)
あの後も普通に接してくれたけど、心なしか視線が合うと逸らされてる気がする。
なんだか落ち着かなくて、今日は朝からずっとそわそわしている。
(あー!!どうしよっ!思い当たることが多過ぎてわかんないよー!!!
……でも、あの時の高峰さんの顔。ちょっとだけ、困ってるみたいだった。
上司より先にお風呂に入ってダブルベッドも一人で陣取っちゃったし…。今考えるとあつかましかったかも!!)
私は内心頭を抱えるのだった。
◇◇
今月号の原稿は、先月に比べてスムーズに校了出来た。
(うん。その月だけじゃなくて、事前に季節ごとに数ヶ月分提案しておくとやりやすいかも!)
ベルシア•ジャパンの広告チームの方達とも、スムーズにやり取りできている。
ヘアケア用品のウリは『自宅でも簡単にサロン仕様の仕上がりが出来ること』とのことなので、むしろサロンではなく自宅で使ってもらった方がいいのでは…ということになった。
その結果、『JOUR』とコラボして試供品を駅で配布し、ヘアケア用品を販売するイベントを行うことになりそうだ。今度のレセプションパーティーにも間に合うように、お土産用のサンプルを提供してくれるらしい。
(…なんだかワクワクするっ!)
UMAMIにいた時も、地域のお祭りでハシゴ酒とか企画したなぁ、なんて思いながら私は気合いを入れるのだった。
◇◇
――1週間後。
いよいよ今日はレセプションパーティーの本番である。
会場となった某有名コスメブランドの旗艦店の入口には、今月号の『JOUR』の巨大パネル&フォトスポットが設置された。
私達『JOUR』編集部員達は、朝から会場設営やリハーサルで大忙しだった。
15時になり、出演モデルやインフルエンサー、関係者達が次々に到着する。
「…まどか。いよいよだね。」
「うん!」
美波の言葉に私は頷く。
私達も合間を見て、ヘアメイクをしてドレスに着替えた。
私が選んだのは、動きやすさを考えた膝下丈のマーメイドラインのドレスである。
柔らかな白地に、胸元から肩にかけてふんわりと重なるラッフルチュールが揺れる。
スリットが控えめに入っていて、歩くたびに足首がちらりとのぞく。
(うわぁ…普段着ないタイプだけど、なんだか背筋が伸びる…!)
髪は片側をゆるく編み込んでサイドに流し、耳元でパールのイヤリングを揺らす。
ちなみに、華やかだけれど、走ったり物を運んだりできるようにヒールは低めに抑えた。
美波はすっきりとしたブルーのドレスで、爽やかにまとめている。
着替え終わって控室から出ると、『JOUR』の皆の動きが一瞬だけ止まる。
「餅田ちゃんも橘ちゃんも可愛いっ!」
「…破壊力エグいっすわー…。」
目の前にいた篠原さんと西山君を筆頭に、皆が笑顔で褒めてくれた。
――その中で、高峰さんだけが何も言わない。
けれど視線が、ほんの一瞬だけ私の全身をゆっくりとなぞった気がして、心臓がドキドキと早くなる。
「…餅田。準備できたなら、会場に行くぞ。」
「は、はいっ!」
会場はまばゆいスポットライトに照らされ、壁一面にブランドの新作コスメが並んでいる。
正面のステージでは、人気モデルのトークショーの準備が進み、奥には立食のケータリングテーブルが華やかに並んでいた。
香水の甘い香りと、シャンパングラスの涼やかな音が重なり、まるで雑誌の紙面から飛び出したような世界が広がっている。
(…すごい。なんだか映画のワンシーンみたい。)
「餅田!!立ち止まるな。会場内をざっと回ってゲストの配置を確認するぞ。」
思わず見入ってしまう私に、高峰さんの喝が入る。
「はいっ!」
高峰さんの後ろを小走りでついていく。
すれ違う関係者のドレスやスーツがどれも華やかで、思わず目を奪われてしまう。
すると高峰さんが苦笑する。
「…さっきからキョロキョロしてばっかりだな。」
「だ、だってすごいんですもん。こんなに一度に有名人見るの初めてで…」
「仕事中だ。口開けて見惚れてる暇があったら、動線を早く覚えろ。」
小声で釘を刺され、私は慌てて背筋を伸ばす。
けれど、高峰さんの声がほんの少しだけ柔らかかった気がして――それだけで胸が擽ったくなる。
その時、入口付近から『キャー!!』という歓声が響いた。
振り返ると、ライトに照らされた速水社長が、モデルやインフルエンサー達に囲まれて入ってくるところだった。
今日もきっちりセットされた髪と、遊び心のあるジャケットスタイル。
遠くからでも、周囲から熱い眼差しを受けているのがよくわかる。
「…あいつ、相変わらず派手に登場するな。」
高峰さんがぼそりと呟く。
(…うーん、何となく聞きづらいけど、高峰さんと速水社長って、やっぱり昔交流あったんだろうなぁ。)
すると、速水社長がニコニコとこちらの方に向かってくる。
「蒼、今日は招待してくれてありがとう。
餅田さんも、色々提案してくれてありがとうね。今日のドレス、めちゃくちゃ似合ってる。
――正直、このまま連れて帰っちゃいたいくらい可愛い。」
すると、周囲の人が興奮して『キャーッ!!』と黄色い声で叫び、私は思わず口を開けて固まってしまった。
「圭吾、餅田のこと揶揄うなって言っただろ。今日は来てくれてありがとう。」
高峰さんが外向きの笑顔でニコニコとしながらも、何か不吉なオーラを放っている。
「ははっ、冗談だよ。
――半分は本気だけどね?」
そう言って速水社長がこちらの方をジッと見つめてくる。
(…へ?)
「…っ、じゃあ俺達はそろそろ準備があるから行くな。餅田、来い。」
そう言われて慌てて会釈する。
「またあとでね、餅田さん。」
手を振る速水社長を尻目に、私達は編集部のメンバーの所に戻るのだった。
◇◇
最終打ち合わせが終わり、私達はそれぞれ配置された場所に移動した。
ちなみに私は、初めてのレセプションパーティーという事で、皆さんに顔を覚えて頂く為にも受付担当になった。
18時になり、いよいよゲストが続々とやってきて パーティーが開始した。
クラブミュージックが鳴り響き、奥のスクリーンにはド派手なオープニングムービーが映し出される。
――音楽が鳴り止んだ所で、高峰さんが舞台の上に颯爽と現れて挨拶する。周りには黄色い声援が鳴り響く。
(…かっこいい。)
思わず見惚れていると、ふと目が合ったような気がした。
「本日はお集まり頂き、ありがとうございます。
最新号のテーマは『進化』です。
ご存知かもしれませんが、『JOUR』には『日々』という意味があります。皆さんの一日一日が美しく光り輝くよう、私達もこの雑誌も、日々進化していく予定です。
進化していく『JOUR』をこれからもどうぞ宜しくお願いします!」
――その言葉を皮切りにダンサー達が音楽に合わせて踊りはじめ、熱気が最高潮になる。
続いて人気モデルのトークショーやブランドの新商品発表会などがあり、会場は大いに盛り上がった。
「まどか、見てあれ!人気モデルのリサじゃん。めちゃくちゃ今回のゲスト豪華だね。」
普段クールな美波が興奮して話しかけてくる。
「…わ!本当だっ!凄い、あの人もCMで見たことがある…!!」
――結局私達もアテンドする立場ながら、なんだかんだで楽しんでしまうのだった。
◇◇
レセプションパーティーは華やかな拍手と共に、無事幕を閉じた。
ゲストがそれぞれ帰っていく中、私達は撤収作業と備品チェックに追われる。
(つ、疲れた…。ずっとヒール履いて動いてたから足痛い…。)
――やっと一息ついた頃。
「餅田、アフターパーティーの会場に移動するぞ。」
高峰さんに声をかけられる。
(…そ、そうだった。)
「…今、忘れかけてただろ。最後まで顔を出すのも仕事のうちだからな。」
そう言われて向かった先は、会場近くのホテルの最上階のスカイラウンジである。
夜景がガラス一面に広がり、グラスの中のシャンパンが照明を反射して煌めいている。
(うわ……雑誌の特集ページみたい…。)
場に圧倒されていると、不意に後ろから肩を軽く叩かれる。
「餅田さん、今夜は本当にありがとう。」
振り返ると、そこには速水社長がいた。
「君のおかげでヘアケア商品のサンプルを、今日のパーティーで配る事が出来た。
――さっき話したインフルエンサーの子達がね、早速使用感をインスタに上げるって言ってくれていて。」
その言葉に思わずガッツポーズを取ってしまう。
「…やった!!凄いじゃないですかっ!!これであのヘアケア商品、きっとめちゃくちゃ口コミで拡がりますよ!」
私がそう言って大興奮していると、速水社長は目を丸くした後、ふっと綻ばせた。
何かを思い出したような――懐かしむみたいな表情。
(…え、今なんか優しい顔した?)
「…まるで、自分のことみたいに喜んでくれるんだね。」
「当たり前ですよっ!というか提案させて頂いている以上、本当に自分の事ですもんっ!!ヤバい、祝杯あげましょ!祝杯っ!」
そう言って速水社長と二人で乾杯する。
「――なんか、ちょっとドキッとしたな。」
「えっ?」
「いや、なんでもない。祝杯あげよ、餅田さん。」
(『JOUR』に来てから、君のおかげだって言われたの初めてだよっ。やばい、めっちゃ嬉しいっ。)
嬉しすぎて2杯も飲んでしまった所で、後ろから高峰さんが声をかけてきた。
「…おい餅田、飲み過ぎだ。圭吾、悪い。こいつ借りるぞ。」
低い声とともに、高峰さんが私の肘をそっと引く。
その表情は笑顔なのに、目だけが全然笑っていない。
(…あれ?高峰さん、なんか怒ってる…?)
「おっと、蒼。…嫉妬したの?」
「…っそうじゃない。ちょっと心配しただけだ。」
有無を言わせぬ口調で、そのまま私をラウンジの奥の控室へと連れていった。
◇◇
「……何杯飲んだ?顔、真っ赤だぞ。」
そう言って少し不機嫌な顔で高峰さんが覗き込んで来る。
「えへへ。だってさっき『JOUR』に異動してから初めて、君のおかげだって言ってもらえたんですよ。
嬉しくてついつい…。」
「…わかったから、とりあえず水飲め。」
ぶっきらぼうに言いながらも、冷えたペットボトルを差し出してくれる。
受け取って口をつけながら、ちらりと彼の横顔を見る。
(なんだろう、さっきよりも距離が近い。)
「…俺以外の前で、あんなに可愛い顔で笑うなよ。」
――その言葉が胸の奥に落ちた瞬間、鼓動が耳の奥でやけに大きく響いた。握られた手の平が、じんわりと熱くなる。
お酒で潤んだ目で見つめ返すと、高峰さんの顔が段々と近づいてくる。
心臓が早鐘のように鳴り響く。
――なのに、あと少しで唇が触れあいそうなところで、ふいっとそっぽを向かれてしまった。
「……キス、してくれないんですか?」
気づけば口が勝手に動いていた。
…自分でも信じられない言葉に、瞬時に顔が熱くなる。
(な、なに言ってんの、私!?)
高峰さんは一瞬だけ目を見開き、すぐに目を細めた。
「っ、ご、ごめんなさい、今の忘れて下さいっ、」
逃げようとする私の手を、高峰さんが掴む。
「……まて。」
低く短くそう言って、ゆっくりと彼が近づいてくる。
窓の外の夜景の明かりが彼の輪郭を縁取って、息が詰まりそうになる。
そして――私の額に、そっと高峰さんの唇が触れた。
「……今日は、よく頑張った。」
「…っ!!」
耳まで真っ赤になった私は、あわてて数歩下がる。
「……あわわわわっ!!」
そのまま控室を飛び出す私の背後で、彼が低く息を吐く音が聞こえた。