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ディミトリーの一件から数日後。
朝早くに王宮の王妃の所にディミトリーがやって来た。
いきなりクレアに向かって毒を吐く。
「母上、父上はひどすぎます。私を国王の座から降ろすだけでなく平民として生きて行けなどと…私はどうやって生きて行けばいいのです。これから先ステイシーを妻にしてやって行くつもりなのに、これではステイシーにも十分な事をしてやれません。何とかしてください。母上から父上に話をしてもらえませんか?」
クレアにもディミトリーを次期国王の座から降ろすという話は伝わっていた。
そしてステイシーと結婚するというディミトリーを平民にするという事も。
クレアからしてみれば、そのような話納得がいくはずがなかった。
でも、ディミトリーのやり方も悪いです。もうどうしてこの子と来たらうまく立ち回れないのかしら…
「わかっています。ですがディミトリー。あなたは間違っていますよ。私はルヴィアナを大切にしなさいと言ったはずです。陛下が怒ることもわかっていたはず。ルヴィアナにステイシーの方が大切だなんて言う方が間違ってます。嘘でもルヴィアナが大切だとでも言っていたら状況は変わっていたのです。まったくあなたという人は…すぐにステイシーと別れなさい。そうでなければ話は聞けません。わかったらすぐにステイシーに別れを切り出してきなさい。そうすれば国王にとりなしてみます」
ディミトリーは驚いた。
「そんな事が出来ないから頼んでいるのです」
「では、好きにしなさい。別邸は王族専用スペースです。ステイシーと別れないというならすぐに出て行きなさい。どこで何をしようとあなたの自由です。好きにすればいいです!」
クレアの態度が恐ろしいほど冷たい。
ディミトリーもこれには言葉もなかった。
「母上…」
「母上などと呼ばないでちょうだい。さあ、出て行きなさい。人を呼びますよ」
「…」
「考えが変わったらもう一度話を聞きます。ステイシーがいたのでは考えることも無理でしょう。しばらくひとりになって良く考えてみてはどうです?」
ディミトリーはがっくり肩を落として出て行こうとした。
クレアがそれを引き留める。
「あちらの部屋で朝食でも食べて行きなさい。もう、あなたにもわかっているはずです」
優しい言葉を掛けられてディミトリーは、すがるように母が指さした部屋に入って行った。
クレアはその姿をたまらない気持ちで見つめた。
何とも情けない…わが子ながらどうしてもう少しうまく立ち回れないのだろうか…
それにしてもディミトリーがどうして国王の座を下ろされるのです?私が何の為にこの国に来たと思っているのです。失礼にもほどがあります。おまけに平民?私の息子を?いい加減にしてもらわないと…ニコラスはまだミシェルに未練があるのです。だからあんなにルヴィアナを妃に迎えさせようとしているのよ。
怒りの矛先はニコライに向かう。
それと同時にステイシーを何とかしなければと…
クレアはすぐにカルバロス国から嫁いでくるときに連れて来た侍女のリネットを呼ぶ。彼女は信頼のおけるとても優秀な侍女だった。
「リネットお願いがあるの。ステイシーは知ってるわね?」
「はい、もちろんです奥様」
「今ならまだ別邸にいるはず、すぐに行ってステイシーにサンドイッチを届けて下さい。その時、これを渡しなさい」
「これは…」
「ディミトリーのそばにステイシーを置いてはおけないのです。お金が入っています。これでディミトリーと別れて遠くの街にでも行くように伝えなさい…頼みましたよ」
クレアの意味を分かったとリネットはすぐに下がった。
そしてニコラスのところに抗議に行く。
ニコライはまだ私室にいて支度を終えたところだった。
ニコライとクレアは夫婦とは名ばかりでもうずっと前から王宮内別居状態にあった。
それ以上でも以下でもない関係で、公の場にはふたりで出席するが、それ以外ではめったに顔を合わせることもないほどだった。
「ニコライ?いらっしゃるんでしょう?」
「ああ、クレアか?なんだ。用なら早めにしてくれ、今から執務室に行くところなんだ」
ドアをあけられてクレアはニコライの部屋に入って行く。
「話はすぐに終わります。ディミトリーの事ですわ。国王の座を奪うなんてひどすぎます。考え直して下さい」
「クレア、私はこれまでかなり我慢してきたつもりだ。あの能無しの為に…だが、今回という今回はもうあのバカには付き合っていられない。国王になるものが…ルヴィアナという婚約者がありながら側妃を先に決めるなどと…それが無理なら今度はその女と結婚するなど。話にならん!あのようなふざけた真似がどうやったら出来るんだ?クレア、私はお前と結婚してからずっと我慢して来た。だが、もう限界ということだ。ディミトリーの事はそっちで好きにすればいい。国に一緒に連れて帰ってもいいぞ。私たちはどうせ仮面夫婦なんだ。ルヴィアナとランフォードの結婚式が終われば私は国王を引退するつもりだ。国王でなくなれば離婚するのも自由だ。そう思わないか?」
ニコライの顔はすっきりしたように見えた。
クレアは一気に嫉妬にかられる。我慢して来たものが吹き上げるように言葉が止まらなくなる。
「あなたは…あなたという人はずっと私の事など最初から見てはいらっしゃらなかったじゃないですか。婚約者だったあの女。ミシェルの事をずっと忘れられなかったんですから。だからミシェルの娘を次の王の婚約者に決めたんですよね。ミシェルの気を引こうとされて…私たちの事など最初からどうでもよかったんですわ。それならそうと早く仰ればよかったのに、私はすぐにでも国に帰りましたのに。でもそれをすればカルバロス国との関係が悪くなるからあなたは仕方なく離婚しなかっただけですわ。あなたは勝手です」
「私が勝手だと言うのか…クレア。お前は私のところに来た時にはもう男を知っていたな。わからないとでも思っていたのか!だからディミトリーは私の子供ではない。それなのに私は体裁を繕ってあの子を自分の子をしてしまった…ずっと…ずっと後悔して来た。このようなことが公になれば国の信頼問題にもなりかねん。だから…ずっと言わずにおこうと思っていたのに…」
ニコライの瞳に光るものが…
「あなたという人は…」
クレアは驚きで声もやっとで…だが、すぐに気持ちを引き締める。
ニコライを真っ直ぐに見つめはっきりと言葉を紡ぐ。
「ニコライ。確かに私は国に好きな人がいました。でも急にレントオール国との縁組が決まって父からこの国に嫁ぐように言い渡されました。王女として生まれたからにはそれが私の務めと分かっていました。だから…最後にその方に許したのです…でも、ディミトリーはあなたの子供です。女の私にははっきりとわかります。だから妊娠が分かった時私は心から安堵しました。子を産むこと。それが王妃の仕事の一つですもの。ですが、あなたはそう思っていないと薄々感じていました。ですがあの子はあなたの子供です。国王になるのはディミトリーですわ」
「何を言ってるんだ。そんな事うそだ!」
「噓ではありませんわ。ディミトリーはあなたの子です。ディミトリーがあのような事をおこしたのは確かに非常識でした。ですがあのステイシーとは別れさせます。だから何とかディミトリーが次期国王になれるようにして下さい。これ以上あなたの勘違いでディミトリーを苦しめるわけにはまいりませんもの。それさえ約束していただければ…ニコライ、あなたが国王を引退したら正式に離婚します。私も仮面夫婦を演じるのはもう疲れました。国に帰って父の看病でもした方がよほどいいですから」
「クレアそれは本当か?本当なのか?この期に及んでまだ嘘をつく気はつもりではないのか?」
ニコライは驚愕の表情でクレアを見据える。その態度に少しでもおかしなところがあればこんな茶番など一括してクレアを黙らせてやろうと…
「確かです。結婚式の後で私は月のものが来たのですから、それからすぐに妊娠したのです。ディミトリーは月足らずで生まれてしまったので余計にそんな事を思われたのでしょうけど、確かにあなたの子供に間違いありませんわ。まあ、あなたは私がずっとはしたない女だと思われてきたのでしょうけど…そんな事はもうどうでもいい事でしょう。元婚約者とでもその娘とでも仲良くされればいいじゃないですか。ですがディミトリーの事は譲れませんから…」
ニコライは足元がぐらついた。ずっとディミトリーが自分の子供ではないと思っていた。これまで瞳の色はレントワールの王族のほとんどが金色か赤紫と決まっていた。
だが、ディミトリーは違ったのだ。それにクレアには関係を持った男がいたとなったら…
確かにディミトリーの目の色はクレアと同じ濃い藍色で母親譲りだった。
「なぜもっと早くにそれを言ってくれなかった。私が苦しんでいたことは知っていただろう?」
「私を信じていないあなたに心を尽くせと…あなたはやはり勝手ですわ」
「そう言う事ならディミトリーの事は考え直す。だが、今すぐは無理かもしれん。何らかの策を考えねば…とにかくディミトリーには、すぐにロンドワール家の領地を与え公爵の地位を与える。だから…」
「機嫌を直せとでも?御冗談を…とにかくディミトリーの事は約束ですよ」
クレアはそう言うとあっけなく出て行った。
お互い長い間に出来た深い溝は、もうどうすることも出来そうになかった。
その日の夜、ニコライの元に知らせが入る。
ステイシーと父親のヘンリーがいなくなったと…
ふたりはディミトリーが国王になれないと失望して別邸から姿を消したらしい。
”ディミトリーに失望した。もう別れる”とメモが残されていたらしい。
だが、これで良かったのかもしれん。
ニコライはふたりには悪いがほっとしていた。
ディミトリーをもう一度次期国王に戻さなくては…




