【第四話】髪を切ったら、世界が変わった〜鏡の中の知らない私
――校了が明けて、夏休みになった。今年は1日有給を取ると、なんと14連休になる。
(その分、先月二号分打ち合わせしてめちゃくちゃ大変だったけどね…。)
私は夏休み中、毎日一人でプールに歩きに来ている。
今日はこの後美波とご飯を食べて、一緒に美容室に行った後メイクを教えてもらう予定だ。
(水の中って足腰も痛めないし、カロリーの消費も多いって言うし。
――もう少しで約束の一ヶ月だしね。)
『1ヶ月で結果を出せなければ――君はここから居場所を失う。』
最初の面談で高峰さんに言われたことが頭の中を過ぎる。
(高峰さんやクライアントを、絶対に失望させたくない。)
私は夏休み中に大変身して、高峰さんを驚かせたいと思っている。
その為に出来る限りのことはするつもりだ。
――それに夏休み明け数週間後には、ファッションや美容系のプレスの方達がいらっしゃる大規模なレセプションパーティーが控えている。
編集部員は、全員ドレスアップして出席することになっているのだ。
――絶対にここで恥をかくわけにはいかない。
「えーっと、25mを20往復したから1キロか。よし、あと4キロ頑張って歩くぞっ。」
水面に反射する真夏の光が、肌をキラキラと照らす。
隣のレーンでは水泳帽のおばちゃん二人組が『最近もちこちゃん、痩せたわよねぇ』なんて話していて、思わず口角が上がってしまう。
プールを上がると、万が一急激な減量で皮が余ったりするのを防ぐ為に丁寧にオイルマッサージをする。
その後筋トレをして、プロテインを飲む。
疲れ予防の為にクエン酸たっぷりの蜂蜜黒酢も飲んだ。
(最近は運動しないと変な感じがする。)
トレーナーのお兄さんにも、綺麗に痩せてきていると褒められて気分が上がってくる。
(減量でパサパサにならないようにあとでナッツも食べよう。あ、今日の晩酌のおつまみをミックスナッツにするのもありかも!)
そんな事を考えながら、私は美波との約束の場所に向かうのだった。
◇◇
駅前の広場に行くと、美波がナンパされていた。
「おーい、美波ー!」
私が呼ぶと、美波が嬉しそうに手を振る。
「すみません、今から友達と出かけるんで無理です。」
断りながら美波が颯爽と歩いてくる。
今日は黒いキャミソールの上に、透けるような素材のオシャレなシャツを羽織っている。
デニムのショートパンツも足の長さが強調されてカッコいい。
サンダルは7cm以上あり、スタイルの良さや美しい歩き方もあり、本当にプロのモデルのようだ。
「美波めっちゃオシャレ!!モデルさんみたいっ。」
私が興奮して言うと、美波がふふっと笑う。
「ありがと。まずはランチに行こっか。地味に私、同期と出かけるの初めてでさ。楽しみにしてたんだ。
ほらっ、行くよ!」
スタスタと歩く美波の後ろを、私は慌ててついていくのだった。
(…美波凄くカッコいいな。私も歩き方を改善した方がいいかも。夏休み中にウォーキングの体験教室に行ってみようかな。)
私は心の中で、闘志を燃やすのだった。
美波が連れてきてくれたのは、好きな有機野菜や具を選んでボウルを作ることが出来るベジタブルカフェだった。
ちなみに私は野菜の他にシーフードとナッツとゆで卵とアボカド、美波はチキンとゆで卵とナッツをトッピングしていた。
フルーツたっぷりのデトックスウォーターも注文する。
「私こういうお店で外食するのって初めてかも。」
私がそう言うと、美波は興味津々で尋ねてくる。
「まどかはいつもどういうお店が多かったの?」
「やっぱりラーメンかな。ラーメンの担当になる前は焼酎の特集担当してたから。
焼酎バーばっかり行ってた!
芋と麦がやっぱり多いけどさ、紫蘇とかカボチャとか栗とか泡盛とかいろんな種類があって。
奥深くて面白かったなぁ。」
すると美波は目を輝かせる。
「へぇ。ちなみにお勧めは?」
「変わり種だとダバダ火振りかな。栗焼酎なんだけどね。結構飲みやすくて美味しいんだよ。一回銀行員のドラマで話題になったこともあるんだけどね。」
私はそう言って、サラダボウルをパクリと頬張る。
「へえ。今度飲んでみるわ。というかまどか、めっちゃ仕事好きだなぁ。」
美波は感心したように呟く。
「この仕事ってさ。私達がいい原稿作ってカスタマーの心を動かすことが出来れば、その人達が行動してくれて。それがクライアントにダイレクトに返ってきて、皆が笑顔になれるじゃん。
新卒の時にね。
焼酎の特集をする前、売上が伸びないからもう閉店するって落ち込んでたお店の店長さんがさ。
『UMAMI』に掲載した後売上が回復して。『頑張ってお店を続ける、ありがとう』って言ってくれた時のことが忘れられなくて。」
私が懐かしむように言うと、美波が
「あー…なんか、わかるかも。そっか、まどかは『人』が好きなんだね。」
と言ってくれた。
「…うん。だから、今度は『JOUR』でも誰かの心を動かせるようなものを作りたい。」
「うん。一緒に頑張ろう。…私も負けない。」
そんな事を言いながら二人でちょっと吹き出す。
「…もっと早く、美波と色んなことを話しておけば良かった。」
「だね。よし、私がみんな夏休み明けビックリするくらい、まどかのこと可愛くしてあげるっ!」
そう言って美波が拳を握る。
(…みんな、ってことは高峰さんも…驚くかな。)
胸の奥がほんのり熱くなるのを、私はごまかすように笑った。
「ありがとう。お礼に今日のランチぐらいは払うっ!」
私の言葉に美波は目を丸くする。
「え、いいの?やった、じゃあ遠慮なく。ちなみに、どんな髪型がいいとか…ある?」
「いやー…、それがさ。『JOUR』に異動したくせに、恥ずかしながら私何が流行っているかとか疎いんだよね。
しかも、自分にどの髪型が似合うかもわからない…。」
すると、美波が何か考え込む。
「そうだなぁ。ズバリ言っちゃうけど、今のまどかの髪型はあんまり似合ってないかも。
ダークカラーに普通のセミロング。無難だけど、面白みはないよね。毛先がパサついてるし。」
「…そっかぁ。そうだよね。こんな髪型でサロンに挨拶に行ってたのが恥ずかしい…。」
初めて挨拶に行った日の美容師さん達の反応を思い出して、少し落ち込む。
「垢抜けるなら、『ネオウルフ』にグラデーションカラーとかどうだろう。」
(ね、ねおうるふ?ぐ、グラデ…?なんだろうそれは…。)
ちんぷんかんぷんな顔をする私を見て、美波は眉を下げる。
「まずは色んな雑誌読んで、髪型の名前や種類を覚えた方がいいと思う。美容師さんによって得意なスタイルや施術も違ったりするしね。
トリートメントやヘッドスパに力を入れてるサロンも多いし。
…まどか。死んだ魚のような目しないで。」
そう言われてハッとする。
「え?!そんな顔してた?」
「してた。マジ面白かった。
うーん、ラーメン屋さんによってさ、例えば二郎系とか家系とか、淡麗系とか色々あるじゃん?…それと同じように髪型やサロンにも特色があるってこと。」
そう言われてストンと腹落ちする。
「あー、なるほど。理解した。」
「マジで…。今度から全部ラーメンに例えるわ。とりあえず、今から行くよ!美容室。」
美波に手を引かれて、私は行きつけだというオシャレな美容室に入って行ったのだった。
◇◇
「出来ました!めちゃくちゃお似合いですっ。」
ついつい夢中になってヘアスタイル雑誌を読み漁っていた私は、美容師さんの少し興奮した声に顔を上げる。
――鏡の中には見違えるくらい可愛くオシャレに変身した自分がいた。
「…え?!これ、わ、私、ですか?」
思わず挙動不審になる。
すると、隣でひと足先に髪を切り終わった美波が、私をまじまじと見ている。
「すご…。まどか、めっちゃ可愛いっ!絶対化けると思ったけどここまでだと思わなかった!」
そう言われて照れつつも、めちゃくちゃ嬉しくなる。
「こ、こんなに素敵にしてくださって!ありがとうございますっ!」
すると、担当してくださった美容師さんも嬉しそうに笑った。
「いえいえ。…でもこれは…僕的にも会心の出来でビックリしてます。」
(…可愛くなるって楽しいんだな。)
「良かったら、また来てくださいね。」
「っはい!絶対来ます!」
美波と頷き合ってお店を出る。
髪型を変えただけで、こんなに気分が清々しくなるなんて知らなかった。
「やー、こんなに変わると私まで楽しいっ!
よし、まどか!どんどん行くよ。次は服買いに行こうっ。」
美波に言われるがままファッションビルに入っていく。
「まどか、普段どこで服買ってる?」
「え…、スーツはスーツの専門店で買って、プライベートの服は近くの大型スーパーとかの店舗で。要はテキトーに買ってた…」
(あー、なんか…、ダメだな。『JOUR』で働いてるのに。これは怒られて当然だわ。)
言いながら落ち込んでくる。
「…よし。お金かかるけど、必要経費だと思って普段着る服全部買お?
今ある服は、全部フリマサイトで売ろっか!」
そう言われて、私は夏のボーナスを全部変身に注ぎ込む事を決意した。
「…うんっ!!」
「…下着も買い直せればいいけど。それはまた今度かな。」
そう言われて、何故か高峰さんの顔が浮かんでジワジワと顔に熱が集まる。
(な、なんで今高峰さんの顔が…?)
そんな私を見て、美波はニヤニヤする。
「何ー?見せたい人でもいるの?」
「べ、別にいないよっ、彼氏とも別れたし…!」
すると、美波の顔が少し曇る。
「…ごめん、なんか余計な事言っちゃった。」
「ぜ、全然!!…結構前からさ。噛み合ってなくて。私が太ってから、向こうがなんだか上から目線になっちゃってさ…。」
私がそう言うと、美波が眉を吊り上げる。
「は?何その男っ!サイテー。
…ていうかそれ、野球部の二個上の先輩だよね?
ごめん。実は同期で噂になってたから知ってたんだ…。色々、あったことも。
大丈夫だよっ、まどか。今のまどかめちゃくちゃ可愛いし、もっと可愛くなれるから!!
むしろあんな人、今のまどかに全く釣り合わないよ!」
なんだか私の為に怒ってくれたのが嬉しくて、擽ったい気分になる。
「うんっ!!ありがとう。
…ちなみに美波は服ってどうやって選んでる?トレンドとかって、どうやって調べてんの?」
「ファッション系のトレンドは『2025 夏 トレンド』とかで検索すれば、アイテムが出てくるよ。
そこからブランドごとにどういうコレクションを出しているか調べると、わかりやすいかな。
あとはファッション誌を見て、服の系統によってこんなふうにトレンドを取り入れてるんだなーって勉強したりしてる。
今年はシアー素材っていって、ちょっと透け感のある生地が流行ってるんだ。ほら、このシャツみたいな感じ。
逆にトレンドでもあんまり好きじゃないな、とか自分のファッションの系統と合わないなっていうものは無理に取り入れる必要はないかなと思ってる。」
「なるほどねぇ…。」
――こうして私達は、何軒もの服屋を梯子して服やアクセサリーを買い漁ったのだった。
◇◇
「なんだか遅くなっちゃったねぇ…。」
スマホを見ると、もう18時近くだった。
「…あーあ。
メイクしてあげたくてせっかく道具を持ってきたのになー。あ、そうだ。まどか、今日ってこの後用事ある?」
「んーん、ないよ?」
「じゃあうちに泊まりに来ればいいじゃんっ。」
そう言って美波がニッコリと笑った。
「え…。いいの?!」
「うん、いいのいいの!!その方が、ゆっくり教えられるし。」
「ありがと…。じゃあ泊まらせてもらっちゃおっかな。」
――美波の家は、都心から少し離れた立川駅前のお洒落なマンションだった。
「立川久しぶりに来たー!!ずっと前にIKEA見に来て以来だよ。」
「うそ、あそこのIKEA?!よく行くわー。ソフトクリーム安いよね。」
二人とも素面なのに、謎にテンションが高めだった。
「夕飯はメイクが終わったら飲みに行こう。確かここら辺に『UMAMI』で取材した美味しい居酒屋があったはず!おでんとか好き?」
私の言葉に美波が嬉しそうに頷く。
「めっちゃ好きー!じゃあおでんの為に頑張る。」
美波の部屋に入ると、白とベージュを基調としたお洒落な空間だった。
思わず「うわー…素敵。」と声が出た。
「まどか、ちょっと座ってて。クレンジングとスキンケアからやるから!」
スキンケアが終わった後、ビューラーを握りしめて、美波がじっと私を見た。
「…どうしたの?」
「いや、今さ、本当にちょっとでも気になる人とか…いないの?」
「え、いないいない!」
即答したけど、声が不自然に高くなってしまった気がする。
「ふーん…。じゃあさ、高峰さんは?」
「――っ!?」
思わず手に持っていたチークブラシを、落としそうになる。
「この前さ、神崎さんがありえないほどまどかに仕事押し付けたこと話したら、めちゃくちゃ心配してたよ?『あいつ、本当に大丈夫か』って。」
「そ、それは…ただの上司として…」
「はいはい。“ただの上司”がそんな顔するかな〜?」と、美波がにやりと笑った。
(や、やめて…変に意識しちゃう…!)
顔の熱を誤魔化すように、私はメイク道具に視線を落とすのだった。