そして少女は聖女の意味を知る
流血表現あり。
途中から第三者視点に変化。
「今ここでティアリークとの婚約を破棄し、真なる聖女であるアリアンナとの婚約を宣言する」
国王陛下がいらっしゃらない卒業式の場で、トリオン様が私に向かってそう宣言します。
その隣には、小柄でふわふわしたという表現がぴったりの女生徒が寄り添っていました。
茶色の髪は柔らかく、困ったように垂れた目、甘えた仕草は殿方の庇護欲をかき立てるようです。
「そのお話はこの場でしなければならないのでしょうか?
そもそも、国王陛下に許可はございますか?」
私――ティアリークとこの国の第二王子であるトリオン様との婚約は、政略結婚にすぎません。
国の未来を考えて、陛下と父が結んだ契約。いわば王命です。
侯爵家の娘である私はもちろん、例え王子といえど本来は破棄することは出来ないでしょう。
それがわかっているからこそ、国王陛下の居ないこの場での宣言なのだと思います。
卒業式ということは、貴族の子女が大勢います。彼らの親――当主も居ることでしょう。そこから噂が広まれば、婚約破棄は公然の事実となるものです。
それにトリオン様は王族ですから、トリオン様が公で行った発言が嘘だったとなれば、王家の威信に関わります。
今すぐ撤回すれば、何とか冗談で済まされるかもしれません。
ですがこうやって宣言してしまった以上、どう転んでもトリオン様の醜聞にもなるのではないでしょうか。
そもそも婚約破棄をできるだけの理由はないはずです。しかしトリオン様は勝ち誇ったような表情を私を見ていました。
「許可はないが、そもそもそちらが契約を違反しているのだから問題はない。父上も認めてくれるだろう」
「私は契約違反などしておりませんが」
「この婚約は聖女と俺の婚約だ。だが、ティアリーク。お前は聖女ではない。
聖女だというのであれば、この場でその証拠を見せてもらおうか」
気分がいいのか高らかにトリオン様が私に指示を出します。
ああ……終ぞこの方は私のことを理解してくれなかったのですか。陛下が説明してくださったはずなのに。
それとも私に死んでほしいのでしょうか。その心の内は分かりません。今わかることと言えば、トリオン様は私が身につけているシルクの手袋を忌々しそうに睨みつけていることくらいでしょうか。
◇
聖女とは人々を癒す存在です。怪我に手を触れることでたちどころに完治させ、病気であれば病魔が去ると言われています。聖女が現れるのは数世代に1度と言われていますので、かなり稀有なものだと言えるでしょう。
それから伝承では、聖女が安らかに過ごした国は、その後大いに繁栄とも言われています。
なぜ過ごしたと聖女が居なくなった後のことを言っているのかは謎でしたが、実際に聖女となった私にはその理由が推測できました。
聖女は力を使う度に体に異常が生じます。使いすぎれば、おそらく死んでしまうのでしょう。
どんな病も治す聖女が安らかに過ごせたということは、それだけ力を使う必要がなかったということですから、国が平和だったのだと推測できます。
だからこそ、聖女が亡くなったあとも平和であり続けたのだと思います。
さて私が聖女だと発覚したのは、幼い頃にトリオン様のけがを治したのがきっかけでした。
父に連れられて初めて王城に入ったときに、木登りをしていたトリオン様――この時はまだ王子だとは知りませんでした――が落ちて骨を折ってしまった場に偶然居合わせたのです。何か出来ないかとトリオン様に触れた時に、その腕がたちどころに治ってしまったのです。
ですがその晩のことです。私は高熱に倒れました。
風邪とは違い寒気などはありません。骨が溶け肉が焼かれるような苦しみが私を襲いました。
死すら想起させる痛みに耐え熱が引いたあと、お医者様に診てもらい異常がないことが確認された時には、私とトリオン様の婚約が決まっていました。
婚約が決まってからは、度々登城しトリオン様とお会いすることを義務付けられました。
それ自体は特に思うところはありませんでしたが、トリオン様はよく私を連れて城を巡られました。
そうして怪我をした人を見つけては、私に力を使わせたのです。
その時に褒められることもありましたし、驚かれたこともありました。
ですが主に私に言っていたのであろう言葉を、トリオン様は自分が誉められているのだと思い気をよくして、なおのこと私を連れ回すようになります。
小さな怪我を1回治した程度では寝込むほど体調を崩すほどはなかったですが、回数が増えれば関係ないようで数日に1度寝込むようになりました。それをトリオン様は病弱だと思っていたようです。
トリオン様だけではなくて、両親も私のことを病弱だと思っていたみたいですが。
その認識が変わったのは、もう何度目になるか分からない熱を出したときでしょうか。
呼ばれた医師が私の体の異常に気が付きました。
曰く心音が明らかに小さくなっているのだとか。このままだと命に関わるだろうとも言われました。
それでも異常という異常はみられず、ようやく聖女の力と体調不良の関係に気が付いたのです。
そして陛下に「トリオン様が私に力を使わせるのをやめさせてほしい」と嘆願し、その願いは無事に通ることになりました。
国としても聖女を失うことは避けたかったのでしょう。
それに王妃殿下が急病の時にも、聖女の力で助けたことがあったので、気に入られていたのだとも思います。
しかしトリオン様は気に入らなかったらしく――私の力を自分のものだと勘違いしていたのでしょう――、ある日陛下に内緒でけが人を集め私に全員治させました。
一介の令嬢ごときが王族の命に逆らえるわけがありませんので、全員治した私はその日の晩から数日寝込むことになりました。
治すときに「俺の為に誰かを治し続けるのがティアの仕事だ、それだけしておけばいい」そう言われた私は、トリオン様に歩み寄ることを止めました。
トリオン様が何処まで聖女について理解していたのかは分かりませんが、この言葉は私には「俺に利用されるだけされて死ね」と言われているように感じたからです。
◇
数日経って目が覚めたとき、両親は安心したような顔で私を抱きしめてくれました。
私が生きていてくれたことを喜んでくれました。
同時にトリオン様との婚約を認めてしまったことを謝りました。
それは確かに親子の愛を感じるもので尊いものでしたが、私には時間が残されていないことも分かりました。
心音がほとんど聞こえないほどになっていたのです。それに伴って、体温も低くなっているようでした。
当然お医者様もこんな症状は知りません。ですがあと1度でも聖女の力を使ってしまえば、心臓が止まってしまうだろうと判断されました。
その日から私は誤って誰かを治してしまわないように、手袋をつけるようになりました。
どのような場であっても手袋をし続けると、例え婚約者が相手でも外さなくて良いと、陛下からの承諾も得たのです。
だけれどトリオン様は気に入らなかったようです。
と言うのも、こっそりと私に力を使わせたことを陛下に怒られ、それが私のせいだと思いこんでいました。
おかげで私を連れ回すことはなくなりましたが、今度は手袋に文句を言い始めました。
王子で婚約者の自分の前で手袋を付けたままなど認めないと、礼儀がなっていない、常識知らずと会う度に罵られるのは、幼心に大変傷ついたのを覚えています。
そのうちに私の王子妃教育が始まり、学校に通うようになり、卒業式を向かえました。
◇
「聖女の力を見せるには、怪我人が必要だな。
だからこちらで用意してやった。お前が聖女だと証明できるようにやってやったんだから感謝しろよ」
力も何も今までトリオン様の指示で何人治してきたと思っているのでしょうか。何年も前の出来事だからだと忘れたのか、力がなくなったと考えているのかもしれません。
陛下のお子なのに、どうしてこんなに愚かなのでしょうか。
「力を見せられなければ、王族を騙したとしてその首を跳ねる」
「つまり殿下は私に死ねとおっしゃいますのね」
「お前が本物の聖女であれば問題ない話だ」
トリオン様以外にも私の力を知るものはいるはずですが、手回しくらいはしているのでしょう。
思えば私はトリオン様の息がかかった人しか治してこなかったわけです。
それにしても、私があと1度力を使えば死ぬと言うことは知らないのでしょうか。
それとも私が死ぬかもしれないことを、本気にしていないのかもしれません。死んでも良いと思っているのかもしれません。
やはり私の力は失われてもう聖女ではないと認識している、というのが最有力でしょうか。
どちらを選んでも、私は死んでしまうでしょう。なんだかもう疲れてしまいました。
そう思っていたのに、目の前に連れてこられたボロボロの人物を見た瞬間、胸が締め付けられました。
「お父様!」
今まで私を支えてくれていたはずのお父様。
今日も城で仕事をしているはずでした。今朝卒業式にいけないことを申し訳なさそうにしたはずなのにどうして……。
私が父に近寄るのを、殿下は嘲笑しながら見てきます。
「娘を聖女と偽り王家に近づこうとした罪人だ。生きているだけましだと思うがな」
「お父様を治せばいいんですね。分かりました」
兵士に両手を捕まれ、力なくうなだれている父を見ているのがつらく、雫が床に落ちました。
私がいたから父はこうなってしまったのでしょうか。
私が聖女でなければ、こんな状況にはなっていないのでしょうか。
「ティア、やめなさい」
手袋を外した私に、父はそれだけ話すとせき込みます。
そんな姿を見ていられなくて、その顔にそっと手を添えました。
父の傷が見る間に治っていき、周囲からは息をのむような音が聞こえてきます。
父は大きく目を見開いて「なんてことを……」と涙を流しました。
私は首を振って、じっと父の目を見ます。
「良いんです。お父様を治さなければ、トリオン様は私の首を落とすとおっしゃいましたから。
どちらにしても、私は消える定めなのです」
私の言葉を聞いて、父がトリオン殿下を睨みつけます。
相手は王族。そのようなことをするのは褒められたことではありませんが、私のためにと思うとすこし心が温かくなります。
殿下は悔しそうに歯噛みしていましたが、父に気が付いたのか怯えるように目線を逸らしました。
父の傷が完治した時、私はすべて理解しました。
どうして聖女が安らかに過ごした国が栄えるのか。
聖女が安らかに過ごせなかった国がどうなるのか。
すべてすべて。
私の中のまだ人だった部分が置き換わる。
体を巡っていた血はなくなり、心臓は鼓動を止めた。
それから私の身体は光に溶けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「面を上げよ。トリオンよ、何か申し開きはあるか?」
ティアリークの消滅後数日。謁見の間にて玉座に国王が座り、隣に王妃が座っている前に、トリオン第二王子が跪いている。
他に人はいないが親子の会話ではなく、王と臣下のやり取りであると言外に示している。
しかしトリオン第二王子は国王を親を見るような目で見ると、はっきりとした口調で話し始めた。
「ティアリークは俺の婚約者にふさわしくありません。
アリアンナこそが真の聖女であり、俺の婚約者にふさわしいのです」
「だからルーランシア侯爵らに冤罪をかけたと」
「いえ父上。冤罪ではありません。ティアリークはある日を境にその力を使うのを止めました。
自分が聖女ではないとボロが出るのを避けたのでしょう」
「だがお前の目の前で、ルーランシア侯爵の傷を完治させたのではないか?」
「それは……何かの間違いです。そもそも、父上が勝手に決めた婚約ではないですか!」
公の場とは思えないトリオンの言葉に、国王がこめかみを押さえる。
大きなため息をつく横で、王妃が扇子で顔を隠しその向こうは怒りで赤く染まっていた。
その王妃が我慢の限界とばかりに声を荒げる。
「恥を知りなさい。ティアリークを婚約者に決めたのは、貴方ではないですか」
「……は?」
「何を呆けた顔を。ティアリークが聖女だとわかり王家に嫁いでもらおうとしていた時に、手をあげたのが貴方ですよ。自分を治してくれた人なら結婚しても良いと。
確かに貴方は幼かった。だからと言って忘れたとは言わないでしょうね?」
王妃の言葉にトリオンが必死に頭を働かせる。
そうして思い至った。幼き頃に確かにティアリークを婚約者にしようと手を挙げたことを。
「ですが、こちらが婚約者にしてやったと言うのに、ティアリークは力を使おうとしないどころか、手袋すら外さなかったのです。
これは婚約者としての礼儀を守っていないのではないですか?」
「ええ、ええ。わかりました。トリオン。貴方の耳は貴方に都合がいいことしか聞こえないようですね? それなら話すだけ無意味ですが聞きなさい。
ティアリークを聖女だと認定したのも、力を使わずとも良いとしたのも、手袋を常に身に着けていて良いと言ったのも、すべて国王です。第二王子ごときがその決定に異を唱えるというのですか?」
「……それです。どうして、ティアリークばかり特例を認めるのですか」
話を逸らすトリオンに王妃も一瞬言葉を失うが、せめてトリオンが自分がしたことへ反省するようにと言葉を紡ぐ。
「聖女の力は使えば使うほど体を蝕みます。理由は分からず対処のしようがありません。
そして貴方のせいで、すでにティアリークの身体は限界に近かったのです。あと1度、力を使えば死んでしまうと言われていました。
だから、だから許可を出したのです。万が一にも力を使ってしまわないように」
「そんなこと……」
「知らなかったとは言わせません。貴方がティアリークを連れまわす度、ティアリークは体調を崩していました。
聖女の力と体調不良の因果がわかって以降は禁じたはずです。ティアリークに力を使わせないようにと。そうしなければ、ティアリークが消えてしまうからと。
それなのに貴方は禁を破った。その後きつく陛下に言われたことも、忘れてしまった――いえ聞こえていなかったのでしょうね。
ですが事実として、手袋をつけることになったのも、すべて貴方のせいなのです。
それなのに……それなのに……ああ、わたくしはどこで間違ってしまったのでしょう……」
王妃が目頭を押さえさめざめと泣き始めると、トリオンがバツが悪そうにうつむく。
その頭の上に押し付けるように、国王が言葉をかぶせた。
「ティアリーク嬢に力を使わせてはならないというのは王命だ。ティアリーク嬢との婚約もまた然り。
加えてティアリーク嬢とルーランシア侯爵には冤罪をかけたうえ、侯爵には私刑を加えたな。
これだけのことしておいて、よもや何も咎めがないとは思うまい。王子だからと許される範囲はとうに超えておる」
「……」
「それとも何か? 件の令嬢、アリアンナ嬢はルーランシアを排しても手に入れるだけの価値があると?」
「もちろんです父上。この国の王族たる俺の心を癒してくれるアリアンナは、ティアリークなんかよりも優秀です」
「そう言えば、真の聖女などと抜かしておったな」
「はい。俺はアリアンナに癒してもらいましたから」
「確かに真なる聖女を王家に迎えられるなら、一考の余地もあろうよ」
「それでは」
「この場で試してみるしかないな。入って参れ」
国王の良く通る声が壁の向こうの騎士に伝わり、謁見の間への扉が開かれる。
その奥からは、トリオンが焦がれるアリアンナが騎士達に囲まれた状態で入ってきた。
アリアンナはどこか不安そうな顔をしていて、トリオンの少し後ろまでくると跪き頭を垂れる。
「さてアリアンナ・ローラベトン男爵令嬢よ。お主が聖女であること、相違ないな?」
「は、はい。あの、それは……」
「当然です。アリアンナ以外に聖女など考えられません」
直答を許可する前から話し始めたアリアンナに国王夫妻が眉を潜めたが、それを遮って自信たっぷりに話すトリオンを見て言葉を失う。
しかしすぐに再起動し、アリアンナを囲っていた兵士たちに指示を出す。
「では仕方あるまい。準備を」
「はっ」
騎士たちは、迷うことなく行動を始めた。
一人が文句を言うトリオンを捕まえ、一人が布を噛ませ、一人が右腕を固定する。
最後の一人が小さいギロチンのようなものを設置した段階で、トリオンが暴れ出した。
塞がれているため言葉にはなっていないが、むーむーと何かを伝えようとしている。
それを見たアリアンナが口元を押さえ青ざめた。
「聖女というのであれば、即座に傷を治せるのであろう。
だとすれば、腕の一本を切り落とした痛みをけじめとする。聖女の力があればすぐに腕は戻るだろう。
だが聖女ではなかった場合。国王を謀った罪も加えられると心得よ。やれ」
国王の冷徹ともいえる言葉に、アリアンナが何かを話そうとするが、それよりも早くギロチンの刃が落とされた。
ほぼ抵抗なく刃が下まで落ち、先ほどまでトリオンについていた右腕が力なく床に落ちる。
一瞬の静寂。
自分の腕が無くなったと理解したトリオンは、布を噛まされたまま絶叫した。
悲痛な声がアリアンナの耳にも入り、トリオンの腕からあふれる血を見て気絶しそうになる。
そんなアリアンナを国王は表情のない瞳で見つめた。
「聖女ならできるな?」
「……出来ません」
「こ奴らを捕らえよ。トリオンの腕を止血し次第牢に放り込め」
「はっ」
国王の言葉に聡く反応した騎士たちが、てきぱきと働き始める。
その様子を見ながら、国王は深い深いため息をついた。
◆◆◆◆◆◆◆
ティアリークが消えてから数年。ある国で飢饉が続いていた。
数年にわたる大飢饉は人々を死に追いやり、不満は王族へと向かいそうになったが、王族が私財を投げうち支援したことで小康状態に入る。
その国の第二王子だったトリオンは片腕を失ったまま、妻となったアリアンナと南の領地へと追いやられた。臣籍降下し男爵の地位となったトリオンは、寒さ厳しい南の領地に閉じ込められ、飢饉にもかかわらずわがままに過ごした結果、反乱に遭いアリアンナとともにむごたらしい最期を迎えたらしい。
国全体が危機に陥っている中で、ルーランシアだけが栄えることとなった。
他の諸侯から疎まれ包囲されたものの、不思議な力によりルーランシアには攻め込めず、ついに王都よりも栄えるとまで言われるようになる。
そして事情を知るものは、この大飢饉をティアリークの呪いだと言い、逆にルーランシアの栄華をティアリークの祝福だと言うようになった。
その話が事実か確かめるすべはないが、ルーランシアが隣の国に鞍替えした際、元の国は滅亡し、新たな国は大いに栄えたという。