謝罪
腕を切断されたショックだろう。マリーの左腕が切断されたと同時に紫と魔理沙を守っていた結界が解かれた。
「おばさん!!」
気付いた時には、魔理沙はマリーの元に駆け寄ろうと動き始めていた。
「待ちなさい、魔理沙!」
紫が魔理沙を制止させようと大声を上げる。だが、魔理沙には届かない。……届いていたとしても止まらなかっただろう。自分の母親と同じ顔をした人間が目の前で殺されようとしている様子を、指を咥えて見ていられるような、魔理沙はそんな情の薄い人間ではないのだ。
碌に話したこともない『母親の双子の妹』。敵意がないとは言え、今回の異変で敵陣営であるルークスに所属している魔女。それでも、魔理沙はマリーのことを他人だとは思えなかった。守らなければならないと思った。それは母親の死に何もできなかった自分を責めてのことだったのかもしれない。
魔理沙は自分の身を顧みることなく、マリーの元へと一直線に駆ける。老魔女テネブリスは龍脈と龍穴に残っていた運も既に根こそぎ自分のものとしていた。……幻想郷中全ての運を奪われている今、運のない魔理沙は一切の魔法を使うことができない。自分を守る術のない中、それでも魔理沙は駆ける。
「聞いてない……! 無理やりにでも連れ戻す……!」
紫は魔理沙を自分の元に戻そうと、スキマを拡げようとした。だが……。
「そ、そんな……!? スキマが展開しない……!?」
紫のスキマは何かに無理やり、閉じられるように力が加えられ、開くことはなかった。テネブリスがにやりと口元を歪める。
「ワシの能力の影響下で、貴様ごときの境界操作能力が使えると思うか?」
……既に付近一帯の境界はテネブリスが牛耳っていた。境界を操る程度の能力、その源泉であるテネブリスが支配した場所では幻想郷の賢者、八雲紫であっても太刀打ちすることはできなかった。テネブリスは横一線に次元斬りの力を紫に向けて撃ち放つ。
紫はせめてもの防御を……と考え、防御の妖術を展開したが……。そんな防御壁などテネブリスの次元刃の前では豆腐にすらならなかった。防御壁を切断した次元斬りは紫の両足を水平に切り裂く……。
「ああぁあぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!?」
紫の悲鳴が響き渡る。その声でようやく魔理沙はテネブリスと紫が戦闘していたことに気付いた。
「紫!? どうしたんだぜ!?」
魔理沙が振り返った先にいたのは両足の下腿部を切断され、四つん這いにうずくまる紫の姿だった。
「ゆかりぃいいいいい!!」と叫ぶ魔理沙。
「案ずるな小娘よ。お前もこいつらと同様に斬ってやるからのう……!」
テネブリスは次元の刃を魔理沙に向けて撃ち放った。魔法を使えぬ魔理沙に防ぐ手立てはない。一瞬で真っ二つに切断され絶命する……はずだった。
魔理沙にテネブリスの凶刃が接触しようとした瞬間、「パリィン!!」という高音の巨大音が鳴り響く。壊れるはずのない次元の刃はガラスが割れるかのごとく砕け散ったのだ。テネブリスは思わず目を見開く。
「……ワシの境界を操る力が打ち破られたじゃと……!? 憎き神から与えられたこの力をあんな小娘が上回っているというのか……! ありえん……! あってはならん……! 運もなく、魔法もろくに使えない人間がワシを超えるなどあってはならんのじゃ……! ……不穏分子は排除せねばならん……! ……小娘ぇ! 貴様の『境界を破る能力』が目覚めきる前に、貴様は屠らねばならん! 死ねぇえええええええええええええ!!!!!」
宙に浮くテネブリスは、さらに上空へと浮上すると、焦りと怒りの感情のままに巨大な火球を地上に堕とした。地上に炸裂した火球は大爆発を起こす。衝撃波は人里の建物を消し飛ばし、わずかに残った瓦礫を燃焼させ、人里を火の海へと変えてしまった。爆発のエネルギーは周囲の水蒸気を全て気化させ、巨大なきのこ雲を形成するのだった。何もかもがなくなってしまった人里を見下ろし、テネブリスは呟く。
「……これで、『因子』を持つ者はワシ一人か……。……それでいい。どうせ全て滅びるのじゃからな……」
更地になった人里でひとり、テネブリスは空を見上げるのだった。
◇◆◇
「う……。あ……。ごめんなさい……。間に合わなかった……!」
魔法の森で這いつくばっていたのは、左腕を失ったマリーであった。彼女が謝罪した相手は助けられなかった同胞たちである。
テネブリスが爆炎魔法を放つ間際、彼女が境界を操る能力を停止させたのを視認したマリーは自身の境界操作能力である黒球を発動し、仲間を助けようとしたが間に合わなかったのである。黒球を使い、魔法の森にワープすることで助け出すことができたのはたったの二人……。だが、その助けた二人も重傷を負っている。特に一人の少女はすでに瀕死の状態であった。
「ま、魔理沙ちゃ……ん……」
そう、助け出されたのは霧雨魔理沙と八雲紫の二人。二人とも気絶しているが、死の間際にいるのは魔理沙の方であった。彼女の胸に大きな風穴がぽっかりと開いてしまっていた。爆発の破片が胸を貫通してしまったのだろう。境界の力を防ぐことができた魔理沙であったが、魔法を使えぬ彼女は爆炎を防ぐ術がなく、直撃を許してしまったのだ。
魔理沙の顔からは既に生気が失われ、瞳孔も開こうとしていた。
「……死んではだめ……。死んではダメよ……、魔理沙ちゃん……。……貴方に託すものがあるのだから……」
這いつくばって仰向けに倒れる魔理沙の元に辿り着いたマリーは、魔法陣を展開する。
「……このために私は今まで生き続けてきたの。臆病者と言われようとなんといわれようと死ぬことだけはしなかった。全てはこの時のため……。あなたのお母さんに……、リサに恩返しをするために……」
マリーと魔理沙、二人の体が暖かな白い光に包まれる。
「ごめんね、リサ。遅くなっちゃった……。死の間際まで決断ができなかった弱い私を許して……」
マリーはリサの顔を思い出し、溢れる感情を双眸から溢れさせるのだった。