僕が旅に出る理由
夜が明ける少し前が一番暗いってのは本当のことらしい。
僕の立っているこの場所は薄暗く足元が覚束ない。よくこんなトコロに半年も居続けられたなって自分でも感心する。
僕が旅立つことを決めたのは、まだ見ぬ何かを見てみたいと思ったから。
近所のお爺さんお婆さんには昨日のうちに挨拶を済ませた。
もちろん出ていくことは言ってない。
引き留める人は誰もいないと思うけど、彼らに淋しい思いをさせるのは気の毒だったし。
夜明け前にココを出ようと決めたのは、誰にも会いたくなかったから。会うことで僕自身が揺らぐのが怖かったから。
僕はココのことなら大体は知っている。この世界も僕のことを全てお見通し。
僕が生まれる前からこの世界は存在し、僕がココから去っても存在し続ける。まるで僕がいなくなったことに気付いていないかのように。いつか僕が戻ってくると知っているかのように。
僕が旅に出る理由。きっとココから逃げたくなったから。
窓の外は雪が積もってるみたいだ。冷え込みも相当厳しい。
僕はベッドサイドの机の抽斗に手を伸ばして煙草を取りだし、一本をくわえて火をつける。
吐きだした煙は真っ直ぐ上へ延び、やがて天井の色と同化する。半年前に1カートン買ったタバコも、ここにあるのが最後の一箱。
僕が旅に出る理由。タバコが全て灰に変わってしまったから。
身支度を調え、部屋の扉を開く。
まだ日の出ていない外の風景は、幻想的な銀世界。凍てついた空気が僕を怯ませ、ココに留まるよう強く迫る。僕の決断をあざ笑うかのように。
僕は目を瞑り、それを振り切って足を踏み出す。
勇気を持って踏み出した一歩はやがて新雪を踏みしめる心地よさに変わり、気が付くと最果ての橋に辿り着いていた。
静かに後ろを振り返る。
通ってきた足跡は自信なさげに蛇行している。
そこに刻まれた浅く薄い、今にも消えてしまいそうな轍。
まるで僕という人間が辿ってきた『ドラマのない年表』を見せつけられたようで苦笑いが滲む。そして少し凹む。
僕らが生まれたときに、握りしめていた真っ白な地図。
僕と同じ日生まれたアイツは決断し、道を切り開き、地図に名前を残した。
そんなものに興味がなかった僕は無関心を決め込み、他人に干渉されず影響も与えない人生を選んだ。
気が付いたときには、真っ白だったはずの地図にはもう僕が書き込むスペースなんて見当たらない。
だから仕方なく、誰かが描いた線の上をトレースする。いつでも書き直せるよう、鉛筆と消しゴムを手にして。決してはみ出すことのないよう細心の注意を払って。
偉大なあの人は『そこに山があるから』と言った。
僕は山に登ると言うこと自体思いつきもしなかった。
偉大なあの人はリンゴが落ちるのを見て何かを悟った。
凡庸な僕は、木の下で落ちてくる果実を待った。ただ空腹を満たす為だけに。
僕の人生が輝かなかった理由。自分を磨くことをサボったから。磨きすぎてメッキが剥がれるのを怖れたから。
だけど僕の行動の全てに理由がある訳じゃない。あったとしても殆どが後付の都合のいい理由なんだ。
今までも、そして多分これからもソレは変わらないのだろう。
今はただ気が向いたから、この橋を渡って向こう側に行ってみようと思っただけ。
「―ってワケで生還ってきたんだけどさ……信じねえだろ?」
妹は黙って頷くと、『花瓶の水を換えてくる』と言って部屋を出て行った。
僕はチューブだらけのカラダを一瞥し、溜息を吐いた。
おそらく医師に相談に行ったのだろう。『アタマを診てやってくれ』と。
半年前のことは、正直あんまり憶えていない。
地面に寝そべった僕の傍らに、グシャグシャになったRZが倒れてて酷く悲しかったってこと。
目に映る夜空には星がきれいだったってこと。
そのあとは、昔聞いた『死んだら星になる』って話を思い出し、きっと僕は『星』になるんだろうと漠然と考え……
僕がこっちに戻された本当の理由。……多分、星になるには輝きが足りなかったから。きっと神様から課せられた『追試』なんだろう。