冥界の亡霊
――ここは、幻想郷の隣にある冥界。輪廻転生あるいは成仏を待つあらゆる霊たちが集まる場所。生きた植物の隣に植物の霊が並んでいる様子が拝めるのはここくらいだろう。そこらじゅうに霊魂とおぼしき半透明の白い人魂状の物体が飛び回っている。そんな現世とは大きく異なる世界に馴染んでいる日本風の屋敷が一軒建っていた。その屋敷の名は白玉楼。冥界の管理を請け負う『西行寺幽々子』が主人を務める立派な庭園を持つ屋敷である。
「どうされたのですか、幽々子様?」
白玉楼の縁側に立ち、虚空を見つめる西行寺幽々子に尋ねたのは、白玉楼の剣術指南役兼庭師の『魂魄妖夢』だ。まだ、あどけなさが残る少女のような容姿をしているが、齢は50をとうに超えている。彼女は人間ではない。半人半霊と呼ばれる特異な種族である。文字通り、彼女がは半分人と半分霊で構成されているのである。人部分は少女として存在し、霊部分は他の霊魂がそうであるように半透明の白い人魂状で浮かんでいた。
妖夢に尋ねられた幽々子はわずかに口角を上げながら座敷に位置する妖夢に振り返る。その容貌は人とは思えぬ程に整っており、品のある妖艶さを醸し出していた。事実、彼女は人ではない。亡霊なのだ。西行寺家の箱入り娘として生まれ死んで、以降千年を越える長い年月を白玉楼の主人として生きてきた。
「……どうやら、幻想郷で良くないことが起こっているようね。博麗大結界が緩み始めている。……いえ、既に緩んでいるかもしれないわね」
「博麗大結界……。八雲紫様が管理をされている外の世界と幻想郷を分かつ結界のことですね? もしや、紫様の身に何か……?」
「……そうね。得体の知れない者が幻想郷に侵入してきているみたい」
「ならば、助太刀に行かなくては!」
走り出そうとする妖夢だったが、幽々子に首根っこを掴まれ止められた。
「あいたたた!? 何するんですか、幽々子様!?」
「落ち着きなさい。紫は私たちの助けを求めてない。少なくとも、今のところは……。あなたが今やるべきことをやりなさい」
「今、やるべきこと?」
「ええ」
「幽々子様のご友人である紫様の助太刀以上に大切なことがあるのですか……?」
「おなかへっちゃった」
西行寺幽々子は舌を出しながら茶目っ気のあるウインクを妖夢に送る。妖夢は虚を突かれたように口を大きく開ける。
「ほ、本気でおっしゃてるんですか? お食事を用意しろと!?」
「ええ。腹が減っては戦はできぬというじゃない」
「まったく呆れました。食い意地の張ってるお方とは思いましたが……、ご友人の危機だというのに緊張感が欠け過ぎです!」
などと言いつつも妖夢は台所へと足を運んだ。自分の主人が言い出したら聞かないことはよく理解しているからだ。そして、幽々子が冗談を言う時は大抵何かを隠している時だということも知っている。白玉楼を動いてはならない理由があるのだろうと妖夢は幽々子の言動から推し測った。妖夢が消えると、幽々子は再び庭の方を向き、虚空を見つめた。
「これでいいんでしょ。今から冥界で何か起こるのね? だから、あなたは私たちに助けを求めなかった。『ここを守れ』、そうでしょう、紫?」
西行寺幽々子は虚空へ尋ねた。もちろん返事が来ることはないとわかった上で……。




