人並み
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魔理沙は意識を取り戻した。視界に入るのは見慣れた森。幻想郷の住人たちが魔法の森と呼ぶその地はじめじめと湿気ていた。お世辞にも寝心地が良いとは言えない苔に覆われた地面から魔理沙は体を起こした。
「う……。夢……か?」
魔理沙は思い出していた。真っ白な空間で母リサと会っていたことを。そして、リサと共に伯母マリーが遠くに行ってしまったことを……。
「はっ!? 紫と伯母さんは!?」
周囲を見やった魔理沙の視界に倒れた二人の姿が写り込む。紫の両足はテネブリスによって、切断されてしまっていた。だが、傷口の出血は収まっている。マリーが回復魔法を使ったのだろう。無事とは言い難いが、呼吸も落ち着いているようで命に別状はなさそうだ。
一方マリーは……。
「おばさん……」
亡骸となったマリーの姿を見た魔理沙は眉間に皺を寄せた。マリーの表情は少し微笑んでいるようにも見えた。……ともに過ごした時間など無かったに等しい。しかし、母親と同じ顔を持つ者に親近感を覚えないわけがない。もっと話を聞きたかった……と魔理沙は思う。ふと胸の辺りに違和感を覚えた魔理沙は視線を落とす。破れた服から覗く胸部にあったのは大きな回復痕であった。テネブリスの魔法によって空けられた風穴を塞ぐものだった。
「そうか。おばさんが治してくれたのか……」
魔理沙は回復痕をさする。すると夢の中で感じたのと同じ暖かな魔力が、魔理沙の内側から溢れ出した。
「こ、これは……。魔力が私の体に循環してる……? テネブリスが幻想郷の運を完全に奪って私には魔力を操るための運がなくなったはずなのに……」
魔理沙ははっと気づく。真っ白な世界でマリーは言っていた。『返せなかったモノ』を返すと……。きっとそれは運だったのだ。リサが奪われた運をマリーは死の際で魔理沙に渡したのである。いや、もしかしたら死と引き換えにすることが運を渡す条件だったのかもしれない。
「おばさん、ありがとう。この運、遠慮なく使わせてもらうんだぜ……!」
胸の前で魔理沙は拳をグッと握り締めた。宿った運は人並みのそれでしかない。魔法使いとして大成するのに必要な質だとは言えないだろう。だが、これから誰よりも諦めないであろう霧雨魔理沙には十分なものになるはずだ。
「……どこまでやれるかわからないけど、アイツを倒す。幻想郷を守るんだぜ、霊夢の代わりに!」
「ほう、なかなかに勇ましい。八雲紫が気に掛けるだけはあるということか」
木陰から現れたのは翁の面で顔を隠した怪しい女だった。
「誰だお前は?」
「敵意を向ける必要はないぞ? 私は八雲紫と同じく幻想郷の賢者を務めている者だ」
「幻想郷の賢者?」
「そうだ。久しぶりに表舞台を覗きに来たが、八雲紫がこれほどの手傷を負う敵がいるとはな。骨が折れそうだ」
「賢者ってことはアンタ強いのか? じゃああの婆さんを倒すのに手を貸してくれよ」
「フフフ」
「なんだよ? 不愉快に笑いやがって」
「甘ったれるな、霧雨魔理沙。我々賢者には幻想郷を守るための役割がある。あの魔女を倒すのはお前『たち』の役目だ」
「ああ? なんだよ偉そうに登場したかと思ったら人任せか? どうやら賢者ってのは大したことないんだな」
「聞かなかったことにしてやる。……お前の親族の亡骸と紫は私に任せておけ。心配するな。悪いようにはせん」
信頼のおけない翁面の女だが、テネブリスを放って置くわけにもいかない。ここは二人の身を預けた方が得策だと魔理沙は結論を出した。
「胡散臭いお面野郎だが、緊急事態だから信じてやる。でもなんか悪い事したら許さないんだぜ?」
「案ずるな。亡骸はともかく八雲紫にはまだ死んでもらうわけにはいかんのだ。幻想郷のためにな……。そうだ、お前にはこれをくれてやろう。ほれ……」
翁面の女はぽいと何かを魔理沙に投げ渡した。
「おっと。いきなり何するんだ。これは……箒か」
「そうだ。魔法使いと言えば箒だろう? 餞別だ受け取れ」
「言っとくが、こんなもんもらったからって信用度は増えないんだぜ?」
「それは残念だ」
魔理沙はもらった箒に跨ると魔力を込めた。今まで幻想郷の運でしか魔法を発動していなかった魔理沙にとって、自分の運で発動する魔法は不思議な感覚だったが……。
「……箒がまるで自分の体みたいに感じる……。これが自分の運で発動する魔法か……」
「感動している場合か?」
「感動なんてしてねえよ! じゃあな!」
魔理沙はそう言い残してテネブリスがいる人里へ向かって飛び去った。
「ふむ。どうやらあの人間も相当なお人よしだな。どこの馬かも知れん私の名前も聞かずに行ってしまうのだから……」
翁の面を外した摩多羅隠岐奈は静かに口角を上げるのだった。




