42ランフォード
ランフォードは牢に入ってから熱にうなされていた。
だが、どんなに叫んでも助けが来ることもなく、朝と夕方に食事と言うには余りにひどい薄いスープと硬くなったパン一つが運ばれてくるだけで、牢番に声を掛けても返事すらしてくれない。
具合が悪いと訴えても知らん顔でもうどうしようもなかった。
粗末なベッドに布団と言えるものはなく、薄っぺらい布切れを体に巻き付けるくらいだ。
国王に会いに行った時来ていた騎士隊の上着は牢に入れられる時に脱がされ、今身に着けているのは麻袋のようなカサカサした感触の頭からすっぽりかぶるような服だった。
幸い下のシャツやズボンまでは脱がされなかったので少しはましだったが…
こんなに熱が出て苦しいのはきっとあの魔獣の血を浴びたせいだ。だが、今までこんな事はなかったのに…
ランフォードは何が原因かを考えるがそれしか考えれなかった。
貴族のような人間にはもともと魔族の遺伝子を体に受け継いでいるせいで、魔獣から被害を受けてもあまり深刻な事になることはほとんどなかった。
だが、今の俺は、平民が魔獣に襲われて受けた傷がもとで熱を出したり命を落とすのと同じ症状だ。
魔源の力は普通の人間には毒となって、その症状は狂ったようにもがき苦しんで暴れ回るとも聞く。
体力が落ちているとも思えないが…
それにここらか出る方法を考えなければ…
そもそも国王の言うことはさっぱりわからない。婚約してるだって?俺が?誰と…確かにダンルモア公爵家からそんな話があったが、はっきり返事をしたわけではなかった。
とにかく忙しくてそんな話はすっかり忘れていたくらいだ。
まさか…国王がディミトリーを次期国王に戻すために?
いや、国王はそんな人ではないはずだ。
毎回ここで話は息詰まるのだった。ルヴィアナと話がしたい。こんなことになってきっと彼女は動揺しているはずだ。
何としてもここを出て…
そんな事を考えていられるのも最初の数日だった。
3日もすると意識が混濁し始めた。いきなり感情が沸き上がるように苛立ち声を上げるようになった。
次第にもやもやした頭の中に魔獣が現れ暴れ始めたような感覚に陥る。
魔獣は狼の魔獣で先日倒した魔獣によく似ているとも思えた。
そいつが体の中で暴れ回ると意識を乗っ取られたかのようになって、ランフォードは叫んだり、牢の鉄格子を叩いたり、足踏みをして暴れたりして、次第にそれは凶暴化して行った。
自分でもどうしてかわからない。とにかく理性などというものが吹き飛んでしまう。
本能のまま声を荒げのたうち回る。ひどいときはそのまま気を失った。
考えは何も浮かばず何をするべきかもわからない。
「早く出してくれ!」と衝動的に叫んでみるがその声は誰にも届きはしなかった。
わかるのは、ランフォードの体の中で何かが暴れ回っている事だけだった。
まるで狂暴化した魔獣みたいだ。
こんな姿をもしルヴィアナが見たら…時々ふっと理性が戻る。
その時だった。ルヴィアナの声がした気がした。
ランフォードの体がびくっと震えた。あんなにルヴィアナに会いたいと思っていたのに、今は会うのが恐いなんて…
するとカンテラの灯りが近付いてきた。
「ランフォード隊長?ご無事ですか?」
副隊長のダミアンの声だった。
思わずランフォードは鉄格子に近づこうとした。
「こんな所にランフォード様が?ああ…なんてひどいこんな所に閉じ込めてるなんて信じれませんわ。本当にここなのですかダミアン様」
聞き覚えのある声に耳の神経がそば立ち奥歯をかみしめる。背筋がぞくぞくして肝が縮む。
やはりルヴィアナか?
まさかこんな所に彼女が来るはずがない。こんな恐ろしい場所に…
だが、カンテラの灯りに浮かび上がったのは紛れもないルヴィアナの姿だった。
ランフォードは、思わず牢の一番奥まで下がって身を隠した。
真っ暗な壁の奥にうずくまる。
こんな姿を見られたくない。もしまたあの発作が起きたらどうするつもりだ?あんな醜態を見られたら…二度とルヴィアナと顔を合わせられなくなる。
彼の頭には恐ろしい不安が一気に押し寄せる。
いきなりカンテラの光がランフォードを照らした。
眩しくて顔を背ける。髪の毛はぼさぼさになり、頬はこけ目は落ち込んでいるに違いない。
こんな姿を誰にも見られたくはなかった。というより誰にも知られたくない。
身体を縮めるようにして背中を向けて相手に顔が見えないようにした。
「隊長?隊長ですよね?ああ…なんてことだ。こんな所に‥クッソ!すぐにここから出すように話をします。隊長、一体何があったのか教えてください。お願いです。隊長が国王に暴力をふるったなんて噂は嘘でなんしょう?」
ランフォードは思わずその声に応えていた。
答えずにはいられなかった。
無実の罪をきせられて、こんな所に入れられて、こんなおかしなことになっていて、知られたくない事もあるが今はとにかくここから出なければと突発的に脳が反応してしまう。
「俺は何もしていない。いきなり婚約していただろうと言われて違うと言っただけだ。国王の話はなかった事にすると言われた。俺は婚約は間違いだから調べて欲しいと言っただけだ。そしたらいきなり衛兵にここに連れて来られた。きっと国王は俺を次期国王にすることが嫌になったんだ。それならそれでいいんだ。俺はそんな事は望んでなどいない」
「ランフォード様はやっぱり婚約などしていなかったのですね?私に結婚を申し込んで下さったのは本気だったのですね」
ルヴィアナと目が合う。だがランフォードはたちまち目を反す。
「ランフォード様、どうして顔を背けられるのです。やましいことなどないのでしょう?私、国王に話をします。すぐにここから出していただくようにしますから、だからはっきりおっしゃってください。私と結婚したいと…」
「婚約などしていない。でも…」
こんな姿をどうして彼女に見せられるんだ?ぼろきれのようなみじめな姿を…
ランフォードはいきなり苦しくなった。
やめろ!やめろ!今、理性を失うわけにはいかないんだ!
体中が燃えるように熱い。脳の血管が焼ききれそうなほど痛くなり、何も考えられなくなってしまう。
「ガァ、オー!ここから出せ!早く。出してくれ。グォー」
雄たけびを上げここから出すように声を荒げる。
思考回路は遮断され本能のまま声を荒げた。
鉄格子を握りしめた手に力を込めて鉄格子を揺らす。ガタガタ鉄が揺すられきしんだ音が響いた。
「た、たい、ちょう…まさか…魔獣の毒が回ったんじゃ?」
ダミアンが腰を抜かす。牢の前で大きな体躯の男が震える。
「ルヴィアナ危ない!」
レイモンドがルヴィアナをかばうように前に出る。
「どういうことです?ダミアン様応えて下さい!」
「魔獣の血液を浴びたり、牙で噛まれたりしたら魔族の持っている毒で苦しむんだ。最悪死ぬことも…隊長の様子はかなりまずい事になっているとしか…でも、隊長は魔源の力を持っているはずなのに…」
「魔獣の毒が?大変です。ランフォード様、私の近くに来て下さい。さあ、私のそばに…」
「な、何を言ってるんだ。噛みつかれるかもしれないんだぞ。近づくんじゃない!」
驚いたレイモンドはルヴィアナが差しだそうとした手をつかむ。
「お兄様鉄格子があるんです。大丈夫です。さあ、ランフォード様」
ルヴィアナはレイモンドの手を振りほどいてランフォードに駆け寄る。
彼が握りしめている鉄格子の手に触れるとその手をぎゅっと握りしめた。
彼の顔を見た。疲れ切った顔は目がくぼみ、肌は血の気を失い、皮膚は深いしわを刻んでいる。
そんな生気をしなった顔の中で瞳だけはらんらんと輝いていた。恐ろしいほど輝くの瞳の虹彩には血の色が混じっていた。
「いけないルヴィアナ。私に触れてはいけない。駄目なんだ。おかしいんだ。俺は君に暴力をふるってしまうかもしれない…ルヴィアナやめろ…」
彼の顔が強張り握った手が震える。声は小さく消え入りそうな声で…
その時だった。ルヴィアナの頭に怒り狂っている魔獣の姿が見えた。
これって狼?でも脚は二本で立っている。耳はピンと頭の上に立ちあがり、毛は銀色の…まるでランフォードの髪の色のような色だが少し違う。
それは叫んでいる。俺を殺したお前を呪ってやる。お前の命が尽きるまで苦しめてやるからな。クッソ覚えてろよー。
魔獣は閉じ込められた扉を拳で叩くようにしている。
どこかに閉じ込められているの?ううん、閉じ込められているのはランフォード様のはず…
とにかくその魔獣が静まるようにルヴィアナはふわりと包み込むような気持ちで力を送る。
「ランフォード様大丈夫です。大きく息を吸って…吐いて…気持ちをゆったりと…彼を苦しめないで大人しくして…」
しばらくそうやってランフォード様に力を送る。
ルヴィアナの持っている魔源の力は癒しの力らしい。その力で魔獣の荒ぶった気持ちを落ちつかせられたようだ。
でも、これはほんの一時しのぎだとルヴィアナにはわかった。
「ルヴィアナ?何をしたんだ?凄く楽になった。つきものが落ちたみたいな気分だ」
「良かった。ダミアン様一刻の猶予もありません。早くランフォード様をここから出すようにしなくてはまだ彼は治ったわけではないと思いますから…ランフォード様しっかりしてください。すぐにここから出しますから」
「ああ、もう待ってはいられないな」
ダミアン様は持っていた魔石で牢の鍵を壊した。
魔石にはそんな力もあるんですか?驚くルヴィアナに言う。
「急ごう。隊長をここから助け出すのが先決だ。後の事は俺が何とかする」
「ダミアンそんな勝手なことをして大丈夫か?」レイモンドは驚いた様子で聞く。
「お兄様今は一刻を争います。この責任は私が取りますから、さあ、ランフォード様行きましょう」
「ありがとう。だが、歩けるかどうか…」
ランフォードはかなり衰弱していた。
私たちはランフォード様を抱えるようにして牢から連れ出した。
レイモンドもランフォードの様子を見て一緒に連れ出すことにする。
こんなひどいことをした国王を絶対に許せませんわ。
ルヴィアナの胸は怒りで震えたがランフォード様が裏切っていなかった事がうれしかった。
もう、この人は私を裏切る人ではないと分かっていたはずなのに…
ルヴィアナはランフォードの手をぎゅっと握りしめていた。
 




