失われた大腿
◇◆◇
「さぁ、始めましょうか。スキマ女同士のキャットファイトを……!」
八雲紫は鉄扇で歪めた口元を隠す。
「キャットファイトじゃと? 下衆な人間の女どもが醜く肉弾戦を行うアレのことか……。……始祖の人間であり、始祖の魔女であるワシに対するその申し出……。最大限の侮辱じゃな」
「偉大な魔法使い様にはちょっと野蛮かしら? それとも自信がないのかしら?」
「少しばかり有利な環境になったぐらいで調子に乗るなよ。小娘!」
テネブリスは懐から短い木杭を取り出す。武器として使うつもりのようだ。
「魔法が使えない状況で杖……。まあそうよね。ないよりマシですものね。でも無意味よ」
杖で殴りかかってくるテネブリス。間合いは数メートル程度か。だが紫に焦りの表情はない。紫はスキマを展開する。そして、スキマの中を切り込むように閉じた鉄扇を振るったのだ。
「うぐぅうううううう!?」
リリスの唸り声にも似た悲鳴が空間にこだまする。テネブリス近くに顕現したスキマの出口。そこからのぞいた紫の鉄扇がテネブリスの腕を打ち抜いたのだ。肉が弾け、若返った白肌の腕が赤く染まる。
「さすがの始祖様も魔法が使えなければ、ただの人間ね」
「小娘めぇええええええええ……!!」
魔法を失ったテネブリスの耐久力はガクンと落ちていた。妖怪である紫との体躯の差は明らかであった。もっともいかに弱体化したとはいえ、始祖の人間たるテネブリスの強度は普通の人間のはるか上を行く。紫の鉄扇を受けてなお、腕が原型をとどめているのがその証拠である。
「悪いけど、死ぬまで嬲らせてもらうわ。貴方は危険すぎる。幻想郷にとっても、……この世界にとっても」
スキマ世界における瞬間移動。圧倒的優位なポジションを得た紫は、リリスを屠らんと鉄扇を掲げ、振り下ろす。幻想郷の大賢者と神の子の衝突。そんなビッグマッチにそぐわない泥臭い展開が宇宙の狭間で繰り広げられた。
紫が誘った魔法が使えない空間。そのような特殊状況下にあっても時空間座標を正確に捉えて瞬間移動する紫を前に、リリスはなす術なくやられるしかなかった。
スキマで距離を取ってテネブリスに攻撃してくる八雲紫。なんとか攻撃を振り切り、テネブリスが反撃しようとしたその時には、紫はスキマに入り込み眼前から消えているのだ。……一方的なタコ殴りである。紫の一方的な虐殺を遠目で見学する魔理沙は、わずかな安堵を覚えつつ、冷や汗交じりの微笑を浮かべる。
「ま、まさか肉弾戦になるとはな。想像外だったんだぜ。でも、紫が勝ちそうで良かったんだぜ」
ダメージを喰らい続け、ついには白目を剥き始めたリリスの哀れな姿が魔理沙の視界に入る。
「……でもなんか不気味なんだぜ。このまま本当に終われるのか?」
……紫は容赦がなかった。リリスを鉄扇で殴り続ける。腕の骨が折れても、頭蓋骨が変形しても、体中の肉が抉れても……。常人ならばとっくに死んでいるはずの攻撃。事実リリスも既に意識が朦朧としている。周囲にはリリスの血肉が飛び散っていた。
……しかし、いくら紫が殴ってもリリスは死ななかった。
(な、なによこいつ!? な、なんで死なないの!? もうとっくに生命停止するのに十分な攻撃は加えたのに……! いくらこいつが神の子だといっても所詮は人間のはず。それなのに!?)
紫は動揺した。その隙を無意識のリリスが突く。
「あぁあああああああああああ…………!」
リリスは紫のすねに無意識に噛みついていた。噛みつかれた皮膚から血が滴る。痛みに顔を歪めながらも、紫はリリスの顔面を蹴飛ばして顎を強引に引き剥がした。
「な、なによこいつ。どこまでタフなの!?」
得体の知れないしぶとさを見せるテネブリスに対し、恐怖で顔を引きつらせる紫。そんな紫の恐怖を知ってか知らずか、意識朦朧のリリスは立ち上がると、足を引きずりながら紫の方に歩みを進める。
「くっ!? しつこいわね!」
紫は攻撃を再開した。瞬間移動による死角移動からの鉄扇による打撃。紫の一発一発は確実にリリスに命中し、肉を削っていく。次第に骨さえも見えるようになり、ゾンビのごとくボロボロな姿に変貌するリリス。しかし、それでもリリスが死ぬことはなかった。不気味なほどに打たれ強すぎるリリスの姿を見て、紫はひとつの神話を思い出していた。
黄泉の国の話だ。あの神話で伊弉冉の体は醜く腐り果て、蛆も湧いている有様だった。しかし、伊弉冉はそんな姿になっても死んでいなかった。このリリスが紫の世界に伝わる伊弉冉と同一視される存在なのならば、これだけのダメージを負ってなお、生きていることにも納得はいく。
(だとすれば……、コイツはどうすれば殺せるの!?)
紫の脳裏を横切る絶望の思考。その思考に飲み込まれた紫は無意識に体の動きを止めていた。テネブリスはその隙を見逃さない。喉の肉も削られまともな声も出せなくなったテネブリスは雄叫びを上げながら、露出した自身の左腕の骨をボキッと追って取り出すと、それを紫の太腿に突き刺した。熱を帯びたような痛みに紫は顔を顰める。
「紫ぃい!」
二人の戦闘を静観していた魔理沙だったが、紫の危機を前に援軍となるべく走り出す。テネブリスの元まで辿り着いた魔理沙は思い切り彼女を蹴飛ばした。
「大丈夫か、紫!」
「くっ……。まずいわ。テネブリスの骨が私の肉体(リリス因子)を奪おうとしている……! なんて生命力なの。魔理沙、この骨を力づくで引き抜きぬいて!」
「わ、わかったぜ!」
紫の体力は骨に吸い取られているようだった。魔理沙は言われた通りに骨を引き抜こうとするが、
「な、なんだ。全然抜けないんだぜ!? 根っこがしっかり張り付いた樹木みたいだ……!」
魔理沙は躊躇する。無理に引き抜けば紫の太腿の大部分も一緒に取れてしまいそうだった。
「魔理沙、躊躇しないで! これくらいで死ぬことはない……! 思い切り引き抜いて!」
「っ……! 分かった……! うぉおおおおお!」
魔理沙は力の限り骨を引き抜く。紫の肉がちぎれる感触が骨越しに手に伝わる。紫の悲鳴が耳に鳴り響いたが、魔理沙は意を決して骨を引き抜くと地面に放り投げた。骨は紫の肉を吸収し、自分の肉にしていた。ビクビクと痙攣するように跳ねていた。
「なんだよ、アレ……。どこが同じ『人間』なんだよ、あの婆さん……。紫、大丈夫か」
「大丈夫ではないわね。特定の肉体を多く奪われてしまった。この空間をもう維持できそうにない……」
八雲紫の言う通り、彼女が創り出した宇宙の狭間が崩れていく……。完全に崩れ落ち、元の幻想郷に戻ると、その女はとっくに全快していた。
「よくもワシに生き恥を晒させてくれたのう」
テネブリスは怒りの感情を必死に抑えて口角を歪め、余裕を演出していた。額に血管を浮かび上がらせながら……。




