向こうの世界
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――見渡す限り真っ白な世界――、霧雨魔理沙は温もりに包まれ横たわっていた。
「あったかい……。ここはどこなんだぜ……?」
次第に記憶を取り戻していく魔理沙。自分がテネブリスとの戦闘で爆炎に巻き込まれたことを思い出す。
「あれからどうなったんだ……? 紫は……? おばさんは……? どうなったんだぜ?」
魔理沙はゆっくりと身体を起こし立ち上がった。視界は変わらずただただ真っ白だった。
「……おいおい、こいつは本当にお陀仏しちまったんじゃないか? ……まだやりたいことたくさんあったんだけどな……。幻想郷も……故郷も、顔見知りのみんなも守りたかったんだぜ。って、魔法が使えない私じゃ無理だったか」
魔理沙はふっと目を瞑る。驚くくらいに冷静だった。そう自分は死んだんだ。魔理沙は直感で理解した。ここは魂だけの世界、浄土へと繋がる回廊。
「ここをまっすぐに進めば天国に行けるのか? ああでもまず閻魔様のところに行くんだったっけ? 地獄行はごめんだぜ」
呟きながら一歩を踏み出そうとした時だ。誰かが魔理沙の手を掴み、歩みを止めさせる。
「……誰?」と魔理沙は振り返った。美しく長い金髪を靡かせた女性が視界に入る。懐かしくて愛おしいその顔の正体に魔理沙はすぐ気付いた。
「あ、あ……」
魔理沙は言葉に詰まる。その双眸から涙が溢れようとしていた。女性は聖母のごとき微笑みを浮かべる。再会を待ち望んでいたのは彼女もまた同じであった。
「母さん……? 母さん!」
魔理沙は反射的に抱き着いた。リサも応えるように抱き締める。魔理沙は「うわあああん」と子供のように泣きじゃくり、母親の白いワンピースで涙を拭った。
「本物?」
確かめるように魔理沙は幼子のように問いかけた。
リサは静かに頷いた。
「私を迎えに来たの……?」
今度は眉間に皺を寄せ静かに首を振った。
「……リサ?」
母親と似た声が魔理沙の耳に入る。声の主はリサの姉であり、魔理沙の伯母であるマリーであった。
「リサ……。ごめんね、私間に合わなくて……」
マリーは膝から崩れ落ち、涙を流す。彼女の元にリサは歩み寄りマリーを抱きしめた。
「ごめんね。本当にごめん……。魔理沙ちゃんにまで辛い思いをさせてしまった……」
謝罪を繰り返すマリーの言葉をリサは黙って受け止めていた。
「……行かなきゃいけないのね?」
マリーは涙を拭いながらリサに訊く。リサはその言葉に呼応するようにマリーの左手を手に取った。
「……魔理沙ちゃん、私達先に逝くわね。……リサに返せなかったもの、貴方に少しだけ、
本当に少しだけど返していくわ」
魔理沙の胸が柔らかい温もりで包まれた。魔理沙の体に懐かしい力が戻ってくる。テネブリスたちが幻想郷から運を奪い取る前に感じた魔力の流れを魔理沙は感じ取っていた。
「これであなたは戻れるわ……。本当はお母様から逃げて欲しいのだけど……、きっと貴方は立ち向かうのでしょうね。リサの娘だもの……」
マリーは少し困ったような表情で口角を歪める。言っても聞かないだろうことは分かっていたからだ。勇敢な妹の魂を受け継いだこの娘が引くことはないことを。
マリーとリサは魔理沙に背を向けると、互いに手を取り合い歩みを始める。この世ではないところへ向かおうとしていることは明らかであった。魔理沙は思わず呼び止める。
「待ってよ、母さん! なんで何も喋ってくれないの!? もっと母さんのこと教えてよ!」
リサは何も言わず、歩みを止めようとしなかった。だから魔理沙は大声で叫んだ。
「親父から聞いたんだぜ! 母さんホントはお淑やかじゃないんだって!」
魔理沙の言葉を聞いたリサはピタッと足を止めると、ぼりぼりと後頭部を掻いた。
「ちぇー。何だよ、おっさんの奴魔理沙に喋りやがったのか。ここは無言で退場して、魔理沙の思い出の中で聖母のようなお母さんのイメージでいたかったのに……」
言いながらリサは魔理沙の方に振り返る。
「……魔理沙、大きくなったな。霧雨のおっさんにそっくりなんだぜ。私としては姉さんそっくりに育って欲しかったんだけどなぁ。まあそりゃ無理な話か」
「私が親父とそっくりだって!? 馬鹿な冗談は言わないで欲しいんだぜ!」
「おうおう反抗期か? 反抗できる親がいるなんて幸せなことなんだぜ? たっぷり甘えとけ。そして大人になったら親孝行するんだぜ?」
「だれがあんなクソ親父に親孝行なんて……」
「あはは。本当におっさんそっくりの頑固者なんだぜ。……いややっぱり私にも似てるのかな……」とリサは苦笑する。
「母さん、おばさんと一緒に帰ろうぜ! 今なら閻魔様だって許してくれるんだぜ……」
魔理沙は涙をこらえ、強引に笑顔をつくる。
「そんなことは無理だってわかってるだろ? ……魔理沙、お前は生きろ。せっかく姉さんが託してくれたんだ。生きて生きて生き抜いて老衰で孫に囲まれてから死ぬんだぞ」
そう言うと、リサは魔理沙に背を向けた。
「おっさんのこと頼んだぜ。ああ見えて寂しがりやだからな。……姉さん行こう」
リサの言葉にマリーは笑顔でうなずいた。
リサとマリーは向こうへと走り出した。気が付けば二人の姿は幼くなっていた。生き別れたあの時と同じ姿になった二人はかけっこ遊びをするように向こうに行ってしまった。魔理沙は遠くなる二人の姿を見送るしかできなかった。




