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それからルヴィアナは修道院で生活を始めることになった。
まず、朝のお祈りは欠かせない。そして洗面、朝食を食べると掃除をする。
色々な役割が分担されていてルヴィアナは掃除と診療施設の担当になった。
部屋の掃除や庭掃除などをすませると10時前になるだろうか。それが終わると建物の隣にある診療施設に出向く。
そこには毎日怪我や病気の人が来るし、病気やけがで入院している人もいた。
ルヴィアナはシスターや看護師でもないので、入院している患者さんのシーツを取り替えたり、食事のお世話などをすることになった。
はじめは慣れない仕事で失敗が多かったが、なにせ杏奈の時には、家の洗濯も掃除も自分がやっていたのだから…そんなことが役に立ってすぐにシーツ交換も出来るようになり、病人のお世話も慣れて行った。
診療施設には男の人も女の人もいた。シスターたちは訳はだてなく世話をしていた。
ルヴィアナも同じようにお世話をした。
中でも病気で入院しているジルファンという人と仲良くなった。
彼はロッキーやランフォードと同じ金色の目をしていて金色と黒色の髪を持っている。年齢は40代から50代くらいだろうか。
顔つきはいかめしく人を見る目つきは鋭い。最初に見た時は恐怖さえ感じた。
だが、なぜか初めて見た時から惹きつけられるものを感じた。
だからと言ってジルファンを異性として意識するのとはまた違う、彼とは自分と同じように心に秘めたものを持っているようなそんな気がした。
それは言葉を交わすうちにはっきりとわかった。
「ルヴィアナ、悪いが背中を少しさすってくれないか?今日は酷く痛むんだ」
ルヴィアナは病室に入るとすぐにジルファンがそう言った。
「ええ、そんなに痛かったなら夜は眠れなかったでしょう?」
ルヴィアナは心配そうにそっと彼が向けた背中をさすってやる。
初めてジルファンに触れた時は、なんだかビリっと電流が流れたみたいな感じがして驚いた。まるで私が触るのを拒んでいるかのようにも思った。
でも、彼が苦しそうにしているのを見ていると放っておけなくなった。
ルヴィアナは少しずつだがその感覚になじんで行った。今ではもうすっかり慣れてつたない手で彼の背中をさすると気持ちよさそうにしてくれるのがうれしかった。
彼は肺の病気なのか息をするのも苦しそうで痛みもひどいらしい。
この世界では手術や麻酔薬などないので薬草で痛みを和らげるくらいしか手立てはないから仕方のない事だけど…
「ルヴィアナはもう決めたのかい?」ジルファンが突然聞いた。
「えっ?決めたって何をでしょう?」
「ここにいる事をだ。まだ迷ってるのか?」
「私が迷ってるってどうしてわかったのです?」
ルヴィアナは驚く。
「俺はな、人の心を感じ取れるんだ。こんな事信じないかもしれないが」
そう言ってジルファンが目を閉じる。
その瞬間ルヴィアナの頭の中にジルファンの生まれてから今までの事が映像のように脳に流れ込んできた。
ジルファンは100年も前に生まれたらしい。生まれは魔族の森、父は魔族の王ダヴィドという名前で、母は…ルヴィアナは驚いた。
母親は人間でレントオール国のダンルモア公爵家の令嬢、名前はエリエーヌというらしく生まれた赤ん坊は双子だった。
そしてジルファンは3歳くらいの時レントオール国に連れて来られて人間の手で育てられることになる。
まあ、顔だちは人間っぽい。けれど細かいところを見れば魔族の血が入っていると分かるのでは?
彼は毛深いし、髪の色は金色と黒色の二色で…
それでも人間と一緒に暮らすジルファンはすっかりこの国に溶け込んでいるように見えた。
あっ!思わずルヴィアナは身震いする。
ジルファンは思春期が訪れると女性との関係を強要される。女性は次々に変わり彼女たちが求めるのはジルファンのその魔族の力。
大きな魔源の力を持つという魔族の遺伝子。
子を孕ませるためにジルファンはそのためだけに人間の世界に連れて来られたのだった。
気がおかしくなりそうなジルファンの心は、感情を持つことをやめて機械のようにその行為をしていたらしい。
そして50年ほどの時が流れるとジルファンの心や身体はぼろぼろになっていた。
最期には生殖器を切り取られこの施設に放り込まれたらしい。
そしてここでもう30年もこうやって痛みを抱えながら生きて来たということもわかった。
ルヴィアナは驚愕する。そして自分に何が起きたかもわからなかった。
どうして彼の事がこんなふうに見えたのかも、こんな力を持っていたのかもわからなかった。
ただ、その時のジルファンはまるで操り人形のようにも感じた。まるで誰かに洗脳でもされたみたいに…
「ジルファンは魔族なのですか?」とっさにそんな言葉が飛び出した。
「どうしてそれを?」
ジルファンの顔が恐怖を感じたように引きつる。驚く彼にルヴィアナもどうしていいかわからない。でもジルファンに何かしてあげたいと思うから。
「あなたの痛みが苦しみが見えました…あまりにひどすぎます。人間は散々あなたを利用してきたのですね。ジルファンは魔族の森に帰りたいですか?」
ルヴィアナは思いつくまま言葉を発した。
「何を…ルヴィアナ君は一体何者なんだ?」
ジルファンは恐いものでも見るようにルヴィアナを見た。
ごめんなさい。驚かすつもりはなかったのですが…私だって不思議です。
「私だってこんな事初めてです…あの、いきなり見えたんです。あなたが生まれた場所やご両親、レントワールに来たこともその後起こった不幸なことも…あなたは傷ついたんですね。そして今も傷ついたままですわ…だから私、何かお手伝い出来ませんか?何でもいいんです。出来る事があれば…」
「何もない。でも、こうやって背中をさすってくれると信じれないほど痛みが引いて行くんだ。今まで苦しくて痛くてたまらなかったものがすっと流れ落ちるみたいに消えていく。だからこうやって背中をさすってくれるだけでいい」
ジルファンは痛みが引いたせいか穏やかな顔になった。
「少しでも痛みが引いたなら良かったですわ。そうです。私、なにか作りましょうか?何か美味しいものでも食べれば…ジルファンの好きなものは何ですか?」
彼は目を閉じて何かを思い出すかのように…
「そうだな…ラックベリーのジャム。死ぬまでにもう一度食べたいな。あれは母さんが作ってくれて、ラックベリーは魔族の森にしか育たないんだ」
「まあ、それは無理ですわ。そうですね、それに似たものってないのですか?マザーベリーとかレッドベリーとか…」
「ああ、よく似てると思ったのはマザーベリーかな、あれは粒が大きくて甘くて…考えただけで…」
ジルファンは楽しそうに話す。
「わかりました。マザーベリーですね。もし見つかったらジャムを作って持ってきますね」
「ああ、でも無理しなくていい。それにこの話は…」
「もちろん誰にも言いません。安心して下さい。私はあなたの味方です」
「それにしても不思議だ。この国に来てそんな力を持った女に初めて会った」
「それはどういう事です?」
ルヴィアナもこんな力が不思議だった。
こんなことが前にも…あっ、そうです。ルヴィアナに転生した時記憶が流れ込んで来た時に似ている気もします。
「この国の女は魔源を力を使うのは見たことがなかったから、聞いた話では女たちはその力を持っていても次の子供にその力を与えるのが仕事だと…」
「ああ、そうでしたね」
ルヴィアナは驚くが知っているふりをする。
「力はすべて子孫の為に残しておく。だから女は魔源の力を使うことが出来ない。いや、君をみたら使えないと思いこんでいると言った方がいいのかもしれないな」
「そうでしたね。ジルファン、私はおかしいのですか?」
「それは違う。大体、魔源の力って言うのは使えば使うほど多く扱えるようになる。昨日より今日、今日より明日って事だ。どんどん魔源の力は増えて行く。力も増していくって事だ。だが、その力をうまく扱えるようにならないとだめなんだ。でも、この国ではあまりその力を人に見られない方がいいかも知れない」
「でも、私の力を使えば人を治したり痛みを和らげることが出来るんですよね?」
「ああ、きっとそうだろう」
「ならば、私はどんどんこの力を使いたいと思いますわ。せっかく人を助けることが出来るのですから」
「悪いことは言わない。そんな事は考えない方がいい」
「あなたに迷惑はかけませんわジルファン。大丈夫ですから。さあ、そろそろ食事にしませんか?」
ルヴィアナはジルファンの言うことに耳を傾ける気はなかった。
元々自由と平等の国の住人。人の為になることをする事がいけないなどと思うはずもなかった。
ルヴィアナは秘かに自分に出来る事を見つけた気がして自然と気持ちが上向いて行く気がしていた。
診療施設にいる人たちの役に立ちたい。それに出来るならレントオール国の為に何か出来ることはないかとも考えるようになって行く。
それは杏奈だった時も感じていた事。
そんな特別なことでなくてもいい。それでも何か役に立つ人になりたいと…
それはルヴィアナに取ったらごくごく普通の考えだった。