【第十話】ふたりの距離がゼロになる瞬間
美波とランチをした後、先日任せて頂いたヘアケアの企画記事の構成をした。
(…初めての企画記事!頑張ろうっ。)
まず、サロンで出来るケアとホームケア、二つに分けて構成する。
サロンケアページでは、ヘッドスパやトリートメントの施術を紹介した記事をまとめる。
ホームケアのページでは、ベルシアの商品をはじめ、保湿力が高いと評判のトリートメントをピックアップした上で、カスタマーの悩み別にお勧め商品を記事にしていく。
「高峰さん、ヘアケアの企画ページの構成案が出来たので、確認して頂きたいのですが。今お時間よろしいですか?」
「ああ。」
高峰さんは丁寧にお渡しした書類をめくった後、やがて目を見開いた。
「…驚いた。よく出来ている。あとは、インフルエンサーの意見や口コミを載せると、より説得力が増すと思う。」
「…本当ですか?!ありがとうございますっ。」
私は嬉しくて思わずガッツポーズを取る。
「去年、確かこの企画の担当は神崎で…。なかなか評判もよかったはずだ。…参考までに、アドバイスを貰うといいと思う。」
(神崎さんか…。なんとなく、前回の原稿回し読み事件以降苦手だけど。いいものを作る為なら、仕方ないな。)
「わかりました!見て頂きますね。」
私が頷くと、高峰さんは誰にも聞こえないように耳元で囁く。
「…もし何かまた仕事を押し付けられたりしたら、言えよ。」
その言葉に私は目を見開いたあと、笑顔で頷く。
「っはい!!」
そんな私を見て、高峰さんは満足そうに頷くのだった。
――企画案を持って、神崎さんの席に行くと、驚いた事に改善点や段取りなども丁寧に教えてくれた。
(あれ、なんか優しい。
それに、何か服の系統もちょっと変わったかも?コンサバだったのが少しカジュアルになったような…。)
「…ありがとうございますっ。あの、神崎さん。もしかして何かいい事でもありました?」
「え、何急に…。」
一瞬神崎さんが面食らったので、怒られるかと思い、慌てて私は取り繕う。
「あ、いえ。ファッションの雰囲気などもその、変わったので。カジュアルなのも素敵ですね。」
そう言うと、神崎さんは嬉しそうに破顔した。
「わかるぅー?実は彼氏の趣味でぇ…。私にはこういう格好の方が似合うって言うからー。」
その言葉に私は目を見開く。
「そ、そうなんですねっ!どんな方なんですか?」
私が尋ねると、なんとスマホで彼氏の写真を見せてきた。
「うふふ、この人なんだけどぉ、サーフ系のアパレルブランドの社長でぇ。」
写真にはワイルド系のサーファーっぽい色黒のイケメンが映っている…。
「そうなんですかっ!お二人ともお似合いですねっ。」
「やだぁー、もちこちゃんたら。うふふ、また何かあったら相談してね?」
「…はいっ!ありがとうございます!」
(良かったー!彼氏が出来たからか、当たられなくなった…!!)
――私はどこの誰かも知らない神崎さんの彼氏に、感謝するのだった…。
◇◇
20時過ぎに仕事が終わって帰ろうとしていたら、高峰さんからLINEで連絡が来た。
『もう少しで俺も終わるから、家の最寄りのスーパーで落ち合おう。』
(え、なんかこのやり取り、付き合ってるみたいなんですけど…。)
ニヤけそうになりながら、『もちうさちゃん』のスタンプで『了解です。』と返す。すると、
『…餅田そっくりw』
と返ってきた。
思わず高峰さんの方を見ると、一瞬目が合って口角を上げてくれた。
「…っ!!」
少し浮かれそうになりながら
「お疲れ様でしたー!」
と挨拶して、駅へと向かう。
最寄りの駅近くの大型スーパーに入って、輸入雑貨のお店に入ってプラプラした。
(あ、このコーヒー豆、お勧めって書いてある…。)
都内の有名カフェでプロデュースしたものだそうだ。
(…泊めてもらってるし、お礼に買っておこうっと。コーヒー好きって言ってたし。)
私はいそいそとレジに並ぶのだった。
丁度コーヒー豆の会計が終わった頃に
『今どこ?』
と高峰さんから連絡が来たので、お店の名前を告げるとすぐに来てくれた。
「何買ってたんだ?」
「えへへ、高峰さん、コーヒー好きって言ってたので。泊めてもらってるので、そのお礼です。」
そう言って紙袋を渡す。
「…いいのに。でも、ありがとう。」
高峰さんがそう言いながら、嬉しそうに笑ってくれたので胸がほわほわする。
「…何か食べたいもの、ありますか?」
私が尋ねると、彼が目を見開く。
「…何?作ってくれんの?」
その言葉に私は笑う。
「はいっ!」
…すると、ふいっと横を向いた高峰さんの耳が真っ赤になっていた。
「…高峰さん?」
顔を覗き込むと、口元を手で隠している。
(えっ、嘘、高峰さんもしかして照れてる?!)
そう思うと、なんだか私まで恥ずかしくなってきてしまう。
「…じゃあ、チキンのトマト煮込みで。」
と照れたように言われた。
「はいっ!」
元気よく返事をして、材料を二人で買いに行ったのだった。
◇◇
家に帰って、トマト煮込みを作っていると、高峰さんがそわそわとキッチンの方までやって来た。
ちなみに美波のくノ一作戦その1、『ショートパンツにエプロン』を実行して、ゆるいまとめ髪にしている。
「餅田、料理なんて出来るんだな…。」
「はいっ。食べるのが好きなので。あ、味見します?」
そう言って、スプーンにひと匙ソースを取って、口元まで持っていく。
くノ一作戦その2、『あーんする。』である。
すると、高峰さんが一瞬照れたように真っ赤になったあと、観念したように口を開いた。
「…美味い。」
その言葉に、
「やったー!」と私が喜ぶ。すると、
「…ここは危険だから、やっぱり居間で待ってる…。」
と言って行ってしまった。
(…美波師匠っ、なんだかよくわからないけど、効いている気がします!)
心の中でくノ一の格好をした美波とハイタッチをする。すると、くノ一美波が、シュシュッと手裏剣を投げて励ましてくれた。
高峰さんと二人で赤ワインを飲みながら、楽しく食事をする。
その後はソファに座って、一緒にAmazonPRIMEでホラー映画を見た。
「…『シャイニング』か。ずいぶん古い映画だな。好きなのか?」
「はい。スタンリー•キューブリックが好きなので。」
「…ふーん。」
――ここでくノ一作戦その3、『ボディタッチをする』を決行すると、決めている。
映画の中で作家の旦那さんが狂っていくホテルの中で、奥さんが目を見開いて逃げ回っている。
画面の明かりで浮かぶ高峰さんの横顔が、意外と真剣だった。
見惚れていたら目が合って、慌てて視線を戻す。
そして、いよいよ斧を振り上げてドアを破壊するシーンになった。
ところが、普通に怖くて
「ぎゃあああ!!!」
と言いながら高峰さんにしがみついてしまった。
(…しまった!普通に真剣に見過ぎてゴツい声出しちゃった…。きゃっ、とか言うつもりだったのに!)
内心落ち込んでいると、隣で高峰さんが吹き出した。
「っぷ。餅田、やっぱ面白ぇな。」
(美波上忍っ、失敗しましたっ!第二弾いきますっ)
何故か私の心の中では、美波は上忍まで大出世してしまった。
私が作戦失敗を報告すると、『ニン!ニン!』と悔しがっている。
私は映画を見終わった頃合いを見て、太ももを彼の脚にくっつけて、コテンと頭を預けてみた。
(…あれ?黙っちゃった。)
恐る恐る上を見上げると、高峰さんは何かを堪えるような顔で『ふぅーっ』と息を吐いた。
「…あんまり男と二人の時に、そういう事をしない方がいい。喰われちまうぞ?」
言いながら私を真剣な目で見つめる彼に、ジワジワと顔が赤くなる。
「…高峰さんにだったら、食べられても…いいですよ?」
私が勇気を出して、伝えると。
「……っ」
次の瞬間、腕を引かれて、唇が触れるだけのキスをされた。
…ほんの一瞬なのに、心臓が爆発しそうだった。
「……ちゃんと伝えるから。待ってろ。」
耳元で低く落ちる声。
熱を帯びたその言葉に、私はただ小さく頷くことしかできなかった。
――結局その日はいつも通り二人で、ただ何もせずにくっついて眠ったのだった。
私は夢の中で、
(…美波師匠、作戦、概ね成功したようです。)
とくノ一姿の美波に報告する。
すると、美波が分身の術で6人になって、高峰さんと私を順番にワッショイしてくれた。
◇◇
――その後、結局高峰さんとは何も進展がないまま、金曜日になってしまった。
今日は夕方に、千葉のベルシア本社に高峰さんと訪問する予定だ。
企画ページに載せるヘアケア商品の原稿の打ち合わせと、週明けにあるイベントの最終確認をする予定である。
多くの人が動くイベントなので、失敗は絶対に許されない。
「そろそろ行くぞ。」
「はいっ!」
私達は資料やサンプルを持って、一緒に電車に乗る。
「餅田。その紙袋渡せ。俺が持つ。」
「え、でも…。」
「いいから。」
断ろうとしたのに、紙袋をひょいと持ち上げてしまった。
(こういう優しさがずるいんだよね…。)
その時、ガタンッと電車が揺れた。
「きゃっ!」
思わず声を漏らすと、慌てて高峰さんが私の事を支えてくれた。
「大丈夫か?」
彼が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「ありがとうございます…。」
思わず赤面してしまう。
(…今日は大事な打ち合わせだから、仕事に集中しなくちゃ。)
私は心の中で、気合を入れ直すのだった。
――ベルシアの本社に着くと、大きめの会議室で、大勢の方にイベント説明させて貰うことになった。
当日は、広告チーム以外の社員さんも手伝いにいらっしゃるので、当日の流れなどを伝える為である。
その後、いつものメンバーにだけ残って頂き、原稿の打ち合わせをした。
「先日は沢山サンプルを下さって、ありがとうございました。毎日使わせて頂いています。」
私がお礼を言うと、速水社長が目を綻ばせる。
「こちらこそ。
このままいけば、売上が過去最高になりそうなんだ。餅田さん、ありがとう。
使用感はどうだった?」
「そうですね。
しっとりするのもそうですけど、爽やかな花の香りが何時間も長く持続するのが嬉しいですっ。」
そう言うと、速水社長が嬉しそうに頷く。
「最近この香りと同じシリーズで、ハンドクリームも出したんだよ。」
「えー!それはまた人気が出そうですね。」
「サンプルあるよ。使ってみる?」
その言葉に私は食いつく。
「えっ、いいんですか?」
差し出した両手の甲に、速水社長が小さくクリームをのせてくれた。
「ほら、こうやって伸ばしてみて。」
言われるままに馴染ませると、ふわっと甘くて爽やかな香りが立ちのぼった。
「わぁ…いい匂い。」
思わず笑顔になると、速水社長が少し目を細めて言った。
「うん、…やっぱり君に似合う香りだ。…今度、本当にうちの商品撮影でモデルでもしてもらおうかな。」
「えっ、でも、私なんかが…」
「いや、絶対映えると思うよ。ていうか、私なんかって言うけど、餅田さん凄い可愛いじゃん。」
その瞬間、横に座っていた高峰さんの視線がほんの一瞬だけ鋭くなる。…彼の指が、机の下でペンを強く握った音がした。
(…え?なんか高峰さん怒ってる?)
けれど彼は何も言わず、無表情を装って書類に目を落とした。
――胸の奥でざわめきが広がるのを、私はそっと飲み込んだ。
◇◇
打ち合わせが終わったのは19時過ぎだった。
「わー!終わったー!!今日は花金ですね!」
ベルシア本社を出ると、海沿いの方に見える夜景がとっても綺麗だった。
私が解放感でウキウキしていると、高峰さんにようやく笑顔が戻った。
「今日は直帰しよう。せっかくだし、一杯飲んでいくか。」
そう言われて私は笑顔で頷く。
「はいっ!あ、じゃあこの駅の近くなら美味しい焼き鳥屋さんが――」
「…今日は俺の選んだ店でもいい?」
――遮るように言った高峰さんの顔が、あまりにも真剣だったから。
私は思わず、息を飲む。
「はい、宜しくお願いします…。」
すると、高峰さんが私の手に指を絡ませる。
「こっちだ。」
繋いだ手が熱い。
私の胸は期待と恥ずかしさで、激しく高鳴るのだった。
――高峰さんが連れてきてくれたのは、夜景を見下ろす事が出来るホテルのラウンジバーだった。
「わあ、こんなに素敵なところ、初めて来ました!」
ウェイターが、窓際の夜景のよく見えるカウンター席に案内をしてくれた。
…どうやら高峰さんは、はじめから予約をしてくれていたらしい。
高峰さんはウイスキーのソーダ割、私は苺のモヒートを注文して、二人で乾杯する。
「餅田、一週間お疲れ様。」
高峰さんは顔を綻ばせる。
「はい、高峰さんもお疲れ様ですっ。」
そう言って私も笑う。
(好きな人とこんなに素敵なお店に来れるなんて…素敵だなぁ。)
お酒もおつまみも美味しくて、フワフワと幸せな気分になる。
遠くでは花火が上がっていて、最高にロマンチックだ。
すると、高峰さんは耳元で低い声で
「もう少し近くで見てみないか?」と囁いた。
私はジワジワと顔に熱が溜まるのを感じながら、頷いたのだった。
◇◇
「うわぁ…綺麗…!」
ホテルを出て、私が海沿いの花火を見上げてはしゃぐ。高峰さんはその隣で嬉しそうに笑った。
――その瞬間、きゅううん、と胸が締め付けられる。
(な、なんだか今、めちゃくちゃいい雰囲気なんだけど。…そうだっ!今こそ美波師匠の、くノ一作戦を実行しよう。)
そう思い、勇気を出して彼の手に指を絡める、
――すると、ドーン、と音がして、もう一回花火が上がった。
「俺さ、餅田のこと――」
(…ん?花火の音で聞こえない…。)
私がキョトンとしていると、高峰さんが焦れたように叫ぶ。
「だからっ…!」
ぐいっと肩を引き寄せられて、高峰さんが私の唇を塞ぐ。
私は驚いて固まったあと、だんだん目を閉じる。
高峰さんが唇を離すと、低い声ではっきりと言った。
「……俺、餅田のことが好きだ」
花火の音と胸の鼓動で、耳が熱くなる。
(今、高峰さん。――なんて言った?)
嬉しくて、目の前が涙で歪んでくる。
「…返事、聞きたいんだけど。」
私は泣きそうになりながら、答える。
「…私も高峰さんの事が好き…、大好きですっ!」
――そう言ったと同時に。
熱を孕んだ目で私を見つめる高峰さんに、きつく抱き締められた。
「…まどか。
今日、このまま帰る気ないけど…いい?」
(…また、名前で呼んでくれた。)
――私はフワフワした気持ちのまま、コクンと頷いたのだった。
彼は私の手を握ったまま、ゆっくりと歩き出す。
潮風が頬を撫でるたび、鼓動がどんどん速くなっていく。
街灯の下で、ふと横顔を盗み見ると、横にいるのに距離が遠く感じるほど、真剣な表情をしていた。
「……そんな顔、されるんですね。」
「……当たり前だ。余裕なんて、あるわけないだろ。」
その低い声に、心臓がさらに煩くなる。
私はその手を、ぎゅっと握り返すしかできなかった。
◇◇
ホテルの部屋に入った瞬間、扉が閉まる音と同時に腕を引かれた。
――息が止まるほど、近い距離で見つめられる。
次の瞬間、熱を帯びた唇が私の唇を奪った。
「……ずっと、こうしたかった。」
低い声とともに、背に回された腕の力が強くなる。
胸の奥で、波のようなざわめきが広がっていった。
「っ、まどか、好きだ…。」
「高峰さんっ、私も…。」
―― この夜のことを、きっと一生忘れない。




