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ルヴィアナは、そのマザーと呼ばれる女性のいる部屋に連れて行かれた。
その女性は物腰の柔らかそうな年配の女性でシスターと同じようにグレーの修道服を着ている。
「さあ、どうぞ。おかけになって下さい」
「はい、ありがとうございます。あの…私はルヴィアナ・クーベリーシェと申します。修道院に入りたくてここに来ました」
ルヴィアナは頭を下げて挨拶をする。
緊張して胃がむかむかして来た。
「そうですか。私の名前はマザーイネスと言います。この修道院の院長をしています。あなたのような立派な貴族のお嬢様が修道院に入りたいとは…いいですか。ここではみんなが働かなければなりません。畑を耕し身の回りの世話もすべて自分でしなければなりません。失礼ですがお嬢様のような方にはとても務まることではないと思いますが」
マザーイネスがそう言うのも無理はなかった。
ルヴィアナの格好と言えばいつも出掛ける艶やかなドレス姿なのだから…
「いえ、マザーイネス、私は何でも自分で出来ます。ですからここに置いて下さいませんか」
私にはもう行くところがないんです。深刻な思いはマザーイネスに伝わったのか、彼女は唇をぎゅっと噛みしめて眉を寄せた。
「困りましたね。…そうだ。ここには入ったら結婚は出来ませんよ。そのことはご存知ですか?」
「はい知っています。実は私、婚約者に捨てられたんです。母はすぐに別の方を見つける話を進めていて…私、もうそのような結婚は嫌なんです。どんな方かも知らない人と結婚するなんて…あの…だから私…一番やりたかった子供たちのお世話が出来たらって思ったんです。でもここには子供の施設とかはないと聞きましたが…でも、もうとにかく私には行くところがないのです。どうか…」
ああ…もう何を言ってるんでしょう。
頭が混乱してどうしていいかもよくわからなくなってしまう。
気まずい空気が漂い始めて…
「あっ、あの、これ良かったら皆さんで召し上がって頂けませんか?」
ルヴィアナは持って来た籠に入ったクッキーをマザーイネスに手渡す。
「まあ、おいしそうなクッキーですね。あなたが?」
「はい、そうです」
自分が作ったものだと分かれば少しは役に立つかしら…でも、もしここに受け入れてもらえなかったら?
こんなことになるなんて、どうしたらいいの…
安易な考えで出てきてしまった事をもう後悔し始めた。
これくらいで後悔するなら屋敷に帰った方がいいかも知れないわ。でも、結婚は絶対に嫌だから!
不安で手のひらにはじっとりと汗がにじんで来る。
「そうですか。クーベリーシェ嬢お気持ちは変わりませんか?」
そう尋ねたマザーイネスの眼差しはどこまでも優しい。
神にもすがる思いでルヴィアナは答える。
「はい、家には帰りたくありません。今の私には結婚は考えられないんです!」
「そうですか…それではしばらくここで体験生活をなさってみたら?でも、修道院に入るのを決めるには半年ここで生活してもらってからなんですよ。今すぐあなたがここに入れるかは決められません。少し落ちついてこれからの事を考えれるようになるまで…あなたはまだお若い。それに貴族のお嬢様ですから、きっとこんなことを知ったらご家族の方も悲しむでしょうし…」
ルヴィアナはそれを聞いて考えた。それもそうだわ。安易に修道院にって思ったけど保育園みたいなところもないし、お母様が結婚を諦めてくれるまでここから帰らないって言えばいいんだもの。
なんて勝手な考えなんだと思いながらも、きっとこんな生活を一生するのは無理にも思う。
「そうかもしれませわ。私、ここでしばらく今後の事を考えさせてもらってもいいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。その代り仕事はして頂きますよ。いいですか?」
「はい、もちろんです。ありがとうございますマザーイネス」
こうしてルヴィアナはしばらくここで厄介になることになった。
一方クーベリーシェ家では、マーサが先に帰って来たがルヴィアナが迎えを頼んでいたので誰も心配はしていなかった。
だが、夕方馬車で迎えに行ったイアンが大騒ぎで帰って来た。
「奥様、お嬢様をお迎えに行ったのですが、時間になっても帰っていらっしゃいませんでした。それで教会や辺りをお探ししたんですがどこにもいらっしゃいません」
「イアンお前時間を間違えたのではないのですか?ルヴィアナは何と言ったのです!」
「お嬢様は確かに教会の前に4時に来て欲しいとおっしゃいました。ですから4時少し前には教会の前でお待ちしておりました。ですが…」
「でも、ルヴィアナは約束を守らないはずがありません。まあ、もう5時近いじゃないの。何をしているんです。すぐに人を出してルヴィアナを探してちょうだい!マーサ来てちょうだい。ルヴィアナが大変なの」
マーサは奥様に呼ばれてすぐにルヴィアナが帰ってこないことを知る。
そして昨日ルヴィアナが街の事や色々聞いた事を話した。
「まさか…いえ、そんなはずはありません。ルヴィアナはそのようなばかな事をするはずが…」
ミシェルにはルヴィアナが結婚を嫌がってはいたが、まさか結婚をしたくないと考えているなどとは思ってもいなかった。
それもそのはず、この世界で貴族の令嬢が親の決めた結婚に逆らうことなど考えられない事なのだから…
ミシェルは、好きだったディミトリーにひどいことを言われて傷ついているからだと思った。
あれからヘンリーは離婚届を出して屋敷を出て行って、今この屋敷にはミシェルと息子のレイモンド伯爵がいるだけだが、レイモンドはまだ帰ってはいなかった。
ミシェルは気が動転して自分で王宮に出向く。
もとはと言えばディミトリーのせいですもの。これくらいしてもらってもいいはずですわ。
王宮に着いたのは、もう月が出始めた頃で辺りは暗くなり始めていた。
例えミシェルでも約束もなしに王宮に勝手には入れない。門番に取次ぎを頼む。
「レイモンド・クーベリーシェ伯爵をお願いします。急ぎの用なんです」
「あなたは?」
「ミシェル・クーベリーシェ。元クーベリーシェ伯爵の未亡人ですわ」
門番が取次をする。
そして中に入った。
レイモンドは、もとディミトリー殿下の執務室にいると言われる。
ミシェルは急いで言われた場所に向かう。
ドアをノックすると秘書官のローラン様に用件を聞かれる。
「失礼します。私はミシェル・クーベリーシェと申します。レイモンドに急ぎの用がありまして、こちらにいると伺ったものですから」
「クーベリーシェ伯爵。お客様です」
レイモンドが客がミシェルと分かって入るよう伝える。
「母上何事です。このようなところまで」
レイモンドがいぶかしい顔をしたのは言うまでもない。
レイモンドはランフォードの留守の間執務を手伝うように頼まれたのだった。
「ごめんなさい。でも…私どうしていいか…大変なのです。ルヴィアナがいなくなりましたの。今日は街に行って来ると出かけたのですが、イアンが迎えに行った時ルヴィアナは戻って来なくて、あの子約束を破るような子じゃないのに…今、使用人たちに探させてはいますが、もしこのまま見つからなかったら…ああ、悪い人にでも連れて行かれていたら‥すぐに人を手配していただけない?ルヴィアナはこのところすごく落ち込んでいたから、今日街に出かけると聞いて喜んでいたのに…こんなことになるなんて…レイモンドお願い。ルヴィアナを探して下さい」
「わかりました。僕もすぐに帰りますから、母上心配しないで下さい。きっとルヴィアナは無事です」
レイモンドも使用人たちも街をあちこち探したが、ルヴィアナは見つからなかった。
ミシェルは心配で気が狂いそうになる。
「ああ…ルヴィアナ…どこに行ったの?」と言いながら泣き崩れた。
そしてその夜、修道院からクーベリーシェ家にルヴィアナをしばらく預かると知らせが届いた。
ミシェルは驚きのあまり床にへなへな倒れ込んだ。
「奥様しっかりして下さい。ルヴィアナお嬢様は?」
「マーサ、どうしましょう。ルヴィアナが修道院に…」ミシェルはそれだけ言うと気を失ってしまった。
「奥様!しっかり…しっかりなさって下さい!」




