表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

魔法がある異世界恋愛作品

やむを得ず性悪姫を演じていたら、隣国の赤い魔法士に本性を暴かれました。内密に!と頼んだら代わりに婚約なんて割に合いませんけど?!

作者: 花織すいら

「赤い髪なのに、赤系統魔法士ではないの?」

「よく言われますが、髪の色は関係ありません。魔法士の系統は生まれ持った資質で、体の色素とは無関係ですから」

 最初に見た時から、綺麗な赤だと思っていた。鮮やかな赤い髪と赤い瞳が、とても。

 最初のころに尋ねた話をナハルナは今、何となく思い出していた。

 


 ここはプランドール王国の王宮内の小さな聖堂。

 天窓から明るい光が差し込み、白い石の女神像を照らしている。

 その輝く像の前には、一組の男女が立っている。

 

 右側に立つのは燃えるような赤い髪に赤い瞳の男性で、銀の刺繍の入った黒いコートに、黒いトラウザーを身につけており、そのせいかさらにその赤い色に目がいく。

 左側に立つのは、白金の長い髪に同じ色の瞳を持つ女性で、このプランドール王国の第一王女である。白金の髪は腰ほどまであり、真っ直ぐにさらさらと背中に流れるそれは、今日着ている淡い青色のドレスにもよく映える。国内では性悪姫と名高い彼女だが、今はしおらしく佇んでいる。

 そんな二人の様子を後ろから見ているのはこの女王の後ろに並ぶ数人の護衛騎士たちだけで、他には誰もいない。


 今日ここで行われているのは、プランドール王国の第一王女と隣国ラエティア王国の王宮士官との婚約式である。一介の士官と一国の王女というあまりにも大きな身分差に、驚きの声も上がったが、第一王女のいつもの我儘だと、結局その婚約は国王に認められた。婚約をすればまた気がかわるだろうと。

 そして、今日の婚約式を迎えた。


 真っ赤な色を持つ、隣国ラエティアの王宮士官は、いつもの仕事通りの銀の刺繍の入った黒いコートに身を包んでいた。何でもこのコートは士官になると同時に支給されるもので、様々な効果が付与されているらしい。魔法からの防御だけではなく、暑さ寒さの調整できる優れもので、何で作られているかは士官にも伏せられているとか。


 婚約式なのにいつも通りの仕事の服ってどうなの。


 そんなことを思いながらナハルナは隣に立つ男をチラリと盗み見た。

 隣国での士官とは、王宮で勤務する者の総称である。当然ながら軍事面も色濃く、その仕事も様々だ。必ずしも国を守り、戦うだけでもないらしく、そういう面も持ち合わせた国家公務員である。現在は平時に相当し、国内の調査、発展、維持管理が主な仕事のようだ。

 また、士官のほとんどは優秀な魔法士である。

 プランドールではすでに廃れた技術であり職であるが、ラエティアの魔法士が優秀なことは周辺各国でも周知の事実だ。だから誰もラエティアに手を出すことはない。


 見られていることに気づいたのか、彼はナハルナを見るとニヤリと笑う。ナハルナの白金の長い髪を一房掴むと、そっと指で絡め取られる。この魔法士に秘密を握れた自分を見ているようでむず痒く感じる。


「これからよろしく頼むよ、ナハルナ殿下、いや、婚約者殿」


 そう、これからこの赤い髪の士官とナハルナの婚約式が取り行われるのだ。なぜこんなことになってしまったのか。ナハルナにもよくわからなかった。

 ナハルナは王位継承にはそれなりに遠くどちらかと言えば自由が多い身だ。


 こんなはずじゃなかったのに。


 別に国として必要な婚約でも、想い合っての婚約でもない。ただ、秘密を共有した、いや、秘密を握られただけの一方的な関係である。


 向けられた紙に名前を書く。ただそれだけで婚約は成立する。赤い髪の士官は、ヴィザと名前を書いた。その文字は力強くはっきりとしている。その隣にナハルナも自分の名前を書き添えた。比べてみるとナハルナの文字が、随分と細く小さい字に見えた。


 あっさりしたものね。


 これで婚約成立である。そんなことを思いながら名前の書かれた紙切れを眺めていたら、不思議そうに顔を覗き込まれた。

 

「不服そうだな。キスでもしておくか?」

「いりませんけど⁈」

 ナハルナが慌てて口元を手で覆うと、その反応に気をよくしたらしいヴィザがその口元に置いた手を掴む。周りに聞かれないようにあくまで小声でのやり取りだ。

「婚約者だと言うのにつれないな?」

「私はただ、貴方との取引に応じたまでです!」

「表向きは、王女の強引な求婚によって婚約する愛し合う二人だろ?」

 掴まれた手がヴィザの吐息のかかるぐらいまで近くに引き寄せられる。ナハルナがびくりと体を震わせるとヴィザは目を細めて小馬鹿にしたように笑う。誰にも見えないからと明らかに嫌がらせだ。

「やめてください!」

「目的が終われば解放してやるから、安心してくれ」


 そう。ナハルナたちの関係は期間限定の婚約である。ヴィザの目的が終われば解消する関係だ。表向きには、ヴィザに一目惚れしたナハルナが無理やり婚約を望んだということになっている。


 別に一目惚れなんて全くしてませんけど‼︎


 ナハルナは大きくため息をついた。そのため息を聞いたヴィザが少し声を上げて笑う。

「そんなに心配するな。上手く終わらせてやるから」

 明るくそう言うこの魔法士は、強引だが憎めないのがまた憎らしい。

「その言葉、肝に銘じておいてください」

「承知した」


 得意気に笑う赤髪の魔法士を長く見ていることができず、ナハルナはそっと目を逸らした。



***



 ナハルナには兄弟がいる。

 とても優秀な王太子である兄と、とても愛らしい容姿と性格を持ち合わせた妹。真ん中のナハルナはいつからか、自分はここにいなくてもいいなと感じていた。


「流石、王太子殿下」

「第二王女殿下は可愛らしいですね」


 そんな言葉ばかり聞いているうちに、ナハルナは次第に自分の存在意義がわからなくなっていった。そしていつしか、この王族という鎖から逃れたいと思うようになった。なんせ、優秀な兄と可愛い妹がいる。この国はそれだけで安泰だろう。兄に例え何かあったとしても、妹がどこからか優秀な人を婿に迎えることだってできる。

 しかし、別に兄と妹との関係が悪いわけでは決してなかった。


 兄は優秀であり優しくもあったし、妹は可愛いだけではなく性格もとても良かった。

 だからこれはナハルナだけが問題なのだろうと自身がそう感じていた。何か意地悪や痛い目に遭わされるわけでもなく、二人はナハルナとも良好な関係を築いていたのだ。


 それでも、ナハルナはどこか、自分にぽっかりと穴が空いているような気分だった。何か足りないものを埋めたくて、何が自分に必要がわからなかったが何かが欲しかった。常にそんな感情が付き纏った。

 何一つ不自由のない暮らしをしているのは理解しているつもりだった。王族という恵まれた立場にいて、人に傅かれる。ただしその背後には大きな責任を伴う。

 次第にナハルナは自分が檻の中にいるように感じでいた。


 あぁ、早くここから出たいな。


 結局ナハルナの出した結論は、それだった。早くこの王族や王宮といった場所から抜け出したい。その結論に至ったナハルナは、どうしたらそれが叶うかを考え、導き出した。


 追い出されるように仕向けよう。手っ取り早く、他国へ嫁に出される?

 でも他国へ行っても結局それって同じ鎖に繋がれるだけじゃない?


 王族の鎖はそんな簡単に引きちぎれるようなものではない。普通にしていてはナハルナに一生ついて回ることだ。どうしたらいいか、ナハルナは考え、また一つの結論を出した。


 

「ねぇ、私、あのお店の新作のお菓子が今すぐ食べたい」


「このドレスじゃ参加したくないわ」


「なんでこんな行事に行かなきゃいけないの?」


「私、そんなことしたくないわ」


「いつまで待たせる気?」



 正直心苦しい面が多かった。王族という恵まれた地位にいながらそんなわがままを繰り返しのは、やってはならないことだとナハルナは理解していた。理解していたが、ナハルナはその行動を続けた。いずれも大した我儘ではなかったかもしれないが、優秀な兄と可愛らしい妹と一緒にいれば、その行動は思いのほか目立つのだ。そして際立って見えた。


 行動するようになってから早かった。

 プランドールの第一王女は、性悪姫だという事実と諸外国に噂が広がるのはあっという間のことだった。 

 

 兄と妹はとてもナハルナのことを心配し、何度も部屋を訪ねてくる上、父である国王も心労が絶えないと聞けば、心が痛くなる。心は痛くなったが、それでもナハルナはやめようとは思わなかった。

 ぽっかりと心にあいた穴をどうしたら埋められるのか、どうしたら鎖から逃れられるのか、そんな事ばかり考え続けていた。



 そんなある日、国王から三人のうちの誰か一人を隣国のラエティアに視察に向かわせるという話だった。プランドールは、ラエティアとの国交はあまり盛んではない。この珍しい事柄にナハルナは全く興味がなかったが、兄も妹も自分が行くと珍しく手をあげたので、ここは敢えてこの争いに参加すべきだなと考え、ナハルナも手を上げた。

 兄と妹は今の状態のナハルナを隣国へ送るのは非常に危険だと国王に進言したようだが、今のナハルナはそれこそ性悪姫である。


「絶対に私が行くわ!」


 別に全然行きたくないけど、今後の参考に他の国を見るのもいいかもしれない。それに、いざ王族の鎖を引きちぎった後の生計を立てる方法とかもそろそろ調べたいし。

 そんなことを思いながらナハルナの粘り勝ちで、国王が折れた。

 

 魔法大国ラエティアへの視察をナハルナが勝ち取ったのだ。


 プランドールの西側にラエティアとの国境があるが、接している部分はそんなに多くない。国境には、石の壁が長く続いており、国境を越えられるのは唯一門がある場所だけである。ナハルナは沢山の文官や護衛騎士を伴ってこの国境を越えるためにやってきた。

 常に閉ざされていた門の扉が開かれ、向こう側はもうラエティア王国である。



「お待ちしておりました」

 そういて門の向こう側で頭を下げたのは、燃えるような赤い髪と赤い目をした男性だった。隣国の王宮士官の特徴である銀の刺繍の黒いコートを着ている。自信に満ち溢れた表情でそこに佇む姿にナハルナは目を逸らしたくなったが、それは性悪姫のやることではない。ナハルナは怪訝そうに相手を見た。


「今回視察団の案内と護衛を務める、ヴィザと申します」


 赤い髪が揺れて頭を下げた。ヴィザと名乗った男性以外にも十人ほど士官が背後に並んでいた。この士官たちの代表だということだろう。


「プランドールの第一王女、ナハルナよ」

 ナハルナは自分の性格を偽って過ごすようになってから、人の前に立つ時の口調も変わった。自然に出てくる高圧的な態度に自分でも不思議な気分だ。

「まず王都へ移動しますので、鉄道の駅までご案内します」


 鉄道とは、鉄のレールの上を車両が動くものだが、プランドールの鉄道とラエティアの鉄道ではエネルギー元が異なる。ラエティアは当然魔力を元に車両が動くのだ。早速魔法関わるものに乗れるのかと思うと少しワクワクするが、そんな表情は見せない。

「そう」

 ナハルナは興味なさそうに答えた。


 駅にはすぐ着いたがそれよりも前に、このラエティアの発展ぶりに驚愕した。プランドールとの国境にある都市は、ラエティアの中でも人口の多い魔法都市と呼ばれる場所だった。

 鉄道の車両に乗ると、ナハルナの近くにあの赤髪の魔法士が座り窓から見える景色について説明してくれる。

「この魔法都市は、我が国の中でも最高峰と言われている魔法学校があり、その魔法学校を中心に大きく繁栄している都市です」

 興味なさそうに窓の外を眺めたものの、ナハルナはあまりの自国との差にとても目を奪われた。車両もほとんど揺れがなく、とても快適だ。これが魔法の有無の差なのかと実感する。


 プランドールでも昔は普通に魔法があったと言われている。しかしそれはいつしか失われていった。周辺国も同様である。今魔法が残っているのはこのラエティア王国だけ。それが意味するところは、なんなのだろうか。

 ナハルナはぼんやりとその風景を眺めて過ごした。彼女の背後に立っている騎士たちは、いつもより大人しい彼女にホッとしているようだった。


 王宮に着くとすぐにラエティア王国の国王に挨拶すると客間に案内された。客間はどうやら魔法が使えないと過ごせないような部屋ではないらしく、ナハルナについてきた侍女たちもホッとした様子だった。

「疲れたから一人にして」

 そう言って侍女たちを追い出したナハルナは、ようやく一息つけた。



 そんな風にラエティアでの視察は始まった。


 プランドール内では、常に性悪姫の名に相応しいように、ある意味気を張って生活しているが、ここに来たことで少し、いや、かなり気が抜けたところがあった。見たことない景色や興味惹かれるものが多すぎる、性格悪く過ごしている場合ではない。

 ただ、それでも他国に迷惑をかけてこそだろうとという気もしたため、毎日ついてくる王宮士官たちを適当に指定するような我儘をしてみることにした。どうやら、士官たちは何人かのメンバーの中で決められた日に決められた時間にナハルナの護衛に付くようになっているらしい。それをぐちゃぐちゃにしてみた。


「ねえ、そこのあなた、次の場所もついてきて」


 ナハルナは適当に近くにいた金色に青い瞳の士官に声をかけた。相手は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに涼しい顔に戻り「承知しました」と了承の返事が返ってくる。


 うちの護衛騎士たちよりよっぽどよくできてるし、なんならなんか顔で選ばれてない?ってぐらい顔面の良い士官が多すぎじゃない?


 相手が隣国の王女ということもあり、そういう士官を集めている可能性はあるのかもしれないと思いつつ、それでも確率高いななど思いながらナハルナはまたぼんやりと景色を眺めて歩いた。

 今日はラエティア王国の大きな面積を持つ穀倉都市を案内されいた。穀倉都市と呼ぶだけのことはあり、その都市の大半を穀物の生産地である。収穫前の青々とした麦が目の前で揺れている。


「食物は普通に育てるのね」

 なんとなく口にした言葉に、いつの間にか隣に立っていた赤い髪の士官ヴィザが答える。

「魔法でなんでもできるわけじゃありませんので」

 隣に立っていることには全く気づいていなかったが、とりあえず目を合わせることなく気になったことを聞いてみる。

「食べ物は作り出せないってこと?」

「魔法はあくまで精霊の力を借りることで起きる現象です。精霊にできないことは、魔法ではできません」

「精霊は植物を作り出せないということ?」

「そうです。ゼロから作り出すことはできません。彼らができることは成長を促すことです」

 ヴィザの説明にナハルナはなんとなく理解できた気がした。

「じゃあここの土地では魔法で何をしているの?」

「通常は何もしませんよ。きっとプランドールと変わりません。何か問題が起きた時はそれなりに何かする場合もありますが」


 そういうものなのか。そんな風に感じた。魔法があるならなんでも魔法でやるのかとなんとなく決めつけていたのだがそういうものでもないらしい。


「じゃあ、この国の人はみんな魔法を何に使うの?」

 ナハルナの質問にヴィザが不思議そうな顔をする。

「そうですね。我々の国の中でも、魔法士レベルに魔法が得意な人もいれば、そうでない人もいます。ただ、皆魔力が自分の中にあることを、精霊に力を借りることができることを知っているので、魔力を媒体にする魔法道具を頻繁に使用します。それが一番多い利用でしょうか」

「魔法道具?」

「はい。魔力を流し込むことで、どんな人でも同じ効果や性能を得ることができる道具ですね。例えば、火をつけたり、水を引き込んだり。効率よくそれができるように補助してくれる道具です。その発展もあって、この国には魔法が残ったとも考えられます」


 なるほど。周辺諸国との差はそのあたりにあるのかもしれない。


「ということは、プランドールの人間がここで生活するのは難しいわね」

 おそらく客間はそういう魔法道具がないようにしてあったのだろうと想像できる。

「そうとも限りません」

「どうして?魔力がないと生活に必要な道具が使えないのよね?」

「我々は同じ人間です」

 目を合わせないようにしていたナハルナだったが、なんとなくヴィザを見た。赤い瞳は吸い込まれそうなほど強い色を示している。

「ただ、忘れなかった人間と、忘れてしまった人間です」


 この人、何気に失礼じゃない?


「私たちはただ魔力を忘れてしまっただけだって言うの?」

「ええ。その通りです」

 にこりと笑っているが、目の奥は笑っていない気がした。

「申し訳ありませんが、護衛の士官を割り当て以外に指名するのはやめていただけないでしょうか」


 あぁ、なるほど。

 どうやらナハルナの小さな我儘は意外とこの赤い髪の士官に効いているようだ。

 

「何か問題でも?」

「我々の仕事はあなたの護衛だけではありません。他の仕事に支障が出始めています」

「そう」

 先ほどの会話にカチンときてしまったところもあり、ナハルナは悪魔の微笑みで返した。

「でも、そんなの私には関係ないわ。あの金色の髪に青い瞳の士官をまたお願いね」

 別に誰でもいいのだが、金色の髪に青い瞳というのはとてもわかりやすく使命し易い。あと極め付けはこれだ。

「あと、赤い髪のあなたね」

 この人が護衛を取りまとめているのだから、当然彼は忙しいだろう。もはやただの嫌がらせに過ぎない。ナハルナの言葉に、ヴィザの額に青筋が見えた気がしたが、性悪姫はそんなものは慣れっ子である。完全に無視だ。


 この赤い人とは絶対気が合わない。

 

 しかし、この視察が終わってしまえば二度と関わることのない人物だ。ナハルナはそう思いながら、その後も予定通りの視察を続けた。


 まさかあんなことになるとは予想もしなかった。



***



 毎日視察では流石にお互い疲れてしまうため、何日か休みも挟んでいる。そういう日は、基本的にナハルナは一人で過ごすことを選んでいた。本当であればここの王族や有力者との交流を図るべきなのだろうが、そういうのは諦めた。今回の視察は交流を兼ねていると聞いている。今後のきっかけに過ぎない。


 まぁ、私のせいで今後がなくなる可能性はゼロじゃないけど。


 ナハルナは王宮内にある図書室に来ていた。最初の方に案内され、ここについては自由に出入りして良いと言われていた。

 大きな両扉を開くと、そこは背の高い書架たくさん並んでいた。部屋の天井は半球型で部分的にガラス張りになっており、大きく光が取り入れられる仕組みになっている。そこから今日の天気がよくわかる。ちなみに今日は快晴である。

 

 暖かい室内の状態に気持ちが良くなったナハルナは本を借りるだけでなく、そこで読むことにした。護衛騎士たちは図書室の外で待たせ、ナハルナは読みたい本を探すことにした。


 やはりここは、将来的な金策をすべきだろう。そんなことを考えながら本を見ていたが、ここにはプランドールにはない本が多く並べられている。それは、魔法に関して記述された本だ。当然と言えば当然である。プランドールでは、魔法はとうの昔になくなったもの。今は必要とされず、古すぎる文献に過ぎない。

 ナハルナは興味を惹かれて魔法の基本的なことが記載されているだろう本に手を取った。


 彼は私たちのことを「忘れてしまった人間」だと言った。

 ナハルナはその言葉が気になっていた。確かに一時的にカチンとくるような言葉ではあるものの裏を返せば、それは「思い出せばいい」だけの話なのではないだろうか。


 思い出すことができれば、魔法が使えるようになるのかしら。


 たまたま開いた本には、魔法についてこう書かれていた。

 魔法とは学ばなければ使えないものである。だからこそ人間は最初に学ぶべきであると。だからこの国は魔法学校を盛んに作ったのだと。プランドールには当然ながら魔法学校などというものはない。しかし、この国の都市には必ず1校は魔法学校があるらしい。

 常に学ばせるということが、忘れないということなのかもしれないとナハルナはそんな風に感じた。


「それが他国との違いということかしら」

 なんとなく口から継いでた。誰も聞いていないだろうと思いナハルナは気にしなかった。さらに本をめくっていくと、こんなことが書かれていた。


 人は必ず赤系統か青系統のどちらかに分けられる。人が両方の系統の性質を操ることはできないと。青系統には、闇、風、水が含まれ、赤系統には、光、地、火の力が含まれる。つまり生まれ持った系統の精霊にしか力を借りることができないということだ。

 ふと赤い髪の士官を思い出す。


「あの人は、赤系統かしら」

「金色の髪に青い瞳の士官なら赤系統ですよ」

 いつの間にかナハルナの目の前の席に、赤い髪の士官が座っていた。

「……、誰が座っていいと許可したの」

「何度もお声掛けしましたが、熱心に読んでいらっしゃるようだったので、勝手に座りました」

 にこりと笑ってそう言われたので、ナハルナは無意識に目を細めた。

「あなたも赤系統なの?」

「いいえ」

 その答えがとても意外でナハルナはもう少し聞いてみた。

「赤い髪なのに、赤系統魔法士ではないの?」

「よく言われますが、髪の色は関係ありません。魔法士の系統は生まれ持った資質で、体の色素とは無関係ですから」


 そういうものなのね。

 そう納得するとナハルナは再び本に目を落とした。


 パラパラとめくっていると精霊に関する記述に移った。そこにはこんなことが書かれていた。

 精霊はたくさん存在しているが、彼らの中にも階級のようなものがある。それぞれの属性を統べる大精霊が存在し、大精霊ともなると人間と同様に感情も意思もあり、なかなか力を貸してくれない存在であると。非常に気難しく、不機嫌なこともあるため、召喚する場合などは気をつけるように記載されている。また、普段の簡単な魔法に力を貸してくれるのは小精霊という数もたくさんいる小さな精霊たちだという。その他季節を統べる中精霊などもおり、その精霊がどんな姿なのかなどが挿絵付きで描かれていた。


「精霊も見れるのね」

「精霊が見えないと魔法が使えませんからね」

 独り言のつもりだったが返事が前から返ってきた。本から視線を上げるとそこにはまだ赤い髪の士官が座っている。

「まだいたの」

「少し殿下とお話がしたいと思いまして」

「私は特にないわ」

 

 ナハルナは再び本に目を落とした。本には大精霊の姿としていくつか描かれていた。綺麗な女性の姿だったり、吊り目の怖そうな男性の姿だったり、大精霊も様々な姿をしているようだ。


「意外と魔法に興味がおありですか?」

 相変わらず声は前からやってくる。ナハルナが視線を上げると当然のように赤い髪の士官はそこにいた。

「国では見ない本だから見ているだけよ」

「精霊が見たいですか?」

 その言葉にはつい反応してしまった。性悪姫としての表情がどこかへ飛んでいってしまい、ナハルナは慌てて取り繕う。

「別に興味ないわ」



 ***



 興味ないって言ったのにー‼︎


 ある日ナハルナは訓練場と言われる場所に連れてこられた。何故かいつもの視察と違い、士官の人数も少なく、騎士の数も減らされていると感じていたのだが、この訓練場という場所は、王宮内の士官の魔法訓練用の部屋らしく、唯一自由に魔法が使える場所らしい。安全のために王宮内は魔法の使用が制限されているのだ。


「今から大精霊を召喚します」

「頼んでないわ」

「すぐ終わりますよ」

 最近は呼んでもいないのになぜか必ず赤い髪の士官が同行するようになった。逆にナハルナがこれでは疲れてしまう。

「騎士たちは?」

 訓練場の中にプランドールの騎士たちは入れてもらえていない。どういうわけかこの士官と二人きりだ。

「部屋の外から見てますよ」

 訓練場には大きなガラスの窓があり、騎士たちはそこからナハルナを見ていた。

「なぜ入れてはダメなの」

「彼らは剣を持っていますから。大精霊を怒らせるようなことがあってはいけません」

「そもそも頼んでないわ」

「あんなに熱心に見てたのに?」

 お見通しとばかりの士官の表情にナハルナは怒りのゲージが上がるのを感じた。やっぱり相性が悪い。


「魔法陣は描いておいたのですぐですよ」

 その言葉に床を見ると、そこには円と文字が書かれていた。見知った文字のはずなのに、魔法陣の中に書かれているとまるでいつもと知っている文字とは違うように見えた。

「今から闇の大精霊を召喚します」

 そういうと赤い髪の士官は魔法陣の真ん中に立った。そして何やら手で印を組むと何かを口ずさみ始めた。それは精霊を讃える言葉でまるで歌っているかのように綺麗な声だった。


「シャドー・エヒード」


 そう彼が口にした瞬間、魔法陣のあたりに黒い靄が渦巻き、あたりは真っ暗闇に包まれた。そして、中央に立っている士官の燃えるような赤色さえ打ち消す暗闇と人間の姿をした遥かに大きな存在が現れた。

 黒い長い髪に真っ黒な瞳。肌は青白く黒い服を来た男性の姿だった。


 ナハルナは息を呑んだ。あまりにも想像とかけ離れていた。とても美しく幻想的な光景だった。なんの言葉も出ず、ナハルナはただ召喚された大精霊を見つめていた。


 呆然と見つめていると大精霊が口を開いた。

「ヴィザか、珍しいな」

 

 精霊が、しゃべった……!


 当たり前なのか当たり前じゃないのかもナハルナにはわからない。しかし、赤髪の士官に対して大精霊は随分と親しげだ。この世に一体しかいない闇の大精霊である。

「その髪、黒くしろ」

「しないって何回も言ってるじゃないですか」

「何回見ても火の属性に見えて苛立つのだ」

「この髪色結構気に入ってるので勘弁してください」

 そんな気軽に話す相手なのだろうかと思いながらナハルナは眺めているしか無かった。


「で?何用だ?」

 闇の大精霊が赤髪の士官に尋ねた。

「少し、ご協力いただきたくて」

 そう言いながら彼がナハルナを見た。その目はまるで獲物を狙うかのような目つきだった。思わずナハルナは一歩後ずさる。しかし、闇の精霊の召喚で、あたりは暗く染まり部屋の状態、足元すらどうなっているかわからない。

 

「彼女に本心を喋らせたくて」


 何か物騒なことを言っている。本心とはどういうことか。ナハルナの頭は混乱した。終いには大精霊と目が合った。一体何をされると言うのだろうか。


「き、騎士たちにも見えてるわ!」

 ナハルナの言葉に彼は小馬鹿にしたように笑った。

「なんのために闇の大精霊を召喚したと思ってるんですか?見えませんよ真っ暗闇でね。見えているのは、私とあなただけです」

 そういうと、彼は闇の大精霊に目を向けた。


「少し心を奪って、私の質問に本当のことを話すようにして欲しいのです」


 その彼の言葉の後、ナハルナは目の前に大きな暗闇が一気に押し寄せてきたのを感じて、そのまま意識を失った。



***



 気がつくとそこは客間のベッドの上だった。すでに夜になったのか窓から入るのは月明かりだけだ。それでもすでに1週間以上過ごしているのだから、場所はすぐにわかった。


「気が付きましたか」

 人がいるとは思わず、ナハルナは体をびくりと震わせた。ベッドの横には、椅子に座った赤い髪の士官がいた。暗闇が迫ってきてからの記憶はナハルナにはない。一体何が起きたのか想像することもできない。


 すると突然彼は立ち上がるとナハルナに頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

「え?」

 何故謝られるのかナハルナにはわからない。これまでの態度からいくとナハルナが謝ることはあっても彼が謝る必要性はないだろう。


「貴女が闇に飲み込まれた間にいろんな質問をさせていただきました」

 それがあの闇の大精霊の力によるものだということだろうか。

「てっきり、もっと国に関わる深刻な問題かと思い、念の為に確認したのですが、……全く心配する必要はありませんでした」


 どういう意味?


 ナハルナには一体なんのことかさっぱり理解できなかった。その様子を見てとったのか、彼ははっきりと口にすることを選んだようだった。

「貴女は性悪姫を演じてたんですね」

 衝撃的な言葉にナハルナは声も出なかった。そうだと認めることは当然できないし、何故そんなことを言うのか理解できない。

「あまりにも魔法に興味があるようだったので、てっきりラエティアの弱点などを狙おうとしているのかと思っていたのですが、まさか国を出て生活するための算段の一つとして興味があったとは……」

 途中から自分で話して吹き出している。なんならめちゃくちゃ笑っている。


 こいつやっぱり失礼な奴だったー‼︎


「まさか私の考えを全部覗いたってこと⁉︎」

「覗いたというよりは、質問して聞き出したというのが正しいですね」 

「なんでそんなことを!」

「だから言ったじゃないですが、久しぶりの国交でプランドールが何を考えてるかもわからず、もしかした戦争の算段でもあるのかとこちらも勘繰ったんです。でも、実際は貴女は……」

 そしてまた笑い始めた。一発殴っても許されそうな気がする。

「自分の検討違いな心配で、無理やり本性を暴くことになってしまって申し訳ない」


 いや、絶対悪いと思ってないでしょこの人‼︎めちゃくちゃ目の前で笑いを堪えてるんだけど⁈


 もう全部ナハルナの考えが知られているということだ。泣きたくなる。

「いや、思った以上に人畜無害な方で安心したよ。ちなみにこれはプランドールの人たちにも知られてはダメなことなのか?」

 突然の敬意を失くした話し方に、逆にナハルナの方が敬語になる。

「当然じゃないですか!」

 なんせ相手は明らかに年上だ。性悪姫を演じている状態であればまだしも、そうでなくなった途端偉そうな口は聞けなくなる。いや、よく考えると一国の姫なのだから偉そうでいい気もするのだが。

「どうか、内密に!」

「そうか、じゃあ、ちょっとオレの言うこと聞いてもらおうかな」

 ナハルナをみてニヤリと笑う赤髪の士官に空いた口が塞がらない。


 やっぱり全然悪いと思ってないじゃない‼︎

 なんなのこの人‼︎



 そして冒頭の婚約式だ。

 婚約式を終えた二人は、王宮のナハルナの自室に下がっていた。向かい合うようにソファに腰を下ろした二人。ナハルナは疲れた顔で座っているが、ヴィザは出されたお茶を美味しそうに飲んでいる。

 

「一体なんで婚約までする必要あるんですか」

「婚約したら、殿下に会うためにプランドールに行けるだろ?」

「……、つまりプランドールに来るのが目的ってことですか?もしかしてもう目的は達成されました?」

「流石にまだだけど」

「でも、来るのが目的だったってことは」

 自分が口にした結論にナハルナはさあっと青ざめる。

「ま、まさか、それこそ戦争をするための現地調査……」

 そんなことされてはナハルナも同罪になる。

「そんなことはしない。国のためじゃなくて、自分の個人的理由で行きたいんだ」

「本当ですか?」

 正直この赤い髪の士官、ヴィザのことはまだ理解できていない。信用していいかわからないが、優しく微笑む赤い瞳を見ていると信じたくなる。

「あぁ、本当だ。まぁ、あんなことしといて信用しろと言うのも無理だからな。でも、貴女の名前に傷がつかないように婚約破棄をするから安心してくれ」


 ナハルナとしては別に傷がつこうがなんら支障はない。むしろ傷がついた方が好都合かもしれないぐらいに思っている。

「……、個人的な理由ってなんですか?」

 聞いても教えてくれなさそうだと思いながら、やはり気になって聞いてみた。しかし、意外なほどにあっさりとヴィザは口を開く。

「父親を探すため」

「父親、ですか?」

 聞き返したナハルナの言葉にヴィザは軽く頷いた。

「この赤い髪はどうも父親の遺伝らしいんだが、どうやらプランドールの人らしいんだ」

 

 プランドールとラエティアは長く国交は開けていない。一般の人が国を行き交うことはないため、ナハルナが受けるそのプランドールだと言う父親に対するイメージは良くないものだ。

「会って、どうするんですか」

 嫌な予感がして聞いてみた。

「そうだな、一発ぐらい殴るかな」

「一回で終わります?」

「終わらなさそうだったら止めてくれ」

 ナハルナを見てそう言ったヴィザに、ナハルナは嘆息した。

 

「要求多すぎじゃないですか?」

「それぐらいは婚約者の仕事の範囲だろう?」

「何でもそうなりそうじゃないですか」

「オレの婚約者殿は冷たいなあ」

「むしろここまでしたんですから、相当温かいと思いますけど⁈」

「そうだな。感謝してる」

 唐突に素直な言葉と笑顔を向けられたナハルナはどうしていいかわからなくなる。

 

「本当に、申し訳ないと思ってる。若いお姫様の婚約者なんかにさせてもらって」

「もう20歳ですから、王族としてはすでに行き遅れなんで若くもないです。そう言うヴィザ、様は一体何歳なんですか」

 なんと呼んでいいか迷うところだが、士官と付けるのも婚約者としてはおかしい気もして、無難な敬称にしておいた。そう言えば年齢すら知らないことに気づく。

「今年28になるな」

「じゃあ別に言うほど離れてないじゃないですか。政略結婚ならもっと離れていることもざらです」

 そんなナハルナの言葉に、ヴィザは不思議そうに顔を覗き込んできた。

 

「政略結婚は、逃げ道の一つになるのか?」

「あまり使いたくない手ではありますけど、あまりに逃れられなければいずれはそれもありかなと思ってます」

 淡々と答えたナハルナにヴィザは「ふうん」と答えただけだった。


「何となく事情は知ってるが、そんなに嫌なのか?」

 ヴィザの言葉に、ナハルナは遠くを見つめた。

「自分の中にぽっかり空いた穴が塞がれば、もしかしたら王族と言う鎖から逃れたいとも思わなくなるかもしれないとは思いますけど、今は、嫌なんでしょうね」

 自分のことなのにナハルナはまるで他人事のように答えた。

「贅沢なことだと理解はしています。していますけど……」

 言い淀んだナハルナの言葉をヴィザは催促したりはしなかった。軽く彼女の頭をポンポンと優しく叩く。まるで無理しなくていいと言われているようで、ナハルナは泣きたくなった。


「そう言うのは人それぞれだからな。それでもまだその場所でずっと我慢してるんだから、大したもんだよ」

 ヴィザの何気ない言葉に、堪えていたはずの涙がナハルナの瞳から溢れ落ちた。


 自分はダメなやつだと思っていた。恵まれた幸せな場所に生まれながら、それが嫌だと逃げ出す算段ばかりしている自分が。そんな自分が嫌で仕方なかった。

 どうしたらここに留まることができるかを考えたときもあったが、どうしても苦しくてしかたなかった。どうしても痛みを感じてしまった。


 ナハルナとテーブルを挟んで向こう側にいたヴィザは静かに立ち上がると、彼女の傍に膝をついた。強くは触れない、包み込むようにだけ背中に触れると、先ほどと同じように優しく慰める。

 特に何も言うことはなく、ただ泣いているナハルナを見守っていた。


 しばらくすると落ち着いたナハルナは顔があげられなかった。


 こんな風に泣いたらバカにされそう。


 そんなことを不安に感じながら少し顔を上げてみると、思いの外優しい表情をしたヴィザがいた。こう言うところが、憎めないと思ってしまうのだ。


 ナハルナの本性を知られてからのラエティアの視察は、実はとても楽しいものだった。

 騎士たちに囲まれている間は以前と変わらない様子のヴィザだったが、街に出た際に少し目のつかないところに行くとこっそり街の楽しいところを教えてくれたり、美味しいものを食べさせてくれたりして、ただの視察では見れないようなことも教えてくれた。


 まぁ、ラエティアにとって人畜無害ってわかったからよね。


「ほら、クッキーでも食べたらどうだ」

 そう言ってジャムのついたクッキーをナハルナに向けてくるヴィザは、完全にナハルナを子供扱いだ。

「うちの侍女が持ってきてくれたものですけど!」

 そう言ってナハルナはヴィザから奪い取ると一口口にした。甘いクッキーが口の中に広がり、少し荒んだ心が静まっていく。次々とクッキーを食べていると隣でヴィザが笑い始めた。

「食べられることはいいことだ」

 安心したようにそう言うとヴィザが立ち上がる。


「オレはそろそろ戻るよ」

「あ」

 のんびりしていたが、ヴィザは婚約式のためだけに今日このプランドールに来たのだ。戻ったら彼はまた明日からすぐラエティアの士官の仕事だ。


 別にナハルナはヴィザに一目惚れして無理やり婚約を迫ったわけでない。そういう設定なだけなのだが、なんとなく寂しく感じてしまう。ナハルナにとってヴィザは初めて自分の心の内を、意図せずとは言え曝け出している人物だ。性悪姫として繕う必要もなく、ナハルナにとってヴィザは居心地の良い人物になっていた。


 ナハルナの様子に気づいたのか、ヴィザが目を細めて笑う。

「どうした?寂しいのか?」

 少しニヤリとしてそういったヴィザにナハルナはぶんぶんと首を横に振った。

「そんなわけないじゃないですか!」

「そうか?まぁ、すぐまた5日後には来るさ。婚約者殿は、オレのことが愛しすぎて休みの日には必ず会いに来てほしいんだろう?」


 そう言う設定でしょ‼︎


 婚約式が終わると同時にナハルナは国王へヴィザが仕事の休みの時にプランドールに来る許可をもらいにいった。かなり渋々では合ったが許可を貰っている。

「じゃあ、いい子にしてるんだぞ」

「いつもいい子ですけど⁉︎」

「性悪姫なのに?」

「あ、確かに」

 ナハルナの答えにヴィザは少しおかしそうに笑うと手を振って出て行った。



 ヴィザが扉を出ていったのと入れ替わるように、部屋の扉がノックされる。軽く返事をすると入って来たのは、ナハルナの護衛騎士の一人だった。黒髪に黒い瞳の護衛騎士で、ナハルナもよく知っている人物のため、特に何も思わない。


「何?」

 いつもの性悪姫のナハルナは健在だ。少し冷めた目をよく知る護衛騎士に向ける。

「どうして突然婚約なんてしたんだ」

 黒髪の護衛騎士はいつも通りの低い声だった。昔よく遊んでいた頃はもっと高い声だったのにな、などと思う。幼馴染でもある護衛騎士は少し眉を寄せて納得していないような顔をしていた。

「説明したでしょ?一目惚れよ。どうしてあの人と結婚したいの」

 思ってもいないことを口にするのは難しが、いくら幼なじみとはいえ反論される余地を与えてはいけない。

「カーク。いくら貴方でも文句を言われる筋合いはないわ」

 黒髪の幼馴染の護衛騎士カークは唇を噛んだが、ナハルナはそれには気づかない。

「私が誰を好きになろうとカークには関係ないでしょ?それにラエティアでのことも知っているでしょ?」

 カークは今だけでなくナハルナのラエティアの視察にもずっと同行していた。ナハルナの様子をずっと見ていたはずである。


 私の方が好きで婚約を申し込んだと思わせるために、どれだけ頑張って恥ずかしい行動をしたことか‼︎



 思い出すと今にも顔が赤くなりそうだ。

 秘密にする代わりに婚約をすることを要求したヴィザは残りの視察の日程において、ナハルナの演技も要求してきた。

「婚約はオレからじゃ成り立たないから、殿下の方から申し込んでほしい」

「どうして成り立たないんです?」

「一介の士官が、隣国のお姫様に婚約を申し込むなんて無理だろう。でも、逆なら成り立つ。しかも相手は、性悪姫だ。わがままは得意だろう?プランドールの国王になんとか許可をもらって欲しい」

 今回の視察でさえ勝ち取ったのだ。正直出来る気しかしない。


「だからそのためにも今後の視察は、オレに惚れていてくれ」

「ちょっと仰っている意味がわかりません」

「設定は、お姫様が一目惚れして結婚したくて仕方ないけどとりあえず婚約で妥協する」

「もしかしなくても私が?」

「そりゃそうだ」

 悪びれなく笑うヴィザにナハルナは悔しげな表情を向けたが相手は楽しそう笑う。

「フリなんだからあまり気にするな。とりあえず毎回護衛の士官はオレを指名してくれ。今までのわがままもあるし不自然じゃないだろ。まぁ、本当はあいつがいいんだろうけど諦めてくれ」

 あいつと言うのが誰を指しているのかナハルナはわからなかったがとりあえず頷いておいた。

「出来るだけオレと視察時に行動してくれればそれでいい」

「それだけでいいんですか?」

「ずっと一緒に居たいアピールにはなるだろ。あとはせいぜい沢山くっついてくれ」

「くっつく?貴方に?」

「他にくっついたら意味がないだろ」


 それはそうだけど‼︎


 これまでの人生で男性にくっつくなど、子供の頃以外は覚えがない。だんだん大人になるにつれ幼馴染の男の子も離れて行ったし、そもそも性悪姫のナハルナには男性は寄ってこない。ナハルナも別に寄ろうと思わなかった。


「ぜ、善処します」

 ナハルナの返事に何かを察したのか、ヴィザは少しだけ表情を崩した。

「出来る範囲で構わない。そこまでの無理強いをしたいわけじゃない」

「婚約をしろと言っておいて?」

「それはそれ。これはこれ」


 そのためナハルナはその後の視察ではほぼ毎日のようにヴィザを指名し行動を共にした。恐らくだが、その指名のままにヴィザは毎日現れたためかなり本来の仕事が疎かになってしまっていたのだろうと思う。


「今日は王都内をご案内しましょう」

 表向きの時は敬語で丁寧に話してくるが、少し護衛騎士達の目を掻い潜るといつもの軽い感じで話してきた。

「そこのパン屋がうまいんだ。また明日にでも買っていこうか。好きなものはあるか?」

 そんな風に話しているうちに、ヴィザに対する印象は変わっていった。そしてなんとなく安心できる人物になっていき、ナハルナは自然とヴィザと距離が近くなっていった。


 ハッとするとすぐ近くにヴィザの顔があり驚く。真っ赤な髪があまりにも近くにあり、ナハルナの頬も赤く染まる。

「どうした?体調悪いのか?」

 さっとナハルナの額に手をやる様子に、おそらく面倒見がいいんだろうなとナハルナは思った。今回の護衛の任務に関して取りまとめをしているようだし、将来有望な士官なのだと推察できる。

「別に悪くありません」

「そうか?疲れたならすぐ言うんだぞ」

 婚約者にしようとしている割には、扱いが子供だ。



 何故かそんなことまで思い出し、ナハルナはため息をついた。

「ナハルナ殿下」

 カークに声をかけられ、ハッとした。一瞬カークの存在すら忘れていた。

「今からでもすぐ婚約など破棄すべきです」

 珍しく引き下がらない様子のカークに、ナハルナは眉を寄せた。いつもだったらナハルナのわがままに大しても適当なところで引き下がるのに。

「せっかく婚約できたのに破棄なんかするわけないでしょ」


 私望んだっていう設定なのにそんなことしたら何を言われることか!


 そんなことを思いながらティーカップに手を伸ばしかけたところで、やけに近い場所にカークがいることに気づく。

「……何?」

 訝しげに見上げたナハルナに対してカークはその視線を外さない。

「突然昔と違う性格になっても、強く追求する気にはならなかったが、今回の件は見過ごせない。陛下もてっきり認めないと思っていたのに」

 悔しげな声を出すカークにナハルナは理解できなかった。いつも物静かにそばに立っているだけの幼馴染が急によく喋り始める。

「……、カーク。一体どうしたの?」


 そう尋ねると突然手首を強い力で掴まれた。痛みにナハルナは眉を寄せたが、カークはそんなことも目に入らないようだった。

「あんな何者かもよくわからないような士官如きと結婚ぐらいなら、僕でもいいはずだろう!」

 強い瞳がナハルナを射る。

 しかし自分勝手な物言いの幼馴染にナハルナは頭が混乱した。


 一体何を言っているの?


 血走った瞳がじっとナハルナを見つめ続ける。見たことのない様子の幼馴染に、ナハルナは本当にこれは自分が知っている幼馴染だろうか?と疑問にすら思った。彼女の手首を掴む力はどんどん強くなり、それに伴い痛みもましていく。


「やめて‼︎」

 

 痛みに耐えきれずナハルナが仕方なく声を上げる。しかし、外にいるはずの他の護衛騎士たちが反応しない。

「全員下がらせた」

 

 何を言っているの⁉︎


 そんなことをする権利を目の前の幼馴染は持ちえないし、それに従う護衛騎士たちもどうかしている。ナハルナはキッとカークを睨みつけた。

「この手を離しなさい!」

「婚約を破棄して、僕と結婚するんだ。ずっと好きだったんだ」

 なかなか衝撃的な言葉だった。この寡黙な幼馴染からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。思わなかったが、好きならばなんでもやっていいわけじゃない。今のナハルナがこの目の前の男に感じるのはただの恐怖だ。


「やめて‼︎離して‼︎」


 ナハルナがもう一度そう叫んだところで、部屋の扉が勢いよく開き、赤い何かが飛び込んできた。ナハルナが目にで追えないような速さでその何かが、彼女の手を掴んでいたカークを蹴り飛ばした。

 護衛騎士も突然の出来事にナハルナの手を離すしかなかく、その場によろめく。


 ナハルナを守るように側に立ったのは、ヴィザだった。見慣れた赤い髪が目に入るとナハルナは泣きたくなった。

 視線だけはカークに向けたままヴィザは、ナハルナに声をかける。

「大丈夫か?って大丈夫なわけないよな。もっと早く気づくべきだった」

 ヴィザの声に、ナハルナはいつの間にか自分の体が震えていたことにようやく気がついた。

 

 ヴィザに蹴りを入れられたカークは、よろめいたもののすぐに立ち上がる。腐っても護衛騎士だ。蹴りを入れられたぐらいで、気絶するわけもない。

 カークの方は全く迷うことなく腰に剣を引き抜き、ヴィザに向かって構えた。

 それに比べてヴィザは丸腰だ。


 しかもヴィザはこのプランドール国内で魔法を使用することができない。ヴィザはプランドールへ入る際の約束として、魔力を使えないようにする魔力制御の腕輪を付けさせられていた。プランドールが今でも唯一持っている魔法道具である。ちゃんと機能するらしく、プランドールにいる間のヴィザは魔法が使えないのだ。ヴィザの左腕にある鈍色の腕輪がそれだ。


「ヴィザ様、ダメです。カークは強いです!」

 魔法が使えない状態のヴィザでは目の前の幼馴染に勝てない。そう思いナハルナは声を上げた。しかし、ヴィザはそのナハルナの声には反応せず、黒髪の騎士を見据えている。


「人の婚約者に手を出すなんて、騎士の風上にも置けないな」

 ヴィザの言葉に、カークがぴくりと反応した。

「後から出てきた士官若きに何がわかる」

「ナハルナを怖がらせておいてよくそんなことが言えるな?」

 

 あれ、初めて、名前呼びされた?


 ナハルナ殿下と敬称をつけて呼ばれることはあったが、それ以外は初めてな気がしてこんな状況にも関わらずナハルナの心はじんわりと温かくなった。


「お前には関係ない」

「どちらかというとお前が関係ないな?」

「うるさい黙れ!」

 剣を構えていたカークは近距離にいたヴィザに剣を振り下ろす。ヴィザはすばやく体を翻すと、その剣を華麗に避けて見せた。代わりに近くにあったテーブルが半壊した。

「小賢しい」

 カークは再び剣を構え直してヴィザに向ける。

「女々しい奴は嫌われるぞ」

 ヴィザはそんな風に相手を挑発するが、ナハルナには余裕なのかそうではいのかもわからない。しかし、武器がないヴィザが圧倒的に不利なのは言うまでもない。ただ見ているしかない自分にナハルナは唇を噛み締める。


 再びカークがヴィザに向かって切りつけた。今度はヴィザは大きく避けるようなことはせず、素早く剣の可動範囲から離れると、逆に振り下ろされたままのカークの手を狙って思いきり上から下へ蹴りを入れた。想像以上に強い蹴りだったのか、カークの手から剣が落ち、床に落ちる前に素早くヴィザが剣を奪った。


「いくらこちらが丸腰とはいえ、油断しすぎだろ。それでも護衛騎士か」

 ヴィザは拾った剣を逆にカークに向けて構えた。

「剣など扱ったこともないだろう」

 馬鹿にしたような物言いのカークに、ヴィザがニヤリと笑う。

「どうかな?」

 すると慣れたようにカークに剣を向け、間合いを詰めると切り掛かった。まさか魔法士であるはずのヴィザが普通に剣で攻撃をしてくるとは思っていなかったのか、カークの反応が遅れ腕に刃が掠った。スッと切れた肌から血が滲み出る。


「魔法士に剣で傷を負わされた気分はどうだ?」

 悔しそうに顔を歪めたカークを見て、ナハルナは震える体を叱咤してなんとか立ち上がる。ヴィザの側に立ちカークをみた。

 

「カーク、もうやめなさい。私は婚約破棄なんてしないし、あなたとも結婚しない」

 ナハルナの言葉にカークは声を上げる。

「どうして!」


「私、カークのことはただの幼馴染としてしか見れないわ。それに、私痛い目に合わされるの大嫌いよ」

 そう言って、カークに掴まれてあざになっている手首を掲げた。すると自分でやったことに気づいてなかったのか、青ざめた顔をする。

「今ならまだ騎士の称号まで剥奪しないで上げる。でもこれ以上まだ続けるなら、……二度と騎士にはなれないと思いなさい」

 ナハルナの言葉に、カークは何か言いたげに口を開きかけたが、言葉にはできずに口を閉じた。そして、ナハルナに謝罪のつもりなのか深く頭を下げてから、部屋を出て言った。


 カークの足音が遠くはなれ聞こえなくなったところで、ナハルナはその場に立っていられなくなり床に座り込んだが、わかっていたのかすぐにヴィザが支えてくれる。

 ナハルナの手首に優しく触れるとヴィザは悔しそうに眉を寄せた。

「悪いな。もう少し早く気づければ」

「いいえ。戻ってきてくれただけで十分です」

 本当にそんな気持ちだった。まさか助けてくれる人がいるとも思っていなかったのだ。絶望すら感じていたところに現れたヴィザは、本当にナハルナには救世主に見えた。

 

 落ちている剣が目に映り、ナハルナは気になったことを聞いてみた。

「魔法士なのに、剣も使えるのですか?」

「こういうものへの対策としてな」

 そう言ってヴィザは左腕の鈍色の腕輪を示す。先ほどの感じでは剣を握るのも振うのもかなり慣れているようだった。おそらくカークの方もそれがわかり、引いたのではないかとも思った。

 じっと見つめていたら、ヴィザが揶揄うように笑う。

 

「どうした?惚れたか?」

 冗談めかしてそう言ったヴィザにナハルナはうっかり頷きそうになった。こんな風に助けられたらそれはそうなるだろう。しかし、そんな簡単に認めてしまうのも悔しい話だ。

 

「惚れてません!でも、……、助けてくれて、ありがとうございます」

 ナハルナの素直な感謝に、ヴィザは優しく微笑んでくれた。頭を撫でられたあたり、子供扱いは変わらないようだ。

「無事でよかった」

 そう言ったヴィザは心からそう言っているように聞こえて、ナハルナは自分の心臓の音がだんだんとうるさくなるのを感じた。

「で、でも、どうしてわかったんですか?」

「婚約式で気づかなかったか?ずっと後ろから殺気を感じてた」

 確かにナハルナの後ろには護衛騎士たちが並んでいた。その中にカークもいたのだ。しかし、ナハルナは殺気など感じることができない。

「オレが一人で帰るタイミングで襲ってくるんじゃないかとは思っていたんだが、まさかナハルナの方に行くとは思わず……。読みが甘かった」 



***



 それからナハルナの護衛騎士たちは半分ほど入れ替えになった。当然カークも担当から外れた。


 そして、ヴィザは仕事がない日にはナハルナを訪ねてプランドールに来るようになった。予定通りなのだが、ヴィザは父親探しをしている様子も見せず、意外とナハルナとの時間を過ごしている。

 

「探さなくていいんですか?」


 そう聞いてみると、ヴィザは大抵「ちゃんと探してる」と答えるのだが、プランドールにいる間のほとんどの時間をナハルナと一緒にいるのだ。お茶をするのはもちろん、一緒に食事をしたり、この間は街にも出かけた。ラエティアの街とはまた異なる趣の街の様子に、興味深そうにしているのがみていて意外だった。



 今日は天気がよかったため、王宮内の庭園でナハルナたちはお茶を飲んでいた。侍女たちが下がっているため、ヴィザの話し方も砕けている。

 

「そう言えば、ファルトじゃなくて悪かったな」

「ファルト?それは人の名前ですか?」

 ナハルナの答えにヴィザの方が首を傾げる。

「金髪に青い瞳の若い士官を視察の時に何度も指名してただろ?気に入ってたから指名してたんじゃないのか?」

 その言葉に今度はナハルナの方が首を傾げることになる。

「いいえ?目立つし、わかりやすくて指名しやすかったから何度も呼びましたけど、気に入っていたと言うわけでは」

 そんな答えにヴィザは少し意外そうな顔をする。


「でも顔が良いだろ?」

 そう言われて少し視察に行っていた時のことを思い出してみる。さらさらとした金色の髪に、透き通るような青い瞳の若い男性で、確かに格好良かった気はする。

「そうですね、顔はよかった気がします」

 素直に頷くと少しヴィザのスッと目を逸らしたことにナハルナが焦る。婚約者なのに他の男性を褒めるなんてよくなかった気はする。いや、でも期限付きの一方的な婚約でヴィザが気にするとはとても思えなかったが、ナハルナは慌てて言い訳をした。

「いえ、あくまで一般的な感想ですから!」

 そんなナハルナの言葉に、ヴィザが少し目を細めて聞いてくる。

「ふぅん。じゃあ、オレは?」

「格好良いですよ」

 ナハルナがさらりとそう言うとヴィザの動きが止まった。そして、ナハルナから顔を背けたもののほんのりと耳が赤くなっているのが見えた。

 思っている通りに答えただけなのに、初めて年上のヴィザに対して優位に立ち、感激したナハルナは彼の腕に無意識に飛びついた。


「もしかして嬉しいですか?嬉しいですか?」

 調子に乗って何度も聞くとヴィザがじっとナハルナを見てきた。

「そんな風に年上を揶揄うな」

「別に揶揄ってません。いつも私ばかり遊ばれてますからね」

 ナハルナが不満げにそう言うとヴィザは眉を顰めた。

「誰が誰で遊んでるんだ」

「ヴィザ様が、私で、ですよ」

「オレは別に遊んでないぞ」

「そもそも婚約したこともそうですし、急に近づいてきて顔覗いてきたり、髪触ったり、お菓子食べさせてようとしてきたり、今日だって会った瞬間頭撫でられましたし」

 ナハルナがヴィザからされることをつらつらと口にしていると、ヴィザは聞いている間に右手で自分の口元を覆った。

 

「オレはそんなことしてるのか」

「……、自覚なかったんですか」

 まさかの発言にナハルナは目を見開いた。揶揄われてるのじゃなければ何なんだ。ナハルナは訝しく思いながらヴィザを見る。

「いや、でも、そう言われればそうだな」

「わかって頂けたならよかったです」

 と言った瞬間から、ヴィザの手が顔の近くに伸びてくる。そしてナハルナの真っ直ぐに下りる白金の髪を一房掴むと、しげしげと見つめる。

「なんですか」

 いちいち反応しては面白がられるだけだと思い、澄ました顔でそう答えると、ヴィザは気にした風もなく髪を触り続ける。

 その手がするりと髪を通り抜けるとナハルナの頬をヴィザの手が触れる。どきりとして思わずヴィザを見るが思いの外真剣な顔をしていて、何も言えなくなった。

 

 ナハルナが動けずにいるとようやくヴィザが少し表情を崩した。

「そんな顔するな。取って食ったりしない」


 食べられないんだ。


 当たり前なのに少し残念に思う自分にナハルナは慌てて首を横に振った。


 

***



「ようやく見つけた」


 婚約してからニヶ月ほどしたところで、ヴィザがそう言った。

 一体何のことだとは思わなかった。もともと理由を聞いていたのだから。あまり探しているようには見えなかったが、探していると言うのは嘘ではなかったようだ。


 あぁ、これで終わりなんだ。


 ナハルナは何となくいつまでもこの穏やかで楽しい時間がいつまでも続くような気分になっていた。ヴィザはプランドールに来ても日中は、ほとんどナハルナと過ごしていたため、真剣に探しているようには思えなかった。ある程度時間がかかるのかもしれないと思っていた。

 だから、こんなに早く見つかったという言葉を聞くことになるとは思わなかったのだ。


 ヴィザがいる間は、ナハルナの中にぽっかり空いた穴を感じることはなかった。そんなことを感じることもないぐらいに、穏やかでそれでいてどこか心が躍るようなそんな時間だった。


 それなのに今やナハルナの中では、何かどろどろとした嫌な気持ちが蠢く。黒く暗いものが目の前に広がった気がして、何とか振り払う。


「そうなんですか。よかったですね」

 なんとかそう言葉にするとヴィザが強い視線で見てきた。

「悪いけど、ついてきてくれるか」



 二人がが向かったのはプランドール国内で領地を持つ伯爵家の屋敷だった。ナハルナから書簡を送り、現当主との約束を取り付けたのだ。

 魔法を使っていた頃の名残で、基本的に真名を名乗ることはないが、貴族の家名は残っている。


 アヴァルサ公爵家。それが今二人が訪れている屋敷の家名だ。古くからプランドールの王家を支える代表貴族の一家門だ。

  

 ナハルナの突然の訪問に、アヴァルサの屋敷がバタバタとしているのは明らかだった。性悪姫と名高いナハルナとはいえ、れっきとした王族である。しかも二人は王家の紋章の入った馬車で訪れたのだ。



 二人を迎えたのは現当主の男だった。明るい茶色の髪に同じような色の瞳を持つ50代ぐらいと思われる姿の人物だ。前触れはあったものの、現れた二人をどう受け入れて良いのか困っていることを隠しもしない様子だ。


「あ、あの一体どのようなご用件で……」


 通された来客用の部屋に通された二人の前には、オドオドとした様子の男がいる。男はナハルナと共に入室したヴィザを見ると、明らかに驚きの表情を見せた。そしてソファに座ったあともちらちらとヴィザを見る始末だ。


 本当に見つけんたんだ。


 ナハルナは当主の表情を見てなんとなくそう思った。思い違いであればいいなどと思った自分が嫌になる。そして、ヴィザと事前に打ち合わせしていた通りのことを口にした。

「アヴァルサ家の前当主に会いたいの。いるわよね?この屋敷に」

 ナハルナに確信はないが、ヴィザには確信があるようだった。「言い切ればいい」と言っていたヴィザの言葉に従い、ナハルナは確信をもった言い方をした。

「いますが……」

「連れてきて頂戴。すぐに」

 ナハルナの言葉にびくりと反応した当主は慌てたように部屋から出ていった。


 少し息を吐き、チラリとヴィザを見ると彼は真っ直ぐに扉を見つめていた。真剣な表情を崩さないヴィザに、ナハルナは何も声がかけられなかった。


 そして、部屋の扉が開いた。


 そこに現れたのはヴィザと全く同じ鮮やかな炎のような赤い髪色の六十前後に見える男性が現れた。その瞬間、ヴィザがすごい速さで動いた。当然相変わらず鈍色の腕輪はついたままなので、走っているのだが、ナハルナには理解できない速さだ。


 そしてとんでもない音が響いた。


 硬いもの同士がぶつかるような大きな音がして、現れたはずの赤い髪の男性が大きく後ろに倒れた。ついでにその後ろにいた現当主も倒れた。

 どうやらヴィザが入ってきた男性を殴ったようだ。


 この人本当に魔法士かな⁈


 魔法士とは思えない拳の強さにナハルナも慌てて立ち上がり、ヴィザを止めに行く。

「おやめなさい」

 性悪姫を演じる手前、ナハルナはヴィザに冷めた目を向けた。向けられた方のヴィザは気にする風もなく、倒れた赤髪の男性を見下ろしている。赤髪の男性もまた呆けた顔でヴィザを見ていた。

 やはり見るほどにヴィザによく似ていた。ヴィザが歳を重ねるとこんな感じになるのだろう。


「ラエティアのリゼを覚えているか」


 ヴィザの言葉に、倒れた赤髪の男性がゆっくりと立ち上がる。そしてナハルナを見ると、ナハルナとヴィザを見比べる。

「殿下がラエティアの士官と婚約したとは聞きましたが。……、もしや、リゼの、子なのか」

「どう見ても、あんたの子でもあるだろ」

 それについては誰もが文句をつけないほどに、二人はよく似ていた。聞き返した男性自体もそう感じたのだろう。それを疑ようなことはなかった。

 

「そうか。リゼは、変わらず過ごしているのか?」

「五年前に亡くなった」

 ヴィザのあっさりとした回答に驚愕を色を見せた男性は、すぐに表情を変える。悲しむような、気落ちしたようなそんな表情に見えた。

「そうか……」

 しかし、男性はすぐにヴィザに向き直る。

「プランドールでの支援が必要なら頼ってくれ。多少は助けになるだろう」

「オレはただ、母との約束を守りに来ただけだ。もうやることはやったから、後は特に望まない。あんたは意外に誠実すぎて、正直言って驚いた。母も、あんたのピアス、ずっと大事にしてた」


 ヴィザはナハルナを伴い屋敷を後にした。



***



 ヴィザは、ある程度最初から目星がつけられていた。それは全て母親の発言によるところなのだが。


「あんたの父親はね、めちゃくちゃかっこよかったのよ」

「……、またその話?」

 ヴィザが生まれた頃からヴィザの側には母親しかいなかった。父親という存在は一度も見たことがなかった。それが周りと違うことは、わりとすぐに理解した。

 しかし、それにも関わらずヴィザの母リゼはよく父親の話をしていたのだ。

「もうね、完全に私の一目惚れだったの。隣国から来た使節団にいた一人なんだけど、あんたと一緒の燃えるような赤い髪でね。当時の私は使節団の対応をする士官だったんだけどさ」

 父親の話をするリゼは全く辛そうではなかった。とにかく自分が惚れてしまって、口説き落としたのだとリゼは言っていた。


 しかし、プランドールとの国交は長く続かなかった。28年前の一度使節団が来ただけで、結局はそれ以来国境の門が開かれることはなかった。当然その時に、父親も国へと帰っていった。


「あんたがお腹にいることは、父親が国へ帰ってから気づいたんだよ。だからあの人は知らないの。でも、私は嬉しくて嬉しくて、当然産んだよね」

 ふふふと幸せそうに微笑む母親に、ヴィザは呆れるしかなかった。リゼは決して父親がいないことを悲しいとは言わなかった。赤髪であるヴィザを見ると毎日のように父親を思い出すであろうが、常に笑っていた。


 そしていつも決まって持ち出す話があった。

「このピアスはね、あの人が付けてたものを寝ている間にこっそり取ったの」

「犯罪だろ」

 ヴィザのツッコミにも母親はけらけらと笑った。

「でも、もう会えなくなったから、取っておいてよかったなって」

 ヴィザの前ではいつも明るい母親だった。ヴィザを産んだ後も士官の仕事を続けていて、ヴィザにとっては自慢の母親だった。

 それでもふとした時に見せる寂しげな顔が、ヴィザには忘れられなかった。


 いつも陽気で快活な母親も、病気には勝てなかった。死ぬ間際までリゼは父親のことを思い出していた。

「あの人に会えたら、一発ぐらい殴りたかったな」

「オレが代わりに殴っておく」

「でも、一番は抱きしめたいな」

「それは遠慮しとく」

 ヴィザの返答にリゼは楽しそうに笑っていた。

「あなたのおかげで楽しい人生だったわ」

 それがリゼの最後のセリフだった。「あなた」が誰を指すのか、ヴィザにはわからなかった。



 そして、ヴィザが士官の間にプランドールが再び使節団を向かわせたいと連絡があった。正直ヴィザとしては、拒否すべきだと思ったが国王陛下の考えは違い、結局入国を認めることとなった。

 

 しかも、使節団を率いるのは向こうの第一王女だと聞き、危機感を募らせた。自分の母親のような状況にだけはしてはならないと思い、使節団の対応の取りまとめを引き受けた。

 

 基本士官も男性ばかりのため、王女の性格によっては危険かもしれないと思った。だから、絶対王女に揺らぐことはなさそうな、逆に王女を誘惑することもなさそうな士官のメンバーを厳選したつもりだった。特に金髪碧眼の後輩士官は好きな子を口説き中らしいのでとても適任だ。絶対揺らがないだろう。


「なんかびっくりするほど我儘王女なんだが?」


 蓋を開けて見れば色々と予想外なことがあり、ヴィザの感想に他の士官たちも頷いた。誰かが長く王女の側につくことが無いように、最初から士官たちには交代の順番を決めてスケジュールをくんでいた。他の抱えている仕事にも対応できるよう、細かく決めていたのだが、最初の方からそれがぶち壊された。

 

 ヴィザ自身も自分の仕事管理が上手く行かなくなり、夜中にも仕事をせざるを得ない状態になった。なかなか疲れが取れず疲労が蓄積し、ヴィザの判断力も低下していた。

 しかも王女は金髪碧眼の後輩士官を気に入ったのか毎日のように呼び出していて、ついに後輩は体調を崩した。

 

 王女が一体何を考え行動をしているのか、プランドールの使節団の目的は一体なんなのか、ヴィザには全く理解出来なかった。

 疲労は暗い考えを呼び、悪いこと悪いことへと考えが流れていく。もしかしたらプランドールは戦争を起こす気なのかもしれない。最終的にはそんな風な考えに至った。ただ至るまでの論理的な思考は全く働いていなかったのだが。


 そして、ヴィザは魔法を使った。魔法に興味があるらしい王女を理由を付けて呼び出し、闇の大精霊の力を使い、話を聞き出した。


 しかしいざ使ってみたら、王女は全く無害そのものな人物てあることがわかった。国としても戦争を仕掛ける気などは全くなく、ヴィザの見当違いも甚だしかった。

 しかも彼女は自分の本性を偽っており、王族であること、自分の兄弟に対する劣等感の強い子だった。本来の素直な性格を隠し生活をしていることに、ひどく同情した。

 そして彼女自身は今回の視察に何の興味もないこともよくわかった。


 しかし、あれだけ対応が辛いと思っていた彼女の我儘も真実を知ってしまうと、突然可愛く見えて来てしまうのが不思議だ。


 実際こちらが本性を知ったことを伝えると、彼女の素直な性格が出て来て話すのが楽しくなった。だから、本当は何もする気なんてなかったのに、あんなことを口走ってしまった。


「どうか、内密に!」

「そうか、じゃあ、ちょっとオレの言うこと聞いてもらおうかな」


 こんなに可愛い性格だと知ってそのままにしておけるほど、出来た男ではなかった。そして、おそらくその時点でもう……。



***



「ヴィザ様」

 馬車の中で向かい側に座るナハルナが心配そうにヴィザを見つめる。少しぼんやりとした様子のヴィザが気になったのだろう。

「大丈夫ですか?本当に殴っただけですけど、あれで目的は達成されたのですか?」


 彼女にしてみれば、早く婚約を破棄してもらいたいのだから、目的の達成の確認は重要だろう。


「そう、だな。目的は達成したよ」

 そう自分で言いながら、ヴィザは胸が締め付けられる思いがした。目の前の彼女との婚約は、目的を終えたら彼女の名に傷がつかないように破棄する約束である。婚約を破棄したら、もう彼女の元へ来る理由もないし、もともと一介の士官と一国の王女と言う身分差があり、まともに会うこともできないだろう。


 ナハルナと過ごす時間はヴィザにとってとても穏やかで心地よい時間だった。少し触れると恥ずかしそうにする彼女を見たり、些細なことを二人ではなしているだけで、とても心が満たされた。

 

 でも、いつまでも彼女を縛り付けているわけにもいかないという自覚があった。いくら王族で言うと行き遅れなどと言っても、まだナハルナは20歳だ。いくらでもいい相手は見つかるだろう。

 ただ、彼女の隣に他の誰かが並ぶのは許し難い気分になる。


 まぁ、オレにそんなこと言う権利は一つもないけどな。


「すぐに婚約破棄の段取りは整えよう」

 ヴィザの言葉にナハルナが少しショックを受けたような顔をする。早く破棄したいだろうに、そんな表情をしてくれるのかと思うと、どこまでこの子はお人好しなんだろうと思う。


「誰か婚約とか結婚したい人とかいないのか?次の相手がいた方が話は進めやすいが」

 ヴィザの言葉にナハルナは少し考えるような仕草をする。全てが可愛く見えて仕方ない。


 オレの方が重症だな。とても後輩を笑っていられない。


「……結婚したい人なら」

 そうポツリと言われて、ヴィザは世界に置いていかれたような気分になった。全ての音が聞こえなくなる気がした。

 

「誰だ?」

 まるで尋問をしているかのような低い声色が出てしまう。今すぐ問い詰めたい気分になった。そんなに想うような人が居たなら、などと思ったところでもう遅い。

 

「でも、……きっと応じてくれないんです」

 悲しげな瞳が俯く。そんな表情を見せられるヴィザも、息ができなるような感覚がするぐらい苦しかった。

「本性を知らないからか?」

 ヴィザの質問にナハルナは俯いたまま首を振った。

「もっと相応しい人がいるって、言われる気がしてます」

 ナハルナは王女だ。そう言うだろうという予測もなんとなくわかる気がする。

「……ちゃんと自分の気持ちは伝えたのか?」

 ヴィザの問いにナハルナはもう一度頷いたまま首を振った。

「ならまずちゃんと自分の気持ちを伝えるんだ」

「そうしたら、……結婚できますか?」

「相手にもよるが、貴女なら、……大丈夫だろう」

 誰か違う男と共にいる姿を想像して、自分勝手だと思いながらもヴィザは眉を寄せた。


 すると今まで俯いていたナハルナがゆっくりとヴィザを見上げた。今にも泣きそうなほどに目を潤ませて。

 

「ヴィザ様、私、ヴィザ様が好きです。私と、結婚してください」


 ようやく顔を上げたと思ったナハルナは涙を流しながら、ヴィザにそう言った。

「ヴィザ様が私に興味がないことは、わかっています。ただ、目的のための婚約だったと理解しています。でも、私は……」

 そこまで言ったところで、ヴィザはナハルナの背中に手を回して抱き寄せた。狭い馬車の中で、ナハルナがヴィザに倒れ掛かるような体勢で抱きしめられていた。


「……ヴィザ様?」

「そこまで言わせて、悪かった。オレは思った以上にダメなやつだったみたいだ」


 ヴィザはプランドールに訪問している期間、自覚があった。特にナハルナに指摘されてからは、自分の気持ちを理解していた。

 年も離れた、しかも相手は王族だ。婚約期間が終わったらすぐに解放してあげなければならない。いつまでもヴィザが独占していいような女性ではない。

 そうさっきまで思っていた。


「ナハルナ、好きだ」

「……、婚約破棄する前のサービスですか?」

「信用ないな」

 少し笑ったヴィザは、涙が流れるナハルナの瞳にキスを落とした。一度ではなく、ナハルナが涙を流すたびに何度もそれを拭うようにキスをした。

 最初は驚きに目を見開いていたナハルナだが、次第に頬が赤く色づいていく。


「可愛いすぎる」

 そんな感想をヴィザがこぼすとナハルナは真っ赤になって彼の背中に回っていた手でバシンと背中を打った。

「揶揄わないでください!」

「本心だ」

「じゃあ、……結婚してくれますか?」

 不安気に問うてくるナハルナに、ヴィザが答えた。

「今から攫いたいぐらいだ」

 その言葉にパッと明るい表情になったナハルナは目を輝かせた。

「攫ってください!」

「嬉々として言うのはやめなさい。ちゃんとわかってるのか?」

「ヴィザ様は士官の仕事がお好きでしょう?私もプランドールへ来てほしいなどとは言いません」

 ナハルナは真面目な顔でそう言った。


 確かにヴィザは士官の仕事が好きだった。


「いつも同僚や後輩の士官の話をする時、とても楽しそうでした。きっと職場が好きなんだろうなと思っていました」

 確かにナハルナに職場の話をすることがたまにあった。ただたわいも無い話に限られているし、そんな風に思われているとは予想外だった。

「だから、私、ラエティアに行きたいです」


 ナハルナがラエティアに行くと言うことは、王族であることを放棄することである。今まで持ち得た全ての権利を捨てていかなければならない。

「オレは王族じゃない。ただの一般市民だ。正直、ナハルナが今持っている権利や益の一割も渡せないかもしれない」

 ヴィザの言葉にナハルナは笑顔になる。

「ヴィザ様にそんなこと求めません。私がこの二ヶ月間どれだけ幸せな気分だったか、わかりますか?ヴィザ様と離れたくないんです。ヴィザ様が仕事でラエティアに帰るたび私は喪失感でいっぱいになっていました。お休みの時に会えるのかとても嬉しかったんです。あ、もちろんラエティアに行ったら私も働くつもりです!」

 とても熱心に説得しようとするナハルナに、ヴィザは嬉しくて思わず笑ってしまう。

「私真剣ですけど⁉︎」

「そこは疑ってない。思っていたより好かれてるみたいで、安心した」

「好きです。大好きです。離れたく無いです。」

 ヴィザにははっきり言った方が効力があることをナハルナは学んだのか惜しげもなく言葉を紡ぐ。

「わ、わかったから」

 耳の赤くなったヴィザを見てナハルナは満足そうだ。


「オレはこれでも真面目だからな。とりあえず、国王に話しに行くぞ」



 それからはナハルナの父親であるプランドール国王の説得と、ラエティアの方へも根回しに時間を要することとなった。

 結局ナハルナがラエティアに来るまでに半年ほど費やすことになった。プランドールの国王や兄妹たちがなかなか首を縦に降らなかったことと、ヴィザの中の葛藤もあったのだ。

 

 結論としては、ヴィザの父親であるアヴァルサの前当主が大活躍だった。国王の説得にも一役かった。ヴィザを認知して、自分の子として迎えること、アヴァルサ家の持ついくつかの爵位をヴィザに与え、そしてあくまでプランドール国内ではナハルナ王女は臣籍降下しただけであるとすることなどなど。プランドール側の対応のほとんどの結果はほぼ彼の働きだった。何も望まないと言っていた手前、ヴィザはその好意を受け入れるかどうかかなり迷ったようだったが、ナハルナのことも考えて前に進むことを選んだようだった。

 

 そして前当主の最大の力の見せつけは、プランドール国内での結婚式だった。ナハルナ王女を受け入れるのだから、手を抜くわけにはいかないと、かなり大規模な結婚式を執り行うことにした。張り切って。


「最初で最後ぐらい、花を持たせて欲しい」

 ここまで色々すでに根回しもしてもらってこれ以上はとヴィザは一度は断ろうとしたらしいが、父親の方も譲らなかった。プランドールでは戸籍上も親子なのだからと。

 そう言われてはヴィザも無碍には出来ず、結局のところそれを受け入れた。



 プランドール王宮近くの大聖堂。

 多くの参列者がいる中、ヴィザは神父の正面に一人立っていた。いつもの銀の刺繍の入った黒いコートではなく、白いタキシードと呼ばれる装いに身を包んでいた。

 プランドールでは、結婚式では新郎新婦共に白い装いをするのが慣わしらしい。ラエティアには無い習慣だが、ヴィザは大人しく受け入れることにした。


 参列者のなかにはプランドールだけでなく、一部ラエティアの人間も来ていた。ヴィザが親しくしている士官たちが主な出席者だ。


 しんとしていた聖堂の中、両開きの大きな扉が開かれた。扉の向こうには真っ白なドレスに身を包んだナハルナがいる。レースがふんだんにあしらわれたロングドレスで、頭には白いレースのベールを被っている。手には淡いピンク色のブーケを手に持ち

静々と歩き始める。

 ゆっくりと歩くと腰ほどまである長い白金の髪が背中で揺れる。真っ白なドレスにそれがよく映えた。


 祭壇前まで辿り着くとナハルナを迎えに行くようにヴィザが手前の階段を下りた。右手を差し出すと、ナハルナが左手を添え、二人で階段を歩くと、神父の前に並んだ。


 朗々とした神父の言葉と共に結婚式は滞りなく進んで行く。神父の求めに従い、ヴィザから順に結婚誓約書に名前を書く。プランドールでの名前に従い、ヴィザはヴィザ・アヴァルサと記名し、ナハルナは王家の名前を添えてナハルナ・プランドールと記名した。


「ここに一組の夫婦が誕生日したことを表明する」

 神父の言葉に二人は参列者の方を振り返ると聖堂内には拍手が沸き起こる。


「では、誓いの口付けを」


 その神父の言葉に、ヴィザは驚いて神父を見る。しかし、ナハルナの方は特に驚いた様子もない。ラエティアにはなくプランドールに存在する慣わしで、どうやらヴィザは聞かされていなかったようだ。

 ヴィザが問うような目でナハルナを見たが、ベールの奥のナハルナはにこにことしているのが透けて見える。

「この仕返しは後でたっぷりとさせてもらおう」

 ナハルナにだけ聞こえる声でそう言うと、ヴィザはそっと彼女に掛けられた白いベールを捲った。


 ナハルナの素肌の肩に手を掛けると、ヴィザはそっと彼女の唇に口付けをした。


 すると聖堂内は歓声と悲鳴がこだました。「え?」と思いヴィザがナハルナを見ると彼女もとてつもなく真っ赤になって涙目だ。


 するとにこにことした神父がこっそりヴィザに教えてくれた。

「新郎は新婦の額に口付ければいいんですよ」


 それを最初に教えてくれー‼︎


 頭が痛くなったがそもそも誓いの口付けなどがあることを教えられて無い方がどうかと思うと文句を言いたかったが、真っ赤になっているナハルナを見るとそんな訳にもいかなかった。

「悪かった」

「……、私が悪いので反省します」

 ナハルナの言葉にヴィザは少し笑うと、彼女軽々と抱き上げる。急に抱き上げられて驚いたナハルナは目をパチクリとしつつも、喜んでヴィザに手を回した。


 そのままヴィザはナハルナを抱き上げたまま大聖堂を堂々と出て行き、それが二人の結婚式となかった。

 


***



 その半月後ようやくナハルナは正式にラエティア王国へやって来ることが出来た。


「わぁ!」

 ナハルナはまだ物が何も無い部屋を見て歓声を上げた。今はもうドレスを着ているわけでもないので、至って普通の女性に見える。

「全然部屋が片付いてないんだ」


 もともとヴィザは王宮の寮に住んでいたため、ナハルナと暮らすに当たって新しい家を借りたのだ。王都内で二人が一緒に住める場所を選んだのはよかったのだか、思いの外プランドールで足止めを食らった上、士官の仕事もバタバタと忙しく、ナハルナが来るまでにろくに部屋の準備もできなかったのだ。


「好きにしてもいいのでしょうか?」

「まぁそうだな。大きい家具は、もう少ししたら転送石で運ばれてくるから、あとは好きに決めたらいい」

「てんそうせき?」

「転送石って言うのは、物を転移させるために使う魔法道具だ。普通の石みたいな形だが、二つセットで物を移動させることができる」

「なるほど?」


 その時丁度、壁際に置かれた転送石がピカピカと点滅し始めた。その点滅が早くなり点灯すると、そこに家具が現れた。


「これが、魔法道具なんだ」

 初めて見るそれにナハルナは感動したのかしばらくしげしげと現れた家具を見つめていた。幾つかの転送石が光りだし、点灯すると家具が到着する。

「すごい」

「そのうち見慣れるだろう」


 ふとヴィザは気になっていたことを聞いた。

「魔法、怖くないか?」

「え?」

 ヴィザはらしくもなく少しナハルナから目を逸らして言葉を続ける。

「オレが闇の大精霊に頼んで、……ナハルナに魔法をかけているだろう?正直トラウマになってもおかしくない」

「そう……、ですね。特に怖くはないです。自分が使えないのは残念ですけど」

「使えないかどうかは調べてみる必要があるな。まぁ少し落ち着いたらそれもやってみよう」

「使える可能性あるんですか?」

「言っただろう?忘れてるだけだって」

 確かにヴィザはプランドールの人のことを魔法を忘れた人だと言っていた。


「使えたら、嬉しいです」

 少し期待を込めた眼差しを向けるナハルナにヴィザもうなずく。

「そうだな」

 ヴィザがナハルナの頭を優しく撫でる。癖のようにするそれをナハルナも嫌いじゃ無いらしく止めない。しかし、少しだけ不満そうに口を尖らせる。


「もう夫婦なんですが」

「そうだな」

「もう少し大人な対応をお願いしたいです」


 ナハルナの言葉に家具を動かそうとしていたヴィザの手が止まる。

「大人の対応?」

「だって、……あの初夜から全然!」

 そこまで言葉にしてナハルナはそれ以上何も言えなくなった。開いていた口はヴィザに塞がれていた。

 

「オレはこれでも我慢してるんだ」

 唇を離したヴィザはそう言った。

「ナハルナ、体力無いだろ?」

 確かに初めての夜は最後気を失ってしまったのだ。日頃から鍛えているヴィザとは違う。

「そうですけど!そうですけど、……寂しいです」

 少し俯いてそう言ったナハルナにヴィザが敵うはずがなかった。本当はラエティア側での諸々のことが終わるまでは手を出さないと自分の中で誓ったばかりなのに。さっそく誓いを破りそうだ。


「それは、悪かった。今夜は覚悟しておくように」

「え?」

「その為にも部屋をある程度片付けるぞ」

「あ、はい!」

 真新しい部屋を片付けながら、お互いに幸せそうに笑う二人がそこにはいた。



 魔法が使えることがわかり、この歳で魔法学校に通うことにしたり、パン屋で店員として働いたら人気の店員になってしまったり、これからも様々なことがナハルナにもヴィザにも起こるのだが、それはまた別のお話。

勢いだけで書いたのですがめちゃ楽しかったです!

少しでも楽しんで頂けたら幸いです!


■ヴィザと金髪に青い瞳の後輩士官の会話■

「つまり端的に言うとヴィザさんは仕事中にナンパしてたってことですね」

「悪意を感じる端的さだな。お前も人のこと言えないだろ」

「俺は、仕事の間は仕事してました」

「ほう?」


そんな金髪で青い瞳の後輩士官のお話も、良ければよろしくお願いします(*´꒳`*)↓

https://ncode.syosetu.com/n7083ib/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ナハルナ魔法使えたんだね! 自分の家族といて居場所が無いと感じるのは辛かったでしょうね〜。 久々に実家に帰って親と兄貴から居ない時の話をされても所在が無いのに(笑) ヴィザとお父さんとの間に…
[一言] 面白かったですー! スキンシップに無自覚なヴィザさんが可愛い(*´艸`*) 最後の別のお話しでまとめられたあたりで、ナハルナさんのコンプレックスも解消するのかな〜と妄想が膨らみました。 読み…
[良い点] 楽しくドキドキしましたけど読めました! 勢いで書いたと書いてましたが、引き込まれてました、はじめは後輩士官が隠れ王族とかでライバルになるのかなとかおもったりしてました。 最後はラブラブで、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ