優しい姉と意地悪な妹 ①
宜しければおつきあいください。
「わたしが手元を狂わせただけなのです……ですからガブリエラを怒らないでくださいまし」
胸元に赤いワインのシミを付け、涙を浮かべた姉様が自分の夫に縋っている。
正直、またか、と思っている。周囲がヒソヒソしながらこちらを見ているのに、もう慣れた。
姉様の夫で、私の義兄でもあるフェリクスは綺麗な顔を歪め、責めるような視線を向け、姉様の肩を抱く。それを冷めた目で見返すと目つきが更に鋭くなった。
「どうして、いつもいつもユリアーナに嫌がらせをするんだ。君では無く、ユリアーナを選んだ俺を責めたらいいだろう!」
「フェリクス、止めて……!」
「この場はユリアーナに免じて許そう。だが、屋敷に戻ったら覚えておくんだな!」
捨て台詞を言って、2人が去って行く。
「またヘルトリング姉妹の諍いか……妹も懲りないものだな」
「あら、ユリアーナ様は今はルーデン夫人ですわよ」
「またヘルトリングを名乗るのだから変わらんだろう。姉に婚約者を奪われたとはいえ、恨みすぎじゃないのか?」
「わたくしはガブリエラ様の気持ちが分かりますわ。けれどもうすぐ王太子殿下と婚礼が近いのに大丈夫なのかしらね」
近くで見ていた男女がこれ見よがしに、私に聞こえるように話している。
私は喉が渇いたから飲み物を取りに行っただけだったのに。後から来た姉様が自分の飲み物を取ろうとして、私が持っていたグラスと腕を接触させ胸元を赤ワインで汚したのだ。
つまり事故。わざとじゃない。
説明した所で姉夫婦は帰ってしまったし、自分の評判の為に言い訳していると思われるだけ。悔しいけれど、逃げたもの勝ちだ。
突き刺さる視線が痛くて、帰りたいけれど帰れない。今帰れば間違いなく、義兄どころか両親からも何か言われるのが目に見えているから。こんなに気分が悪いのに、更に気分が悪くなる事はしたくない。
私達姉妹は良くも悪くも有名だ。
姉のユリアーナは金の髪に青い目を持つ心優しい聖女のような女性で、妹の私は同じ金の髪に薄い青色の目を持つ冷たい印象を持ち、婚約者を奪った姉に嫌がらせをする意地悪な妹。
婚約者だったフェリクスは私という婚約者がいながら姉に恋心を抱き、最悪な事に孕ませての結婚。代わりに姉が嫁ぐはずだった相手の元へ私が嫁ぐことになった。
誰も顔を知らない王太子の元へ。噂では人前に出られない程の容姿をしている等言われている人だ。
だから尚更元婚約者だったフェリクスに執着し姉を恨んでいる、と認識されている。
いたたまれなくてベランダへ逃げて暫く過ごしてから屋敷に帰れば、フェリクスから話を聞いた両親が起きて待っていた。全く以てご苦労な事だと思う。
姉夫婦も新婚なのだから一時的でも別の屋敷に住んでくれたら良いものを、もうすぐ私が嫁ぐという理由で一緒に住んでいる。だから先に帰ったフェリクスは私より先に両親に伝える事が出来る。私が姉様にワインをかけたと悪し様に言えばどうなるか。
「いい加減にしないか! お前というやつは、まだユリアーナを恨んでいるのか。仕方なかろう、流れてしまったとはいえ、フェリクスとの間に子が出来てしまったのだから」
「別に恨んでなどおりません」
「だったら何故ユリアーナに嫌がらせをする。姉なのだから大切にしないか!」
……だったら私は大切にしなくても良いのかしら。こちらの話を聞くくらいしても良いだろうに。
つばを飛ばしながら注意する父様の顔は赤い。そのうち倒れるんじゃないだろうか。
「そうよ、結婚相手が入れ替わって、美しくない方の元へ嫁ぐのが不満なのはわかるわ。ガブリエラは面食いですものね。でも引きずってはだめよ、彼はユリアーナの夫なのだから」
「わかっております」
「だったらいい加減、聞き分けなさいな」
この後もクドクド小言を言い続け、私の睡眠時間をゴリゴリ削り、終わる頃には夜明け近くなっていた。
仮眠とも言えるような睡眠時間しか無くても、基本的に王妃教育に休みは無い。眠い頭を覚ますために濃い目に淹れて貰ったお茶を飲んで、朝食を食べずに王宮へ向かう。
一室で待っているのは姉様が王妃教育を受けていた頃、たった1日で泣いて逃げたというバルヒェット夫人の厳しい授業だ。私も何度も泣きたくなったけれど、後が無いのが分かっているから必死に食らいついている。
屋敷にいるよりは、ずっとマシ。悪者扱いされるより、自分の悪い所をちゃんと指摘して教えてくれる。ちゃんと出来れば褒めてくれるし、自分の成長を実感できるから。
授業を終えて、気分転換と称して中庭を歩かせてもらう。バルヒェット夫人の教育を受け続けていたら、王妃様がご褒美だと言って中庭を歩き回る許可をくれたのだ。
ある程度奥の方まで歩いて、周囲を見回し誰も居ない事を確かめ、沢山の白い花が咲いている生垣でしゃがんだ。
「ああ、もう本当に腹が立つわ。何で私ばかり悪者なのよ。むしろ酷いことをしているのはフェリクスと姉様の方じゃない。自分達の結婚の正当性のために私を利用して! 姉様だって王妃教育を受けていた癖に、あのタイミングでワインを取ったらぶつかるに決まっているでしょうが! それにさぁ、フェリクスの自分勝手な解釈を、父様と母様に伝えるのも止めて欲しいわ。私が今もフェリクスの事を好きだとか、あり得ないわよ。本当に気持ち悪いんだけど! 姉様を妊娠させた時点で愛情はマイナスよ。いくら顔が良くても、無い無い。はぁぁぁ? って言いたくなるわよ。もう本当に気持ち悪い。アイツが父様と母様にいちいち告げ口するせいで、姉様に嫉妬しているって思われて、無駄に長時間説教されたじゃないの。どっちが嫌がらせしているんだか!」
薔薇の生垣に向かって不平不満を愚痴り、息切れを起こす。
本当に王妃様には感謝している。王族以外入ってこれない中庭の出入りを許可してくれたのだから。誰にも明かせない不平不満を、こっそりここで発散させてもらっている。
お陰でいつも私が愚痴を聞かせている生垣だけ花が満開だった。
植物に話しかけると、よく育つというし、互いに良い関係だと思う。
「愚痴はおしまい。ああ、スッキリした」
そしてまたブラブラ庭の中を歩き回って屋敷へ帰った。これが王妃教育を受けに王宮へ行った時の私のルーティンだった。
「お帰り! 疲れたでしょ? ガブリエラの為にお菓子を作って待っていたの」
馬車の音を聞きつけた姉様が玄関まで走ってきて出迎える。一気に疲れがぶり返してきた。
断れば落ち込んで、フェリクスに泣きつく、それから父様と母様が知って、私が責められる。
「そうですか。では、頂きます」
面倒臭い展開を想像し、諦めの気持ちで姉様の誘いを受けた。
時間的にもう少し経てば夕食の時間だ。小腹が空いているけれど、我慢できない訳では無い。出来る事なら空腹の状態で美味しく食事したい。
婚礼を挙げるまで、あと2ヵ月を切った辺りから姉様は王宮から戻った私をお茶に誘う。甘いお菓子も用意して待っている。
大抵1口サイズの小さなお菓子で、2つくらい摘まんでいれば良かった。
でも今回は自分でチーズケーキを焼いたという。不安しか無い。
姉様と共に食堂に入ってテーブルに着くと、温かいお茶とベイクドチーズケーキがすかさず出てきた。
これは食べられる物なのかしら……。
チーズケーキを乗せた皿を置いたメイドをチラッと見たら目を逸らされた。味は保証できないというやつだ。
表面は良い焼き色を付けていて、見た目は美味しそう。
フォークで小さく分けて口に運んで、思わず吐き出しそうになった。驚くほど甘すぎる。心なしか砂糖がジャリジャリしている気がする。
「どうかな? 美味しい?」
「これは、シェフの指導の元に作られたのですか?」
「ううん。本に書いてあったのを見て作ってみたの。焼くのはシェフだったけど。危ないからって」
お茶の入ったカップを持ちながら、姉様が微笑む。よく見れば姉様の前にチーズケーキの皿は無かった。
「姉様は食べないのですか? 私の為に作って待っていてくれたのでしょう?」
「わたしは良いの。作っているうちに匂いでお腹いっぱいになっちゃって。沢山あるから遠慮せず食べてね! 疲れているときは甘いものが一番ですもの」
1口目を口にしただけで、お茶がとても進む。2杯目をおかわりし、2口目は1口目より、もっと小さく分けて口に運んだ。それでも、かなり甘い。
3口目は流石に口に運べなかった。2口でお茶2杯。もうお腹がいっぱい。
「もう食べないの?」
「すみません、姉様。もうすぐ夕食ですし……このケーキ、父様達には?」
「ううん、まだ」
「でしたら、父様達に振舞ってみてはいかがですか? お仕事で私よりお疲れでしょうし、きっと大喜びしてくださいますよ。姉様の手作りですから」
「そうね! そうするわ!」
「私も残りは後で頂きます。今日出された宿題があるので、その時にでも」
姉様は嬉しそうに何度も頷いた。
夕食はメイドに言って量を減らしてもらい、私以外が楽しそうに談笑している中、無心で胃に収めていく。姉様がお菓子を作ったから食べて欲しいと言えば、彼等は喜んでいた。
あれを食べた時の彼等の反応を見たいところだけれど、王妃教育で出された課題を明日までに片付けなければならず、早々に食堂を辞した。
残しておいたチーズケーキは、私の部屋にメイドが持ってきたけれど手を付けなかった。課題に集中していたせいで忘れていたと伝えたら、メイドは黙って皿を下げた。
2話目は17時頃にUP