【第十六話】くノ一の降格と炎上の影。
――無事ドイツから帰国した私達は、通常業務に追われていた。
「お疲れ様です。
これ、ドイツ取材のお土産です。良かったら、召し上がって下さい。
留守中に電話対応等、フォローをして下さりありがとうございました。」
同じ部署の先輩達に、お土産を渡してお礼を伝える。
取材で海外に行く旨をクライアントに予め伝えていた為、留守中に特にトラブルなどはなかった。
「いいなぁ。ドイツ。私も行きたかったけど、まあ自己都合だからしょうがないなぁ。」
お土産を受け取りながら、篠原さんが眉を下げた。
「…そうですね、ご一緒出来れば良かったんですけど。あの、良かったらこちらはご家族でお召し上がりください。」
こっそり篠原さんにだけ、別で買ったお菓子をお渡しする。
「餅田ちゃん、ありがとう…。マジいい子だわー。子供が喜びそう。」
そう言って嬉しそうに笑ってくれた。
すると、後ろのシマの沢木朝香先輩が、面白くなさそうな顔でこちらを見ている。
私の原稿を回し読みしていた神崎さんのランチ仲間の1人だ。
「 へぇ〜、わざわざお土産を持ってきて『仕事してきました』アピール?…まあ、どう見ても観光旅行にしか見えなかったけど。」
「…申し訳ありません、そんなつもりはなかったんですが。」
私が眉を下げると、篠原さんが沢木さんを嗜める。
「朝香。羨ましいのはわかるけど、そういう言い方、よくないよ。餅田ちゃんごめんね。もう戻りな。」
「はい…。失礼します。」
私は頭を下げると、自分の席に戻った。
(神崎さんが丸くなった分、その周りの女子が少しツンツンし出したんだよなぁ…。)
私は心の中で溜息を吐くのだった。
◇◇
私と美波は、なんとかドイツ取材で遅れた分を今日中に取り戻そうと遅くまで原稿を作っていた。
(よし、ここまで終わらせれば大丈夫!)
21時48分。フロアにはもう私と美波の二人だけになっていた。
私は安堵の溜息を吐く。
「美波、一区切りついたー?」
「なんとか…。」
「22時以降にいると、高峰さんが人事に怒られちゃうからもう出よ。」
どうにか22時前にオフィスを出て二人でエントランスに向かっていると、スマホが鳴った。
(…蒼さんからだっ!)
「はい、まどかです。」
『お疲れ様。仕事、終わったか?』
「はいっ!何とか…。今美波と一緒にいます。」
『そっか。今、近くで圭吾と飲んでるんだけど。…良かったら二人で来ないか?』
そう言われて私は目を見開く。
(速水社長と蒼さんが?珍しい組み合わせだな…。)
「ちょっと待って下さいね。
美波。高峰さん、今速水社長と飲んでるんだって。私達も来ないかって言ってるんだけど…。」
「――行く。」
私は即答した美波にちょっと驚く。
「…じゃあ行こっか。
蒼さん、大丈夫みたいです。今から2人で行きますね。」
『ああ、気を付けて来いよ。』
私が電話を切ると、美波が真剣な目で私を見つめている。
「…美波?」
「ね、ねえまどか。私、化粧とか崩れてない?あ、マスカラ取れてないかな、大丈夫?」
(…あれ、急にどうしたんだろ?…美波、普段はクールなのに。こういうところ、すごく女の子なんだな。)
「…大丈夫だと思うけど。」
「よしっ!じゃあ行こっか!」
私は首を傾げながらも、美波と2人で蒼さんと速水社長がいるというバーに向かうのだった。
――五分くらい歩くとバーが見えてきた。
(…あ。ここ、私が『JOUR』に異動してきたばかりの頃、蒼さんに話を聞いて貰ったバーだ。…懐かしいな。)
扉を開けると、カランカラン、というレトロな音がする。
「まどか。橘。お疲れ。」
カウンターに座っていた蒼さんと速水社長が手を挙げる。
「こんばんは。2人ともずっと仕事してたの?大変だったね。」
速水社長が私達の方を見て笑う。
すると、美波が隣で真っ赤な顔で固まっている。
(…美波?)
「ほら、ここ座れよ。」
蒼さんが自分の隣の椅子をポンポン叩いたので、私はそこに座る。すると、速水社長が自分の隣の椅子をくるりと美波の方に向けた。
「じゃ、橘さんは僕の隣ね。」
すると、美波はちょっと嬉しそうに速水社長の隣に座った。
「何にする?腹減ってるか?」
蒼さんが尋ねてくる。
「あ、18時くらいにサラダチキンを食べたので、そんなにお腹は減ってないですよ。」
結局私は、赤ワインとチーズの盛り合わせを注文する。すると、マスターの岡本さんが目を見開く。
「…驚いた。あの時の子か。随分変わったね。」
「えへへ。頑張っちゃいました。14キロ痩せました!」
私の言葉に速水社長が驚いた顔をする。
「…え。14キロ痩せたって…餅田さん、前どんな感じだったのか、全然想像つかないんだけど。」
「私、前まで『UMAMI』にいたってお話した事ありましたよね?
ラーメン担当だったんで、撮影が重なった日とかはラーメン10杯とか食べてた日もあったんですよ!
で、『JOUR』に異動になったばかりの頃は、本当に太ってて。蒼さんと美波のおかげでここまで変われたんです。」
私の言葉に美波は懐かしむように頷く。
「どんどん可愛くなるから楽しかったなー。でも、まどか、本当に頑張り屋さんで。
朝のコーヒーも前まではクリームたっぷりのキャラメルマキアートだったのに、『JOUR』に来てからはブラックになって。偉いなーって思いながら見てたなぁ。」
すると、速水社長は目を細める。
「へぇ。楽しそう。僕も『餅田さん改造計画』、橘さんと一緒に参加したかったなー。」
「駄目だ、まどかは俺のだから許さん。」
すかさず高峰さんが答えると速水社長が吹き出す。
「ははっ。冗談だって。」
そう言って2人は楽しそうに笑っている。
(あれ?蒼さんと速水社長、普通に仲良しに見える
…。)
「2人とも今日、なんだかいつもより仲がいいですね。」
私の言葉に、何だか2人とも照れ臭そうな顔をする。
「…あー。今まで蒼と、ちょっとしたことでわだかまりがあったんだけど。今日色々話せたからさ。もう大丈夫!
…な?蒼!」
そう言って速水社長が笑いかけると蒼さんが
「…ああ。」と答えた。
言葉は少ないけれど、蒼さんの口元は緩んでいる。
(…蒼さん、嬉しそう。)
「…そうですか。お二人とも、良かったですね。」
――その後、私達は1時間ほど楽しく飲んでから駅に向かった。
「…あれ?」
美波がポツリと呟く。
「…運行ダイヤが変わったのがアプリに反映されてなかったみたいで。
…終電、逃しちゃったかも…。」
「ええー?!」
(ど、どうしよう。
私もう前に一人暮らししてた家、引き払っちゃったし。流石に蒼さんとの家に泊めるのはまずい気がする…。そもそもベッド、一つしかないし。)
私が内心焦っていると、速水社長が美波の背中をぽんぽん、としながらこう言った。
「…大丈夫だよ。橘さん。
蒼、餅田さん。僕、橘さんのことタクシーで送って行くから。2人は安心して先に帰って。」
その言葉に私はホッとする。高峰さんも、
「わかった。頼むな。」
と言ったので、私達は結局2人で終電で帰ったのだった。
…少しほろ酔いで、蒼さんと手を繋ぎながら帰る夜はなんだか幸せだった。
◇◇
――次の日。
出社すると、なんだか美波の様子が変だった、
「おはよう!美波。昨日は大丈夫だった?!」
「えっ?!う、うん、大丈夫ー…。」
そう言って何故か顔を赤くした。
その後、口元を触ったり、謎にハンカチをたたみ出したり落ち着かない様子である。
「…えっと。終電逃した後、立川までちゃんと送ってもらえたんだよね?」
私が訝しげな顔をすると、美波は歯切れが悪く答える。
「うん、それは、まあ…。」
(…これはもう絶対何かあったでしょ…!)
「…美波。今日ランチ、一緒に行こ?」
私が誘うと美波は一瞬固まった後、頷いたのだった。
――午前中、昨日原稿を送ったクライアントに電話で内容が大丈夫か確認を取った後、修正作業を進める。
丁度終わった頃に正午になったので、美波と一緒にこの前も行った会社の人があまり来ないホテルのレストランに向かう。
「――美波。昨日本当に何があったの?立川に送って貰ったあと、もしかして、何かあった?」
すると、美波がしどろもどろになる。
「や、別に本当になんでもない…。」
(…怪しいっ。)
「でも、今日の美波、ちょっと普通じゃない気がして。
…ねぇ、あの人美波に本当に何もしてないよね?無理矢理エッチなこととか…。」
…ちなみに取引先なので人があまりいないとはいえ名前は伏せて会話する。
「ち、違うよ!むしろ圭吾さんじゃなくて、私が…。あ…!!」
(…美波隠すの下手すぎっ!)
「何…?!美波がなんかしたの?!」
すると、じわじわと顔を赤くする。
「…キスしちゃった…。」
(…は?)
私はしばらく黙り込んだあと、ナイフとフォークをきちんと置き、腕を組んだ。
「…美波師匠。それは――上忍から中忍に降格案件です。」
「ちょ、ちょっと!何それっ?!」
ドヤ顔をする私に、美波は
「…別に、いいけど…。」
と赤面したまま下を向いて呟くのだった。
――私の脳裏には手裏剣を投げ捨てて、主君である速水武将に抱きつく、くノ一美波が脳裏に浮かんだのだった。
◇◇
一週間後。
その日、私はクライアントとの打ち合わせもなく、ドイツの取材記事の初稿案をいくつか構成していた。
(せっかく、お金も時間かけて行ったんだから。絶対いい記事にしなくちゃっ!)
――すると、バンッと荒々しくオフィスのドアを開ける音がした。
…ドアを開けたのは『ヒトトナリ社』の編集部門を統括する部長だった。
彼は口を一文字に引き結んでツカツカと真っ直ぐに蒼さんの席まで向かって行く。
(…ん?手に何か持ってる。あれは、週刊誌…?)
――よく見ると表紙に『週間パパラッチ』と書いてある。
「高峰っ!この記事はどういうことだっ!
スポンサーからも問い合わせが来てる!このままじゃ『JOUR』が廃刊だってしかねないぞ!」
――穏やかなオフィスの空気が一転して、シーンと静まり返り、空気が重くなった。
編集部の皆が戸惑った様子で顔を見合わせた。
部長はその視線に気づいて、ハッとした顔をした。
「…っちょっと来いっ!!!」
言いながら、部長は蒼さんを引っ張って出ていってしまった。
――残された編集部員達が不安そうな顔で騒つく。
「え、何があったの…?」
「ヤバくない…?」
すると、アポイント帰りの西山君が、週刊誌を片手に焦った顔でオフィスに飛び込んできた。
「先輩っ!大変ですっ。この記事見ましたか?!」
ページを開くと、そこにはこう書かれていた。
『出版社X社、ベルシア社からの“豪華ドイツ接待旅行”発覚!美女社員との乾杯ショット流出!
――誌面大特集の裏に広告主との癒着か。費用全額負担、まるで社員旅行のような実態に関係者も困惑。』
…さらにこんな事まで書かれていた。
『若き社長も渦中に。
ドイツ接待旅行疑惑の中心には、ベルシア社の速水社長の姿もあった。果たして彼は広告主として協力したのか、それとも――。』
(ちょ、ちょっと何これ?!)
私は記事を見て、目を見開く。
下の方にはインスタのスクリーンショットらしき画像が2枚、デカデカと掲載されている。
そこには夜のプールサイドでジョッキ掲げて、皆で乾杯している写真があった。
一応小さく『SNSにアップされた画像(※編集部モザイク処理)』とは書いてあるものの、見る人が見れば丸わかりである。
さらに、もう一枚にはハーブ農園近くの古城『ブルク・ホーエンレヒベルク』で若い女の子がジャンプしながら写真に映っている。
(…この子って確か、ベルシア広告チームの新卒の今井結花さんじゃ…。)
――その下には
『#プロースト! #ドイツ研修 #ベルシア #『JOUR』の皆さんと乾杯 #仕事なのに #ドイツビール #仕事も遊びも全力』
というハッシュタグ付きのキャプションが並んでいる。
(ひえええええ…!!あ、あの子、こんなことインスタに上げちゃったの?!)
さらに、隣のページには、こう書かれている。
『これは「JOUR」編集部の社員、A子さんが匿名で語った内容である。
――ベルシア社と『JOUR』編集部は前から癒着していました。社長と編集長が旧知の仲で、大きな特集やイベントも繰り返し行われていました。そこにきて今回のドイツ旅行です。しかもベルシアの社員がSNSに証拠写真まであげている。――これは接待旅行以外に考えられません。
本誌は今後もこの問題を追い続ける。』
それを見て、さらに編集部員達がザワザワと騒ぎ出す。
「A子って誰?!」
「これ内部の人じゃん…」
すると、顔を真っ青にした沢木さんが慌てて編集部を出て行った。
「朝香?!」
そう言って、神崎さんが追いかけている。
私と美波は頷きあうと、忍足で2人が入って行った給湯室を覗き込む。
――すると、そこには半泣きで神崎さんに縋りつく、沢木さんの姿があった。
「志保ぉ…!どうしようっ!!絶対バレてるよね!?
“『JOUR』のA子”って…。もう私しかいないじゃん…!」
そう言ってカップをガタガタ震わせてお茶をこぼしている。
すると、神崎さんは驚いたように目を見開く。
「あれ、あんただったの?!…なら、自分で墓穴掘っただけでしょ。」
「ひぃぃ…!でもみんなだって愚痴ってたのに!」
神崎さんがため息をつき、冷たく言い放つ。
「愚痴と、外に漏らすのは別問題よ。
編集者は飲みの席だろうがプライベートだろうが“守秘義務”があるの。
具体的な社名や案件を交えて話すなんて、プロ失格よ。」
すると沢木さんは青ざめながら
「そ、そんなぁ…!」と言った。
「残念だけど、編集者としての一線を超えた時点でアウトよ。
…巻き込まれたくないから、私はここまで。あとは自分で責任取りなさい。」
――神崎さんのその言葉に、沢木さんはガクッと肩を落とすのだった。
隣で美波が青ざめた顔でスマホを見て呟いた。
「…どうしよう、まどか。ネットでめちゃくちゃ叩かれてる。」
――私の胸にはザワザワと言い知れぬ不安が広がっていくのだった。




