返す決意
……マリーは変わった。ドーターのトップをテネブリスに命ぜられたその日から。
性格が大きく変化したわけではない。だが、物事に対する姿勢は明らかに変わっていった。立場が人を造るというのは本当らしい。ルークスのトップに据えられて数年…。気付けば彼女は実力もルークスの上位に入るようになっていた。
……テネブリスの悪行にも手を貸した。
テネブリスは世界中に点在するコミュニティをその手中に収めていった。コミュニティとは幻想郷と同じく質の良い運を大量に貯め込む聖地のこと。コミュニティでは妖精や妖怪そして神といった外の世界で忘れられた者たちが『運』により存在を許される。テネブリスはこの『運』を狙っていた。
もちろん、運の奪取がコミュニティに先住する支配者たちに理解されるはずがない。テネブリスそしてルークスはコミュニティの先住者たちを殺戮し、コミュニティを奪い取っていった。マリーもまた、ドーターのトップとして先頭に立ち、先住者たちに刃を向ける。
「きっと私も碌な死に方をしないでしょうね……」
心の中で呟きながら、刃を突き刺した。
マリーはドーターのトップであることを利用し、ルークスのメンバーやテネブリスに気取られないように、日本のコミュニティ『幻想郷』の支配を計画通りに後回しにさせた。
リサとの『約束の場所』である『最後の地』、それが幻想郷なのだ。計画を早めさせないように、なるべく遅くなるように、だが気付かれないように……。マリーは細心の注意を払って、テネブリスの計画を自分の意図に沿うようにコントロールした。
だが、そんなコントロールには限界がある。地球上にある幻想郷以外の巨大コミュニティを制圧し終わったテネブリスがついに宣言する。
「時は来た。1か月後、東方の弓状列島に存在するコミュニティに侵攻する……。龍が造りし理想郷じゃ。最も忌々しく、厄介なコミュニティ……。おそらく一筋縄ではいかんじゃろうが、臆することはない。ワシは元より、幹部階級ドーターも数百年前とは比べればそこそこに力を付けた。龍ごときに遅れを取ることもあるまい……」
テネブリスはガンと杖を床に突き、言葉を続ける。
「数億年前……、いや数十億年前か? ……闇の神が滅び、その神力が無数に分裂した。その時、もっとも大きな神力の内のひとつが具現化した。それが龍神……。この宇宙でワシに匹敵する力を持つ可能性のあるものの一つ……。アレを潰し、コミュニティを潰さなければ……我が悲願は成就せん! 今こそ貴様らの忠誠をワシに示せ! さすれば約束しよう。貴様らルークスの願いの実現を……!」
ついに訪れた『最終フェイズ』。マリーは幻想郷の現有戦力を調査すべく、先遣隊に志願した。インドラから「……臆病者のトップ様がなんで先遣隊を志願するのかしらー?」と疑いの眼差しを向けられたが……、マリーには行かなければならい理由があった。そう、幻想郷にいるであろう『リサ』に返すものがあったから……。
だが、幻想郷に侵入したマリーを待っていたのは残酷な現実だった。
マリーは幻想郷に入ると、リサを探した。運も魔力も……魔法に関わる全ての力を失くしたリサを探すのは困難かと思われたが……、幻想郷は力のない人間が住む場所が『賢者』なる有力者たちによって定められていたために探索場所は絞ることができた。『人里』でマリーはリサを探す。いや、探すまでもなかった……。
「アンタ……、リサちゃんかい!? いや、そんなはずは……。でもそっくりだねぇ……」
マリーを見かけた老婆が驚いた表情でリサに声をかけた。マリーは老婆に聞き返す。
「私に似た人を知っているんですか!? その人はどこに……!?」
「私の行きつけの店の看板娘だったんだよ……。でも。……もういないんだよ……」
「……詳しく聞かせてもらっても……?」
……老婆からリサがすでに故人であることを知らされると、マリーはその場で膝から崩れ落ちる。……老婆から『霧雨店』の場所を聞いたマリーは足を運ぶ。
マリーは店の勝手口を叩く。音に気付いたガタイの良い男がガラガラと引き戸を開けた。魔理沙の父親、霧雨である。
「……一体どちらさんだ? ……リサ!? ……じゃねぇな。……アンタ何もんだ? ……まさか……リサの言ってた『生き別れの姉さん』か!?」
「リサから私のことを聞いていたんですね……。そうですか、貴方がリサの……。……妹がお世話になりました」
「……玄関前で話すのもアレだな。……中に入りな。大したもんはないが茶ぐらいは出せるからよ」
不器用な物言いでリサを店の中に案内する霧雨。ちゃぶ台を挟んでマリーと霧雨は茶をすすった。
「……妹が迷惑をかけませんでしたか?」
「……かけられてないって言ったら嘘になるかもな? だが、かけられた迷惑以上にオレはアイツに迷惑かけたからよ。お互い様ってやつさ」
「……あの子は良いヒトと巡り逢えたみたいです。生まれた時から酷いことばかりだったあの子の人生だったけど……、あなたと会えた最後の十数年はきっと幸せだったに違いありません……」
「……なぁ」
「なんでしょうか?」
「なぜ今頃ここに来た? ……いや、わかってる。リサが言ってたクソババアがこの幻想郷についに目を付けやがったってとこだな? ……アンタどうするつもりだ?」
「……霧雨さん逃げてください」
「幻想郷を守るつもりはねえってことか?」
「最善は尽くします。しかし、幻想郷の無事は保証できません。だから、せめて貴方だけでも逃げて欲しい。妹が愛したヒトだけでも助かってほしいから……」
「悪いが逃げるわけにはいかねぇな。オレはこの店を守らなきゃならねえんだ。……それにここはあのクソガキが帰ってくる場所だからな」
「……クソガキ……? もしかして……」
「ああ、オレとリサのガキさ。とんでもねぇはねっかえり娘に育っちまってな。今は絶賛家出中だよ。ったく、オレとリサのどっちに似たんだかな」
「……そうだったんだ。あの子、母親になってたんだ……」
マリーは安堵したように微笑みを浮かべた。全てを失った妹が人並みの幸せはきっと手にしていたのだろうと思いを馳せて……。だが、微笑みを見せたのも束の間、マリーは口を堅く結ぶ。
「……霧雨さん。その子の名前は?」
「ああ? ……魔理沙。霧雨魔理沙だ」
「……マリサちゃんですか。良い名前ですね……。……霧雨さん、やはり逃げてください。魔理沙ちゃんと一緒に。私は二人に死んでほしくない。リサの残した大切な人を失いたくない」
「……悪いが断る。俺達はこの幻想郷に生かしてもらった。もう行くあてなんてねぇんだ」
「……見た目通りに頑固な方なんですね」
「自分で頑固だと思ったこたぁねえが、みんなそう言うからそうなんだろうな」
「……命より大事な頑固はありません。魔理沙ちゃんを連れて幻想郷を離れてください」
「そいつは無理だろうな。……アイツ自身が離れるわけがねえ。アイツにとっちゃこの幻想郷は生まれ育った場所だ。それを見捨てるような軟弱なやつにも薄情なやつにも育てたつもりはねぇ」
「……そうですか、残念です。またお伺いします」
そう言ってマリーは霧雨店をあとにした。玄関を出ると、そこには運のない魔法使いがいた。妹のリサにそっくりな可愛らしい小さな魔法使いが……。
マリーは思った。リサに『返せなかったモノ』はこの子に返さなければならない、と。