無言の肯定
翌朝、魔理沙とアリスは寺子屋から出発しようとしていた。
「次はないぞ? 今度無断で入り込んだら時間無制限で説教だ」
「泊めていただいてありがとうございました……。今日は家に帰りたいと思います」
「当たり前だ! 親御さんが心配しているだろうからな! 二度と家出なんてするんじゃないぞ!」
アリスと魔理沙は慧音に家出をしていて行くところがなく、仕方なしに空家だと思っていた寺子屋に入ったのだと説明していた。どうにもこの慧音という女性は人を信じやすいらしく、アリスと魔理沙の説明に特に疑いを持つこともなく納得している様子である。もっとも、実際に魔理沙は家出をしているので、全く嘘という訳でもないのだが……真実を告げていないことに変わりはない。
「特にそちらの小さな娘! 寺子屋が完成した暁には通うといい。私が直々に教育し直してやるからな!」
「ち、小さな娘って私のことか、なんだぜ!?」
「それ以外に誰がいるんだ?」
「私はもうこどもじゃないんだ! 仲良くお勉強なんて冗談じゃないんだぜ!」
魔理沙はどこに向かうでもなく、駆けだした。アリスは慧音に頭を下げると魔理沙を追い駆ける。
「やれやれ、本当にまだこどもじゃないか。また家出しそうだな。あの子は」
走り去る二人が視界から消えるのを見届けながら、慧音は苦笑いを浮かべていた。
「こら! ちゃんと挨拶しなきゃダメじゃない!」
「だって、こども扱いなんて絶対イヤなんだぜ?」
「ったく……。それでも少しは落ち着いた行動をしなさいよ。あれじゃ失礼なだけよ!」
アリスは魔理沙に追い付くと幼い妹を躾けるように諭した。
「……それじゃ、私は家に帰らせてもらうわよ」
「え、訓練には付き合ってくれないのかよ?」
「人里まで送るって約束は果たしたんだからもういいでしょ? 森で襲って来た妙な連中がうろうろしてるんだとしたら、家を守らないとね。私の洋館にはそれなりに上質なマジックアイテムが置いてあるんだから。あんな奴らに盗られたらたまらないし。訓練なら一人でできるでしょ?」
魔理沙がアリスにお願いしてまで人里におくってもらった理由は、安全な場所でマジックアイテムを用いた戦闘に備えて訓練を行うためだ。今の魔法が使えない魔理沙では魔法の森での訓練は危険が伴う。その辺の低級妖怪相手にも後れを取られかねないからだ。人里ならば、もし老婆たち魔女集団が手を出してきても、紫や霊夢といった手練たちがすぐに対応をするだろう。
「それに……、あんたのお父さんと仲直りする良い機会じゃないの。二日連続で人さまの家に住居侵入するわけにもいかないでしょ?」
アリスはいたずらな笑みを浮かべると、空を飛んで魔法の森へと去って行った。
「こーりんもアリスも……余計なお世話なんだぜ……!」
魔理沙は言葉を吐き捨てると、まずは情報収集のため人里の商店があつまる区域へと足を向かわせるのだった。
魔理沙は人里の商業区域に足を伸ばすと、さっそく街行く中年女に声をかけた。
「なあ、おばちゃん! 最近人里で妙な連中を見なかったか? 私みたいに魔女の格好をした連中なんだけど……」
「さあ、見ないわねぇ。お穣ちゃんみたいな目立つ格好してる人が何人もいたら噂になってると思うしねぇ……」
「じゃあ、この前水晶を売ってた婆さんはアレから来た?」
「いや、あれっきり見ないねぇ……。そうそう、水晶で思い出した。例の水晶を博麗の巫女が回収してまわってるんだよ。私は渡さなかったんだけどね。結構しつこく渡すように言われたから失くしたって嘘ついて帰ってもらったよ。なんか危険らしいんだけど、あんな便利な物を取られるわけにはいかないからねぇ」
「霊夢が水晶の回収を……」
『そりゃ当然か』と胸中で魔理沙は頷く。運を奪う水晶を放っておく道理はない。回収するのは当たり前だろう。しかし、あまり順調ではないようだ。人里の民からすれば便利アイテムを奪われることになるのだから、頑固に渡さない者や嘘を吐いて白を切るものも出るだろう。この中年女の言うことから察するに、回収の理由は最低限しか話していないらしい。いたずらに人々を不安にさせることを霊夢は避けたのだろう。人里の人間の大きな心情変化はそのまま幻想郷の異変のトリガーとなりかねないからだ。
「でも、もうちょっと上手くやれたと思うんだぜ?」
中年女と別れた魔理沙は霊夢の不器用な交渉術に少し呆れていた。半ば強引に水晶を回収しようとして断られて失敗する霊夢が魔理沙の脳裏に浮かぶ。
「霊夢に魔法が使えないことを八つ当たりしちゃったからな……。今度会ったらお詫びに水晶の回収を手伝ってやるか。とりあえず、まだ人里に魔女集団は手を出していないらしいからな。今の内に郊外でマジックアイテムの特訓なんだぜ!」
魔理沙はもう「運」がないことに対する劣等感を心の中から消去していた。魔理沙は良くも悪くも切り替えが早い。そうでなければ、強大な妖怪たち、ましてや霊夢の実力に辿り着くことなどできない。魔理沙は無自覚ではあるが、強者のメンタリティを身に着けていた。
人里郊外でマジックアイテムの特訓をして数時間、既に魔理沙は戦闘時の攻撃方法、防御方法、退避方法のパターンを数個ずつ手にするに到った。霊夢と比べれば大きく実力が劣る魔理沙だが、その戦闘センスや身体能力は同年代の一般的な少女を比べれば、数段上をゆく。常人ならば何日もかかるであろう戦闘術の考案、取得を半日で終わらせてしまっていた。
申の刻を過ぎた頃、戦闘パターンの習得にひと段落着いた魔理沙はふうと息を吐き、独り言を呟く。
「……わがまま言ってられないか。今日のところはクソ親父に頭下げて泊めてもらうか」
魔理沙は人里にある実家、霧雨道具店に向かう。どうにも気分が乗らない魔理沙はわざと回り道をしながら、歩き続ける。人里はいつもの日常を送っており、平和そのものだった。こんな平穏の影で幻想郷の運が奪われているとは当事者の魔理沙でさえ信じられない。回り道し続けた魔理沙だが、とうとう家の前に辿り着いてしまった。
「霊夢!?」
魔理沙の実家の前では霊夢が壁を背もたれにして寄りかかるように立っていた。
「魔理沙、あんた今までどこ行ってたのよ!? 魔法の森の家にもいないし……私がどんだけ……」
「心配してくれたのか?」
「し、心配なんてするわけないでしょ!? あのまま死なれたら目覚めが悪いからよ!」
霊夢の目の下には隈ができていた。どうやら、寝ずに魔理沙の捜索をしていたらしい。
「ま、何にしてもサンキューなんだぜ。お詫びに水晶の回収を手伝ってやるからさ」
「私が水晶を回収してること知ってたのね……」
「まあな。でも上手くいってなさそうだな。私が知恵を貸してやるぜ?」
霊夢と魔理沙が会話をしていると、霧雨家の扉が開く。中から出てきたのは筋骨隆々の大男。還暦付近を迎えているであろう魔理沙の父親である。
「言った通りだろう。博麗の巫女さん。このガキはそう簡単にはくたばらねえよ」
「親父……」
「このはねっ返り娘が迷惑をかけやがって! ……魔法使いになるのはあきらめたか?」
「誰があきらめるか、なんだぜ! ……なんで親父は私が魔法使いになるのをそこまで反対するんだよ? いつも一言目には『お前に魔法なんて無理だ』なんて言うんだ! ……親父、もしかして……私が『運』を持ってないことを知ってたのか!?」
「…………」
父親の沈黙は魔理沙の意見を肯定するには十分だった。そして、魔理沙の脳裏にはもう一つの事実が頭に浮かんでくる。
「……ま、まさか、母さんも……? 母さんも私が『運』を持ってないって知ってたのか!?」
「…………」
父親は沈黙を続ける。魔理沙は信じたくなかった。魔理沙の母親『理沙』は魔理沙が幼いころに亡くなっている。強面の父親が苦手だった魔理沙はいつも病弱な母親にべったりだった。ベッドの上で過ごす母親のそばで魔理沙は励ますようにいつも寄り添っていた。
『わたし、おおきくなったら、すごいまほうつかいになるんだ!』と魔理沙は母親に自分の夢を語っていた。理沙も『魔理沙ならきっと凄い魔法使いになれるわよ。博麗の巫女さんのお墨付きだもの』と答えてくれていた。だからこそ、今も魔理沙はその言葉と向きあい魔法使いを目指している。しかし、もし理沙も魔理沙の『運』がないことに気付いていたのだとしたら……、彼女が魔理沙にかけていた言葉は嘘だったことになる。魔理沙は裏切りにあったような気持ちだった。
「母さん、なんで……」
「……なんで魔理沙ちゃんを連れて逃げてくれなかったんですか……?」
魔理沙の小声をかき消すように、女性が現れる。女性の声は魔理沙の母親とそっくりだった。
「おばさん……?」
「あんた、何しに来たの!?」と霊夢が叫ぶが、魔理沙の母親にそっくりの女性マリーは霊夢の問いに答えることなく、魔理沙の父親に話続ける。
「私の忠告を聞いてこの幻想郷というコミュニティから逃げていれば、お母様に見つかることはなかったのに……。もう手遅れです。お母様に見つかってしまった以上、あなたも魔理沙ちゃんも助かりません。残念です……」
マリーは木で出来た指揮棒のような杖を取りだし、魔理沙たち三人に向ける。
「マリー、貴様は下がっておれ。わしが直々に片づける」
ビリビリとしたプレッシャーが魔理沙たちを襲う。魔女集団のボス、背の低い老婆が現れたのだ。
「残りカスの処理を邪魔した連中は一人残らず始末してやるぞ? 覚悟するんじゃな」




