【第一話】ラーメン10杯女子、美容雑誌に異動したら鬼イケメン編集長の標的に!?
「もちこちゃんっ!ほら、伸びる前にこのラーメン食べていきな。」
そう言って、頑固だと評判のラーメン屋の店主がニッコリと笑う。
――私は餅田まどか、26歳。
『ヒトトナリ出版』という出版社でグルメ雑誌、『UMAMI』の編集をしている。
社内や取引先からは餅田という苗字とぽっちゃりな容姿から『もちこ』と呼ばれている。
今は丁度ラーメン特集掲載用の撮影を終えたところである。
「えー、いいんですかっ?!」
美味しそうなラーメンに思わずテンションが上がってしまう。
「おうっ!『UMAMI』のお陰で客単価が大分上がったからな。もちこちゃんの提案のお陰でトッピングしてくれる客がめちゃくちゃ増えたんだわ。
その…来てくれたばっかりの頃は怒鳴っちまって悪かったな。」
そう言って店主は照れくさそうに頭を掻いた。
「全然ですっ!わー、この淡麗醤油大好きですっ!頂きますっ。」
そう言って私はズルズルっとラーメンを啜る。
「美味しいっ!!社長、この煮卵最高ですぅっ!」
「おうっ!残さず食ってけよ。」
私はこんな感じで仕事柄、毎日ラーメンを食べまくっている。撮影が多い日は10杯ぐらい食べる事もあるくらいだ。
「ご馳走様でした。本日撮影した写真は2営業日以内に送ります。記事が出来上がったらまた顔を出しに来ますね。楽しみにしていて下さい!」
そう言って私はお店を後にした。
――オフィスに戻って、今回の企画の編成を考えながらパソコンと睨めっこしていると『UMAMI』の編集長でもあり、上司の野嶋さんが声をかけてきた。
食べるのが大好きな40代後半の仕事の出来る方である。温厚で一人一人をいつもきちんと見てくれている尊敬する上司だ。
「餅田。少しいいかな?」
「はい、大丈夫ですっ。」
そう答えて席を立つと、何故か野嶋さんは小さな会議室に入っていく。
(…あれ?今回の企画の確認だったらカフェテリアの打ち合わせブースを使えばいいのに。)
「どうぞ座って。」
そう言ってニッコリと笑う。
私が訝しげな顔をしていると、野嶋さんが苦笑する。
「大丈夫。悪い知らせじゃないから。
最近頑張ってるみたいだね。君のラーメン企画のおかげでムック本の売れ行きも好調だし。
ネット媒体の方もPVやUU。クーポンのCTRも餅田が担当になってから格段に伸びた。」
ちなみにPVはシンプルに言うとユーザーが閲覧した回数、UUはユニークユーザー、つまりサイトに来てくれた人数だ。CTRはクリック率のことである。
「ありがとうございます。だって、どのお店もそれぞれ違う良さがあって、すっごく美味しいんですもんっ!
だから、ラーメン好きのカスタマーにまだ知らないお店の良さを知って貰いたくてっ!絶対に届けるぞって思ったんです。」
ついつい熱い口調で語ってしまう私に野嶋さんは笑顔で頷く。
「餅田のことを僕は凄く評価してる。君がいてくれればラーメン系のお店は安泰だしね。その企画力も、原稿力も、カスタマーやクライアントへの向き合い方も。」
「そんなぁー。えへへ…」
その言葉に思わず嬉しくて照れてしまう。
「――そこでだ。人事部長とも話した結果、君には『JOUR』に異動してもらう。」
(…は?)
私は思わず口をあんぐりと空けて呆然としてしまう。
「…ちょ、ちょっと待って下さいっ!だってあの、『JOUR』ってヘアメイクというか、美容雑誌ですよね?!
どうして私がっ!だ、だって私っ、『もちこ』ですよ?!ら、ラーメン一日下手したら10杯食べてるんですよ?!」
焦る私を尻目に野嶋さんは私を真剣な目で見つめる。
「『食』も『美容』も。
カスタマーの生活と日々繋がっているという点では同じだ。
それに、コンテンツも基本的に雑誌とネット媒体であることは変わらない。
君の企画力や仕事への向き合い方。全て活かすことは出来るはずだ。」
「で、でも…っ」
焦る私を尻目に野嶋さんは淡々と続ける。
「…時代の波かな。我が社の看板である『JOUR』ですら売上がどんどん落ちていっている。
――このままだと廃刊になりかねない。
万が一、紙媒体がいずれそうなったとしても。『JOUR』の名は絶対に世に残していきたい。
これは『ヒトトナリ社』として、出版社として生み出してきた『JOUR』という誇りを守る為の戦いなんだ。」
その言葉に私は目を見開く。
「そ、そんな大事な局面でどうして私を…。」
野嶋さんは静かに頷く。
「…君には人を巻き込んで動かす力がある。
それはきっと君が純粋にクライアントやカスタマーに喜んでもらうことを考え続けているからだ。
異動をして分野は変わるけれど、やることは何も変わらない。
――やってくれるだろうか。」
(…ここまで言ってくれるなんて。本当はもっともっと、『UMAMI』で、やりたい事はいっぱいある。だけど…。)
「――わかりました。やってみます。」
「…よし。いい返事をありがとう。
餅田。この異動はきっと君を一段と成長させてくれると僕は信じている。
逆に君もこの機会を利用して自らを成長させてみろ。」
私はグッと拳を握りしめて頷く。
「はい!!」
◇◇
普段の仕事の他に、引継ぎ資料の作成でへとへとになって家に帰ると、同じ会社の営業部に所属している彼氏、黒田俊が合鍵で勝手に家に入って寛いでいた。
「おかえり、まどか。遅いから上がらせてもらってたー。」
入社は私より2年先輩である。社内では優しいと評判で会社の野球部に所属している。私が入社して2年目くらいの時に向こうから告白されて、付き合い始めた。
「ただいま。…来てたんだ、俊。」
(そう言えば、最近忙しかったし俊とこうやって社内以外で会うの、久しぶりかも。
…なんか最近噛み合わなくて、連絡もあまりしてなかった。)
玄関に投げ出された靴。手元を見ると、冷蔵庫を開けて昨日私が買っておいたビールを飲んでいたらしい。
なんとなくモヤッとしつつも、疲れて何か言うのも億劫で、無理矢理笑う。
「今日お前、野嶋さんに呼び出されてたよな?…何?なんかあったの?」
そう言われて私は目を見開く。
「…え。見てたの?」
「うん、たまたま二人で会議室に入ってったの見えたから。
で?この時期の呼び出しってことは異動?」
その言葉に内心ため息を吐きそうになる。
「…誰にも言わないでね。」
「うん、で?どこに異動すんの?」
「…『JOUR』。」
私の言葉に俊は目を見開く。
一瞬、「すごいじゃん」と言ってくれるかも…と思った。
「…は?マジで?…お前が?」
けれど、次の瞬間、彼の口から出たのは冷たい言葉だった。
「…ちょっと、お前のその体型で美容雑誌とか…。きついんじゃね?痩せた方がいいって。」
そう言ってバカにしたように笑っている。
――いつからだろう。俊は、私が『UMAMI』のラーメン担当になって太ってきてから上から目線の発言が増えた。
「…ごめん。悪いけど今日は帰ってくれないかな。
私いつもの仕事の他に引継ぎ資料も作らなくちゃいけなくて忙しくて。
――疲れてるんだ。」
私がそういうと、俊はあからさまに苛立った顔をした。
「…せっかく来てやったのに。わかった、じゃあ帰るわ。」
そう言いながらスタスタ玄関に歩いていき、玄関のドアをバタンと閉めた。
彼がいなくなった部屋で私は溜息を吐く。
「…あーあ。なんか、二重に疲れた。」
私はワイシャツとストッキングをネットに入れて洗濯機に放り込んだ後、さっとシャワーを浴びた。
鏡に映る自分を見ると、だらしない体型に眉を下げて心細そうな顔をしている。
一瞬、俊にスマホで、帰ってきてすぐに追い返したことを謝るべきか迷ったものの、結局何もメッセージを送らないまま、私はベッドに倒れ込んで目を閉じるのだった。
◇◇
「インスタ見たよー!もちこちゃん、またラーメン食べたの?食べ過ぎじゃない?」
次の日、出社してトイレに行くと、隣の部署の結婚情報誌『marriage』を手がけている同期の望月茉里が、鏡の前でリップを塗りながら話しかけてきた。
いつもバッチリメイクで服にもお金をかけている、ちょっと派手な子だ。
野球部のマネージャーで、いつも部内の女の子達ときゃぴきゃぴしている。
最近、何故か私のインスタをよくチェックしているらしく、時々こうして絡んでくる。
「…あはは。確かに。でも、掲載してくれるクライアントさんのお店の味は全部知っておきたいから。」
そう答えると、茉里は鏡越しに私をちらりと見て、小首を傾げた。
「……でも、そんなんじゃ彼氏に振られちゃうかもよ?」
「…え?」
唐突な言葉に、思わず声が漏れる。
「ふふ、俊くんと最近どうなの? 上手くいってないんじゃない?」
眉を下げて困惑している私を、茉里は唇の端だけで笑う。
「…何が言いたいの?」
「えっ、別にぃ。なんでもなーい♪」
そう言って、ヒールの音を響かせながら足早にトイレを後にした。
ぱたん。
(……なんで急にあんなこと言ってきたんだろう。)
一人残された私は、鏡の中の自分を見る。
ほとんどすっぴんに、食べすぎて緩んだ輪郭。
確かに、望月さんの方がずっとお洒落で、メイクも完璧だ。
――けれど。
『餅田のことを僕は凄く評価してる。その企画力も、原稿力も、カスタマーやクライアントへの向き合い方も。』
野嶋さんの言葉が頭を過ぎる。
(しっかりしなきゃ。あと一ヶ月もしたら、『JOUR』に異動するんだから。)
――立つ鳥跡を濁さず。
『UMAMI』の仲間達が困らないよう、完璧な引き継ぎをしてみせる。
私は、鏡越しの自分に小さく頷いた。
◇◇
――異動初日。
結局引継ぎでバタバタしていつも通りの服装で出社してしまった。私は心の中で溜息を吐く。
(せめてリップでも新しくしよ…と思って、ドラッグストアで新しく買ったのを塗ってきたんだけど。)
私は『JOUR』編集部のある7階のフロアに足を踏み入れる。
扉を開けた瞬間、『UMAMI』とは空気が違った。
――フワリと香る香水の匂い。
編集部員の机の上はミラー、雑誌、コスメサンプルで埋め尽くされている。
(…うわぁ。凄い。)
髪もネイルも完璧な人ばかりである。服装は皆お洒落で立つ姿も姿勢がよく、どこか洗練されている。
すると、奥の方で長い黒髪の美女が新人っぽい男性社員を怒鳴りつけている。
「西山っ!貴方なんでこんなブスをモデルにするのを了承したのよ!!!売上に響くでしょ!?断りなさいよ、バカっ!」
「…っでも、この人店長のご友人らしくてっ。」
西山、と呼ばれた新人君がそう言うと、彼女は溜息を吐く。
「…友達ごっこじゃ通用しない世界もあるんだよっ!私達は『美容』の世界にいるの!
クライアントには費用対効果をお返ししなきゃいけないし、私達はカスタマーに夢を売らなきゃいけないっ!ほら、今からサロンに一緒に謝りに行くよっ。再撮影、させてもらお?」
思わず見てしまうと、彼女は私を見て目を見開いた。
「…まどかじゃん。久しぶり。…ほら、西山、行くよ。何モタモタしてんのっ。」
そう言って、彼女はバサバサと原稿を鞄に入れると、西山君の手を引いて颯爽と扉の外に出ていった。
(…よく見たら、美波だ。めちゃくちゃ垢抜けてて気づかなかった…。)
彼女の名前は、橘 (たちばな)美波。
私と同期入社でクール系の美人である。おしゃれで完璧主義で、新人研修の時、なんとなく取っ付きづらかったんだけど…。
「…そっか。あの子が配属されたのって『JOUR』だったっけ。」
そんな事をポツリと呟いた時だった。
「…君が噂の“ラーメン10杯”か。」
顔を上げるとまるで、モデルのようにポール•スミスの派手なスーツを着こなす背が高くて顔の小さいイケメン男性が私を見下ろしていた。
――思わず私は息を呑む。
周りの社員達が一瞬手を止めて、ザッと興味深そうに私を一瞥した。
「俺が『JOUR』編集長の高峰蒼だ。
まずは面談するぞ。荷物はそこの空いてる席に置いておけ。」
そう言いながら威圧感のある笑みを浮かべてくる。
「来い。」
そう言われて慌てて高峰編集長を追いかける。
(…ビックリした。編集長ってもっと歳の人かと思ってたんだけど…。)
若い。恐らく、30代前半か、下手すれば20代じゃないだろうか。
彼は会議室の椅子に腰を下ろすと私に座るように指示を出した。
「まず言っておくが――今の君のままで『JOUR』に馴染めると思うな。」
高峰編集長は、まるで値踏みするように私を頭のてっぺんからつま先まで見た。
冷たい視線に背筋がぞくりとする。
「美容雑誌は“憧れ”を売る仕事だ。見た目も、立ち振る舞いも、言葉選びも、全てが商品になる。」
私は思わず姿勢を正す。
(…やっぱりそうなんだ。)
私はまっすぐに彼の目を見てゆっくりと頷く。
すると、彼は少しだけ目を綻ばす。
「――だがな、見た目は変えられる。君の企画力は野嶋編集長から聞いている。
中身があるなら、外見もそれに見合う形にすればいい。」
彼は薄く笑い、机に肘をつく。
「明日から朝7時に駅前のジムに集合だ。異論は認めない。
1ヶ月で結果を出せなければ――君はここから居場所を失う。」
その言葉に私は思わずポカンとしてしまう。
「…へ?じ、ジム?」
そんな私に彼はお構いなしに背を向ける。
「――以上だ。解散。」
背中を見送った私は、これからの1ヶ月が1日ラーメン10杯よりキツいものになる予感しかしなかった。