21ランフォード視点
ランフォードは数日かけてダンテス伯爵と騎士隊数十人を引き連れて辺境の地ルベンにやって来た。
騎士隊はダンテス伯爵の領地内の農家の空き家を借りてそこを本部にすることになった。
寝泊まりもその空き家を使うことになり、着いてすぐに担当者を割り振るなど忙しくした。
食料はダンテス伯爵が近くの農家から届けてくれる話をしてくれたので困ることはなかった。
副隊長のエドウィンと話し合い、数日はこの辺り一帯の農家などに魔獣被害の状況の聞き込みと魔獣がよく現れる場所を特定することなどを決めた。
隊員たちは食事を作るもの、見張りをするもの、部屋の割り振りや掃除などをするものなど、それぞれが仕事を分担してテキパキ動いた。
そして夕食が終わりランフォードはやっとひとりの時間を持つことが出来た。
ここに来る途中にルヴィアナが持って来てくれたジンジャークッキーやシュネーバルを隊員たちに配りみんなから大喜びされた。
その菓子は、ルヴィアナが言った通り疲れた体を優しく包み込んだ。
コーティングされた砂糖が口の中で程よく溶けると刺々した気分まで溶けていくらしく、隊員たちも必要のない苛立ちを抑えるのに役立ったらしい。
ジンジャークッキーは、甘みが少なく甘いものが苦手な隊員にも好評でおまけに身体を温める効果もあるらしく、野営地で過ごす隊員が好んで食べた。
おかげでもうなくなってしまったが…
クッソ!こんなことなら少し自分の分を取り置きしておけばよかった。
ランフォードはちょっと苦笑いしながら菓子の事を思い出していた。
あのコーティングされた砂糖のついた菓子…日本で食べていたドーナツに似ていた。
杏奈が無理やり連れて行ったドーナツショップだったが、あまりのおいしさに俺は杏奈をだしにしてドーナツを食べに行ったな…
お嬢、今も元気に保育園で子供たちと楽しくやっているんだろうな。
もしあのまま日本にいたら俺はお嬢を…
もう考えるな。あの世界の事は…偶然転移してしまっただけの世界。俺はもともとこの世界の人間で…だが、また生きてこの世界に戻って来れるとは思ってもいなかったが…
そんな事を思い出して思わずため息が出る。
ランフォードの手には、ルヴィアナが手渡してくれたアイピローと折り紙の鶴が握られていた。
まったく…ルヴィアナ君って人は、どれだけお人好しなんだ。
人からに聞いていた話とあまりに違う俺は彼女に振り回されっぱなしで…
また大きく息を吐く。
彼女は王太子殿下の婚約者。自分が焦がれてはいけない人なのだ。そう何度も言い聞かしてきた。
妹の事を、魔獣にはいけにえを差しだしているんですよねって簡単に言ったルヴィアナ。無神経にもほどがあると腹立たしくも思った。
それなのに素直に悪かったと謝られてなぜか素直に受け入れられた。
俺がこの任務に就くと知ったら、あんなに心配してくれたり、俺達の為に伯爵令嬢である人が自らクッキーを作って差し入れてくれたり、わざわざ俺の為にこんなものを…
待てよ。これってどこかで見た気がするが…
これは日本に転移していた時、お嬢が作ってくれたアイピローとそっくりじゃないか?
そもそもこの時代にアイピローなどというものがあっただろうか?
ルヴィアナがどうしてこんなものを作れるんだ?
形といいこの縫い目といい、そっくりじゃないか…
あの菓子といい、こんなものまで…
でも、お嬢がここにいるはずがない。そんなのはただの偶然だ。
きっと女性はこのようなものを好むに違いない。そうでなくてもやれ肌が荒れるとか、日焼けにはこの薬草がいいわとか、やたら顔や肌の手入れを気にするのが女だ。コレットもよく目が腫れぼったい事を気にして温めた布を目に当てていた。
それでルヴィアナもこんなものを知ったに違いない。きっとどこかの店ででも売っているのだろう。
だからといってあんな口約束の事を、きっとクッキーを作りこのアイピローを作ったとすると…ほとんど寝ていなかったんだろうか。
あの日も俺がいなかったから仕事も忙しかっただろうに…
彼女の優しさがうれしくて俺は寝台に横になるとそのアイピローをそっと目の上に乗せた。
ほのかに香るラベンダーらしい香りが何とも心地よく、アイピローの肌触りといい程よいひんやり感に俺は身体中の疲れがほぐれて行った。
そしていつの間にか眠ったらしい。
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その夜ランフォードは日本に転移した時の夢を見た。
ロッキーという名前をもらって、まだこの世界に来たことに狼狽えていた。
会長という男が自分の家で世話をしてやると言って俺を連れて家に行った。
杏奈という女性はその家の娘らしく、父親が帰って来たというのに出迎えもしなかった。
恐ろしく短いスカートをはいて、肌に密着するような上着は胸の膨らみが露わになっていてとてもじゃないが見ていられないと思った。
だが、杏奈という女性は意外にも家庭的で朝食の支度や掃除などもこなした。そう言えばこの家には侍女やメイドはいないらしい。
家には舎弟と呼ばれる男が出入りして会長にやたら頭をペコペコさげている。
どうやら会長が国王のような存在らしいと思った。
そしてやくざという仕事も主従関係が非常に大切と知り、これならここで働いてもいいかもしれないと思えたのも事実だ。
そんなわけでこの世界で暮らしていくことになり、杏奈の送り迎えを頼まれた。
俺は女性といえば令嬢や平民の娘しか知らなかったから、杏奈の制服という服装にも驚いた。
会長の家を一歩出ると、そこは街というところで、色々な店があり建物は賑やかな色彩で大きな文字が躍っていた。
道路はアスファルトというもので覆われていて雨が降っても土のようにドロドロになることがない。とても便利なものだと感心する。
だが、馬を走らすには少し土が硬すぎる気がする。
そうそう、この世界には馬ははしっていない。馬の変わりに車という頑丈な鉄で出来た塊がどこもかしこにも走っている。おまけに電車とか言う箱型の乗り物もあった。
そのうち杏奈の事をお嬢と呼ぶようになって。
お嬢はその電車というものに乗って学校に通っているらしい。
それにお嬢は日増しにおしとやかになって服装も派手な肌をさらけ出すようなものを着ないようになった。
そしてお嬢と一緒に学校の帰りにドーナツショップに寄るようになった。
俺は砂糖をコーティングしたドーナツがとても気に入って、お嬢を誘ってドーナツショップに寄るほどになった。
「ロッキーほんとは自分がドーナツ食べたいんでしょう?」
「違いますお嬢。俺はお嬢を喜ばそうと思ってここに…」
「まあいいわ。私あなたが好きよ。ロッキーといるとすごく楽しいし。ずっとあの家は嫌だったけど、あなたがいれば私も頑張ろうかなって思えるようになって…あなたのおかげなの。ありがとうロッキー」
「そんな…俺は何も…」いい年をした男がしどろもどろになる。
それもそのはず、お嬢のまなざしは真剣で思わずドキリとなった。
心臓がピクンと跳ねておかしいかもしれないがこの年までろくに女性と付き合ったこともなかったから…それにコレットの事で気持ちは荒んでいたし…こんなに穏やかな気持ちになれたのはお嬢のおかげだと思う。
でも、彼女は俺の国で言えばいわば王女。俺が自由に好意を抱ける相手ではない。俺はこの世界の事を知らないし、どうしたって考え方はレントワール国にいた時の考え方になるから…
どう答えればいいのかと悩みながら俺はお嬢に言った。
「俺もお嬢といるのは楽しいです。俺も今の仕事頑張ります。だからお嬢も頑張って下さい」
間抜けな答えだ。これが女性の告白に対して言う言葉なのかって。
だが、他に何て言えば良かったんだ?
俺だってお嬢に好意を抱いていた。でもお嬢は俺が違う世界から来た男だって知らないから。
お嬢に好きって言ってたら何かが変わったのだろうか?
「そんな事、ただのまやかし。俺はここに帰って来たんだから」
ランフォードは自分の声で目が覚めた。
まだお嬢の事を…いい加減にしろ、あの世界には二度と戻れない。いや、戻らない方がいいんだ。
お嬢は幸せになるさ。きっと…
そう言えばルヴィアナもお嬢とどことなく似ている。食事を作ったり縫い物をしたり買い物にも1人で行くつもりだったな。
俺はルヴィアナ嬢を見るとついお嬢と重ねてしまう。こんなこと失礼だろう。
ふと、そんな事が頭をよぎった。
 




