【第十二話】甘い囁きと、気になる名前
――次の日。
「ええー!!付き合うことになったの?!高峰さんと?!」
私はランチに美波を誘って、近くのホテルの中にあるレストランに行った。…同じ会社の人があまり来ないので、穴場なのだ。
因みに私はミネストローネとグリーンサラダ、チーズパンのランチセット。
美波はクラムチャウダーとオリーブのフォカッチャと、トマトサラダのセットを注文した。
コーヒーはおかわり自由である。
「うん。昨日イベントだったから…。報告するのが遅くなってごめんね。どうしても、直接報告したかったから。
色々アドバイスくれて、本当にありがとう。くノ一作戦もちゃんと実行したよ!」
私がお礼を言うと、美波は目をキラキラさせて、喜んでくれている。
「マジで?!効いた?あーもう、本当に試してくれるとか。まどか、マジで可愛いなっ。」
「うん、ちゃんと実践する時、心の中でくノ一の格好をしてる美波に励まされてた!」
私がそう言うと、美波が何故か固まる。
「あ、そ、そうなんだ。まどかってたまに天然だよね…。
それにしても、高峰さんってあのルックスで気遣いも出来るから、超モテるのにさ。社内に彼女とか絶対作らなかったんだよ?!
それを落としたのが、まどかとか…。いや、マジで凄いわ。」
そう言って興奮している。
「…私、そう言えば高峰さんのこと、何も知らないな。違う部署から来たし。
モテるだろうなとは思ってたけど、実際に聞いちゃうとなんだか複雑…。」
そう言って眉を下げると、美波がニヤニヤする。
「大丈夫だよー。高峰さん、まどかにメロメロだし。ずっと見てるし、まどかにだけ笑うし、結構あからさまだよ?それに一緒に住んでるとか…。
かなり本気度高いじゃん!!
…ま、過去には何人かアプローチしてた人もいたみたいだけどね。すぐに消えたけど。」
「え…そうなの?」
「そうそう。でも高峰さんが本気で付き合ったって噂は聞かないなー。…まあ、詳しくは知らないけど。」
(…なんだろう、ちょっとだけ胸の奥がザワッとする。)
「ふふっ。とりあえず、おめでとう。」
その後も私は、美波に何かと冷やかされて、一瞬感じた不安な気持ちに蓋をするのだった。
◇◇
午後、『JOUR』編集部に戻ると、美波と私はそれぞれの席に戻った。
編集部に向かうエレベーターの中で、美波がひそひそ声で言ってきたことを思い出す。
「ねえねえ、午後のヘア担当の会議に高峰さんも来るんでしょ?目ぇ合わせすぎて、ニヤけないようにねっ。」
ちなみに同じ編集部でも、美波はメイク担当、私はヘア担当である。
だから、会議などは分けて行われることも多い。
「そ、そんなことしないよっ!」
言い返したものの、顔が少し熱くなった。
――そして、その日の会議中。
ふと資料をめくって顔を上げると、斜め向かいに座る蒼さんと、目が合った。
すると彼はほんの一瞬、口元だけで小さく笑ってきたのだ。
(や、やめてぇえ…!今、絶対顔、赤くなった…。)
私は恥ずかしさを誤魔化すように、慌てて資料に視線を戻す。
会議が終わって席に戻ると、社内チャットが一件来ていた。差出人は『高峰 蒼』と表示されている。
(…あ、蒼さん?!)
《今夜、何食べたい?》
(……公私混同が、すぎませんか?!)
慌てて画面を閉じるも、頬の緩みは止められなかった。
――午後三時。
やっとヘアケアの企画記事が完成して、最終稿のチェックをして頂く為に、蒼さんの元へ持っていく。
「高峰さん。ヘアケアの企画記事が完成しました。チェックをお願いしても宜しいですか?」
すると、原稿を渡す際、手と手が触れ合ってドキっとする。
「うん。よく書けている。クライアントには確認取れているんだよな?」
「はい。きちんとメールで返信頂いています。」
すると、蒼さんが笑顔になる。
「それなら、あとは校閲にチェックさえしてもらえれば問題ないと思う。」
すると、彼が目を綻ばせながらさり気なく耳元で誰にも聞こえないように、低い声で囁いてくる。
「…ブラ紐見えてんぞ。」
「……っ!!」
私は瞬時に顔が沸騰しそうになりながら、トイレに駆け込んでブラ紐を直すのだった。
(あ、蒼さんっ!絶対わざと言った!や、教えてくれたのはありがたいけどっ!)
そんな私を見て、蒼さんは笑いを堪えるような顔をしていた。
――その日の帰り道。
いつも買い出しをする家の近くの大型スーパーで、蒼さんと待ち合わせした。
「お疲れ。」
蒼さんが爽やかに笑う。
「お、お疲れ様です…。」
さっきのブラ紐の件を思い出して、まともに顔を見られない。
そんな私に、彼がふっと笑いながら囁く。
「俺に見せてくれるのはいいけど…。他の奴に見られたら嫌だからさ。」
「なっ…!」
耳まで真っ赤になった私を見て、蒼さんは満足そうに目を細めたのだった。
◇◇
――一週間後。無事今月号の入稿も終わり、私は開放感でウキウキしていた。
(やったー!今月号も終わったー!)
蒼さんは会社の上層部の方達と飲み会があると言っていたので、久しぶりに一人でゆっくり家で『ナオキマンショー』のYouTubeでも見ようかな、と浮かれていると。
「あれ、まどかじゃん。今帰りー?」
声をかけて来たのは美波だった。その後ろには西山君と篠原さんもいる。
「うん、そうだよー。」
私の言葉に西山君が目を輝かせる。
「えー!これから僕達三人で飲みに行こうって言ってたんすよ!よかったら餅田さんも行きません?」
とお誘いを受けた。
(うーん…。どうしよ。高峰さんも飲み会だし、まあいっか!)
「じゃあ、ご一緒させて頂いてもいいですか?」
私が篠原さんの方をチラッと見るとにっこり笑ってくれたのでほっとした。
「ええ、もちろんよ。じゃあ行きましょうか!」
そう言われて、4人でゾロゾロと西山君が予約してくれたという焼鳥屋さんに向かう。
こじんまりとした、雰囲気のいいお店だった。
西山君がビール、篠原さんがハイボール、美波と私は焼酎のソーダ割を注文した。ちなみに今日の焼酎は、夏らしく『明るい農村』である。割とクセがなくて飲みやすい芋焼酎である。
お通しのジャコおろしと飲み物が出て来たので、皆で乾杯した。
「いやー、今月号マジで大変でした。」
そう言って西山くんがグイッとビールを半分くらい飲み干した。
「…何かあったの?」
私が聞くと、美波が眉を下げる。
「それがさー。西山の担当してたメイクサロンの広告担当者が変わって。めちゃくちゃこだわりが強くて、何度も原稿を修正させられたみたい。
ま、でも全然見ないで『テキトーにやっといてー。』みたいな人よりマシだけどね。
そういう人に限って万が一何かあった時、自分の指示ミスでこっちに非がなくても、ありえない程怒ってくるから。」
そう言って美波が諭している横で、篠原さんも頷いている。
「うう、早く高峰さんみたいにシゴデキな男になりたいっす。」
西山くんがそう言ったところで、丁度店員さんが注文した月見つくねとねぎま串、ささみチーズ串を持ってきてくれた。
濃厚なタレが付いたつくねをそっととろ〜り、卵黄につけて食べる。
(美味しいー!!めちゃくちゃ濃厚で甘辛くて、背徳の味がする…。最近ヘルシーなものばっかり食べてたし…。)
私が感動してもぐもぐ食べていると、西山くんがジッとこちらを見つめてくる。
「ん、何?西山君。」
私がそう言うと、西山君は顔を赤くした。
「いやー…。マジで餅田さん可愛くなったなぁって。本当、今度是非二人で遊びに行きましょうよ。」
そう言われて困っていると、篠原さんが口を開く。
「西山、あんたじゃ無理だと思うよ。社内で餅田ちゃん狙ってる男、多いんだから。出直してきな。」
「えー、そんなぁ。そりゃないっすよ。」
そう言って西山君は眉を下げている。
「…大体、まどかを狙ってる男は高峰さんに排除されてますけどね。」
その言葉に私は目を見開く。
(は?そ、そうなの?)
「あー、高峰さんが出て来たらそりゃもう無理っすわ。餅田さんもやっぱりああいう男がカッコいいとか思うんですか?」
西山くんにそう言われて、顔がジワジワと熱を持つ。
「そ、それは、まあ…。」
「えー?!餅田さんまで?!
いいなー高峰さん、モテモテじゃないですかー。
俺が入社する前にモデルのリサにも告られてたって先輩達が噂してたし。いい女、より取りみどりじゃないっすか!!」
西山君のその言葉に、私は固まる。
(…え?)
その横で美波が私を気遣わしげに見ながら、西山君を嗜めている。
すると篠原さんが、苦笑しながら切り出した。
「レセプションパーティーにも来てたでしょ?リサ。ガルコレやファッション誌にも出てるから、流石に餅田ちゃんも知ってると思うけど。
内緒だけど、実は彼女、元々ベルシアの速水社長と付き合ってたのよ。私、長く担当してたから知ってて。
…ところがリサは高峰さんが好きになっちゃって、速水社長と別れたのよね。」
そう言われて心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
私の脳裏には速水社長と初めて会った日の会話が過ぎる。
『…ふーん、随分と過保護だね。
もしかして、この子みたいな子がタイプなの?
…ふふっ、莉沙とは、全然違うタイプだね。』
(…あの時、話題になってた人だ…!)
そんな私の思いをつゆ知らず、篠原さんは続ける。
「ま、そのベルシアも橘ちゃんに今月引き継ぐんだけどね。」
私はその言葉に顔を上げる。
「…え?そうなんですか?」
「うん、そうなのよー。だから来月以降、餅田ちゃんには橘ちゃんと連携してもらう事があるかも。」
その言葉に美波が頷いた。
「ベルシアのことに関してはまどかの方が詳しいと思うから、これから宜しくね。」
(そっか…。美波と一緒に仕事出来るかもしれないんだ。)
そう思うとなんだか嬉しい。
「宜しくねっ。美波と一緒のクライアントを担当できて嬉しい!」
私の言葉に美波が嬉しそうにへらっと笑ったあと、意味深な一言を吐き出した。
「…あーあ。仕事は充実してるからいいとして、私もプライベートを充実させたいなー。」
その言葉に私は顔を上げる。
「…え、でも美浜、彼氏いるよね?」
私の言葉に、なんと美波が首を横に振る。
「…それが別れちゃったんだよね。昨日。遠距離の彼氏。タイムリーでしょ。」
言いながら、無理矢理口角を上げた。
「そうだったんだ…。」
すると、すかさず西山君が入り込んで来る。
「まじっすか?!やっぱり橘先輩って美人だけど怖いからっすかね。」
その言葉に篠原さんが一喝する。
「こらっ、西山!!あんた今のは失言だわ。」
すると、西山君が『…すみません。』と言って萎縮した。
「…遠距離だったしさ。もうトキメキとかはなかったんだけど。5年も付き合ったし、いざ別れると…。やっぱり寂しいね。」
そう言って、美波は下を向く。
「…美波だったら、すぐに素敵な彼氏が出来ると思うけど。」
私の言葉に篠原さんも頷く。
「そうよ!橘ちゃんは美人なんだからっ。よーし、じゃあ願掛けで、もう一杯飲みましょ!!」
――結局私達は2時間ほどその店に滞在して、お開きとなった。
「ねえ、美波。良かったらあの、お茶でもしていく?その…ちょっと心配で。」
私の言葉に美波が目を見開く。
「…ふふっ。まどかって本当にいい奴っ!いっその事、立川まで泊まりにおいでよ!」
そう言われたので、高峰さんに連絡すると、OKの返事が来た。『その代わり、写真送って。』とだけ書かれていた。
「うーわー、過保護だねぇ、高峰さん。
西山も一緒にいたって聞いて不安になってるパターンじゃない?この前も西山、あからさまにまどかの事、口説こうとしてたし。」
そう言われてなんだか少しだけ、安心する。
(そっか…。不安になってるのは私だけじゃないんだ。)
私は高峰さんに美波と二人の写真をいっぱい送ってあげようと、心の中で決心するのだった。
◇◇
――三日後。
仕事が一区切りついて、コーヒーを買おうとコンビニに向かっていると、『JOUR』の違うシマの子達が騒いでいた。
「今日プレスの人と一緒にモデルのリサも来てるらしいよー!今、高峰さん達と打ち合わせしてる!」
「マジ?!会いたいんだけどっ!」
(……え?)
すると打ち合わせが終わったのか、レセプションパーティーのショーに出演していた美女と高峰さん、そして、プレスの方が何人かでこちらの方に歩いてくる。
すれ違いざま、その美女が私を見て目を見開く。
「あら?あなた、レセプションパーティーの時受付してたわよね?えっと……餅田さんっていうのかしら?」
彼女は私の社員証を覗き込んでくる。
「は、はい…。」
その圧倒的な美に、思わず私は息を飲む。
「うふふ、初めまして。
私、専属モデルのリサよ。よろしくね。」
その笑みと同時に、場の空気が一瞬で華やぐ。
――私の心臓は『リサ』という名前を聞いて、バクバクと早鐘を打つ。
先程噂をしていた子達が『キャーッ』と歓声を上げた。
私は内心動揺しながらも、なんとか名刺を渡す。
「…宜しくお願いします。餅田まどかです。『JOUR』でヘア記事の担当をしています。」
(この綺麗な人が、高峰さんのことを…?)
――私は自分の中に再び溢れ出す不安を、誤魔化そうとするのに必死だった。




