生体家電
パッカパッカと時速80キロで走る馬が、軽やかに車道を駆け抜ける。馬は赤信号が見えると自然に減速し、完全に停止した。車よりも速く、安全で、経済的な乗り物として今や多くの人がこの『エコ馬』を愛用している。
信号が青に変わると、馬は再び走り出した。しかし、道の脇にあるニンジンスタンドが目に入ると、ヒヒンと短く鳴いたので、馬に乗っている男はそこに立ち寄ることにした。二本で百円のニンジンを馬に与える。これで百キロメートルは走るので、経済的だ。
スタンドを出るところで、男は地面に落ちている空き缶に目を留めた。無意識のうちにそれを拾い上げ、ゴミ箱に放り込む。こうした清掃行動は日常の一部であり、彼だけでなく、誰もが街中で自然にこなしていることだった。
今日、男は家に帰るのを心待ちにしていた。ついに、新しい掃除機が家に届くからだ。彼は部屋が少しでも汚れていると、どうしても綺麗にせずにはいられない性分だったので、その到着を待ちわびていた。
自宅に到着し、男は胸を高鳴らせながら家のドアを開ける。待ちに待った新しい掃除機が、リビングの一角で彼を待っていた。男は歓喜の声を漏らした。
さっそく取扱説明書に目を通す。
汚れを発見した場合、自動で清掃を行います。
1日1回以上は水と食事を与えてください。3回が望ましいです。
破損した場合は、自然治癒するまでしばらく使用を中止してください。
寿命は約10年です――
なるほど分かりやすいと、男は掃除機の方に視線を戻す。掃除機は愛らしい眼差しで、男の顔をじっと見つめていた。
「よし、お前の名前はフーバーだ」
と男が言うと、フーバーは小さく身を震わせ、嬉しそうにリビングの端へと駆け出していった。そこに着くと、鼻をこすりつけるようにして埃を吸い込み始める。
説明書を読み返し、男は思わず微笑んだ。吸い込んだ埃はやがて糞として排出されるため、トイレのしつけだけはきちんとしておく必要があるのだと。ペットをしつけるのと同じだ。
「今度は洗濯機がほしいわねぇ」
男の妻が、楽しげに呟く。男も、また新たな家電との出会いを心待ちにしていた。
バイオテクノロジーの発展により、ついに『生体家電』の開発が現実のものとなった。これは機械ではなく、家電として機能する生きた動物だ。この技術は「バイオ革命」として世間を驚かせている。
生体家電は、遺伝子操作によって特定の『本能』がプログラムされ、掃除機なら掃除を、洗濯機なら洗濯を、自然と行うように設計されている。人間がわざわざ操作しなくても、家の汚れや洗濯物を見つければ自発的に作業を始めるのだ。さらに、傷ついたり故障した場合も、『自然治癒』してしまうのがこの家電の特徴だ。
また、電気を使わず、簡単な食事と水だけで動作する点も、環境に優しい点として注目を集めている。食費は多少かかるものの、『クリーンエネルギー』なところは大勢から歓迎されている。家庭では残り物の食事などがエネルギー源として活用されることが一般的だ。
この生体家電には、さらに別の魅力もある。それは愛玩動物としての側面だ。触れると温かく、飼い主によく懐き、忠実に寄り添う姿に心が和む。古くなっても簡単には捨てられず、寿命を全うした家電は土に返される。これによって、粗大ゴミの量も激減した。
ただ、かつての愛玩動物である犬や猫にとってはこの変化は決して歓迎すべきものではないかもしれない。多くの家庭でその「座」を奪われてしまったのだから。しかし、根強い愛犬・愛猫ファンの要望に応じ、『ホームセキュリティ犬』や『コタツ猫』といった生体家電も新たに開発されつつある。
「さあ、ご飯できたわよ。みんな、おいで~!」
男の妻が声をかけると、家中の生体家電たちが一斉にダイニングに集まってきた。エアコンのエアリス、テレビのリキッドとオルガニック、そして目覚まし時計兼コーヒーメーカーのモーニング。子供たちはリビングで夢中になってテレビを見ていたが、テレビ自体がダイニングに駆けつけてしまったため、しかたなくついてきた。
そういえば、テレビのリキッドとオルガニックの間には先月、子供が生まれたばかりだった。まだ手のひらに乗るほど小さな姿で、今は『ポータブル』と呼んでいるが、いつか正式な名前をつける日が来るのだろう。生体家電に囲まれた男の家庭は、賑やかで、愛らしい雰囲気に包まれていた。そして、今日から家族の一員となった掃除機のフーバーも、嬉しそうにその場に加わる。温もりを持つ家電たちとともに、男の家族はにぎやかに食卓を囲み、食事を楽しんだ。
翌朝も、男はエコ馬にまたがり会社へと向かった。道中、泥がついた標識を見つけると、懐から手ぬぐいを取り出し、丁寧に拭き始めた。彼は無意識のうちにそうしていた。
人々は誰もが無意識に清掃を行い、順番を譲り合い、無駄な浪費を避け、国の政策には忠実に従って生活していた。まるでそれが本能に刻まれているかのように。
こうして、世界中の町はどこも驚くほど綺麗で、そして平和だった。
連載している小説もありますのでよろしけば読んでみてください。