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すぐにレイモンドが修道院に駆けつけた。ミシェルは気を失って倒れてしまって出かけられるような状態ではなかった。
「夜分失礼する。こちらにルヴィアナ・クーベリーシェがいると伺って来ました」
修道院の門はもうすでにがっちりと閉ざされており、レイモンドは門の端にある扉を何度も叩く。
しばらくしてやっと扉が開いた。首元まできっちり肌を隠したシスターが顔を出す。
「申し訳ありませんが、ここは修道院です。夜分のご訪問はお断りしております」
それだけ言うと扉を閉めようとした。
慌ててレイモンドは要件を言う。
「すみません。私はレイモンド・クーベリーシェと申します。こちらにルヴィアナ・クーベリーシェがいると伺って来ました。ルヴィアナは本当にここにいるんでしょうか?」
「ああ、クーベリーシェ様のご家族の方でしょうか?」
「はい、そうです。兄のレイモンドと言います」
「そうですか。ですがご家族とはいえ男性の方をこのような時間に中にお入れするわけにはまいりません。すみませんが明日にでも出直していただけますか?」
「ええ、仰ることはわかります。でも、ルヴィアナがここにいることは確かなんでしょうか?それだけ教えていただきたい。とにかく家族が心配しておりますので…」
「そうですね。さぞご家族は心配されているでしょう。いいですわ。彼女は今日こちらに来られました。修道院に入りたいとおっしゃっていましたが、すぐには入れないことをお伝えして、しばらく体験生活をするということでご本人も承諾なさいました。ですからしばらくはここにいらっしゃることになると思います」
シスターは穏やかに話をした。
だが、それを聞いたレイモンドは酷く焦る。
「では、もうルヴィアナは修道院に入るつもりなんですか?」
「でも、お心変わりされる方もたくさんいらっしゃるので、まだ決められたわけではないと思います。取りあえず体験をするという事ですので」
「あの、それで、もし本人がここに入ると言っても、私たちが無理やり連れて帰ることは出来るんですか?」
「それは無理ですわ。ご本人がここにいたいとおっしゃれば無理に連れ出すことは出来ません。神はそのような事を許されませんから…取りあえずまた明日にでもお越しください。では失礼します」
「ええ、わかりました。では、改めて明日伺います」
レイモンドは頭を下げて扉から下がった。
シスターはお辞儀をして扉はガチャンと音を立てて閉まった。
そして屋敷に帰って来ると事情をミシェルに説明した。
「まあ、どうしましょう。ルヴィアナが修道院に入ると言ったら連れ出すことも出来ないなんて…そうだわレイモンド。議会で次期国王を決める話はどうなりましたの?」
「ああ、それはほぼシャドドゥール公爵でしょう。公爵の御父上はニコラス陛下の叔父にあたり、一番血の繋がりが濃いですし、年齢もランフォードが一番若いですし」
「ランフォードと言えば国王直属の騎士隊長をされているんでしたわよね?」
「ええ、それにルヴィアナとも面識がありますし、浮いた噂ひとつない生真面目な男です。彼ならきっとルヴィアナも気に入ると思います」
「ええ、そうね。では明日ルヴィアナにその事を話しましょう。ルヴィアナもきっと喜びますわ。レイモンドお疲れの所ありがとう」
「いえ、お母様もご心配されたでしょう。ご安心ください。明日にはルヴィアナは帰って来ますよ。では、おやすみなさい」
「おやすみなさいレイモンド」
**************
翌日はレイモンドが修道院にルヴィアナを迎えに行く事になった。マーサも一緒に連れだって修道院に足を運んだ。
応接室に通されて、そこにマザーイネスとルヴィアナが現れた。
「ようこそいらっしゃいました。レイモンド・クーベリーシェ伯爵。私はここの院長をしておりますマザーイネスと申します」
「お兄様…わたし帰りませんから!」
まだ、話もしないうちからルヴィアナが怒ったようにそう言った。
見ればメイドが着るような服を着てエプロンを付けている。
「ルヴィアナ、わかってるんだろう?お前がこんな所で暮らせるはずがない…あっ、失礼しました。マザーイネス」
レイモンドはつい妹のわがままに腹を立てたことを後悔する。
申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいんですよ。ご兄妹仲が良ろしくていいですね」
「マザーイネス、兄は私を連れ戻しに来たのですよ。仲がいいなんて、違いますから」
「いいからルヴィアナ座って」
ルヴィアナは渋々レイモンドの向かい側に座る。レイモンドの隣にはマーサがいて、彼女に嘘をついたことを申し訳なく思う。
「お兄様、マーサに責任はありません。私が勝手にやった事。彼女は何も知らなかったんです」
「誰もマーサを責めたりしていないから安心しろ。そんなことより…」
「お嬢様、私は誰からも責められたりしてはおりません。ですがお嬢様昨日は本当に心配しました」
マーサがそう言った。
「マーサごめんなさい。あなたに心配かけた事悪かったと思っています」
ルヴィアナはこんなことをしてみんなに心配をかけたことに胸がチクリと痛んだ。
「クーベリーシェ伯爵、どうでしょう?せっかくですルヴィアナ様をしばらくこちらでお預かりするというのは?」
「ですが、それはご迷惑。やはり今すぐに連れて帰りたいと、母も心配していますし」
「いやよ!お母様は私を結婚させたいだけなのです。だってお母様は自分が王妃の母になりたいだけ。私の気持ちなんか考えてもいないのよ。殿下は私を…」
またディミトリーに言われたことを思い出して涙が出て来た。
「クーベリーシェ伯爵、こうなるとお互い引けなくなりますでしょう?しばらく時間が必要なのでは?彼女も少し落ち着けばまた考えが変わって来るかも知れませんし、今日の所はお引き取り頂いて、また日を改めてと言う事ではいかがでしょうか」
レイモンドは次の結婚相手はランフォードだろうと言いたかった。
彼ならきっとルヴィアナを幸せにしてくれると思うぞと言いたかった。ランフォードとレイモンドは同じ年で王立学園では一緒のクラスだったこともあって、彼が気難しく見えてもとても優しく誠実な人間だと知っていたからだ。
だが、彼はこんなにはっきり嫌だという女性を今まで見たことがなかった。
そのためランフォードの事を言うのをためらった。それにまだはっきり決まった事でもない。今は何も言わない方がいいだろうと判断した。
「ええ、そうかもしれません。では、ルヴィアナ今日は帰ることにする。でもお願いだからゆっくりこれからの事を考えて欲しい。お前には幸せになってほしいからね」
「ありがとうお兄様。マーサも心配かけてごめんなさい」
マーサは膝にあまたが付くくらい頭を下げて泣いていた。
「お嬢様、いいんです。お嬢様がご無事で良かったです。では、またお会いできるのを楽しみにしておりますので…失礼します」
「では、マザー妹をよろしくお願いします」
そしてレイモンドとマーサは帰って行った。
ルヴィアナの胸は切ない思いでいっぱいになる。でも今は無理なの…ごめんなさい。